18
朝目が覚めると、リディアの隣には誰も居なかった。そうか。昨夜の事は全て夢だったのか。そう思いつつ身体を起こして何気なくサイドテーブルに目をやると、そこにはユリシスの耳飾りが揃えて置いてある。
「夢ではない」
無心でそれだけ言ってベッドから下りた所でマイロが部屋へやってきた。
「おはようございます、王妃」
「おはよう、マイロ」
力なく言うと、マイロは何かを察したかのように笑顔を浮かべてリディアにそっと真っ白のベールのような物をかけてくる。
「おめでとうございます、王妃。これで一歩ここから出る夢が近づきましたね」
「……いいえ。誤解させてしまってごめんなさい……私達、まだそういう関係ではないわ……」
そう、何もしていない。
いや、何もしてない事はない。リディアだけがユリシスに一方的に翻弄されただけだ。感じた事のない奇妙な癖になりそうな感覚を教え込まれただけである。
あれは危険だ。やはり閨とは恐ろしいものだ。
それを聞いてマイロが驚愕の顔をこちらに向けてくる。
「そ、そうなのですか?」
「ええ。期待させてしまったわね……」
早く世継ぎを作らなければならない事は分かっているのだが、あれほど想像すら出来なかったユリシスとの閨が昨夜の事で一転してしまった。
キスこそしなかったものの、そこまで嫌ではないという事に気付いてしまったのだ。そんな自分に絶望している。これが嫌よ嫌よも好きのうちという奴なのだろうか?
落ち込むリディアにマイロは今度は同情を含んだように背中を撫でてくれる。
「大丈夫ですよ、王妃さま。これから毎晩通ってもらいましょう! そうすれば早ければ来年には王妃も皆のようにセリオンの街を謳歌出来ますよ」
「ま、毎晩!?」
「ええ。毎晩」
にこやかにそんな事を言うマイロにリディアは引きつったが、何故かマイロは生き生きしている。
「実は私の夢なのです。ユリシス様のお子の乳母をするのが。それはどれほどに幸せな事でしょうか……」
「そ、そうなのね」
目に涙を浮かべてそんな事を言うマイロにリディアは思わず引きつったが、ここへやってきて唯一マイロだけがリディアの事を心の底から心配してくれているという事はリディアにも分かっている。
だからその願いは是非とも叶えてやりたいが、いかんせん昨夜の自分の体たらくを見るに、果たしてそんな夢を叶えてやる事が出来るかどうか不安でしかない。
それにユリシスが本当に望んでいるのはサラとの子どもではないのか。そんな事を考えながら、リディアは曖昧に頷いたのだった。
その日からマイロがユリシスに何を言ったのか、ユリシスは律儀に毎晩やってくるようになった。
「……よもや、あなたとこんな事をするようになるなんて……とんだ屈辱だわ!」
リディアが今日もたっぷりとユリシスに翻弄され、ぐったりとベッドに身を預けながら顔だけをユリシスに向けて言うと、ユリシスは甘ったるい笑顔を浮かべて言う。
「全く同感ですよ。それよりもいい加減慣れません?」
「慣れないわよ! 全っ然慣れない!」
枕に顔を押し付けて叫ぶリディアの頭の上からユリシスの軽やかな笑い声が聞こえてくる。
何が一番腹が立つかと言えば、リディアだけがいつも翻弄されて終わる事だ。意外にもユリシスはそれ以上リディアに手を出してこない。
「……あなたは平気なの」
「何がです?」
「その、ああいう私を見てもどうにもならないの?」
閨の作法の本を読む限り、男性の方も色々と大変そうな事が書いてあったが、ユリシスはいつも平然としている。
そんなリディアの問いかけにユリシスが爽やかに微笑んで言った。
「どうこうなって欲しいのですか?」
「ち、違うわよ! 一般論として聞きたかっただけよ!」
「一般論ですか。そうですね……大半の男は我慢出来ないのでは?」
「……あなたは?」
「私ですか? 私には色々と事情があるので」
「そう……なの?」
「ええ」
にこやかに物凄いカミングアウトをしてきたユリシスにリディアは思わず同情の視線を向けた。
「そうだったんだ……それは辛いわね」
「ん?」
あえて詳しい事は聞かないが、一国の王様なのにそれでは相当困るのではないのか。今のままではリディアと無事に離縁出来ても、いずれ一緒になるであろうサラとも子どもが作れないという事になる。
リディアは腕を伸ばしてユリシスを慰めるように手の甲を撫でてやった。その途端、珍しくユリシスが硬直して言葉を失う。
「大丈夫よ、ユリシス。私も頑張るから、あなたは私で練習すれば良いわ」
どのみちリディアはいつかはユリシスの子どもを産まなければここから出る事が出来ないのだ。
だったらそんな使命感で子どもを作るよりも、ユリシスの病気を治すという名目があった方がリディアも受け入れやすい。
リディアは息をついてまだ硬直しているユリシスを置いて眠りについたのだった。