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明戸神社のお祓い奇譚 −蠱惑の蝶と惑いの少年−  作者: 立藤夕貴
一の縁 明戸神社と惑いの少年
3/13

1−3

 言われるがまま、境内の右手側にある建物――社務所の縁側に案内される。男性とともに腰掛けて落ち着かないまま境内を見渡していると、背後の引き戸が開いた。そこにいたのは男性を神社に運んだ時に出会った女性だった。

 彼女は流れるような所作で屈むと、二人のもとに湯呑みを置く。湯気を上げる緑茶のそばに置かれたのは、桜と蝶があしらわれた菜の花の練り切りだった。それを見て蓮はわずかに心弾むのを感じた。

 練り切りは柔らかな春の色で目を潤してくれる。祖父母と暮らしていた頃は時折触れていたものだったのに、今や無縁になってしまった。


「彼女は科戸(しなと)といいます。よろしくお願いします」


 感傷に浸る中、男性の声が耳に届いて蓮は視線を上げた。科戸と呼ばれた女性は腕を組んで不機嫌そうに男性を()め付ける。


総一郎(そういちろう)、私を先に紹介してどうするんだ。まずは自分からだろ?」

「ああ、そうでした。すみません」


 科戸の指摘に男性は申し訳なさそうに笑った。わずかながらも人間らしい雰囲気を感じて、蓮の肩から力が少し抜ける。改めて見ると女性も整った顔立ちだった。男性より親しみやすさを感じるのは、彼女の表情がよく変化するからだろうか。


「私は総一郎。この神社の(あるじ)です。さっきも紹介しましたが、こちらが科戸。いろいろと手を貸してもらっています」


 紹介の後、すかさず科戸が頭を下げる。


「この間はありがとう。面倒かけてすまなかった」

「い、いえ」

「名前を聞いてもいい?」

「……早見、蓮です」


 状況が掴みきれないままで返すのが精一杯だった。

 科戸に苦言を呈されたのにもかかわらず、総一郎は笑みを湛えたままだ。そのまま手付かずのお茶請けを揃えた指先で示す。


「彼女とはいつもこんな感じなんです。ああ、遠慮しないでどうぞ」


 勧められたものの、蓮は菓子を見つめただけで手をつけようとしなかった。ほんの少しの間、沈黙が降り積もる。蓮はふっと視線を上げ、端正な顔立ちの男性を見つめた。


「ここは……何なんですか?」


 こぼれ落ちたのは率直な疑問。 疑問はそれだけではない。しかし、何を問うてもはぐらかされてしまいそうで、蓮はただそれだけを尋ねた。

 澄んだ冷たい風がすっと縁側を通り過ぎる。総一郎は滑らかに問いに答えた。


「ここは明戸神社と言われている場所。そうですね。あなたの疑問に正しく答えるなら、現世(うつしよ)隠世(かくりよ)の狭間といったところでしょうか」


 自分の感覚が間違っていなかったのだと蓮は悟った。 悪寒が背筋を駆け上がり、咄嗟に立ち上がったときだった。


「安心してください。私たちはあなたに害を与えるものではありません」


 背に(まどか)な声が降りかかり、蓮はピタリと足を止めた。もう一度立ち去ろうと思ったものの、体が言うことを聞かない。どうすればいいのかさえ分からなくなって、蓮は俯いたまま問うた。


「……何を根拠に、信じろって言うんですか?」

「……そうですね。信じてもらうには、まず私たちのことを知ってもらわないと。よければ、私の仕事に少し付き合ってもらってもいいでしょうか?」


 総一郎は懇願とともに柔らかな笑みを浮かべる。それに一切の拘束力などなかった。 しかし、蓮はそれに否定も肯定もできなかった。いや、答えられなかったと言うべきだろうか。

 石が擦れ合う音がして、蓮は視線を上げた。いつの間にか境内に新たな人影があった。

 女性だ。緩やかに波打つ髪を肩に落としている。年齢は二十代前半ぐらいだろうか。顔色が悪く、ひどく疲れ切っているように見える。彼女も落ち着かなそうに境内を見渡していたが、総一郎の姿を見て目を見開いた。

 総一郎は立ち上がり、柔和な笑顔と所作で訪れた人を歓迎した。


「こんにちは。お悩み事、私でよければお伺いしますよ」


 縁側にもう一人分の湯飲みと茶請けが追加される。招かれた女性はおずおずと練り切りが乗った皿を手に取り、黒文字を入れた。一口食べるとほっとしたようで彼女は表情を緩める。


「それで、何にお困りでしょうか?」


 総一郎の言葉に女性はハッとして顔を上げる。しかし、それも束の間ですぐに視線を下に向けてしまった。


「ああ、すみません。急いてしまって。お茶でも飲んでください。少しは気持ちが落ち着くと思いますよ」

「は、はい……」


 女性はちらりと視線を向け、温かな湯気が上る湯呑みに手を添えた。お茶を飲むと静かに息を漏らす。まるで内に籠るものを吐き出すかのようだった。しばらくの間、女性は境内の中を見つめていた。

 日常という喧騒から離れた境内という空間。流れる時間はまろやかだ。気持ちが落ち着いたのか、やがてぽつりぽつりと女性が語り始めた。


「なんというか、もともと霊感みたいなものはなかったんですけど。今の部屋に越してから突然、そういう現象に出くわしてしまって……」


 新生活が始まるのに合わせて引っ越した矢先のこと。ある夏の日、仕事を終えて帰宅し、何気なく窓越しに向かいの集合住宅に視線を移した。真向かいの部屋のベランダに珍しく人影を見たのだという。夜に外に出ている人が珍しく、背格好からして女性のように見えて気になって、窓を開けてみた。

 よくよく見ると女性と思われる人は服がボロボロで、至るところが血に塗れていた。視線が唐突にこちらに向いたかと思うと、ニヤリと笑って消えてしまったらしい。

 それから体調が思わしくなくなり、怖くなった彼女は有名な祈祷師を頼った。しかし、お祓いは効果がないどころか、部屋の前に忍び寄る足音を聞く、唐突に食器が落ちて割れるなどといった心霊現象が起こるようになったとのことだった。


「なるほど、それは大変ですね」

「はい……。仕事も生活にも影響が出てしまって、困ってるんです。夜も眠れないことが多くて……」


 女性は肩を落とす。寄る辺もないといった様子だ。彼女の境遇に思い当たる節があって、蓮は心苦しくなる。総一郎は二人と反するようにふわりと笑った。


「お話しくださってありがとうございます。わずかばかりですが、あなたの悩みに手をお貸しできると思います。手放したいと思っている物をお持ちなんじゃないでしょうか?」

「え、あ、はい……」


 総一郎の言葉を受けて女性が鞄の中を確認する。戸惑う視線を向ける女性を見て、総一郎は立ち上がった。


「それをお持ちになって、こちらへ」


 声に惹かれるように女性も腰を上げる。蓮は逡巡したが、総一郎がにこやかな笑みを向けてきたので、黙ったまま彼らの後を追った。その様子を科戸は縁側から見守る。

 総一郎が向かったのは境内奥にある流造の社だ。小さな社は綺麗に手入れがされている。これが本殿だと思うが、規模も小さくお世辞にも立派とはいえない。本殿は一間社で、その柱間に木製のレトロな机が設えられている。その上に何かが置かれていた。

 黒い箱だ。牡丹と蝶の螺鈿(らでん)細工(ざいく)が施されていて、艶やかな色彩が目にとまる。おそらく漆器だろう。総一郎は箱を開けて横に置くと女性に視線を向けた。


「手放す気持ちが変わらないようでしたら、こちらの箱にお持ちになったものを収めて蓋をしてください。それであなたに連なる悪い縁は切れますから。私たちは席を外しますので、何かあったらまた声をかけてください」

「は、はあ……」


 総一郎は(いぶか)しむ女性に対して会釈をすると、その場を後にした。取り残されそうになって、蓮は彼の後ろ姿を慌てて追う。社務所の縁側に戻るといつの間にかもてなされた茶が片付けられ、科戸の姿もなかった。所在なく、蓮は縁側に腰を下ろして女性を遠目から見守る。 女性はしばらくそこに佇んだままだった。見られているのを気にしているのかもしれない。それを知ってか知らずか、総一郎は入り口から社務所の奥へと入っていった。

 借りた本のことを思い出して、蓮は文庫本を取り出した。視線を落としながらも、さりげなく女性の様子を窺う。

 長い沈黙を経て、女性は躊躇いがちに一歩前に出た。辺りを探るように見渡してからそっと箱の中に何かを入れた。手早く蓋を閉めると二礼二拍手をして両手を合わせる。

 長い祈りだった。最後に一礼をすると女性は伏せがちだった顔を上げ、踵を返した。ちょうど人影が社務所の出入り口から現れる。総一郎だ。女性のもとに歩み寄り、笑みを湛えて何かを差し出した。


「これをお持ちください。半年ほどは肌身放さずに。あなたを守ってくれるお守りです」


 彼が手にしていたのは白地のお守りだった。よく見ると女性は憑き物が落ちたかのような穏やかな顔をしていた。


「……はい。ありがとうございます。なんだかスッキリしました」

「それならよかったです」


 お気をつけてと総一郎が声をかけると、女性は深々と頭を下げて神社を後にした。その足取りは軽い。訪問者の後ろ姿を見送ると亜麻色の双眸(そうぼう)が蓮に向いた。


「それじゃあ、行きましょうか」

「どこにですか?」


 何が行われているのかまるで分からない。理解しきれない現状を前にして、蓮の中には不信感と疑念が層のように重なっていた。


禍根(かこん)を断ちに」


 総一郎はその不信さえも気にしていないようで、そう告げた。ついてきますか、という問いに蓮は無言で頷く。きっとここで去ってしまったらいけないと直感が告げていた。

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