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2−4

「蓮くん。いわゆる世間一般で霊や妖怪と言われるものってなんだと思いますか?」

 唐突に質問が投げかけられて蓮は我に返る。改めてなんだと問われると言葉が詰まってしまう。それでも蓮は思考を巡らせ、答えた。


「死んだ人が成仏できずにこの世に姿を現したものが幽霊。人が理解し得ない現象を引き起こし、恐怖を与えるものが妖怪……じゃないでしょうか?」


「そうですね。では、どうしてそのようなものや現象が現れるのでしょうか?」


 次の問いはさすがの蓮も言葉に(きゅう)する。超常現象と言われる類がなぜ起こるかなど、それこそ現代では解明されていないことだ。そもそも霊といった類が存在するかも立証されていない。どうして心霊現象が起こるのかと問われても、簡単に答えは返せない。


「では、少し話題を変えましょう。日本で古来より親しまれている妖怪といえば、天狗や鬼でしょうか。鬼の語源をご存知ですか?」

「〈(おぬ)〉から転じたもの……ですよね?」


 蓮の答えに総一郎は満足そうに微笑む。


「そうです。穏は目に見えない存在を指す言葉でした。鬼という文字は中国から伝来し、後から当てられたものと言われていますね。死者の魂という意味を持っています。では、もう一つ。天狗と言ったらあなたはどんな姿を想像しますか?」


 すぐに思い浮かんだのはあの鼻の高い天狗の姿だった。もう一つ思い当たる絵はあるものの、蓮は一般的なイメージを選んで口にした。


「それは……。山伏姿(やまぶしすがた)をした鼻が高い妖怪、じゃないんでしょうか?」


「はい、一般的にはそうですね。しかし、今昔物語集では鳥の姿で描かれています。そもそも、天狗は〈天の(いぬ)〉と書きます。中国から伝えられ、もともとは凶事を知らせる流星を意味するものでした。今でも中国では天狗は犬の姿で描かれていますね。蓮くんが話してくれたのは江戸時代以降に広まったもの。イメージが時代によって変化していった、ということです」


 天狗が凶事を知らせる流星を意味するものだとは知らなかった。へぇと口から思わず感嘆の声がこぼれる。慌てて口を閉じたが、総一郎は嬉しそうににこにこと笑う。


「つまり、妖怪は人が生み出した存在です。姿が見えないものだったはずの鬼、凶事の前触れである流星であった天狗は次第に明瞭な形を持つようになりました。病や災害も神や妖によるものだとされ、人によって輪郭が掴みやすい造形を世ごとにあてがわれていった。得体の知れないもの、理解の範疇に及ばない現象や災害といった恐怖を具体的な形にして、理解できるものに落とし込んだ……ということですね」


 総一郎が言わんとしていることは分かる。だからこそ腑に落ちなくて、口からついて出た声は思ったよりも強い調子になっていた。


「それなら、あの靄は僕が生み出した幻ってことですか?」


 そんな蓮に対して総一郎は笑みに苦味を込め、押しとどめるように両手を上げた。


「そこで出てくるのが集合的無意識ですよ」


 集合的無意識。確か心理学者のカール・ユスタフ・ユングが提唱した概念だ。集団や民族、人類の心に普遍的に存在する元型によって構成されている領域。端的に言えば、人類に共通して備わっている無意識だ。


「それに加えて、精神世界と言われるアストラル世界やアカシックレコードと言われる概念が人の間では伝えられていますよね? 強い記憶や思いがそういったものに焼きつき、そのものを象る。口伝や記録、〈存在する〉という人の意識によって、幽霊や妖怪と言われる類のものがアストラル光といったものでこの世界に反映されたとすれば、意外と自然ではありませんか?」


 話の締めくくりに神主はにこりと笑った。

 話自体は理解できる。先程の説明でこの場所が神社を象っている理由も腑に落ちた。しかし、ずいぶんオカルト的な話になってきたと蓮は反芻する。いや、今まで体験してきたことが超常現象なのだから、今更だろうか。けれど、あまりにも現実離れした話が続いて頭が痛くなりそうになり、 思わず蓮は額に手を当てる。


「一応、話はわかりました。けど、本当にアカシックレコードなんて存在するんですか? 集合的無意識は……まあ、分からなくもないって思えますけど」


 地域が違い、民族が異なるにもかかわらず、人の文化の中には共通した要素が繰り返し登場する。神話などが最もたる例だろうか。それを鑑みると集合的無意識を無視することはできなかった。

 蓮の率直な意見に総一郎は気を害した様子もなく微笑んだ。


「まあ、この時世ですし、あると証明するのも難しいですよね。ただ、自身が認知できないからといって、一概にないと定義してしまうのも無粋ではないですかね」


 総一郎が言わんとしていることも分からなくはない。それに、ここでアカシックレコードや集合的無意識の有無を論議しても意味はないのだ。


「つまり、僕が見てきたものは、人の記憶や備わっている共通の無意識が生み出したもの……ということですか?」

「はい、おおよそはそうです。……特に無意識下の恐怖や憎悪といった陰の記憶は凝り固まって澱みとなる。そういったものを祓うのが私の仕事ですね。都市伝説などもその一つ。人々の間に恐怖心と話が伝播するうちに具体性を帯び、その結果、現象として現れる」


 その瞬間だった。冴えた視線に射抜かれて、蓮は一切の動きを止めた。総一郎の目が見たことのないほどに冷めていて、息を呑む。彼はある一点を見据えたまま、蓮のもとに歩み寄った。


「あなたは厄介なものに魅入られていますね」


 総一郎の手が蓮の左の首筋に触れた途端、ぶわりと青い炎が巻き起こった。驚いたと同時に焼けるような痛みが迸る。

 唐突に勢いよく後方に引き寄せられ、蓮は姿勢を崩した。しかし、体は地面に倒れる前に何かにふわりと抱きとめられた。

 さらりと長い髪が頬に触れる。それはまるで宝石のような、深く艶やかな瑠璃の色。 それを見た途端、蓮の心臓は早鐘を打つ。凍りつく体を無理やり動かして、後方を顧みた。

 瑠璃の髪と双眸の少女が肩に両手を添え、宙に浮いていた。漆黒の着物に菊模様が施された銀の帯。ふっくらとした唇に妖艶な笑みを湛えている。後方から首筋に腕を回され、少女の顔がすぐ近くまで寄せられた。くすくすと鈴を転がすような声が耳を打つ。


「無粋やなあ。そんなふうにうちの坊に触るなんて」


 美しいと言っていい音だった。だからこそ、空恐ろしさが全身を駆け抜ける。

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