30 淑妃の器
それから一時間くらいだろうか。真面目に仕事をしている姿を見て疑いが晴れたのか、少しずつ監視の目がなくなっていき、今は姿を消したままの霜と他愛のない会話をしながら花壇の手入れを続けている。同時に霜の『異常なほど虫の数と種類が多い』という報告が真実であることを確かめ、今度はその虫自体に細工はされていないか、この目で確認しようとしていた。
ここが清夏宮であるからといって芙蓉が何かをしたとは限らないため、情報は多ければ多いほどいい。
「……それはそうと、念のため直接確認しに来て良かったわ。安全な生き物がほとんどだけれど、少し危険な虫も混ざっているものね。ここにいる何匹かをわたくしの宮に連れ、て……」
『っ、蓮華……!』
……芙蓉だ。なぜ、彼女がこんなところに出てきている。淑妃芙蓉は普段は宮の中で過ごすことが多いと事前に聞いていた。それなのにどうして、今日に限って庭園へ出てくるのだろう。ただの気分転換? ならばこのような隅に向かって歩いてくる理由は何なのだ。
頭の中では盛大に動揺しながらも、他の下女を見習って丁寧すぎないように拱手する。蓮華と本物の下女とは教養レベルに天地ほどの差がある。だから今、手本にすべきは彼女達の姿だ。
適度な緊張感を身に纏い、何があろうと顔を見せてしまうことがないよう深く頭を下げて。姿勢は少しだけ悪く。
シャラ、と髪飾りが揺れる音がする。同時にふわりと甘い花の香りが漂ってきて、気が付けば蓮華の頭上には誰かの影が差していた。
「────……」
「…………」
「……あなた、お顔を上げてくださる? その体型も髪艶もどことなく感じる高貴な気配も、私には覚えがなくて。あなたのような下女は清夏宮にいなかった気がするのです」
なぜ蓮華の前で足を止めたのだろう、と疑問に思ったのはほんの僅かな時間だけだった。蓮華の中で答えが出るよりも先に、芙蓉本人から答え合わせをされてしまったから。
「し……失礼ながら、わたくしの顔をあなた様の視界に入れるなど、あまりにも恐れ多いことと存じます。大変申し訳ございませんが、どうかご容赦いただきたく……」
「…………」
断られるとは思わなかったのか、蓮華の言葉に芙蓉は黙り込んでしまった。しかしどうしても顔を見られるわけにはいかない。化粧で少し顔を変えてはいるが、本来の姿を良く知っている者にまで誤魔化せるとは思っていない。声だって、本当は聞かせたくなかった。声を変える技術を蓮華は持ち合わせていない。さすがにバレてしまっただろうか……
緊張で心臓がバクバクと大きく脈打つ。密着しているわけでもないのに、目の前の彼女に聞こえてしまいそうだ。
「いいでしょう。ならば、あなたはいつから清夏宮の下女をやっているのでしょうか? 私はこの宮で働くすべての者の顔と名前を把握しているのですよ」
「! そ、それは……」
本気で言っているのか。いや、嘘を吐く理由もないだろうが……四夫人の宮で、一体どれだけの人間が働いていると思っている。宮内の生活区域に入ることのできる人間は限られていても、その他の厨房や離れ、庭園などでは数えきれないほどの者が出入りしており、ただ『記憶力が良い』というだけで納得できる話ではない。蓮華ですら、半分ほどしか覚えられていないというのに……!
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