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有坂神霊縁  作者: iotas
62/63

6 月下に無限を求めて(5) ~LAST

 ――生きてる。

 大きな月を見上げて、長谷川はそう思った。痛みもあまり感じない。

 ひょっとして脳内麻薬によって感覚が麻痺してるのだろうか。そう思って、一つ一つ神経の状態を確認する。頭、首、手。若干の痛みはあったが、どうも神経が麻痺しているようには思えなかった。

 背中。何か感覚がある。冷たく硬い地面じゃない――何かが。ふと視界に何かが入る。

 大きくはないけれども綺麗で、どこか憂いを秘めた目。

 まっすぐに通った鼻。気の強さと脆さを内包したような唇。

 そして表情の虚ろな――貌。

 有坂の――顔だった。

「大丈夫?」

 心配そうな青い顔で長谷川を見つめる。

 長谷川は今の状態を把握した。背中の下にあるのは――有坂の腕だ。そして、有坂は長谷川に対して直角に跪いている。

 つまり――有坂は長谷川を受け止めようとして、自分の腕を差し出したが、受け止めきれずにそのまま倒れこんだのだ。

 

 ――有坂さん!?

 長谷川は慌てて起き上がろうとしたが、何故かバランスを崩す。

「ごめん。足のほうは――守れなかった。直撃はしてないと思うけど――」

 それでも何とか起き上がり、有坂のほうに向き直る。

 有坂の腕は――不自然に力が抜けていた。

「なんで、なんで。――有坂さんの腕が」

 有坂は青白い顔で無理やり笑顔を作る。

「死ぬよりマシでしょ」

 ふと気づくと、亮月が今にも泣き出しそうな顔で立っている。

「亮月……」

 亮月は頭を大きく下げる。

「私、助けに行かなかった」

 ――亮月は悪くないよ。有坂はそう声をかけて、長谷川の方に向き直った。

「私が止めたの」

 長谷川には、なんとなくその理由が理解できた。それに、有坂が止めようと止めまいと、亮月が謝る理由は全く無いと思った。

 ――悪いのは――僕だ。長谷川はうな垂れる。

「僕のせいで……有坂さんが」

「長谷川は悪くない!」

 亮月は声を上げて、長谷川に近づき、手を包み込むように握る。

「長谷川はよくやったんだ。自分の命張ったんだぜ。誰が責められるんだよ」

 そして、しばらく長谷川の目をジッと見つめていたが、我慢していたらしい物がこぼれそうになったところで、急に後ろを向いて、手でぐしぐしと涙を拭くような動作をした。

 そして後ろ向きのまま、小さく――うんとつぶやくと、

「次は私の番だな」

と言った。

 長谷川は頭の中でその言葉を復唱する。


 ――次は、私の番?


「行ける?」

 亮月は有坂の声に――任せて下さい。と間髪入れずに返答して屈伸運動を始めた。長谷川はしばし呆然として、亮月のその姿を眺めていた。

 亮月はいつものように緊張感の感じられない顔で、のんきにストレッチを繰り返している。

 その首筋に、一筋の汗が流れ落ちる。

 ――こいつは首筋に緊張がでるんだな。

 反射的にそう思った。そして自分がそう思ったことを、自分自身が認識するに至って、長谷川はようやく今の状況を理解する。

「やめろよ。ぼくがもう一回行くよ」

 思わず声を出した。亮月は長谷川の方を見やる。

「ダメだな。まあケガ人は寝てなって」

 長谷川は有坂に訴える。

「有坂さん、僕が――」

「ダメ」

「なんで――」

「長谷川君は足を怪我している。今の長谷川君がこの壁を登り切る可能性は、ほぼゼロ。可能性の無いものに命はかけられないよ」

「でも――」

「無駄な議論をする時間はないよ。腕も痛いし」

 ――わかりきったことだった。有坂が亮月に対して、長谷川を助けないように指示した理由も、次に登るのが亮月だと決まっていたからだったのだろうし、そのことは長谷川も頭の中でわかっていたはずだった。

 ――でも――本当にそれでいいのか。

 悩んだ末に長谷川は決意する。

「僕、亮月が落ちてきたら受け止めます」

 有坂は少し目を丸くする。そして、青白い顔のまま微かに笑んで、

「そうしてくれるとありがたいかな。体が動くのであれば」

と言った。

 

 亮月は簡単な準備運動を終えたらしい。

 壁に近づいて手を窪みの中に突っ込むと、長谷川の方を振り返って白い歯を見せる。

「じゃ、行ってくるぜ」

というと、躊躇なくスイスイと上がっていった。

 長谷川は落下に備えて亮月の下まで移動した。彼女が落ちてきそうな場所には、衝撃を和らげることができるよう、スクールバッグや制服の上着などを積み上げておく。有坂が長谷川を受け止め切ることができたのも、これらのクッションのお陰だった。

 しかし、そんな心配も不要ばかりに、亮月はいとも簡単によじ登っていく。

 その様子を見て、長谷川は陰鬱な気持ちを呼び起こす。

「僕の努力、無駄だったんですかね」

 ――無駄じゃないよ。長谷川の背後から有坂が答える。

「亮月は長谷川君が登っていった姿をじーっと見てたの。それこそ穴の開くほどにね。

 だから、危ないところや安全なところが全部わかってる」

 ――そんなことをしてたのか。

「亮月が安心して登っていけるのは、その情報があるから。もし、それがなかったらどこかでミスして落ちてるかもしれない。さっきルートを変えたところとかでね」

 ――だから、全然無駄じゃないよ。その言葉を聞いて、長谷川の顔が紅潮する。

 そうしている間に亮月は、ついに地上に這い出そうとしていた。

「おーい、長谷川! ここだろ、お前が最後にミスったのって。ああ、こりゃ仕方ないぜ。私が最初に行っても落ちてたかも。でも――」

 亮月は慎重に地上に手を伸ばして、ゆっくりと体を持ち上げて行く。

 そしてついに、亮月の全身はこの暗闇の世界から外へと脱出した。

「人間ってのは学習する動物なんだ。――あ、あれここってどっかで」

 ――あ! と声を上げて亮月は穴の中に顔を突っ込んで叫ぶ。

「おい、ここって扉の無い建物の中だ! 樫森ん家の!」

 樫森の――入り口の無い建物。

「じゃあ出られないの?」

「いや、ハシゴがあるから出られると思う。よし、ちょっと待ってろよ。樫森呼んでくるから」

 そういうなり、亮月は顔を上げて、

「樫森!」

と大きな声を上げて、飛び出して行ってしまった。


「ひょっとして、この前電話をかけてきて私に入口を訊いてきた、あの建物?」

 ――そうです。と長谷川が答えると、有坂は声を立てて笑う。

「じゃあこの洞窟の上って、いつもの私たちの町だったの」

 そういうことになる。長谷川たちが、全く現実感のない世界の中で、わずかな光を頼りに必死になって現実の世界に戻ろうとしていたとき、その遥か頭上では、普通の人が普通にいつもの生活を何も知らずにのんきに送っていたのだ。

 ――いつもの長谷川たちと同じように。

「とんだ大冒険だったね」

 それを聞いて長谷川もおかしくなる。

 ――でも、まあ

「まあ彼女が持ってくる問題ですから、そんなもんですよ」

 そう言って一しきり笑った後、二人は並んで壁にもたれかかる。

「有坂さん、腕は――」

 ――痛い。有坂は端的にそう答えた。

「でもなんかもう、麻痺してきたよ。これぐらいだったらガマンできる」

「――じゃあ、さっきまでは」

「もう――死ぬほど痛かったよ。地面に突っ伏して呻こうかと思うほどにね。でもさ、そんなことやったら――」

 ――長谷川君、泣きそうだったから。それを聞いた長谷川は恥ずかしくなって、うな垂れる。

 ――有坂さん、と謝ろうかとしたが、有坂に目で制される。

「そういうのイヤなの。良いから空でも見て待ってようよ。アノ子が帰ってくるのを」

 そう言われて空を見上げると、いつもの町で見るような満月が、何の意思も持たずに輝いている。

 有坂は少し眠そうな目で、黙って月を見ている。緊張感を失った、平和な顔だった。長谷川ももう何も言わなかった。

 そうして二人で月を見上げて、稀代のトラブルメーカーが戻ってくるのを待った。

 

 少しだけ、ほんの少しだけ、この異常な時間に別れを告げるのを惜しみながら――

本編了


see you in three days...

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