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総一郎は柔らかな笑みを湛えたまま、白い鳥居に向かって歩き出す。一拍遅れて鳥居を潜ると、目の前にありえない光景が広がっていて蓮は息を呑んだ。
鳥居を潜った先にあったのは見知らぬ平屋。周囲の風景もまったく見覚えがなかった。平屋は年代を感じるものだったが、手入れが行き届いているようで綺麗だ。
しゃん、という音が響いて蓮は体を強張らせる。複数の鈴が重なった音だ。神楽鈴だろうか。どこからともなく響いた鈴の音によって清廉な空気がいっそう強まり、息苦しささえ覚えた。
「行きましょう。私たちの姿はここにあってないようなものです。誰にも見えませんし察知もされませんから、安心してください」
それだけ告げると、総一郎は平屋に向かって颯爽と歩き出した。安心する要素が何一つないのだが、置いていかれるわけにもいかず、蓮は慌てて小走りで追う。
総一郎は玄関に着くと土足のまま平屋の中に入っていく。さすがに気が引けて、蓮は土間で靴を脱ぐと片手に持って家に上がった。先行する神主は見知ったように家の中を歩き、ある部屋の前で一度足を止めた。
豪奢な襖を前にして総一郎は一呼吸置く。引き手に指をかけるとゆっくりと開けた。 目の前に叩きつけられた光景にぞわりと全身が粟立った。蓮は自然と一歩後退る。
机の前に正座するのは着物姿の女性。その周りにいくつもの黒い靄がまとわりついていた。 肢が細く、やたらと腹が膨れた小人と形容した方がいいだろうか。それが靄をまとっている。窪んだ目がぎょろりと向き、蓮は思わず喉を鳴らした。女性は周囲を気にかける様子もなく、一心に何かをノートに書き記している。
総一郎は袴に差していた扇を開く。いつの間に携帯していたのだろう。加えてそれはただの扇ではなかった。すべてが金属でできた扇子――金色の扇だった。
総一郎は女性にまとわりつく者を見据えながら扇を一閃する。ぶわりと一陣の風が迸って、霧が晴れるように靄が霧散していった。女性にまとわりついていた人らしきものも消え、女性の体がふっと傾ぐ。蓮より早く総一郎がその体を受け止めた。
彼は優しく女性を横たえると言葉を紡ぐ。ふわりと風が舞ったと思った矢先に掛け物が宙に現れて、彼はそれを女性の体にかけた。白髪混じりの女性は少しやつれた顔をしていて、その姿を見ると少し胸が痛んだ。蓮はただ見守ることしかできない。
総一郎が扇を袴に差し、蓮の疑問を見越したように口を開いた。
「先ほどのは餓鬼ですね。貪り喰らう者の記憶の残滓。あれと完全に繋がっていました。相談しに来た女性も、この方を経由して縁を深めてしまったのでしょう。いいものと繋がる分にはいいんですけど、今回のはよくなかったですね」
そう告げると、総一郎は女性の額に手を触れた。手のひらが優しく置かれ、ほんのりと光をまとう。虚ろにも見えた女性の顔が徐々に和らいでいった。
「これでおしまいです。さあ、戻りましょうか」
総一郎は立ち上がると、蓮に朗らかな顔を向けてから戸口へ歩き出す。もう現状についていくだけで精一杯だった。流されるまま、蓮は総一郎と平屋の門を潜る。
門を潜った先に現れたのは神社の境内だった。ふっと天を仰ぐと白い鳥居が視界に入る。
どうやら門と鳥居が繋がっていたらしい。柔らかな風が吹き渡り、総一郎の扇につけられている浅葱色の蜻蛉玉と金のタッセルがたおやかに揺れた。
「お疲れ様」
声とともに現れたのは漆黒の髪の女性。科戸は髪をなびかせて総一郎に向き直る。
「のちほど、あの女性のマンションにも行かないとですけどね」
総一郎は懐から何かを取り出す。透明な数珠だ。黒い靄を微かにまとう数珠を撫でると、見る間に虹の光となって虚空へ消えていった。
「ああ。そうだ、これ」
科戸の視線が唐突に向いて蓮は体を強張らせた。彼女は意に介さず、手のひらを天に向けながら歩み寄ってくる。ふわりと風が巻き起こると、その手の上に巾着状の小さな包みが現れた。
「さっき食べなかっただろ? よければ持っていって。美味しいと思うから」
蓮は差し出された浅葱色の包みを流されるまま受け取る。彼女の言葉を鑑みるに、おそらく先ほど手をつけなかった練り切りが包まれているのだろう。
もうこれから何が起きても驚かないのでは、と思うほどの不可思議の連続だった。目の前で起こっていることを呆然としたまま受け入れるしかない。蓮はただ、正直な疑問を口にする。
「あなたたちは……一体、何者なんですか?」
ふわりと風が双方の髪を揺らす。蓮の問いに対して、総一郎は柔らかな笑みを湛えた。
「悪しき縁と禍根を絶つこと、祓い清めることを生業としているものです」
まるで天気の話をするかのように。ごく自然にそう告げた。どこか予感しつつも聞きたくはなかった答えを前にして、言葉一つも出てこなかった。
何も言えない蓮と反して、神社の主はにこにこと人の良さそうな笑みを浮かべた。
「それで、一つあなたに提案したいことがありまして」
葉がさざめく。何かを予感しているかのように。
自然と蓮は息を呑んでいた。亜麻色の双眸が自身に集まるのを感じる。 続いたのは、人離れした姿に見合わない言葉だった。
「もしよければ、私のところでお仕事をしませんか?」




