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そして夜、ユリシスは約束通り、リディアの部屋へ向かった。
リディアはどうやらシャワーを浴びているようで、部屋にはマイロしか居ない。
「せめて事前に今から向うなどの連絡を寄越してくださいませ」
「私達の間にそんな気遣いは無用ですよ。後は私が世話をします。今日はもう下がってください」
何せリディアはユリシスの事をこの世で最も嫌いだと普段から豪語するぐらいだ。お互いに今更どんな姿を見ても何も思わない。
そんなユリシスを睨みつけてマイロは渋々部屋を出て行った。
その時、風呂場からリディアの声が聞こえてくる。
「マイロ、ユリシスは薔薇の香りが好きなのよね? そこに薔薇の香油があるからそれを持ってきてくれる?」
「?」
どうしてそんな事を尋ねるのか不思議に思いつつ、鏡台の前に並んでいる香油の瓶の中から薔薇を取り風呂場のドアの内側に置いてやった。
ユリシスの好みになど合わせる必要も無いのに、もしかしたらマイロの言うように嫁いできてこの数ヶ月でリディアは色々と覚悟を決めたのだろうか?
風呂の前で腕組をしながら考え込んでいると、さらにリディアが声をかけてくる。
「私思ったの。やっぱりどう考えてもこのままではいけないって。だって私、この国の事を何も知らないのよ。王妃がこんな事ではいけないわよね。せめてユリシスに信頼とまではいかなくても信用されるべきだし、ちゃんと私もこの国の事を考えるべきだったのよ。でないと私だけずっと蚊帳の外なんだもの。それでね、ある文献に書いてあったんだけど、そういう話に持ち込みやすいのは閨の時だってあったの。あれは本当だと思う?」
「!」
なるほど。リディアが毎晩のようにユリシスを待っていたのは、どうやら身体を使ってユリシスを籠絡しようとしていたらしい。一体どんな本を読んだんだ。
あまりにも突飛な発想をするリディアにユリシスは声もなく笑う。どこまで素直でお人好しなのか。
自分がセリオンの駒に使われていると知ったらリディアは一体どんな顔をするのだろう。
リディアの独り言が面白くてユリシスはしばらく耳を澄ませていたが、いつまで経ってもマイロが返事を返して来ないのでおかしいと思ったのか、それ以上リディアは話してはくれなかった。
やがて風呂場のドアが開き、中からリディアが顔を覗かせユリシスの顔を見るなり怒鳴りつけてくる。
「やっぱりね! どこから聞いてたの!?」
その顔を見てユリシスはとうとう噴き出した。
「全部です。ところで君はどんな本を読んだのです? 寝技を使って相手から情報を引き出すだなんて、どう考えてもスパイしかしないと思うんですよ」
「え、そ、そうなの!?」
「ええ。確かにベッドの上では口が軽くなるものです。歴史上でも何人かの王族がそれで寝首をかかれていますし間違いではありませんが、それはその技を使う人がよほどの手練れだった場合ですよ。君のような淑女には少々難易度が高いと思いますよ?」
「そうなの……大陸一の美姫でも駄目? 無理?」
「そうですねぇ。大体は暗くて顔も見えませんし無理では?」
自分でそんな事を言い出したリディアがおかしいやら可愛いやらで何気なく頭を撫でると、リディアに即座にその手を払い除けられてしまう。
「だったらもう待たない! はぁ、良い手だと思ったのに」
「初夜の時はあれほど怯えていたと言うのに、随分思い切りましたね」
「だっていつまでもそんな事言ってられないじゃない。だから私、独自に閨の勉強をし直したの。そうしたら」
「そうしたら?」
「アルヴェルで教わったのは閨の恐ろしい話ばかりだったのに、そればかりじゃない事が分かったのよ。あれは一体何だったのかしら」
それはひとえに両親の愛情だと思う。ユリシスはそんな事を考えながらリディアの後ろに回り込んでタオルを取り髪を拭いてやる。
「それは閨にあまり関心を持たせない為ですよ。一国の姫が性に奔放になってしまったら大変でしょう?」
「なるほど。それは確かにそうよね。髪、ありがとう。自分で拭けるわ」
リディアはそれだけ言ってユリシスの手からタオルを取り返して髪を拭きながら椅子に腰掛ける。