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あの崖の上から

蓮が、首を振って意識を鮮明にしようとしている。怜が二人の上数メートルの所に降りて来て浮いた。悠美は慌てて蓮の前に立ちはだかった。

「おやめくださいませ!我の命でこのようにしておるだけのこと。」

父は悠美を見た。

「楓。主が逃げるゆえこうなっておるのであろうが。己のせいぞ。」

悠美は首を振った。

「何を戯けた事を!」蓮も怜も驚いた顔をした。王に向かって、戯けた事と。「お父様、何を戯けた夢をご覧になっておられるの?そのようなもの、全て夢。夢でありまする!龍王の力に抗えるとでも思うておられるか!仮に手にしたとして、扱えると思うておられるの?我らもお母様も、お父様のせいで死するよりなかったのでありましょう!目をお覚ましくださいませ!」

怜は見る見る激昂して手を振り上げた。

「黙れ!小娘が!」

気弾が飛んで来る。悠美は精一杯の力で自分の前に気の壁を作り、それを防いだ。絶対に、最低でも大きな衝撃が来て、最悪すぐに破られてしまうと思った悠美の作った壁は、父王の気弾を事もなげに防いだ。

思ったより簡単に凌げたことに悠美は驚いていた…父は、自分を殺してはいけないと思っている。利用出来なくなるからだ。なので、あまり大きな力を降らせることは出来ないのだ。蓮を守るためには、自分が盾にならなければ!

「蓮…、」

蓮は悟ったように頷いた。

「時を稼げ。我は結界に穴を開ける!」

蓮は力を放った。結界がビリビリと震えて軋み、亀裂が入り始めた。これほどに大きな力を、蓮が放つことが出来るなんて。

「小賢しい!」

怜は尚も気弾を落として来る。悠美は必死に壁を張って、蓮と自分を守った。しかし、父王の力はどんどんと悠美の壁を押して来る。そして、それでは埒があかないと思ったらしい父王は、気を弾ではなく、レーザービームのような形で放出して、悠美の作った防御璧を攻撃し始めた。いくら王族の血を引いているとは言っても、王の力に敵うはずはない…。

あまりに重い圧力に、悠美は手を震わせながら蓮を見た。

「蓮…もう、持ちこたえられないかも…。」

悠美が呟くと、蓮は食いしばった歯の間から言った。

「今少し。」蓮は一層力を放った。「すぐだ、悠美。」

悠美は、ハッとした。蓮の気が、どんどんと減って行く。普通、神は自分の気を放つ時、気の補充の速さとバランスを取って放出する。そうしないと、体じゅうの気を全て無くす、つまり死を意味するからだ。だが、蓮は一点に大きな気を長時間集中させるために、全ての気を放っている。

まさか、蓮は死ぬつもりで…。最初から、ここの結界は破れないのを知っていて、全ての気を込めて、破るつもりでいたの!

悠美は悟って、叫んだ。

「やめて、蓮!気が…!」

蓮は膝を付いた。だが、まだ手からは気が放たれている。

「さあ、もう破れる!構えよ、悠美!開いたらすぐにあちらへ飛び込むのだ!」

「やめて!」悠美は蓮にすがった。「やめてよ、お願いだから!」

蓮はフッと笑った。そう、分かっていた。自分の力では、王の結界を破ることは出来ない。しかし、この身の全ての気を一点に集中させれば、破ることは出来る。

あの、次元の扉近くの軍神達を見た時、蓮は思った。そう、きっと兄もそうだったのだ。この同じ場所で、恐らく椿を逃がそうと、こうやって道を開いて、そして椿を逃がして死んで逝ったのだ。あれは、兄の判断だった。決して、椿が兄を謀ったのではない。逆に、兄が椿を謀ったのかもしれぬ。自分が、この事をわかっていながら、悠美に一緒に行くと、後を追うと言ったように。

亀裂が開く。蓮は叫んだ。

「行け!もう、我は持たぬ!」

「蓮!」悠美は泣き叫んだ。「嫌よ!一緒に行くのよ!」

「こちらへ!」開いた亀裂の向こうから、女の声が飛んだ。「楓、早く!」

その顔に、見覚えがあった。このひとは若いけど、そう、もっと年老いた顔の。

「聡子先生!」悠美は叫んだ。「椿お姉様…!」

蓮は、悠美をそちらへ突き飛ばした。

「頼む!」

「任せておけ。」もう一人の腕が、向こう側から悠美を掴んだ。「ようやった、蓮。」

蓮は、その相手を見て、微笑んだ。そうか、どうやったのか分からぬが、逃れたのか。

「兄上…。」

「嫌よ!蓮!蓮!」悠美は掴まれた腕を離そうと必死にもがいた。「蓮…!約束したのに!」

「すまぬ、悠美。さらばだ。」

悠美は亀裂の向こうへ引きずり込まれた。

「蓮…!!」

向こう側で、蓮がばったりと倒れるのが見えた。

亀裂はまた、何もなかったかのように閉じた。

気を失った悠美を、若い姿の聡子が宙で支えた。同じく若い姿の慎は、背後に立つ神に片膝を付いて頭を下げた。相手は頷いて、言った。

「行け。ここは任せよ。」

「は!」

慎は、悠美を担ぎ、聡子の手を取ってその場を飛び立った。

龍軍を従えた龍王は、その場に浮いて月を見上げ、次の動きを待った。



夜のパトロールと言っても、最近は寂しいことなどない。いつまでもネオンは明るく、街灯は数メートル起きに道を照らし、若者は町でたむろする。

しかしそのせいで、犯罪が多いのも確かだった。昔は外に出なかったものだ。月明りしかなかったのだから。

自分がそんな時代に生きていた訳でもなかったが、そんなことを思いながら、(さとる)はパトカーで町を走っていた。

相棒はため息を付いて言う。

「変な事件が多いよ。誘拐にしても、身代金目的でないものが増えて。謎の失踪がほんとに多い。警察が把握出来てないだけで、もっとあるのかも知れない…ああやって、夜ふらふらしてるヤツの中から、連れて行かれてても、分からないだろう。」

悟は黙って頷いた。つい最近の事件と言えば、半年前の20代の女の子の失踪事件だ。普通のマンションの5階の部屋から、何の痕跡も残さず女の子が消えていた。しかも、鞄も携帯も持ったまま、争った形跡もない。知っていて出て行ったにしては、部屋の窓の鍵はものすごい力で引き千切られたかのようになって転がっていたのはおかしい。間違いなく誰かに連れ去られたのに、ロープを掛けたような跡も、何も無かった。屋上にも地上にも、足跡すら残されていなかった。

「…親御さんの気持ちが分かって、つらいんだよなあ…。」

悟にも、2歳になる娘が居る。なので、本当に身につまされた。いくつになっても、子供は子供なのだ。

「おい、なんか人が騒いでるぞ。」

相棒が言う。悟は、公園の入り口辺りで人垣が出来ているのを見て取った。すぐにハザードランプを付けて車を脇へつけると、その人垣に向かって行った。

「ああ、お巡りさん!今、電話しようとしてたところでなんです!」

携帯を手に、若い女が言った。悟は顔をしかめた。

「酔った人とか倒れてるの?」

相手は首を振った。

「違います!すっごく綺麗な女の人が、倒れてるんです!」

悟は怪訝な顔をしながら、人垣を割って入って行った。すっごく綺麗な女の人が、酔っぱらって倒れてるのか。

「はいはい、警察です、後はやりますんで、皆さんは早く帰ってください!」

そう言って倒れている女を見て、悟は息を飲んだ。

驚くほどに美しい女が、着物を着て倒れていた。普通の着物ではなく、雛人形が着ているようなものだ。髪には簪が挿され、微かに見える顔の頬は、透き通るように白い肌だった。

恐る恐る近付いてみると、酒の臭いはしない。何かに巻き込まれたのか。どこかからさらわれて、逃げて来たのか…。

「応援を呼んでくれ!救急車も!」

悟は相棒に叫ぶ。慌てて無線に飛びつくのが見えた。

「さあ!もう帰ってください!立ち止まらないで!」

回りの人を解散させながら、悟は何度か相手に呼びかけたが、それに応えることはなかった。

救急車が到着し、応援の警官達がビニールシートで回りを見えないように保護している中を、その女は運ばれて行った。


それをこちらの物陰から伺っていた二人の人影は、ホッとしたようにその場を後にした。



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