5 岐路、灯は暗澹を産み、迷妄に落ちた英雄は骸を抱く(5)
その光景を見た瞬間――言葉を失った。
それはこれまでとは違う理由で――だった。
頭上から、ぼうとした白い光が降り注ぐ。
普段なら、儚い頼りない光でしかないのだろうが、これまで薄ぼんやりとした赤い光に慣らされてきた目には殊更にまぶしく感じられる。
瞳が――痛い。
それでも――それでも、それが見たくて精一杯に瞼を開ける。
そして長谷川は顔を上げる。
そ――ら
空が。
どこまでも、どこまでも広がる大きな空が。
明るい、暖かな黒の色に満たされた夜空が――そこにあった。
「出口だ!」
亮月が大きく叫ぶ。
そう、三人は遂に出口を見つけたのだ。
この限られた空間から、無限の空へとつながる通路を。
亮月が叫んだ直後、有坂の手元からじゅっという音が鳴る。最後の役割を果たして満足したかのように、ローソクの火が消えたのだった。それを見た亮月は顔をしかめ、
「なんか律儀な奴だったなコイツ」
と言う。その響きがなんだかおかしい。
そして、なにかちょっとした感慨に浸るように、三人はローソクを少しの間見つめていた。
「さて――」
口を開いたのは有坂だった。
「どう――しようか。十メートルぐらいあるよ、これ」
そう言われて初めて、長谷川は現状がそれほど楽観的な状態でないことを認識する。隠し扉を抜けて、今長谷川達は直径五メートルぐらいの円状の大地にいた。その大地を高さ十メートルぐらいの壁が周囲を巡っており、恐らく地上はその壁の上にある。言ってみれば長谷川達は井戸の中の蛙のような状態にあった。
「壁ですけど、でこぼことか結構あるし。登れますよ、きっと」
亮月は言う。彼女の言うとおり、一見して登れなさような壁ではない。特に、長谷川達が出てきた通路の対面にある壁は完全な垂直ではなく、やや斜めに角度がつけられており、取っ掛かりも多い。きっと古代人が洞窟と地上の行き来に使用したのがこの部分なのだろう。
「でも――落ちたら無事じゃ済まないよね」
有坂は小さい声でそう言った。
少しの間沈黙が流れる。
――よし!
沈黙を破ったのは亮月だった。
「ここは私が登る。それで誰か助けを呼んでくるよ」
亮月が――。
確かに亮月ならと長谷川が納得するのと同時に、その脳裏では地底の川での亮月の表情が自動再生されていた。
そして、長谷川は自然と自分の左手を見つめる。
あの大空洞の暗闇での手の感触が、まだ残っていた。
体力的にも精神的にも――亮月は限界だ。
長谷川はそう信じた。
「僕が行く」
その言葉は、自分でも驚くほど素直に口から出て行った。
「長谷川!? ダメだよ、落ちちゃうよ」
落ちたら死んじゃうぜ、と亮月は言う。
「私――そんなのイヤだ!」
彼女は長谷川の手をつかみ、離すまいとする。
大空洞の時のとは違う――彼女の意思を感じる力強い手だった。
しかし、長谷川は考える。今、亮月が言うことはそのまま彼女自身にも当てはまることなのだと言うことを。――落ちれば死ぬのだ。
――そんなのは厭――だった。
「僕はまだ大丈夫だからさ。大船に乗った気で待っててよ」
長谷川は明るい声色を作って言う。
「安心して、きっと登り切る」と。
「長谷川――」
なおも止めようとする亮月の手を、有坂が諌めるかのように引く。
そして、亮月はそのまま有坂に前の部屋の方へと連れていかれ、二人は姿を消す。そして何やら語りかけているらしい有坂の声が聞こえた。長谷川にははっきりと聞こえなかったが、どうやら説得させられているようだ。
暫らく後に、二人はまた長谷川のところへと戻ってきた。
完全に納得したわけではないのか、亮月は長谷川から目を逸らして座り込むが、再び長谷川を止めようとはしなかった。
有坂はそうした亮月の方に少しだけ目をやったが、平然とした顔をして長谷川の方に視線を戻し、長谷川君と呼びかける。
「私は――君が行くのが最善手だと思う。その前に、少し話を聞いてくれる?」
長谷川は黙って頷く。
「まず、焦らず足場を見つけて一歩一歩着実に登ること。――万が一にも落ちないようにね」
「はい」
「二つ目。落ちそうになったら、おとなしく落ちること。落ちないようにと下手にあがくよりも、頭とか大事な部分を守って衝撃に備えて。そうして、素直に落ちた方が助かる可能性が高いと思う」
「それも、わかりました」
有坂はその返答を聞くと、満足したように首を縦に振り、
「気をつけて」
とそっけなく言った。
拍子抜けするほどあっさりとした言葉の中にも、長谷川にはどことなく心配している風なニュアンスが含まれているような気がした。
――気のせいかもしれないが。
そうして一通りの話を済ませた後、長谷川は壁の方へと向かう。
それまでどこか、ぶすっとした顔をしていた亮月も、その段になると急に心配したような面持ちになる。
「おい。ゼッタイゼッタイ死んじゃダメだからな。絶対――生きて戻れよ」
有坂と違い、こっちの方はわかりやすかった。
「ありがとう。じゃ、行ってくるよ」
長谷川は出来る限り普段の表情をして、そう返答した。