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2−2

 翌朝、蓮は着替えを済ませ、様子を探って階下に向かう。

 出勤前の叔母、御堂(みどう)真澄(ますみ)は忙しそうに支度をしていた。パンツスーツを身にまとい、褐色の髪をきっちりと丸くまとめ上げている。化粧もしっかりと施されていて、それを見ると戦場に出かけるのだなといつも感じる。

 テーブルには急いで作ったのだろう、スクランブルエッグやサラダが置かれていた。真澄は蓮の姿を認めて眉をひそめた。


「何?」


 鋭い声と琥珀色の目が突き刺さる。じっと見過ぎていたのかもしれない。蓮は動揺しつつも平静を装って答えた。


「えっと。一つ報告があって。……新しいバイトをすることになりました。父も了承済みです」

「……ふうん。そう。くれぐれも周りに迷惑をかけないようにしなさいね」


 それだけ告げると真澄はバッグを手に出かけていった。

 言葉に込められたあからさまな棘に蓮は長い吐息をつく。今日一日の任務を果たしたと言いたいところだが、まだ一つ終えたに過ぎない。気を取り直して朝食を取ることにする。

 インスタントのオニオンスープを作って、食パンにスクランブルエッグとベーコンを乗せて食べる。ツナが添えられているが、カット野菜のサラダはどことなく味気ない。食器を片付けて課題をこなしていると出かける時間が迫ってきていた。

 半信半疑で総一郎に指定された場所へと向かう。そこは居候先から徒歩でも十分とかからないところにある小さな神社。学校帰りに立ち寄った場所とはまた違う場所である。

 ある予感を抱きながら指定された神社にたどり着くと、小柄な木製の鳥居が蓮を出迎えた。蓮はわずかな逡巡を経て鳥居を潜る。

 潜った先で蓮は後方を振り返った。そこに佇むのは雄大な白い鳥居。


「早いですね」


 その声に蓮は視線を元に戻す。敷石の参道に亜麻色の髪の男性が佇んでいた。

 竹箒を持つ総一郎はにこりと笑ってみせる。蓮は辺りを見渡しながら彼に歩み寄り、静かに尋ねた。


「……ここは、あらゆる神社と繋がってるんですね」

「はい。あなたの見立て通りです」


 穏やかな笑みを湛えられたまま返される。白装束の神主は向き直ると姿勢を改めた。


「送っていただいた書類はきちんと受け取りました。これからよろしくお願いします」

「まさか、ちゃんとした書類がいるなんて思ってませんでしたよ」


 にこにこと笑う総一郎に対して、蓮は言葉に少しばかり棘を忍ばせる。

 あれだけ非現実的なことを体験させておきながら、総一郎は仕事をする上で年齢証明書と保護者の同意書を求めてきた。腑に落ちなかったのだが、必要だと言われては用意しないわけにはいかない。そんなわけで久しぶりに父親へメールをすることになったのだ。総一郎は少し意地の悪い笑みを浮かべる。


「きちんとした書類があった方があなたも安心だと思いますが。新しい仕事についてもいないのにお金だけが増えていることが知れたら、それこそ大目玉でしょう?」


 正論を返されて蓮はぐうの音も出ない。どこまでこちらのことを見越しているのだろうと勝手ながらに不満を抱いてしまう。

 そもそもここは住所不定と思われる神社だ。メールで送った書類の処理はどう行われるのだろうか。聞いてみたくもあったが、問うても不毛だと思ってすぐにやめた。 総一郎は仕切り直すように軽く手を合わせる。


「それでは早速仕事に取り掛かってもらいましょうか。科戸」

「はいはい」


 いつの間にか科戸が社務所の出入り口に立って手招きしている。


「神社の掃除をお願いします。彼女の指示通りに行ってください。私以外立ち入り禁止のところもあるので、それだけ気をつけてくださいね」

「それでいいんですか?」


 意外にも普通の仕事を頼まれて、蓮は拍子抜けする。総一郎は珍しく笑みに苦みを混ぜた。


「いくら私でも無理な注文はしませんよ」


 とはいえ、現実から逸脱した人たちとの仕事だ。先日のような出来事にいつ巻き込まれてもおかしくない。蓮は少し緩んでしまった気を引き締める。

 ふと視線を感じて、蓮は総一郎の方を見遣る。彼は口元に軽く手を当てて、笑みを浮かべていた。一抹の嫌な予感を抱きつつ、蓮は半眼で神社の主に問う。


「何ですか?」

「いえ。全身を逆立てて警戒している猫みたいで、可愛らしいなと思って」

「……帰っていいですか?」

「総一郎。これはお前が完全に悪い」


 すかさず科戸が割って入って、蓮は翻しかけた踵を押しとどめた。総一郎は笑みを潜めて素直に詫びた。


「そうですね、すみません。蓮くん。改めて、お仕事を頼んでもいいでしょうか?」


 蓮は湧き上がっていた不平不満を飲み込む。自分としてもこのまま仕事を放り出して帰るような無粋な真似はしたくなかった。科戸に向き直り、蓮は頭を下げる。


「科戸さん、よろしくお願いします」


 彼女は総一郎と蓮を一瞥すると肩を竦めた。蓮が頭を上げたところを見計らって、総一郎がにこりと微笑む。


「それともう一つ。ここで働くにあたって、あなたに守っていただいことがいくつかあるんですが」

「……なんですか?」


 守っていただきたいこと、という言葉に内心身構える。あの家でも規則――もとい拘束が多いのだ。ここでも制約を課せられると考えると自然と気が塞いでしまう。

 そんな蓮の気持ちなど知る由もなく、総一郎は続ける。


「そうですね。まずは生き物を殺さない。次に盗みを働かない。道徳に外れた性的交友関係を持たない。嘘をつかない。あと一つはそうですね。乱暴な言葉遣いをしない、にしておきましょうか」

「それって十善戒(じゅうぜんかい)……ですか?」


 蓮の言葉に総一郎は柔らかく微笑んだ。


「よくご存知ですね。家の方がそういったご信仰を?」

「そういうわけではないんですけど……」


 歯切れの悪い言葉が不自然な間を作った。その違和感を埋めたくて、蓮は矢継ぎ早に問う。


「それならここ、神社じゃなくてお寺の方が適切な気がするんですけど」


 そもそも十善戒は仏教の中の十悪(じゅうあく)を否定の形にして作られた戒めだ。確か、真言宗で重んじられる戒だっただろうか。総一郎が口にした約束事はその中の五つに当てはまる。しかし、ここの形式はどう見ても神社であり、彼はここの主である。

 神社は神道を信仰し、この世のあらゆるものに神が宿るとしている。各々の土地に根差した宗教だ。『八百万(やおよろず)の神』という言葉は神道の多様性を示しているだろう。

 一方、お寺では釈迦(しゃか)を開祖とする仏教を信仰する。この二つを混ぜこぜにするなど、神社の主を名乗る者として言語道断ではないだろうか。


「はい、そうですね」 


 蓮の指摘に総一郎は満面の笑みを浮かべる。それを見て蓮は呆れ返ってしまった。彼が人智を越えた存在だとしても、何か災いや不幸に見舞われても文句は言えないような気がする。

 一拍置いて、総一郎は空を仰いだ。春のような爽やかな風が通り過ぎる。


「ここに宗教も信仰もありません。据えるべきと判断した教えが根ざすだけです。どこにも属さず、隠世でも現世でもない、狭間の場所」


 流れるような所作で総一郎の目が向けられる。 穏やかなのにすうと空気が冷える感覚がした。まるでこの世とは思えないような清透な空気が濃くなる。


「人は幸いを望み、災いを避けたいと乞い願う。ここはそんな祈りと願いで形作られた場所。だからこの国でこの形を象ったのは、まあ……致し方ないことなのかと」


 そう締めると、総一郎は微苦笑を浮かべた。

 人は乞い願う。憂えることがないように。苦難が除かれるように。この先も幸いが訪れるように。

 総一郎の言葉に蓮は何も返すことができなかった。緊張した空気を宥めるかのように総一郎は一度目を伏せた。


「あなたを縛るために約束事を申し出たわけではないんです。不快に思われたらすみません。ただ、この世界は圧倒的な理で縛られていますから、それにのっとった方が暮らしやすいと思っただけです」


 圧倒的な理とはなんなのだろうか。気になったが、それを問うより前に総一郎が場を仕切り直した。


「さて、長話をしてしまいましたね。仕事を始めましょうか」


 その一言で止まってしまった仕事が強制的に再開された。

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