32 助け船
いっそのこと彼らの足止めをしてもらい、一か八かで追っ手を撒きながら春麗宮に逃げ帰るかと考えていた時、側近の黎邦が息を呑む気配がした。何があったのかと顔が見られない程度にほんの少しだけ視線を上げれば、口元を隠した彼は何やら黒曜に耳打ちをしているようで。
芙蓉は首を傾げていたが、黎邦の言葉を聞いた黒曜は驚くような、それでいて呆れてもいるようにも見える表情を作る。
「……いや。悪い、伝えていなかったか」
「え……?」
「そこの下女は諸事情により、私が一日限りで派遣した者だ。身元はこちらで確認している」
「!?」
「そう、だったのですか……?」
これは……助け船だと思って良いのだろう。しかし黒曜とて、目の前にいる女が誰かなど分かってはいないはずだ。彼には声すら聞かせていない。ならばなぜ。
言いたいことは次から次へと湧いて出て来るが、ひとまず処刑台行きは免れたらしい。芙蓉からも困惑の気配は伝わってくるが、射抜くような視線はなくなった。
「ああ。元は他の妃の元で働いている者だ。そろそろ主人の元へ帰る時間ではないか? 芙蓉も行くぞ」
「えっ、あ、はい。ご案内致します」
これから大混乱に陥るであろう清夏宮内にいる侍女へ、式神を使って必要事項を伝達した芙蓉は、困惑しながらも黒曜と共に宮内に入って行った。途端に周囲の騒めきが一気に耳に入ってくる。
「い、生きた心地がしなかったわ……」
芙蓉達の姿は完全に見えなくなったが、いまだに心臓がバクバクと多くな音を立てている。正体がバレたところで貴妃だと分かれば見逃されていたかもしれないが、それはそれとして何をしていたのかという話になっていたはず。
庇ってくれた以上、蓮華であることは気付かれていたのだろうが、その理由がどうしても分からない。直接聞いてみるしかないだろうか。
「霜? どうかしたの?」
『……あの男』
「黒曜様のこと?」
『いや、側近の男だ。黎邦と言ったか』
黒曜は蓮華に対して『そろそろ主人の元へ帰る時間ではないか?』と言った。つまり、万が一にも芙蓉に顔を見られることがないよう、今のうちに撤収しておけと言われたのだ。この場は自分が注意を引くから、と。
彼の助けを無駄にせぬよう、さっさと使用していた道具を片付けて清夏宮を出る。春麗宮に帰る道中、何かを考え込んでいるようだった霜に声を掛ければ、彼は蓮華と違って黎邦の方に思うところがあったらしい。
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