第5話 首のない少女、入学す
朝靄の立ちこめる道を、ひとつの影が歩いていた。
灰銀の鎧をまとい、小柄な体。背には黒牙隊の旗を模した布を結び、胸元の紋章には、古びた蒼狼の刻印。
その歩みは静かで、しかし確かな意思を宿していた。
鎧の内側に、柔らかな声が響く。
「……ガルドさん。ちゃんと、見ててくださいね」
返事の代わりに、心の奥で焔のようなぬくもりが応える気がした。
十年。
あの蒼炎の夜に拾われてから、彼女はずっと黒牙隊と生きてきた。
野営の夜、騎士たちと笑い合い、焚き火の匂いに包まれて眠った。
誰もが逞しく、荒々しく、優しかった。
そんな家族を背に、今――彼女は魔法学校へと旅立つ。
道の先に、巨大な都市が広がっていた。
白と青の塔がいくつも立ち並び、川に浮かぶ船が行き交う。
その姿はまるで水の都。ヴェリディア。
魔法王国アルメイアが誇る学術都市であり、すべての魔導士が憧れる場所。
リア・ヴァルクスは、その光景に息をのむ。
「……すごい……ほんとに、魔法の都、みたい……」
鎧の内から小さくもれる声は、幼い感嘆の響きを含んでいた。
門前には、様々な種族の人々が列を作っていた。
人間、獣人、エルフ、ドワーフ。
そしてそれぞれが、自慢げに杖や魔導具を抱えている。
リアは列の後ろに並び、鎧の首元をすこし直した。
首がないことを隠すための金属の仮面と、深いフード。
慣れた手つきだが、やはり心臓の鼓動のように、鎧の内で魔力が緊張していた。
そのとき、前にいた少年が転んだ。
荷物が散らばり、羊皮紙が風に舞う。
リアはとっさに拾い上げ、少年に差し出した。
「だいじょうぶ、ですか……?」
「っ、あ……ありがとう、お姉さん!」
少年は笑って受け取り――そのまま、彼女の鎧姿に目を丸くする。
「か、かっこいい……! 銀の騎士みたいだ!」
「えへへ……黒牙隊の、団の鎧なんです」
「黒牙隊!? あの、魔物を素手で倒すとか言われてる!? すごっ!」
少年は感嘆の声を上げた。リアは苦笑いしながら、静かに一歩下がる。
人の視線を浴びるのは、少しだけくすぐったい。
列が進む途中、荷馬車のそばで老夫婦が困っていた。
荷が重くて持ち上がらないようだ。
リアは軽く手をかざし、魔力を流す。
「《浮遊》」
荷がふわりと浮き上がり、車台に乗る。
老夫婦は目を見張り、そして笑った。
「まあまあ、なんて器用な子だい……ありがとうねえ!」
「いいえ……慣れてるだけです……」
リアは頭を下げ、また列に戻る。
人の温もりが懐かしくて、胸の奥がくすぐったかった。
やがて、彼女の順番が来た。
門番の魔法士が、名簿を手に問う。
「名前を」
「……リア・ヴァルクス。黒牙隊所属でした」
門番の目が驚きに見開かれた。
「黒牙隊!? あの伝説の……! 推薦枠の方ですね、どうぞ!」
鎧の影でリアは小さく会釈した。
その姿を見て、周囲の受験者たちはざわついた。
「推薦枠?」「黒牙隊の?」「鎧の中、どんな人なんだろ……」
石造りの大門をくぐると、花の香りが広がる。
緑の芝生と青い湖。空に浮かぶ魔導の塔。
その中心に、円形の大講堂がそびえていた。
巨大な時計塔が鳴る――「カーン」と澄んだ音が響く。
それが、魔法学校ヴェリディア学院の入学式の合図だった。
講堂の中は、光の粒が舞っていた。
天井に刻まれた魔法陣が、虹のように輝いている。
壇上には学院長が立ち、杖を掲げた。
「――ようこそ、魔導の徒たちよ。知の炎が、君たちを照らさんことを。」
その瞬間、リアの鎧の奥で、微かな震えが走った。
胸の奥から、遠い記憶が呼び起こされる。
燃える夜、蒼い焔。大きな手のぬくもり。
「生きてんなら上等だ! 首なんざ、あとで拾えばいい!」
ガルドの声が、心の奥に響く。
「……うん、行ってきます……」
鎧の中の声は、誰にも届かないほど小さかった。
けれど、その一歩は確かに未来へ続いていた。
式が終わり、ざわめく会場の中で、ひとりの少女が彼女を見つめていた。
金髪に水色の瞳、貴族風の制服を着た少女。
彼女の視線には、恐れではなく――興味が宿っていた。
「(あの銀鎧の人……なんでだろ、見えない顔なのに……優しそう)」
翌日、校舎内の掲示板に一つの噂が貼られる。
“新入生の中に、首のない少女がいるらしい。”
リアはまだ知らない。
その噂が、彼女の運命を大きく変えていくことを。
そして、あの少女――リスティアと出会う日が、もうすぐそこにあることを。




