1 春、猫追い、訪ねる樫の森の家(6)
長谷川たちは、樫森について家の裏手に出て、庭へと足を踏み入れる。敷地は奥に向かって緩やかな斜面が続いている。石段や砂利などの舗装はされていないが、なだらかで歩きやすい道になっていた。
そのまま高さにして三メートルほど登ると、ちょうどさっき長谷川たちが居た部屋ぐらいの広さの台地に出る。
台地の右隅には、小さな塚のようなものがある。その手前には石を積み上げて作られた祠のようなものがちんまりと鎮座していた。
「祠? 庭の中に――」
長谷川はいぶかしげにそれを眺める。
「あの……神様の家。ずっとこの地域を守ってきた……神様」
樫森は相変わらず小声で答える。
「神様? 鳥居とかないじゃん」
亮月は無遠慮に言う。樫森は自信なさげに手を前で組む。
「そういうのとは、違うから……」
長谷川は祠に近づき、しげしげと見つめる。軽く眺めただけでもかなり古そうだ。祠を構成している石はところどころ欠けていたし、コケのせいか一部は黒ずんでいる。ただそれでも全体的に汚い印象は感じられない。むしろ清浄な雰囲気を醸し出しているようにすら思えた。樫森の家が大事に手入れをしてきたからかもしれない。
「神様」という単語を聞いて一瞬身構えたが、どうやら怪しげな新興宗教の類ではなさそうだ。
「氏神様ってやつかな」
全く知識はなかったが、なんとなしに言ってみる。
「どっちかっていうと、土着の神様って……お父さんが言ってた」
と言われてもよくわからない。多分、地方だけで信仰されているようなローカルな神様のことだと、長谷川は解釈した。
亮月も長谷川の横に来て興味深げに祠を覗き込む。
「神様って名前とかあんの」
「クビカリ様って……」
「首刈り? なーんか物騒な神様だな。なんというか……神様相手だからあまり言わないけど」
亮月はそう言いながらも祠に突っ込みそうになっていた首を、恐る恐る引っ込める。
「名前の由来とかはわからないの。あ、お父さんなら知ってるかもしれないけど……その辺は私、まだ教えてもらってなくって」
「お祭りとかやんの? 私、ずっとこの辺住んでんのに、聞いた事ないけど」
「お祀りならやるけど……。あの、その辺は一子相伝で……。私もいつか教わると思うんだけど……」
「いっしそーでん! ――ってなに」
亮月は長谷川の方を向く。長谷川はなおも腰を屈めて祠の周りを眺めていたが、亮月の声に反応して体を起こす。
「先祖代々から、自分の子どもひとりだけに教え伝えられる技術とか秘伝のこと。でもなんか――」
――一子相伝とか本格的だよねと長谷川は言う。
「お父さんが七十九代目だから……私が八十代目になると思う。あの、もちろん――伝えられたら――だけど……」
最後は聞こえづらいぐらいの音量で樫森がつぶやく。八十代というと途方もない数字に聞こえた。一代を二十年としても、千六百年かかる計算だ。
長谷川には、この一代二十年というのが妥当な数字かどうか判断できなかったが、徳川幕府が二百何十年で十五代であることからみると、異常な長さの系譜であるということは理解できた。
「これ何。変な穴」
亮月はいつの間にか祠から興味を失い、今度は台地の隅にある塚を覗き込んでいた。
「あ、入っちゃだめ。あの、古墳って言ってた」
少し樫森が慌てる。
亮月は気にせずに中腰になって塚の中を観察する。
「古墳? へえ、これが前方後円墳? 知らないけど。ていうか、前方後円墳ってどういうの」
「字の通りだよ。前が方形で後ろが円形。あ、方形ってのは四角形ってことね。正方形とかの方」
長谷川が答える。
「方眼紙の方だな。じゃあ、全然これって前方後円墳じゃないじゃん。――樫森、これホントに古墳なの?」
「あの、古墳にもいろいろある……から。うちの初代の人のお墓じゃないかって」
――初代?
樫森の言葉を聞いた亮月は、二人の方を向いてギョッとした表情を浮かべる。
「ってことは、樫森のご先祖様? じゃあ、あまり近寄らない方がいいな」
――ゴメンな樫森、と亮月は素直に謝る。
「それはいいけど……。あの、ただその辺ってぬかるんでて、危ないから……」
樫森はそう説明するが、さすがの亮月も塚からは離れて、土のついた手をパタパタとはたく。そして、
「じゃあ、証拠って、このご先祖様?」
と言った。――そういえば、元々そういう話だった。
「あの、知り合いの人に鑑定してもらったの。そしたら、大体弥生時代後期から古墳時代のものじゃないかって」
長谷川は驚く。もし、これが出来たのが古墳時代だったとしても、優に千五百年ぐらいは経っている計算になる。もしそれが本当であれば、樫森の話も俄然信憑性を増してくる。亮月も少し感心したように息をついて感想を述べる。
「お前ん家すげえな。祠とか古墳とか。タイムスリップでもしたみたい」
――燃えるな。と亮月は長谷川に言う。そして、彼女は樫森に対して
「他にもなんかないの?」
とどん欲に無茶な要求をした。人の良い樫森は少し考え込む。
「あの、そういえば、一つだけ変な建物が――」
それを訊くなり、亮月は皆まで言わせず即決する
「よーし、長谷川行くぞ」
――亮月は良くても、樫森は大丈夫なのだろうか。と長谷川は心配になる。
これだけ自分の家の庭をガサガサと這い回られては、さすがに迷惑ではないのか。
「樫森さん、迷惑だったら言ったほうがいいよ」
それを聞くと、樫森は首を大きく横に振る。
「あの、そんなこと……ないから。あの、どっちかっていうと……楽しいし。いままで、他の人にこんな話しても……バカにされるだけだったから――」
亮月は少しホッとしたような表情を浮かべて笑う。心の中では少し樫森のことを気にしていたのかもしれない。
「バカにしてくるようなやつ、殴っちゃえばいいのに。あ、ホンキで殴っちゃだめだぜ。力加減して、こんな風に」
「僕にやるなって。そんな野蛮人、亮月だけだよ」
「私、ひょっとしたらクビカリ様の生まれ変わりかもな。あ、クビカリ様が野蛮なんてことは言ってないぜ。言ったのは長谷川だから、呪うならコイツだけな」
亮月がおどけている姿をみて、樫森はクスクスと笑い始める。
――樫森が笑ったのを見たのは初めてかもしれない。