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14-2.光の夢はいまだ醒めず(中)

 

 

 ラルフと並んで歩き出すと、不思議なことに足並みは自然と揃った。

 どちらが速めるでも、遅らせるでもなく、まるでずっと前からそうしてきたかのように、ふたりの歩幅は静かに寄り添っている。

 

 祭りの広場へ戻ると、空はすでに茜色に染まりはじめていた。

 西の空に太陽が傾くにつれ、屋台の光がぽつぽつと灯されてゆく。

 

 まず向かったのは、大鍋の店だった。

 収穫されたばかりの野菜と豆がふんだんに使われたスープは、この季節だけの味わいだという。

 店先では、顔なじみらしい女将がラルフに気安く声をかけ、冗談めいたやり取りの末にアリシアの分を押しつけるように手渡してきた。

 ラルフはやや困ったように受け取り、アリシアへ差し出してくれた。


 次に訪れた屋台では、手作りの焼き菓子が並べられていた。

 ラルフの口から使われている蜂蜜の風味の違いや花畑の所在について、簡潔ながらも丁寧な補足が添えられる。


 どの屋台でも、店主たちはラルフの顔を知っていた。

 もちろんアリシアも知られてはいるのだろうが、知り合いが増えたとはいえ侯爵家の令嬢として一方的に認知されているだけのことのほうがまだ多い。

 けれどラルフと人々との間には、確かに積み重ねられた年月を感じられた。

 

 そんな思いにふけっていると、唇が勝手に動いていた。

 

「ねえ、ラルフさん。この街には──いつまでいるの?」

 

 ラルフは少し驚いたように瞬きをしてから、ひと呼吸おいて答えた。

 

「収穫祭の時期が終わるまでですね。普段はやはり王都が仕事の中心なので」

「そう……。でも、いままで──領地ではあなたのことを見かけたことがなかったように思うんです」

 

 そう口にすると、ラルフは苦笑を浮かべて肩をすくめた。

 

「たぶん……裏方の仕事が多かったから、だと思います。記録の整備や人事の調整、予算管理……あまり表には出ないような役割でした」

「……大変そうね」

「慣れてしまえば、淡々としたものですよ」

 

 しばらく歩いたあと、ラルフがぽつりとつぶやくように言った。

 

「仕事の内容が変わったのは、去年からなんです。おかげで、よく失敗もしていますよ」

「去年……?」

 

 思わず問い返すと、彼は少しはにかむように頷いた。

 

「はい。去年の春に、父が一線を退くことになって……その後を、僕が少しずつ引き継いでいます。まだまだ未熟ですが」

 

 言葉を切った彼の横顔に、アリシアはしばらく目を向けていた。

 

 ──去年。

 それは、自分にとっても忘れられない年だった。

 

 侯爵令嬢として迎えるデビュタント。慌ただしくも楽しかった日々。

 その陰で、彼もまた自分の立場を受け継ぎ、新しい一歩を踏み出していたのだ。

 

「……私、あなたのこと、何も知らないんですね」

 

 こぼれた言葉は、いつになく静かだった。

 その声に、ラルフは少し困ったように笑った。

 

「それは……知らなくてもいいことですよ。お嬢様には、関係のない世界の話ですから」

 

 やわらかく、けれど確かに距離を保つような口調。

 それは礼儀と遠慮の混じった一歩だった。けれどアリシアは目を逸らさずに、まっすぐに言葉を継ぐ。

 

「関係ないかどうかは……私が決めます」

 

 ラルフの瞳が、驚いたように揺れた。

 

「……私は、知りたいの。あなたがどんな日々を過ごして、何を大切にしているのか……そういうのを、少しずつでもいいから」

 

 風が吹いた。

 秋の匂いを含んだ風が、ふたりの間をやさしくすり抜ける。

 

 ラルフはそっと視線をそらし、頬にかかった髪を指で払った。

 その耳元が、ほんのわずかに赤く染まっているのを、アリシアは見逃さなかった。

 

「……そんなふうに言われるとは、思いませんでした」

 

 小さく、掠れた声だった。

 

 言葉はそこで止まり、ふたりの間に沈黙が流れる。

 けれど、それは気まずいものではなかった。

 

 沈黙の奥には、音のない余韻があった。

 ラルフとの距離が、ほんの少しだけ近く感じられた。

 

 そんなときだった。

 

 ふと視線の先に、小さな屋台が目に留まる。

 木箱の上に布を敷いた、素朴な店構え。

 けれど、その一角には、淡い光をたたえた小さな宝物たちが並んでいた。

 

 それは、手作りの髪飾りだった。

 ガラスや貝、布花に混じって──ひとつ、珊瑚をあしらったものがあった。

 

 小さな珊瑚のかけらを連ねて、花の形に模した髪飾り。

 陽に透かせばひと粒ごとに影がゆれそうな、やさしい色をしている。

 それを目にした瞬間、アリシアの心は惹かれていた。

 

(……きれい)

 

 立ち止まったアリシアに、すぐ隣からそっと声がかけられる。

 

「……お気に召しましたか?」

 

 その声はどこかためらいがちのようにも思えた。

 アリシアははっとして首を振る。

 

「えっ……あ、いえ。つい、目に入っただけで……」

 

 けれど視線は、その飾りを何度も追っていた。

 気づけばラルフは屋台の主と何か短く言葉を交わし──それを手に取って戻ってきた。

 

 そして、彼はそれをアリシアに差し出した。

 

「これを、お嬢様に」

「え……?」

 

 差し出された包みを前にして、アリシアは思わず戸惑う。

 思わず見上げたアリシアの目の前で、ラルフはわずかに視線を逸らした。

 

「デビュタントを迎えられた記念に、と思いまして。その、お嫌でなければ……」

「そんな! 嬉しいです。……でも、どうして……これだとわかったのですか?」

 

 アリシアの問いに、ラルフは一瞬だけ黙し、やがて淡く微笑んだ。

 

「あのときのドレスの色……コーラルピンクでしたよね。ですから、珊瑚がお好きなのかと」

「……!」

「それに──あの糸の染料に使ったのも、珊瑚でしたから」


 そのひと言に、アリシアは思わず息を呑んだ。

 

(──この色は、あなたが気づかせてくれた色)

 

 おそるおそる、ラルフの手から包みを受け取る。

 包みのなかの飾りが、まるで心そのもののように、手のひらに重みを残した。

 

「……ありがとう、ございます」

 

 アリシアは髪飾りを両の手で大事そうにきゅっと握った。

 

 広場の賑わいは、ますます夜に向けて深まっていく。

 けれどその喧騒の只中にあって、ふたりの時間だけはどこかおだやかで、音のない光に包まれているようだった。 

 

 

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