第4話 別れの手紙
あの日、わたしはまた、夜明けの森に立っていた。
十年という歳月が流れ、風の匂いも、足元の土の冷たさも、少しだけ変わっていた。
けれど、焚き火の音だけは、あの頃のままだった。
「……出るのか、リア。」
ガルドさんの声。
振り向くと、あの頃より少し白くなった髪が朝日を浴びて輝いていた。
相変わらず、背は大きく、姿勢はまっすぐ。
けれどその瞳の奥に、ほんの少しの寂しさが見えた。
「はい。
――“黒牙隊推薦枠”の条件、全部、満たしました。」
わたしは鎧の中で静かに頷いた。
A級魔物三体の討伐記録。
十年の勤続。
そして、団長推薦。
そのすべてを果たしたのが、首のない少女――わたし。
「はは……まさか本当にやっちまうとはな。」
「……わたしも、最初は信じてませんでした。」
ガルドさんは焚き火に木片を投げ入れた。
火の粉がぱちりと弾けて、夜明けの光の中に消える。
「黒牙隊に来たとき、お前は腕より細かった。
土の上に寝かせりゃ転がるし、剣を持たせりゃ吹き飛ぶ。
それが今じゃ……俺たちよりよっぽど立派な騎士だ。」
「……ガルドさんが教えてくれたから、です。」
「俺は何もしてねぇさ。ただ、見守ってただけだ。
お前が立ち上がるのを、見てた。それだけだ。」
ガルドさんの声は、焔のように静かで優しかった。
胸の奥が少しだけ痛くなる。
ふと見ると、仲間たちが遠巻きにこちらを見ていた。
バロスさんは肉を焼いて、ギュスターヴさんは涙を拭っている。
誰も言葉を出さないのに、全員の思いが伝わってくる。
そのとき――
ガルドさんが懐から、一通の封筒を取り出した。
「これを、持っていけ。
魔法学校への推薦状だ。黒牙隊団長ガルド・ヴァルクスより。」
封筒は古い羊皮紙で、表にはしっかりと黒牙の紋章が刻まれていた。
「……ありがとうございます。」
「お前の首は、お前の道で探せ。
俺たちは、いつだってお前の背中にいる。」
その言葉に、
胸の奥の何かがほどけていくような気がした。
「……はい。」
鎧の中で、わたしは深く頭を下げた。
見えない首で、見えない涙が、こぼれていく。
仲間たちが焚き火の周りに集まり、
宴の準備を始める。
野営地に響く笑い声。
あの頃と変わらない匂い。
ガルドさんが、焚き火越しに小さく笑った。
「……あの夜、覚えてるか? 土が硬くて眠れなかった夜。」
「ふふ……覚えてます。
草のベッドを作って、ギュスターヴさんが“神だ!”って叫んで……」
「そうだ。あの夜からだ。お前は、俺たちの“光”だった。」
わたしは鎧の胸に手を当てた。
胸の奥で、魔力が静かに脈打つ。
それは、わたしの“心臓”であり、“首”の代わりでもあった。
――きっと、まだ見つからない。
わたしの首は、遠いどこかにある。
けれど、いつか必ず辿り着ける。
だって、あの人たちが信じてくれたから。
生きているだけで、十分だと笑ってくれたから。
朝日が昇り始める。
霧が薄れて、遠くに街の影が見えた。
魔法学校の塔。その先に、わたしの“道”が続いている。
「行ってきます、ガルドさん。」
「おう。……行ってこい、リア・ヴァルクス。」
焚き火の煙が風に流れ、
黒牙隊の旗が、静かに揺れた。
わたしはその旗を背に、歩き出す。
――首をなくした少女、リア・ヴァルクス。
彼女の旅は、ここから始まる。




