第8話 星見の寮の夜
星見の寮――そこは、夜にいちばん近い場所だった。
天井の高い吹き抜けに星の光が降り注ぎ、廊下には魔石の灯がふわりと揺れる。
階段を上るたび、淡く光る壁の紋章が呼吸するように脈動している。
リアはその灯を眺めながら、静かに足を進めていた。
入寮初日。
荷ほどきを終えたはずが、部屋の位置をうっかり間違えて、三階から五階へ、五階からまた二階へ。
――どうして、同じ廊下なのに景色が違うんだろう。
そんなことを思いながら、リアは今日もこっそり“探索”を始めていた。
夜の寮は、昼と違って静謐だ。
寮生たちはほとんど寝静まり、風の音と遠くの時計塔の鐘だけが響く。
鎧の足音をできるだけ殺し、リアは廊下の角を曲がる。
そのときだった。
「――あれ? 君、もしかして迷ってる?」
廊下の向こうから声がした。
振り向くと、魔導灯の光に照らされて、ひとりの少年が立っていた。
栗色の髪に、眠たげな青灰の瞳。
少し大きめの地図を抱えて、慌ててそれを背中に隠す。
「あ、いや、怪しい者じゃないよ!? その、ちょっと……地図を描いてて……!」
リアは首のない鎧の中で瞬きをした(ような気がした)。
声は穏やかで、どこかくすぐったいほど柔らかい。
「……地図、を……?」
「うん。ぼく、ノア。ノア・ルヴェン。えっと、君は?」
「リア……リア・ヴァルクスです。」
「リア、か。いい名前だね。」
ノアはにっこり笑って、持っていた地図を広げた。
それは、手描きの地図だった。墨で描かれた線が淡く光り、ところどころに青い魔力のしずくが浮かんでいる。
「これ、ぼくの魔法。涙を垂らすとね、その人が通った足跡が、光で浮かぶんだ。
……探しものをする時に、ちょっと便利なんだ。」
「……探しもの?」
ノアの笑顔が、少しだけ陰る。
地図の端を指で撫でながら、彼は小さく言った。
「父さんを探してるんだ。
この寮の初代寮監で、魔法建築学の先生だったんだけど……ある日、突然いなくなっちゃって。」
「…………。」
「変な話かもしれないけどね。
父さんがこの学校のどこかに“隠し部屋”を作ってたって噂があって、
もしかしたら、そこに何か手がかりがあるかも、って思ってさ。」
リアは少しの間、黙っていた。
“隠し部屋”――その言葉に、心の奥がかすかにざわめいた。
自分もまた、“失くしたもの”を探している。
「……わたしも、探しもの……してます。」
ノアが顔を上げた。
その瞳は、星の光を映したように優しく瞬いた。
「そっか。じゃあ、仲間だね。」
「……な、かま?」
「うん。二人で探そう。隠し部屋も、君の探しものも。
この寮、ちょっとした迷宮みたいだから、ぼくの地図が役に立つと思うんだ。」
そう言ってノアは、リアに小さな羊皮紙を差し出した。
そこには、まだ描きかけの星見の寮の地図。
角に、丁寧な文字でこう書かれている。
“星見の寮 未完。
夜の友達と完成予定。”
「……夜の、友達……?」
「そう。今、そう決めた。」
リアの胸の奥が、ふっと温かくなる。
首がない身体のどこかで、心だけが確かに笑っていた。
その夜、二人は並んで廊下を歩いた。
ひとつの地図を挟んで、灯をたどるように。
星見の寮の古い回廊を抜け、開かずの扉を調べ、誰も知らない中庭を見つける。
夜風が流れるたび、ノアの持つ地図がほのかに光った。
「ねえリア、君の探しものって……何?」
ノアの問いに、リアは少しだけ首をかしげる(代わりに、鎧の肩が傾く)。
しばらくの沈黙のあと、静かな声が漏れた。
「……首、です。」
「――え?」
「わたし……首を、なくしたんです。」
ノアは目を瞬かせ、それから少し笑った。
からかうでも、驚くでもなく、ただ穏やかに。
「……そっか。じゃあ、見つけよう。
君の首も、ぼくの父さんも。」
その声があまりにも優しくて、
リアは初めて“誰かに打ち明ける”という感覚を知った。
星見の寮の夜。
銀の鎧の少女と、地図を描く少年。
ふたりの“探しもの”は、同じ夜の灯のもとに重なっていく。




