コスプレのイケメン
悠美は、その山を甘く見ていた。
道は段々と狭く、険しく、そして舗装もされていないゴツゴツとした土の道へと変化して行く。両側には林のような森のような、とにかく木が生い茂っていて、とても涼やかで美しいのだが、それを美しいと思える心と体の余裕が消え去って行く。しかも、一人旅で黙々と歩いているので、思った以上に時間が掛かっているようにも感じた。
時間のせいか、たまに上から初老の夫婦やカップルなどがぱらぱらと歩いて降りて来る以外は、全くの独りだった。路傍に時に現れる、仏像のような、地蔵のようなものも、崩れかかったものもあり、独りだと思って見ると、何やらおどろおどろしいような気がした。
私は日本を極めたいのよ!ここを登れば寺があって、それを書道の先生にお話ししたら喜びそうに思うもの!だから上までがんばろう!
悠美は自分を鼓舞した。しかし、帰りは絶対バスにしようと思っていた。このままだと、帰りは暗くなってしまう気がする。そうなると、一層辺りが怖くなるような気がしたからだ。
誰か、無理にでも誘えばよかったなあ…。お母さんとか…。
悠美は、心細くなってそうポツリと思った。すると目の前に、その前後には何も建物はないのに、門のようなものがあった。
「ここからが、寺の領地ってことかしら?」
悠美はその門を通して向こう側を見た。道は、まだまだずっと向こうへと続いている。やれやれとその門をくぐろうと傍に寄って、悠美はぎょっとした…昔のこんな門の例に漏れず、この門にも両側に仁王像が立っていたのだ。
「ああ、これ知ってる。こっちが「阿」で、こっちが「吽」よね。」
悠美は、誰にともなくつぶやいた。もちろんのこと、誰も答えないので、悠美は自分の独り言に苦笑しながら、その門をくぐって先を急いだのだった。
やっと到着したその寺は、まだ上へと階段が続き、高い場所にある寺だった。
しかし、ゆっくり見ている暇はなかった。もう、日はかなりの位置まで下がって来ている。このままではいけないと、まだ明るいうちに降りるために、悠美がその上に上がってさっと本堂を流し見た。裏にも道があって、どこかへ続いていそうだったが、時間がないのでなごり惜しげに視線だけを走らせる。良く見ると、もっと上のほうだが、神社か寺のような屋根だけが少しだけ見えた。なぜだかとても懐かしいような雰囲気で、本当はそこに行きたかったのだが、バスが気にかかる。後ろ髪を引かれる思いでまた、階段を早足で降りて来た。
すると、さっきまでそこのベンチに掛けていたたくさんの人達の姿がない。嫌な予感がする。
「あの、バスは?」
手近にいた人に聞いてみると、その初老の男性は驚いた顔をした。
「え?もう出たよ。でも、観光用のバスじゃなく、普通のバスならまだ来るから、それに乗る?…かなり遠回りになるけど。」
悠美は時計を見た。
「下まで行くのに、それだとどれぐらいですか?」
その男性はうーんと唸った。
「下まで一時間ぐらいだろうな。ずっと回って行くから。」
悠美は顔をしかめた。それなら、きっと小走りで走って降りたほうが早いかもしれない。
「ありがとうございます。」
悠美はサッと踵を返すと、さっさと歩き出した。登りは結構きつかったけど、下るんだから。きっと大丈夫、最後のロープウェイにも間に合うはず。
悠美はほとんど走るような感じで、一目散に元来た道を降りて行った。
膝が、笑って来る。
思えば、下りのほうがキツイのだと、どこかで読んだ気がする…転がり落ちないように踏ん張るので、なんだか膝がおかしい。それに、今履いている靴は、ウェッジソールの、一見パンプスっぽく見えるような運動靴で、そうは言ってもヒールが五センチほどある。登りの時はそれが逆に楽だったりしたのだが、下りはそのヒールのせいで前のめりが激しくなって、つま先に力が入って親指の付け根の辺りが特に痛かった。
どうして、ここへ来ようと思ったんだろう…。
悠美は後悔していた。駅にほど近かった、お城へ素直に行っておけばよかった。ここは明日でも良かったじゃない。こんな、時間が切迫した時に来なくても…。
そんな事を思いながら前を見ると、あの仁王像のある門が見えて来た。悠美はホッとした…やっとここまで来たのね。
悠美がそこをくぐろうとすると、横の茂みががさがさと揺れて、20代ぐらいの男が一人出て来た。しかも、甲冑でコスプレしている。ここは侍の映画を撮った場所だから、そのサービスか何かをしてる人かな。それにしても、すっごくカッコいいんだけど。そう、テレビで見るような人より、数段カッコいい。黒髪に茶色の瞳で、恐らく日本人なのだろうが、キリリと引き締まった顎のラインに、薄く不機嫌に閉じた唇、スッと伸びた鼻筋に、気の強そうな切れ長の目で、生きているのが不思議なぐらいに美しい顔立ちだ。背も高く、脚も長く、程よく筋肉がついているようで、がっちりと頼もしい感じだった。
悠美が珍しげに見ていると、相手も珍しげにこちらを見た。
「…女。何をそんなに見ておるのだ。」
悠美はムッとした。女って何よ。それとも、役になり切っているのだろうか。
「何をって、見せるのが仕事なのではないの?そんなものを着て、こんな場所で。」
相手はそれを聞いて、眉を寄せた。そして何やら手を上げると、もう一人が上から飛び降りて来た。
それを見た悠美は思った…すごい、木の上に待機してたんだ。凝ってるな~。
「どうした?蓮。」
飛び降りて来た相手は言った。こちらの蓮と呼ばれた男は、悠美を指して言った。
「こやつ、我に答えおった。」
飛び降りて来た男は、驚いたように振り返った。そして、悠美はその顔に固まった…見たことが無いほどの綺麗な顔だ。髪は黒いが目はブルーだった。そしてまた、甲冑のコスプレがとてもよく似合っていた。
相手はそんな悠美の気持ちを知ってか知らずか、言った。
「女、名は?」
「高梨悠美です。あなたは?」
相手は明らかに驚いた顔をした。
「我は利泉」そして、蓮のほうを向いた。「誠よ。そういえば、今日は満月であったか。」
蓮は頷いた。
「ここの所は全くこんな人には出逢わんだものを。なんだか今日は嫌な予感がしたのだ…面倒なことよ。いつなりとこんな者が現れる訳ではないのにの。」
利泉に見とれていた悠美は、次の瞬間目を見張った。利泉と蓮が、浮き上がったのだ。
「な、な、」と、悠美は駆け出した。「きゃー!」
蓮はため息を付いた。
「見よ、人とはこんなものであるのに。」と、軽く手を翳した。「やってられぬわ。」
悠美は、何かの力が自分を持ち上げるのを感じた。
「きゃー何するのよ!離して!」
ジタバタと暴れた悠美の足から、靴が飛んだ。肩のカバンもずり落ちて地面に落下する。それを見た利泉が、呆れたように言った。
「仕方がないわ。とにかく命じられておるのだからの。行くぞ。」
そのままグイと引っ張られて、悠美は宙に浮いたまま森の中へと引き込まれて行く。
「きゃー!嫌、助けて!!」
道がどんどん遠くなって行く。
咄嗟に、悠美は傍の背の高い木の枝を掴んだ。
「嫌!きゃー!」
「何か引っかかっておるぞ。」
利泉という男が振り返って言う。もう一方がうっとうしげに答えた。
「暴れおって。枝ごと切り取るかの。」
そして、また手を上げた。悠美は目を閉じた…もう駄目!連れてかれちゃう!何か知らないけど、変なコスプレの超能力者に!
すると、ヘッドライトのような光が、こちらに射し込んだ。
「誰か居るのか?!」
男性の声だ。悠美は必死に叫んだ。
「助けて!!助けてください!!」
悠美を掴んでいた力は、急に弛んだ。途端に地面に叩き付けられ、悠美は呻き声を上げた。
「痛…っ!」
悠美がしこたま打ち付けた尻を擦っていると、声の主が、下に生えるシダの間を抜けて、こちらへ慌ててやって来る。
「なんだ、さっきのお嬢ちゃんじゃないか。やっぱりこっちの道を来てたんだな。とにかく、こっちへ。」
日が、もうほとんど暮れて来ている。その男性は、さっきバスの事を聞いた人だった。
「変な人達が…甲冑のコスプレしてる…、」
「ええ?」男性は林の中を伺った。「いや、誰も居ないな。逃げたのか。」
悠美は林の中に目を凝らした。確かに人影は見えない。なんて素早いの…そうか、飛べるんだもんね。
「でも、本当に二人居たんです!もう少しで連れて行かれる所だった…。」
男性はため息を付いた。
「一人きりだし大丈夫かなと探してたんだ。ほんとはこっちの道は通らないんだけど、これより先に行ってなくてよかった。これ以上はバイクは無理でね。」
男性はエンジンを掛けたままのカブを振り返った。
「さ、荷物持って。一度上に戻って、舗装された方の道から戻ろう。送って行こう。ロープウェイは間に合わないから、下まで乗っていくといい。」
悠美は頷いて、靴を履き直すと鞄を持ち、男性にお礼を言って、元来た道を戻り始めた。
あまりに怖くて、しばらくの間、膝の震えは止まらなかった。
暮れて行く空に、もう月が出ていた。