21 あなたが皇帝でなくとも
寝台に腰を掛けた黒曜は、無表情のままで自身の衣装の前をはだける。いきなり何をしているのかと動揺した蓮華だったが、武を嗜む者の切り傷も含めて美しい彼の肌を見て言葉を失った。
────腹から心臓にかけて、禍々しい蛇の紋様が浮かんでいる。
「こ……黒曜、様。それ……っ!!」
「最初に気が付いたのは今から二年ほど前の春だ。先帝が亡くなり、私が皇位を継いだ直後」
……すべてを語られなくとも、その言葉だけで十分だった。彼が何者かに呪われていることを悟ったのはこの紋様を見たからだろう。腹から心臓にかけて、という場所が場所なだけに、この蛇はまるで黒曜の心臓を喰おうとしているかのよう。
「……触れても?」
「構わない」
「失礼します。……痛みは?」
「少し。体調はお前が見た通りだ」
「お気付きでしたか。勝手を……お許しくださいませ。黒曜様が側近の方々にしか話さず、さらに必要以上に調べることをさせなかったのはしつこく心配されるのが面倒だったからですか?」
蓮華は知っている。黒曜は宮廷内外問わず賢帝と慕われている、とても優秀な人だ。だがこう見えて面倒くさがりでもある。特に自分自身のことに関しては無頓着なところが多い。
図星だとでも言わんばかりに視線を逸らした彼は、しれっと『まあな』と返す。
侍女長は言った。『蓮華様、お淑やかに見えてたまに暴走する方ですものね!?』と。黒曜の返事に美しい笑みを顔に張り付けた蓮華は『黒曜様』と肝が冷えそうな声で隣の彼に声を掛ける。
「……なんだ」
「失礼ながら、黒曜様は皇帝の自覚がお有りで? あなたの命はこの国で最も尊いものなのですよ? そして現直系皇族は黒曜様お一人のみ。今まではご無事だったようで何よりですが、先のことなど分かりはしませんのに、良くそのような雑な扱いができましたね? 黎邦様方の苦労が偲ばれますわね!」
「…………」
皮肉を込めて言えば黒曜は言い返す言葉がないようで、気まずそうに蓮華と目を合わせようとしない。華家の忠臣である瑞家長女として、多少失礼な物言いであっても進言するべきことはする。すべてを受け入れることだけが臣下の役目ではないのだ。
とはいえ、少し言いすぎたかと不安が頭によぎる。が、黒曜の背後に現れた彼の式神が無言で『もっとやれ!』の合図を出してきたので遠慮はしなくて良いこととした。
「反論はありますか?」
「私ひとりの命にそれほどの価値はない。たしかに直系は絶えるが、それこそ瑞家朱家は華家の代わりにもなれる存在だ」
「黒曜様の能力は黒曜様にしか使えなくてよ」
皇帝、華黒曜の能力は『豊穣』だ。具体的には『作物を急速に育てる・安定して育てる』ことができる。それぞれ使用条件が異なり、安定の方は制限がないので常時行使しているとのこと。黒曜の能力を知らぬ者はおらず、この能力のおかげで瑞朱華国は天候や身分関係なく腹を満たすことができている。しかしこの能力は現時点で直系皇族にしか発現したことがないため、彼の力は国を支える大きな存在となっているのだ。
「お説教させていただきましたけれど……わたくしは黒曜様に生きてほしいのです。皇帝でなくともあなたはわたくしにとって大切な存在なので。まだ、死なないで。どうか健康で幸せでいてください。お願いします……」
思いの外、弱々しい声が出てしまった。だが皇后選定についての説明の際、黎邦の言葉でどれほど蓮華の心が乱されていたか、黒曜は知らないだろう。当然教えるつもりもないが……
蓮華にとって黒曜は、主であると同時に心からの恋情を向ける相手でもある。普通に考えて好きな人が命の危険に晒されていると聞いて平静でいられるはずがないだろう。一体何年あなたを想い続けたと思っている、と怒りにも悲しみにも似た感情が湧く。蓮華はわがままなことばかり言うが、本当に大切な人のためならそのすべてを押し殺すことだってできる。黒曜を救うためならば何でもする。
「……この命を軽く見るような発言をして悪かった。誰かにとって憎むべき存在は、また別の誰かにとっては時として命をも懸けられる存在になり得ることを、失念してしまっていた」
あいつらにも悪いことをしたな、と遠い目で自嘲するように笑う黒曜。……ここに来て、初めて黒曜の笑顔を見た。たとえそれが自分を責めるものであっても、恐ろしいほどに美しい華だ。
一瞬の笑顔の後はすぐに無表情に戻ってしまった。次に彼の笑顔を見る時は幸せな意味合いのものであるよう、願わずにはいられない。
「最後に。現時点で私に呪いを掛けた犯人の最有力候補は朱夢鈴だ。動機は不明だが、呪いを掛けるとしたら間違いなく能力や式神が関わっているのだ。私の腹にあるのが蛇の紋様となると、必然的に最も怪しいのは彼女となる」
「それに関してはわたくしも同意見ですわ。名を持つ一族の生まれである彼女がそんなことをしたとは思いたくありませんが」
「そうだな。では、私はそろそろ戻る。見送りは不要だ。皇后選定では良き結果を残せるよう祈っている」
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