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3−4

「こういった特別な日はここに来る人も多くてね。手伝ってくれると助かるよ」


 もてなしの菓子を準備しているとき、そう科戸が教えてくれた。彼女が言う通り老若男女問わず、いつもより多く人が神社を訪れる。足早に去っていく子供たちには好きな菓子を籠から選んでもらい、腰を据えて話をしていくような大人たちには茶を出した。皆帰るときには穏やかな表情をしていた。

 総一郎は新たに神社を訪れた女性を縁側に案内する。歳は二十代後半ぐらいだろうか。

 今日訪れる多くの人が姿を変えているのにもかかわらず、女性はほぼ人の姿をしていて蓮は驚いてしまった。ちらりと腰あたりから覗くのは尻尾。セミロングの髪は少し明るい色合いだが、身なりもすっとしていて理知的な雰囲気だ。


 蓮は様子をさりげなく見ながら緑茶と茶請けを女性にもてなす。そんなわずかな時間では彼女が祓いたいものが何であるかも想像できない。それに無闇に探るのは無粋だと思って、早々にその場から下がった。境内に視線を向けると科戸が子供たちに菓子を配っていた。

 その中ですらりとした肢体の狐が視界に入った。洋服など、外見的に見て同い年ぐらいの少年だろうか。彼の足元に白猫が寄るのを見て、蓮は慌てて籠を持つと社務所を出た。

 警戒させないようゆっくりと近づくと、白猫が少年の足に体と尻尾を絡ませていた。以前、蓮がここに連れてきたあのオッドアイの猫だった。自分に寄ってきたとき以上に伸びやかな姿に嬉しさが滲み出ている。


「何?」


 唐突に狐の少年に声をかけられて我に返る。やや警戒心が滲んでいたが、落ち着いたトーンの声に嫌悪感はない。蓮は慌てて籠を差し出した。


「あ、あの。好きなものを一つ、よかったらどうぞ」


 驚いたようで一瞬彼は目を丸くする。用心深いのか、すぐには手に取らない。やがて彼は籠の中から一口サイズの羊羹(ようかん)を選ぶと、ありがとと言って踵を返す。

 どうやら既にここでの用事は済んでいたらしい。足元には寂しげに鳥居を見つめる白猫だけが取り残される。


「……知り合い?」


 視線を落として尋ねるとみゃあと鳴き声が返ってきた。蓮がそっかと静かに相槌を返したときだった。

 がちゃんという激しい音が耳をつんざき、蓮は体を跳ね上がらせる。後方を見ると、女性が先ほどとは打って変わって険しい顔で立っていた。縁側の下には割れた湯飲みが落ちている。


「私は捨てたいものなんてありません。捨てられてなんか……いません!」


 そう吐き捨てると女性はバッグを肩にかけて駆け出す。予想していなかった出来事に直面して、蓮は微動だにできない。


「大丈夫か?」


 そう問いかける声が聞こえてきて、蓮は我に返る。頭を抑える総一郎にいつの間にか科戸が付き添っている。蓮は足早に縁側へと向かった。総一郎の顔色は傍目から見ても悪く、色素の薄い肌がいっそう白く見えた。それでも総一郎は笑みを浮かべる。


「やらかしました……」

「無理しすぎだ。今日はもう休め」


 科戸の指摘に総一郎は笑みに苦味を混ぜる。総一郎は蓮の姿を確認すると申し訳なさそうに笑った。


「今日はとても助かりました。……あなたも上がってください」

「……はい」


 気の利いた言葉を一つぐらいかけられればよかったのだが、どの言葉も無粋な気がして結局何も言えなかった。科戸が社務所の奥に付き添う中、蓮は湯飲みの破片を慎重に盆に乗せる。かちゃりかちゃりと陶器の破片が重なる音が耳を打つ。

 帰って行った女性の顔はひどく強張っていた。以前ここを訪れた人とは真逆の反応を鑑みると、特別な何かがあるように感じる。残っていたお茶請けの皿を片付け、縁側に戻ったところで科戸が奥から帰ってきた。


「片付けてくれてありがとう」

「……総一郎さんは大丈夫なんですか?」


 蓮の問いに科戸は微苦笑を浮かべた。普段の快活さは息を潜めているように感じた。


「まあ、一応。ただでさえこのご時世は淀みっぱなしでね。人の思念が重なる日はなお悪い。私も総一郎も、こういう日は調子がよくなくてね」


 今更ながら、科戸の顔色があまり芳しくないことに気がつく。蓮はそうですか、と返すことしかできなかった。彼女は腕を組み、縁側の縁で遠くに目を馳せるとぽつりとこぼした。


「嘘なんかつかなくていい世界になればいいんだけどね」


 その言葉は微かな余韻を残して消えていく。嘘と建前と見栄がはびこるこの世界で、きっとそれは綺麗事や世迷い言と一笑される主張だった。

 目眩(めまい)がする。遮るもののない中、眩しすぎる太陽に当てられた感覚に近かった。


「……嘘をつくことは、そんなに悪いことなんでしょうか?」


 その言葉は自然と口からこぼれ落ちていた。それはきっと、口にするべきではなかっただろう問い。ただ、嘘がなければと語る彼女に問うてみたかったのだ。

 もしかしたら、嘘をつかなければならない人には止やむに止やまれぬ事情があるのかもしれない。嘘をつかれた人にとっては、知らないほうが幸せだったなんてこともあるのかもしれない。そう考えると、嘘がすべて悪いことだと蓮には言い切れなかった。科戸は遠くに視線を置いたまま、静かに目を伏せた。


「……そうだねえ。人との関わりを通しての良し悪しで考えると、難しく感じるかもしれない」


 返ってきたのは咎めるでもない、自身を正当化するのでもない、穏やかな言の葉。柔らかな声音を風がさらっていく。程なくしてから彼女は緩やかに目を開け、蓮を見遣った。


「だから私は、最後まで自分の発言に責任を負えるかどうかで考えることにしているよ」


 個人的な見解だけどねと言って、科戸はおもむろに笑った。 静かなはずの声がやけに耳を打つ。科戸は表情を引き締めると言葉を続けた。


「浄化のために数日はここを開けないつもりだ。その間、私はここを離れられない。仕事を頼むときはこっちから連絡するよ。こういうときは変わったことが起きやすいから、気をつけてほしい」

「……分かりました。ありがとうございます」


 科戸の忠告を受けて、蓮は頭を下げると神社を後にする。

 帰り際に見上げた白い鳥居が今日はどことなく、くすんで見えた。

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