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8-1.贈る手と選ぶ心(上)

 

 

 デビュタントを数ヶ月後に控えた侯爵邸は、相変わらず活気に満ちていた。

 すべてが、少しずつ迫り来る晴れの日に向かって動いている。

 

 その中でアリシアもまた、贈り物を完成させていた。

 

 テーブルの上には、丁寧に畳まれた五枚のハンカチが並んでいる。

 それぞれ異なる布地にどれも同じ糸で、美しく刺繍がされていた。

 

「なんて素敵なのでしょう……!」

 

 思わず息を呑んだのは、同じ部屋にいたセシルだった。

 彼女はハンカチを見つめながら、頬に両手を当ててうっとりと声を上げる。

 

「お姉様の刺繍の美しさもさることながら、この糸の色合いが本当に素晴らしいですわ。まるで光を纏っているよう……」

「ありがとう。……でも、これが完成したのは、あなたのおかげでもあるのよ」

「えっ、私が……?」

 

 目を丸くするセシルに、アリシアはふっとやわらかく笑って頷いた。

 

「信頼できる商人の方にお願いしてみたらって、言ってくれたでしょう? あのとき……あの言葉がなかったら、私はきっと諦めていたわ」

「まあ……! では、本当にその方が見つけてくださったのですね!?」

 

 瞳をきらきらと輝かせるセシルに、アリシアは小さく「ええ」と答える。

 

 そして、糸にまつわる経緯を語った。

 ラルフが、どれほどの労を惜しまず探してくれたか。

 しかし既製品には理想の色が見つからず、最終的には、糸そのものを新たに生み出してくれたこと──。

 

「やはり素晴らしい方のもとには、素晴らしい方が集うものなのですね……!」

 

 セシルは感動したように胸の前で手を組み、しみじみと呟いた。

 

 ふと、彼女の視線がテーブルの上に戻る。

 ハンカチを数え、首を傾げた。

 

「あれ? 四枚ではなく、五枚……? 侯爵様、レティシア様、アーサー様、そしてお姉様の分まではわかりますけれど──このアイボリーのハンカチは……?」

 

 その問いに、アリシアはわずかに息を詰めた。

 伏せた睫毛の影が、机の上にひっそりと落ちる。

 

「……それは、」

 

 言いかけた声は、どこか不意を突かれたように小さくなる。

 戸惑いながらも、心の奥に芽吹いたものにそっと触れるように、アリシアは答えた。

 

「その方に……お礼として、渡せたらいいと、思って」

「まあっ! それはよいお考えですわ!」

 

 セシルは自分のことのように喜びの声を上げる。

 

「こういう、さりげない気遣いって大事ですものね! 私も見習わなくては!」

 

 無邪気に笑う彼女の横顔を見て、アリシアもつられて口元をゆるめるのだった。

 

 

 

 

「もっ、もう限界です……息が詰まって、死んでしまいそうっ……!」

 

 悲鳴のような訴えが、廊下に響いた。

 

 マナーの授業を終えた直後、セシルは肩を落とし、その場にへたり込むようにして壁にもたれた。

 

「ほんとうに、礼法の時間というのは……己の呼吸まで矯正されるようだわ……!」

 

 声には切実な疲労と、どこか哀れな嘆きが滲んでいた。

 

 聞けばセシルは幼い頃からおてんば娘で、暇さえあれば庭や街道、さらには森まで走り回っていたという。

 そんな彼女が王都式の淑女教育に順応しようとしているのだ。よくぞここまで耐えたものだろう。

 

「少し、気分転換が必要かもしれないわね」

 

 アリシアが苦笑しながら言うと、セシルはぱっと顔を上げた。

 ぱちくりとした瞳が、すがるようにこちらを見つめてくる。

 

「気分転換……なんて素敵な響きですの……!」

「じゃあ、ピクニックなんてどうかしら」

「行きますっ! 行きたいですっ!」

 

 勢いよく飛びつくような返事に、アリシアも思わずくすりと笑みをこぼした。

 

 

 すぐに翌日の予定を調整し、小さなピクニックが決まった。

 となれば、当然、準備が必要である。

 

 「何か軽食でも作っていこうかしら」とアリシアがぽつりと呟いたその瞬間、セシルは目を輝かせて立ち上がった。

 

「お姉様が!? では、私もご一緒しますわ!」

 

 

 明くる日の午前中。厨房には、もうずいぶんと手慣れた様子のアリシアと、やる気だけは人一倍のセシルの姿があった。

 ふたりで悪戦苦闘するその光景は、どこか微笑ましい。

 

 それを聞きつけたアーサーが「ぼくもいくー!」と駆け込んできたかと思えば、レティシアまでもが「まあ、楽しそうね。私もお手伝いしようかしら」と笑顔で顔を出す。

 さらに、「侯爵様も気にしておいでですよ」と、クラレンスがそっと耳打ちしてくるに至って、もはやこれは家族総出の行事になりそうな勢いだ。

 

「セシルさん、私の家族もご一緒していいかしら?」

 

 アリシアが少しだけ申し訳なさそうに尋ねると、セシルは驚いたように目を見開いた。

 

「ええっ!? わ、私は構いませんけれど……でも、それでは私が、ご家族の邪魔になりませんこと……?」

 

 あたふたと慌てるその様子に、アリシアはやわらかく微笑んで首を横に振る。

 

「あなたのための息抜きなのだから、いいのよ。それに、あなたはもう……私たちの家族みたいなものですもの」

「お姉様……!」

 

 またしてもセシルは感激したように胸に手を当てた。

 けれど、すぐに何かを思いついたように、そっと顔を寄せてくる。

 

「では……せっかく皆さまがお揃いになるのでしたら、そのときに、例のハンカチをお渡しするのはいかがでしょう?」

 

 声をひそめながらも、どこかうきうきとした響きが混じっている。

 

 アリシアは思わず目を瞬かせた。

 

「……えっ?」

「だって、ピクニックでしたら堅苦しくありませんし、ご家族の皆さまに一度にお渡しできますでしょう? 青空の下での贈り物なんて、きっと素敵な思い出にもなりますわ……!」

 

 こそこそと囁きながら、セシルはにんまりと笑う。

 その顔には、何か秘密を共有する喜びがにじんでいた。

 

 アリシアは、ふと視線を落とす。

 

「……そうね。そういうのも、いいかもしれないわ」

 

 まだ少しだけ照れくささが勝ってはいるけれど、頬には確かに、あたたかな色が差していた。

 

 

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