第3巻 第2章 ざまぁと断絶(3)
結界の心臓部に、エララはひとりで降りた。
地下へ続く階段は螺旋を描き、壁面の術式が足音に反応して淡く明滅する。アレスの魔力の匂い——冬の朝の、張り詰めた空気に似た冷たさ——が濃くなるほど、胸の奥で何かが熱を帯びる。
最奥。光の糸が蜘蛛の巣状に空間を縫い合わせる場所。結界の全ての流れがここに集束し、青白い燐光が巨大な心臓のように脈打っている。
エララは膝をつき、両手を床に置いた。
竜の核。竜族にとって命そのものと同義の存在。心臓よりも深い場所に宿る魔力の原初の塊。削れば削るだけ、二度と戻らない。
——長老の声が、骨の奥で反響する。
『核を傷つけてはならぬ。削れば、お前は竜から遠ざかる』
あの時、笑って答えた。誰が自分の魂を削るものか、と。
嘘だった。最初から、こうするつもりだった。
胸の中央に意識を沈める。肋骨の奥、暗い紅色をした光の塊。深海の底で燃え続ける火。触れた瞬間、核が抵抗する。持ち主自身が傷つけようとする行為への、本能的な拒絶。全身を電流のような衝撃が走り、視界が白く弾ける。
声は出さない。歯の根が合わないのを、顎の力だけで押さえ込む。
核の表面から、薄い欠片を剥がす。爪で自分の骨を削る感覚。痛みは焼けるように鋭く、同時に深い場所から何かが永遠に失われていく空虚が広がる。
剥がした欠片を、結界の心臓に押し込む。
青白い光の中に、深紅が一筋、滲んだ。
アレスの構造物が、エララの魂の欠片を受け入れる。脈動が一拍だけ乱れ、すぐに安定する。彼が気づくかどうかわからないほど繊細な変化。だがエララには見える。自分の紅が、彼の青に溶け込んで輝く。
膝から力が抜ける。冷たい床に両手をついたまま、上を見る。頭上で揺れる光幕の中に、星のようにか細く、しかし確かに脈打つ深紅の点。
これで、彼の結界はより強固になる。誰かが破ろうとすれば、エララの核が反応する。彼に近づこうとする者を、この光幕が弾き返す。
——彼の中に、いられる。永遠に。
頬を光に寄せる。冷たい。冬の朝の匂い。彼の匂い。
「……もう誰も近づけない」
囁きは誰にも届かない。アレスはここにいない。この儀式を、彼は知らない。知る必要もない。
深紅の光が、青白い光幕の中で、静かに脈打っていた。




