1 春、猫追い、訪ねる樫の森の家(7)
樫森が言うところの「変な建物」は、祠から更に少し登ったところに有った。一見するとコンクリート壁の普通の蔵だ。
「なにこれ、蔵? テレビでしか見たことないけど」
早速、亮月が質問を始める。
「わからないの」
――わからない? 長谷川は予想外の回答に戸惑う。
「あ、あのごめんなさい。この建物、入口がないの。――どこにも」
――入口が?
長谷川は少し考え込む。――入口のない建物ってどういうことだ。
亮月は能天気に解決策を提示する。
「壁壊して入れば?」
「ばっか、お前ホントに野蛮人だな」
――なんだよぅ。と亮月は口を尖らせた。
まず、三人はこの建物を一周する。
――樫森が言うとおり、入口はおろか鼠が入り込むような穴ですら見当たらない――いや、手の届かない高さのところに、小さい窓のようなものがひとつ開いている。長谷川はぽつりと呟く。
「あの窓から入れないかな」
「無理だよ。いくらなんでもあんな小さいとな。建物の中ぐらいは見れるかもしれないけど」
亮月にしては的確な回答だった。確かに手ぐらいなら入るかもしれないが、頭を入れるのは無理だろう。それに、確かに中を覗くぐらいには使えそうだ。そう思ったが、樫森がそれを否定する。
「あの、無理なの」
「無理? 無理って?」
亮月は訝しむ。
「あの窓からは中が見られないの。覗くと目の前に壁があって……」
「なんだ、樫森試したのか。じゃあ、あれってただの換気口なんだ」
――換気口。
その言葉に長谷川は違和感を覚える。というのも、あの窓には雨除けがないのだ。
これでは、風とともに雨まで内部に吹き込んできてしまう。
もしこの建物が蔵のような用途で使用されていたとしたら、換気口から吹き込む雨で中の物がダメになってしまうだろう。
同じ理由で、何か作業をするための部屋があるとも考えにくい。
――となると、
「これ入れないんじゃないの。ただのモニュメントみたいなもので」
そう考えたが、亮月に否定される。
「窓があるのにモニュメントはないんじゃないの。ただの四角い建物だし」
そうなのだ。建物は特に変わったところのない立方体の形状をしている。
日本家屋によくある切妻型の屋根はついていない。
傾斜の関係でよく見えないが、恐らく平らな陸屋根が建物上部についているものと思われた。
長谷川は建物の周りをもう一回まわる。
――確かに何も無い。
改めて建物を見ると、かなりぞんざいな扱いをされていることがわかる。
壁の塗りにはムラがあるし、軽いひび割れなども目に付く。
恐らく、建物自体には特に意味は込められておらず、中にある何かを守るための壁として、建造されたものなのだろうと思った。
一周して戻ってくると、亮月がその辺にあった岩に腰掛けて、暇を持て余していた。
――飽きたらしい。
「亮月、何かわかった?」
無駄だと思ったが、一応社交辞令として訊いてみる。
「わかんないけど。うん、頭使うのはなあ、このメンバーじゃないよ」
「このメンバー?」
樫森が首をかしげる。
「有坂さんっていう一個上の先輩がいるんだ。頭使うのはもっぱらあの人の仕事」
「有坂さん……あの凛々しい感じの人?」
「なんだ知ってんのか」
「たまに新谷さんと話してるのを思い出して――。ちょっと格好イイ感じの」
「クールビューティーだから。有坂さんは」
――クールビューティー。
「長谷川、復唱すんな。――そうだ、電話しようぜ。有坂さんに」
「迷惑だよ」
「大丈夫」
――どうせ暇だろうから。と大概な決め付けをして、亮月は早速携帯電話をいじりだした。
どうやらめでたく電話は繋がったらしく、亮月は電話の向こうにいるであろう有坂と何やら話し出す。横から聞いている限りでは、あまり成果は芳しくないようだった。
しばらくして亮月は携帯を閉じ、長谷川と樫森の方に視線を向ける。
「訊いた」
「なんだって?」
「メンドイから来ない、ってことをものすごく遠まわしに言われたぜ」
「だろうね。有坂さんだもの。じゃあ、この謎は解けずじまいか」
長谷川は少し肩を落とす。
何の工夫もないただの建物にしか見えないのに、その中身が全く知れないというのは、ちょっとした敗北感がある。
樫森を見ると、こちらも少しガッカリした様子をしていたが、それ以上の反応ではなかった。
元々、あまり期待していなかったのかもしれない。
亮月はその様子を見て――注目、とでも言うように右手を上げる。
「ちょっと待った。ヒントだけはくれたんだ」
「ヒント? 何も見てないのに?」
「地上から入れないんだから、空の上か土の下から入るんだろ、ってさ」
長谷川は眉根を寄せる。
「それヒント?」
亮月は気にせずに、話を進める。
「でさ、地下は難しいだろうから、とりあえず空から攻めろって。例えば――近くに木があれば登ってみろって言ってたけど」
「あの木は?」
長谷川は、建物の近くに立っている木を指差す。そこそこ年季の入った大木だ。
「樫森が良いなら良いけど」
「大丈夫。登ってみて」
それを聞いた亮月は、パンと手を合わせる。
「よし、今日二回目だな。あ、そうだ――」
亮月は、イタズラっ子のように笑って樫森の方を見る。
「シロ、連れてこいよ」