12-2.優雅なる襲来(中)
「わしの目は誤魔化せんぞ。絶対に見つけ出してやるからな!」
セバスティアンがもう一度、部屋をぐるりと見渡す。
その視線がアリシアに届いたとき──ぴたりと動きを止めた。
続いて、隣にいたマルグリットもゆっくりとアリシアへまなざしを向ける。
そして、まるで魔法でもかけられたかのように、ふたりの表情が同時にほころんだ。
「おや、これは失礼。もしかして君は……アリシアではないかな?」
「あらあらまあまあ! こんなにお美しくなって」
マルグリットは両手を口元に添え、目尻を下げてにこにこと笑みを浮かべる。
セバスティアンも目を細め、顎に手を当ててしみじみと頷いた。
「うん、うん。さすが我が孫娘! よくぞ立派に育った!」
アリシアが言葉を挟む暇もなく、口を開きかけては閉じるばかり。
そしてにわかに勢いづいたマルグリットが、笑顔のままアリシアのもとへと歩み寄る。
そのあとを、セバスティアンもほくほくと続いた。
「そちらのお嬢さんは……? まあ、お友達かしら?」
「あ、えっと……私は、ニーナです。アリシア……様の……」
突然の知らぬ顔の登場に、ニーナはどぎまぎしている。
そんな様子に、セバスティアンが笑って大きく頷いた。
「ああ、よいよい! いつも通り、楽にしたまえ」
おそらくニーナが平民であることは服装やその様子からわかっただろうに、彼らは気にする様子もない。
安心したように笑んで、ニーナは改めて「はい、友達です!」と元気よく言った。
祖父母は表情を緩ませ、互いに顔を見合わせる。
「いいわねぇ。こういうご縁は大切にしなくては。ねえ、セバスティアン?」
「ああ。孫娘がよき友を得ているとは、実にすばらしいことだ。さて、そうとなれば──」
ふたりはアリシアとニーナのあいだにすとんと腰を下ろしかねない勢いで詰め寄ってくる。
背後では、やはりげんなりした顔のオスカーが額に手を当てていた。
グレイスはすでに気配を消して茶器の後始末にかかっている。
にこにこと相好を崩したまま、セバスティアンがアリシアに尋ねた。
「ところで、アリシア。肖像画を知らんかね?」
「肖像画……ですか?」
小さく首を傾げると、セバスティアンはぱんと手を打ち、「そう、肖像画だ!」と繰り返して豪快に笑う。
「こやつ──オスカーと、レティシア殿との結婚当初の肖像画だ! この屋敷のどこかにあるはずなのだが、どこを探しても見つからん!」
続けざまに、憤慨したようにオスカーを振り返る。
「どうせ、恥ずかしいだのと抜かす気だろう! まったく最近の若いのは、すぐに照れる!」
「……別に、照れてなど」
珍しく口を開いたオスカーだったが、マルグリットが「あらあら」と笑ってその言葉を遮った。
「まあまあ。見つからないのなら、探せばよいではありませんか。ねえ、アリシア。あなた、少し付き合ってくださらない?」
「えっ、私が……ですか?」
面食らうアリシアに、マルグリットは上品ながら愉快げに笑う。
「もちろん。お屋敷の中を案内してくださるだけでいいのよ。ね、セバスティアン?」
「うむ! これより探検隊を結成する!」
勝手に盛り上がる祖父母に、ニーナが「面白そう!」と目を輝かせた。
「アリシア、いいじゃない! 私も参加していい?」
「えっと……」
困ったようにアリシアがオスカーへ視線をやると──すでに止めることは諦めているようだった。
期待に満ちるニーナ。無邪気な熱量の祖父母。
そのまなざしから逃れきれずに、アリシアはおずおずと頷いた。
さっそく屋敷内をめぐる一行が、廊下を進みはじめたそのとき──ぱたぱたと、小さな足音が背後から駆けてきた。
「みんな、なにしてるのー? あそぶの? ぼくもいきたい!」
アーサーだった。目をきらきらさせて、勢いよく駆け寄ってくる。
「ほう、そなたが噂のアーサーか!」
祖父が満面の笑みを浮かべてしゃがみ込み、目の高さを合わせる。
アーサーは一瞬たじろいだが、すぐにぴんと胸を張った。
「うん! ぼくがアーサーだよ! おじいさまとおばあさま、でしょ?」
「よしよし、よい返事だ! いやはや、さすが我が血筋……この顔立ち、若かりし頃のわしを見ているようだぞ!」
「そうなのー? にてるー?」
「ふはは! そうとも、君は祖父似ということだな!」
堂々と豪語するセバスティアンに、背後でオスカーがまたひとつ、深くため息をついた。
その傍らで、マルグリットがそっと膝をつき、やさしくアーサーと目線を合わせる。
「でも、本当にかわいらしい子。お目々がくりくりしてて、元気いっぱい。お姉ちゃんたちに負けないくらい、優しくて賢いのね?」
「えへへ、うん!」
「これはもう、探検隊の隊長をお願いしてもいいかもしれませんわね?」
「たいちょー!? やるやるっ!」
ぴょんと跳ねてこぶしを掲げるアーサーに、祖父母は目を細めて拍手を送った。
「では、隊長殿! 出発の合図を頼む!」
セバスティアンがかしこまって言うと、アーサーは誇らしげに胸を張り、声を張り上げた。
「たんけーん! しゅっぱーつ!」
かくして、侯爵家探検隊は──まるで楽団のような賑やかさで、廊下の奥へと歩み出した。
*
一行は、にぎやかな足取りで屋敷のあちこちをめぐっていた。
広間、客間、書斎──まるで宝探しでもしているかのように、扉を開けては首を突っ込み、時には笑い声をあげながら歩みを進める。
とある部屋では、アーサーがベルベット張りの長椅子に跳び乗ろうとして、オスカーにすかさず止められる。
隣ではニーナが、飾り棚の奥に見つけた年代物の香水瓶を覗き込み、「こういうの、憧れるなあ」と感嘆の声を洩らしていた。
この家が重ねてきた季節と、そこに生きた人々の気配が、部屋という部屋に息づいているのだった。
そうして、ひとしきり巡り歩いた果て──ふいに辿り着いた一室は、どこか趣の異なる空気をまとっていた。
陽の光がやわらかく差し込み、調度は控えめながらも清潔に整っている。床にはほこりひとつなく、乾いた紙の落ち着いた匂いが空間を満たしていた。
「私、この部屋は初めてです」
「おお、ここはな──」
セバスティアンが胸を張り、語り出す。
「レイモンド侯爵家の記録室だ。正式には第二書庫。代々の手紙や日誌、書き損じた地図の写しやら、なんでも詰め込まれている。いわば……一族の忘れもの置き場、といったところかな!」
背の高い書棚とに、壁に掛けられた古い地図。
アーサーとニーナは、目をきらきらとさせた。
「おたから、ありそう!」
「私もそう思う!」
ふたりがきゃっきゃと探し始める傍らで、いよいよオスカーが遠い目をしている。
アリシアはふと気になって、書棚と書棚のあいだに据えられた小さなキャビネットに近づいた。
古びた扉をおそるおそる開けると、中には小箱がひとつ、慎重にしまわれていた。
「……これは……」
手に取ったとき蓋がわずかに開き、数通の手紙がかさりと揺れた。
封蝋は年月を経て薄く欠けていたが、それでも封筒に記されたやわらかな文字が読み取れる。
──親愛なるオスカー様へ
──レティシア・ヴァレンティーヌより
ヴァレンティーヌとは、母の旧姓である。
目の前の手紙は、よく知る人間の知らなかった顔を如実に告げてきた。
「これ……お母様の、もの……?」
思わずこぼれた呟きに、セバスティアンが興味深げに振り返る。
「ふむ? なになに、何か見つけたのか?」
「ちょ、ちょっと待て、それは……っ!」
その気配に反応して、オスカーがぱっと歩み寄ってきた。
「えっ、これってもしかして、アリシアのお母さんのラブレターだったりする!?」
「なになに、ラブレター!?」
ニーナとアーサーの瞳が好奇心にきらめくのを見たアリシアは、思わず小箱を抱きしめた。
「だ、駄目よ、これは……!」
「ええ〜! 読んでみたい!」
「ぼくもー!」
しかしアリシアはふるふると首を横に振った。
なんだか、これは見てはならないような気がしていた。
「まったく。こういうものこそ、ちゃんと鍵のかかる引き出しにしまっておくべきなのに。お前ったら……」
マルグリットが呆れたように言うと、セバスティアンが面白そうに肩をすくめた。
「ふむ、それもまた人生の味わいというものだろう。孫が母の恋文を見つけるなど、なかなか粋じゃないか!」
「……勝手に粋にしないでいただきたい……」
オスカーの呻き混じりの声が、書庫にぽつりと落ちた。
そして、とうとう書庫の奥の間にある一枚の壁だけが重たげな幕にすっぽりと覆われているのを発見した。
「ここ、あやしいわ!」
ニーナがそう言うと、アーサーが「たんけんたい、はっけん!」と胸を張って指をさす。
セバスティアンは目を細め、顎に手を当ててしげしげと見上げた。
「ふむ、ふむ……この不自然な布のかかり方、明らかに何かを隠しておるな」
「まあまあ、見るからにって感じだわ」とマルグリットも頷く。
アリシアも、なぜか目を逸らしている父の姿に気づいて、はっとしたように口元を押さえた。
「……お父様?」
呼ばれたオスカーは観念したように、深く息を吐くと無言で歩み寄った。
ゆっくりと手を伸ばし、布の端を引く。
現れたのは──若き日の夫妻が並び立つ、一枚の肖像画だった。
レティシアは淡い金の髪をやわらかく結い、やさしい微笑みを浮かべ、隣に立つオスカーはやや緊張した面持ちをしていた。
「──あった!」
セバスティアンが満面の笑みを浮かべて叫ぶ。
マルグリットはしみじみと見上げた。
「まあ……やっぱり素敵ね」
アリシアはその場に立ち尽くし、知らなかった両親の姿に、えもいわれぬ感情があふれるのを感じていた。
すると、隣でアーサーがぽつりと呟いた。
「……ふたりとも、きれい」
ニーナも熱に浮かされたように、その絵を見つめていた。
「いいなあ。こういうふうに、誰かと並んでる絵って、ちょっと憧れちゃうな」
この絵に宿るのは幼い恋ではなく、近いけれども遠い、未来への予感のようなものに思えた。
子どもの声と少女の夢想が重なって、部屋の空気に、静かな余韻が広がっていく。
「それで、いつからこんなところに?」
マルグリットがちらりと視線を向けると、オスカーは咳払いでごまかした。




