6 月下に無限を求めて(4)
よく見ると、長谷川のいるところから五十センチぐらい左側にもう一本、窪みのルートがあるようだ。
しかも、見たところ窪みはかなり深い。
――こっちが本道なのか。
そう思って、慎重に左足を離し、一歩下へと後退する。
――今の位置から修正するのは無理だ。少し降りたところから登りなおす。
そうして、三歩ほど下ってから、自分の左手を左ルートの窪みに伸ばす。
――届いた。それを確認してから、慎重に体の重心を左に移動し、二十秒ぐらいかけて左ルートに移行した。
左ルートは思いのほか登りやすい。さっき停止した二十歩目、二十一歩目も容易に越すことが出来た。
――二十五――二十六――二十七。
ルートを変えたので少し目算は狂ったが、求めていた地上の土は今や手の届くところまで近づいていた。
月が大きく見える。
――銀色の、満月だ。
少し目が潤む。それほど地上が恋しかったのだろうかと自嘲する。
――みんなで地上に戻ったら、まず亮月にお礼を言おう。もう一度――。
あの声が無かったら、落ちていた。
そんなことを考えながら、最後の窪みを右足で踏んで、地上に手を伸ばす。
――これで、冒険はお終いだ! と思った。
しかし、その一方で長谷川は、自分が全く高揚感を感じていないことに気づいた。
――なんだろう。
長谷川は思った。
――何かおかしい。
目は、自分の腕がまさに地上に出ようとする瞬間を追っている。
――これだ。
これが違和感だった。
それに気づくと、顔から一気に血の気が引いた。
そうして、目がゆっくりと足元に落ちる。
――窪みに入っている右足が――半分浮いていた。
違う――。
この――窪みを使うつもりじゃなかった――。
足の右上にもう一個の窪みが見えた。
それは十分な深さを持っているようだった。
今の――長谷川の右足が入れているところとは違って――
それに気づいた途端、体が急にバランスを失う。
思いっきり伸ばした手は、一握りの土くれをつかんで、
――そうして長谷川の体は宙に浮いた。
――終わった。
長谷川は、驚くほど冷静にそう思った。
足が窪みから離れる。両手はとっくに宙に放たれていた。
有坂は何と言っていたか――。確か、落ちるときは素直に落ちろ、か。無駄に抵抗して、壁に頭や体をぶつけては逆に危ない、そんな話なのだろう。でもそれも、せいぜい三メートルとか五メートルとか、生き残れるぐらいの高さのときのことを前提としている話だろう。
――多分、十メートルは落ちることになる。そうなればきっと――生きてはいない。それでも一応頭を上げて、手で守った。
登る前に二人の顔を見なかったことを少し後悔する。
死ぬ直前、人は走馬灯のように過去の記憶をよみがえらせるというが、長谷川の頭には何も思い浮かばなかった。ただ、今落ちているという現実、それだけを認識していた。
――ゴメンナサイ。
誰に向かっての言葉なのか――自分にもわからなかった。
その次の瞬間。長谷川は地面に堕ちた。