1 春、猫追い、訪ねる樫の森の家(8)
「何か見える?」
長谷川はすでに樹上の人となっていた亮月に尋ねる。
木肌が滑らかだったので、亮月といえども多少は苦労するかと思ったが、取っ掛かりを上手く見つけながらスイスイと上がっていき、結局は何の苦もなく登りきってしまった。
――ちょっと待って。亮月はそう言って、建物の上部がよく見えそうな枝の方へと移動する。
「あ――なんかあるぜ」
そういうと、亮月は少し考え込むように腕を組む。
「天井に穴が開いてる」
――穴? 長谷川は小さく呟く。
「なんか正方形の穴がポコって開いてる。たぶん」
――入口だと思う、と亮月は続けた。
長谷川は亮月を見上げて訊く。
「入れそうなの?」
「おう、余裕だぜ」
言うなり、枝の先まで馬乗りの状態のまま移動する。枝の先はちょうど建物の天井にかかっている。かなりしっかりとした太い枝だったので、折れる心配はなさそうだった。
そうして、亮月は屋根の上方まで到達すると枝からひょい、と飛び降りた。
そのまま建物の中央部の方まで移動するらしい。
長谷川の位置からは死角になるため、亮月の姿が徐々に隠れていくように見える。
少しして――うーん、という声が屋根の上から聞こえてくる。
「なにか、見える?」
樫森が建物の下から訊く。少し声が揺らいでいるのは、樫森にとって精一杯の声量だからだろう。
「なんかね。よくわかんない。床が土になっててさ。真ん中に井戸みたいのが有る。
ハシゴがあるから降りれるぜ」
――入るか? と、亮月は問う。
――井戸? とつぶやいた後、樫森は何か言おうとして、コホと一度咳をする。
そうしてもう一回亮月がいるであろう方向に向き直り、
「ダメ、入らないで。わかったわ。ありがとう」
と言う。
「あの、多分、祭祀を行う前に身を潔めるための穴だと思う。前にお父さんがそんなのが有るって言ってたから」
――それは私、まだ入っちゃダメなの、と樫森は言い切って息をつく。
少しして亮月が屋根からひょっこりと顔を出す。
「なんだ。埋蔵金が埋まってるとかじゃないのか」
そう言って、――もう降りていいか? と訊く。
長谷川と樫森が頷いたのをみて、亮月は屋根に移動するときに使った枝をつかんで飛び移り、幹伝いにするすると降りてくる。
「ごめんね。何もなくって」
樫森は恐縮する。しかし、今までと違って顔は前を向いていた。
「いいよ。いい暇つぶしになったから」
亮月はあっけらかんとそう答える。
長谷川も――うん面白かった、とそれに応じる。
それを見て樫森は、にこりと笑顔を浮かべて「ありがとう」と言った。
亮月は――ううん、と背伸びをする。さすがに体力を使ったのか、少しだが首筋に汗がにじんでいる。
それを認めて、長谷川はなんとなく目をそらす。
亮月はそれに気づかずに――よし、と言って、
「じゃあ解散するか。なんかつかれたし」
とようやく探検の終結を宣言する。
見れば、天頂にあった太陽は西に傾き始め、少しずつ空に朱が混じってきた。
それに気づいた途端にどっと今日一日分の疲れが、長谷川に襲い掛かる。
――特に大したことはしてないはずなのだが。
樫森の方を見ると、少しさびしそうな顔をしているが、疲労の色は窺えた。
それで、三人は樫森家の敷地の入口まで移動して、別れの挨拶を交わした後、それぞれの家路についた。
――高校生になってまで、探検なんかをすることになるとは思わなかった。
長谷川はそう思う。
――その一方で、身近に亮月という天性のトラブルメーカーがいるのだから、こうなるのは当然だ、という気もしている。
だから、長谷川は考える。
――亮月の行動により一層注意しなければ、また何かに巻き込まれるかもしれない。
後からして思えば、その時長谷川が達していた結論は正しかった。
その通り長谷川たちはこの後、亮月のその天授の才によって、高校生の丈に合わないとんでもない大冒険をすることになるのだから。
――しかしこの時、彼が抱いていた仮定の思考は、「明日は学校である」という究極の現実によって、容易にオーバーライトされてしまった。