3−1
正式に雇われたあの日から、初めて神社に訪問する日のことだった。
「君は本当にそういったものに好かれていますねぇ」
境内の参道で両手両膝をつく蓮を見て、総一郎は感嘆の声を上げる。
蓮の体や頭は無数の猫で塗れている。明戸神社に来るまでの道中で一匹ついてきたのを皮切りに、どんどんと増えていった結末がこれである。毛色がさまざまな猫たちはみゃあみゃあ鳴きながら体に引っ付いたり、周りをうろちょろしている。上着のフードの中にまで侵入するのはやめていただきたい。
「あの、これ、どうにか祓えないんですかね……」
頭から垂れ下がる黒い尻尾を手で退けながら、蓮は総一郎に助けを求める。なんせ、体が異常に重怠いのだ。肩こり、頭痛、腰痛もろもろに襲われて、しんどいことこの上ない。
「神社と縁が深まったせいもあるんですが。類は友を呼ぶといったところでしょうか」
総一郎の発言に蓮はじとりと睨みを効かせる。しかし、失言したと思っているそぶりがみえないところを鑑みると、嘘偽りのない本心からの感想なのだろう。もうツッコむ気力もない。蓮は深いため息とともに一人項垂れた。そんな蓮を見て総一郎は顎に手を当てて空を仰ぐ。
「確かにこのままだと身動きが取れませんね。では」
総一郎が蓮の肩に触れると異常に重かった体がフッと軽くなった。それを皮切りに大方の猫たちが総一郎のそばに寄っていく。あまりの変化に蓮は思わずその光景を凝視してしまった。猫たちのもとに屈み込んだ彼は黒猫の頭に手を優しく乗せると、表情を引き締めた。
「可惜夜に生まれし寂寞、導きにて暁へと帰り給え」
すうっと空気が一変し、時が止まったかのように感じた。黒猫が嬉しそうにみゃあと鳴いたあと、猫たちの体は光に包まれて膨張し、霧散する。重苦しかった空気はまるでなかったかのように息絶えていた。
「これで大丈夫です」
総一郎は立ち上がるとふわりと笑う。それに促されるように蓮も立ち上がった。
体が軽い。神社にたどり着いた途端動けなくなってしまったのが嘘のようだ。
蓮は改めて総一郎を見つめる。計り知れない人――いや、人とは一線を画す存在なのだろうと改めて反芻する。探る蓮のことなどお構いなしに、神主は両腕を袖に通してにこにこと笑っている。
「……なんですか?」
「敬っていただいてもいいんですよ?」
いや、やっぱり違うかもしれない。蓮は再び痛くなりそうな頭に軽く手を添えて、自分を落ち着かせるよう嘆息する。
「その、助かりました。……ありがとうございます」
総一郎は一瞬驚いたような顔をしてから、柔らかく微笑んだ。それを見て気恥ずかしくなった蓮はついと視線を外す。
足元に視線を向けると、金と空色のオッドアイの白猫が喉を鳴らしながら擦り寄ってくるところだった。少し小柄な猫だ。死んだ時が幼かったのかもしれない。よくよく見ると毛色も少し悪いように感じた。
蓮はもう一度地面に屈み込む。以前は靄に埋もれていた不可視の姿。それが今は明瞭な姿となって目に映る。手を伸ばすと、まるでそこにいるかのように柔らかい毛が肌を撫でた。
「……その。彼らのようなものは、僕でも祓えたりするんでしょうか」
意外な発言だったのか、総一郎は再び目を見張った。彼はしばし思案してから疑問に答えてくれた。
「比較的小さい動物ならすぐにできるでしょう。人の形を模すものなどは……少し難しいと思いますが」
「やり方を、教えてはもらえませんか?」
返答はすぐには来なかった。ただ、そうだろうとは思っていた。
蓮は返答をじっと待つ。堪えて待つのは得意だった。神妙な顔をしていた総一郎は観念したようで、やがて口を開いた。
「……この神社とより縁を結ぶことになりますが、それでも大丈夫ですか?」
向けられるのは、わずかな躊躇いさえも見逃さないような冴えた視線。揺らがないと言えば嘘になる。自身の根底も見透かされているかもしれない。蓮はできるだけ平静を務めて返した。
「はい」
再び訪れる静寂。短いようにも長いようにも感じた。目を伏せると総一郎は深くため息をついた。
「……分かりました。確かに、あなただけで祓えないと日常生活がままならなくなりそうですしね。言霊をあなたに託します」
総一郎の目が向いた瞬間、蓮は身動ぎ一つできずに立ち尽くす。
先ほどよりもいっそう研ぎ澄まされた視線と凍てつく空気が肌を刺す。音もなく歩み寄ってくる神主から視線を外せないまま、蓮は自身に向かってくる指先をただ見つめた。
「昇華の言霊を遠に譲渡す。この地の名を借りて行使せよ」
人差し指と中指がとんと額に当たる。その途端、名状し難い感覚が全身を駆け巡っていった。それとともに頭の中に得体の知れない何かが滑り込んでくるのを感じた。
指が離れた瞬間、体が崩れ落ちる。何かに圧迫されているかのように呼吸がままならない。無意識のうちに胸元の服を強く掴む。
「……はッ……!」
「あー、結局無理させるのか。まったく」
遠くから快活な声が聞こえてきたと思ったのも束の間、蓮の体は宙に浮いた。いや、正確に言えば背に乗せられていた。あまりにも軽々しく科戸が背負うものだから、当の蓮も目を白黒させてしまう。科戸は背にいる者に視線を向け、眉をひそめた。
「あんた、本当に軽いねえ。ちゃんと食べてるのか?」
言い返したいものの、何一つ言葉が浮かばない。それ以前に、女性に背負われているという事実がこの上なく格好がつかないし、いたたまれない。しかし、あれだけ息苦しかったのがいつの間にか和らいでいる。
「総一郎、あんたも休んでおきなよ。もう少ししたら、また忙しくなるんだからさ」
「そうします……」
そう返事をした総一郎の顔には強い疲労が滲んでいた。それを見て、よりいっそう居た堪れなくなる。
総一郎と別れ、蓮は社務所に連行される。縁側が見える和室に案内され、布団に寝かされると懐かしい安堵感に包まれた。温かな陽の香りがする。
「落ち着くまでは変な感じがすると思う。一寝入りしたら、いくらかマシになると思うよ」
礼を告げるより先に、蓮の意識は深い眠りに落ちていった。




