3−2
* * *
「なあ、知ってる? 導き様って」
唐突にそんな言葉が耳を打った。蓮は振り返って声の主を見る。
学校の帰り道のことだった。周囲は山とのどかな住宅街が広がり、澄み渡った空に分厚い入道雲が浮かぶ。遮るものがなくて日差しがやたらと暑い。彼は遠くに視線を向けていて、ここではないどこかを見つめていた。
「うん。だって、みんな話してるし」
それは小学校で特に流行っていた都市伝説だった。誰が言い出したのかは知らない。ネットで流れている都市伝説を怖いもの見たさで覗いた人が話を広めたのかもしれない。発端はどこか分からなかったけれど、いつの間にか皆が夢中になっていた。
望めば理想の場所に導いてくれる。忘れてしまった思い出の場所、今はなき懐かしい風景。この世でない場所にさえ導いてくれる――それが導き様だった。導き様を話題に、皆が思い思いに行きたい場所を口にしていた。
「導き様、本当にいるんだよ。すごく綺麗で優しいひとだった」
ミンミンとやけに蝉がうるさい。彼は真剣な表情をしていて、けれどこちらに目を合わせることなく続けた。
「だから連れていってもらうんだ」
言葉の後に向けられた目を見て、自然と体が強張った。彼が普段しないような、熱のこもった目が異様に怖かった。
「どこに?」
咄嗟に出てきたのはそんな拙い問いだった。けれど、それに対する答えはついぞ返ってくることはなかった。彼は淡く笑う。歳に不相応な、まるでこの世のものと思えないような艶やかな笑みだった。
「蓮も会ってみなよ。楽しいと思う。ここじゃない場所に連れてってくれる」
その姿が怖くて必死に首を振った。彼は表情をふっと崩して、儚げに微笑んだ。
「……うん、そうだよな。無理言ってごめん。ほんとうに……ごめん」
そのとき、きちんと事実を話せていたらよかったのに。彼の手を掴めればよかったのに。
その言葉を最後に、彼はこの世からいなくなった。
* * *
ハッと目を覚ます。心臓がバクバクと早鐘を打っていた。じっとりと嫌な汗が額に滲む。
「大丈夫か?」
声をかけられて蓮は跳ね起きる。
布団の脇にいたのは科戸だ。彼女も驚いたのだろう、一歩身を引いていた。
「科戸さん……。す、すみません……」
そばにいるのが誰であるかをようやく認識できて、蓮は肩から力を抜く。一筋の汗がこめかみを流れていった。全身が汗ばんでいて不快だ。
部屋の中は薄暗く、少し離れたところにモダンなデザインの行灯が灯されていた。昼前に神社に訪れたというのに、既に日が暮れているらしい。
「何か食べられそうか?」
「え、ああ……多分……」
問われて蓮は咄嗟にそう答えていた。それならちょっと待っていてと告げて、科戸は席を外す。取り残された蓮はぽつねんと座っていることしかできなかった。
体は重く、動かすとどことなく軋むような違和感がある。気を失う前に落ち着くまでは変な感じがすると科戸が話していたが、このことなのだろう。蓮はままならない体のまま、あてもなくぼんやりと部屋の中を見遣る。
寝起きの反応を見て不審に思うのが普通なのに、科戸は重ねて問うことはなかった。ありがたいと思う反面、自分の不甲斐なさが同居する。立てた片膝に顔を埋めて過ごしていると襖が軽く叩かれた。開けてほしいのだと察して、蓮は慌てて立ち上がる。
開けた先の科戸は四角い盆を持っていた。その上に乗せられていたのは一人前の土鍋だ。彼女はありがとうと微笑むと、端に避けていた長机に盆を置いた。その流れで土鍋の蓋を開けると、香ばしい出汁の香りが広がる。 刻まれた青ネギと卵、油揚げが乗ったうどんだ。科戸は蓮に向かって得意そうに笑ってみせる。
「これなら食べられるだろ?」
「あ、はい……」
出汁の香りのせいだろうか、寝ていただけというのに急激に空腹感に襲われた。遠慮がちにいただきますと伝え、碗に盛る。まろやかな色の出汁を一口啜ると不思議と心が落ち着いた。
前回と同じく、無言で食べ進める。すっかり空になったところで蓮は改めて科戸に頭を下げた。
「あの。この間も今日も……。何から何まで、ありがとうございます」
科戸は一瞬きょとんとしたが、くつくつとひとしきり笑った。笑われるようなことをしただろうかと気恥ずかしく思っているうちに、科戸が先に続けた。
「慣れないことをしているんだから疲れて当然だ。ただでさえここは変わってるしね。それに困ったときはお互い様、だろ?」
彼女は戯けるように片目を瞑ってみせる。それを見て思わず笑みがこぼれてしまった。
目上なのに対等に話ができるのがとても不思議だ。冷え切っていた内側が温かなもので満たされる。
「……本当に、ありがとうございます」
「次から頑張ってもらうから、覚悟しておきなよ?」
そう言って、科戸はにっと笑ってみせた。こういうやりとりなら悪くないなと一人思う。蓮は総一郎から一通り助言と指導を受けてから、家へと戻った。




