5 岐路、灯は暗澹を産み、迷妄に落ちた英雄は骸を抱く(4)
「つかれたね」
有坂はそう呟き――髑髏が見つめるその前で、力なくふらりふらりと落下するように腰を地面につけた。笑っていても、怒っていても、いつも本当の表情を見せない有坂が――今、傍目から見てもはっきりとわかるように悲しげな顔をして崩れ落ちていく。頬と目を赤く染め、全てを失ったかのような絶望的な表情をしながら。
心の中からもれ出てくる悲鳴を抑えるように口を手で押さえながら。
そうして彼女はうずくまる。
その姿を見た亮月が小さく「え?」と声を上げる。
「厭だぜ。こんなところで立ち止まんの」
「ちょっと……休憩するだけ……。ローソクも切れるし――次の手を……」
顔を上げずに、有坂がくぐもった声でそう答える。
長谷川は――
亮月は抗議する。
「ダメだって! 手も何もローソク切れたら終わりだぜ。携帯だってもう電源ないんだから」
有坂は――もう、行く先が無いよ、と言って、顔を伏せながら首を横に振る。
有坂のそんな姿を――
「でも何か手があるはずだろ。とりあえず戻って」
「戻って――どうするの?」
「どうするって――」
「――それを今から考える。時間だけは有るんだから、いくらでも思索に費やせば良い」
有坂は呟く。
「きっとそんな状態も――悪くない」
見たくなかった。
「悪いです」
「ん?」
有坂が顔を上げる。また――表情を隠そうとしている。
「その状態は悪いです。間違いなく」
「感じ方は人それぞれだってさっき言ったじゃない」
声が細い。
「私は多分、その状態は――悪くないと考えると思う。何も無い空間でひたすら考え続けるのも良いものじゃない。それが――たとえ最期の瞬間まで続く時間だとしても」
それは人それぞれだよ、と彼女は言う。自分をだまそうとするかのように。
「でも悪いんです」
「――なんで」
「多数決です。――僕は悪いと思う。亮月は?」
「悪い、悪いっつーか最悪だよ」
亮月の答えを聞いて、長谷川は有坂に向き直る。
「二対一です」
「多数決は関係ない」
「関係あります。僕らが持っている光は一つしかないんです。これがなければ、こんな真っ暗闇の中じゃどこに行くことも出来ません。つまり、僕らはある意味で一心同体なんです。有坂さんが止まりたいと言っても、あなただけの意思で全ての行動を決めるわけには行きません」
「――だからといって」
有坂の異議を止めさせて、長谷川は強引に押し通す。
「有坂さん。僕にとって良い状態って、どんな状態だと思いますか?」
「知らない」
「有坂さん」
――有坂は黙る。
「さっき有坂さんが言っていたように、考える時間はタップリあります。少しだけで良いんです。僕の思考を推理するために、――少しだけ時間を使って下さい」
それを聞くと、有坂は諦めたかのように、ふうと小さくため息をついて俯き、目を閉じた。
少しの間だけ沈黙が流れて、有坂は口を開く。
「――わからない、けど。多分、普通の生活――じゃないんだろうね。長谷川君が私と最初に会ったとき、日常が退屈だの、変化がどうだの言っていた気がする。そして、今回のように波乱に富んだ生活を送りたいわけでも――多分ない。その中間かな。普通の生活の中に、少しずつ変化を求めている。そんなところだと思う――」
長谷川は黙って首を横に振る。
「ハズレです。僕は普通の、つまらない日常を望んでいます」
それを聞いて有坂は、後ろ向きな苦笑いを浮かべる。
「そう――酷いな。当たるワケ――ないじゃない」
亮月は黙ってやり取りを見つめている。
長谷川は話を続ける。
「じゃあ、僕の日常ってなんだと思いますか」
「また、問いかけ?」
有坂はまた少し笑って、面白いねと言う。
「ううん、長谷川君の日常ね。――毎日学校に行って一生懸命勉強をする。長谷川君はマジメだからね。家に帰っても、まず予習だか復習だかをするんだろう。家には家族がいる――たしか一人っ子だったかな。何にしろ、長谷川君は素直な性格だ。きっと家族関係は悪くないんじゃないかな。もっとも反抗期だから、家では意外と尖ってるのかもしれないけど」
その辺はわからないね、と有坂は細い声で言う。
「友人関係についても私はわからない。でも、まあ、悪いってことはないんだよね。なら休日なり放課後には遊びに行ったりもするんだろう。――カラオケとかゲームセンターって柄じゃないよね。なんだろ、案外街をぶらついたりして、喫茶店で他愛もない会話なんかをしてるのかな」
まあ推測だけど、と有坂は言って一旦言葉を切る。そして一度息を吐いて続ける。
「いずれにしても、それが最善の状態だとしたら、今の状態はかなり悪いんだろうね。そして――その最善の状態が実現することは二度と無いのかもしれない。
――だから今の状態は最悪だ、と長谷川君は思っている」
有坂はそう結論づけた。
「それも――ハズレですね」
「これも――ハズレ? ――想像力が足りないのかな」
有坂は自嘲気味にそう呟く。
「じゃあ、長谷川君の日常には何が有るの? 習い事かな? 趣味かな? ――いずれにしても、私は情報を持ってないよ」
「――有坂さんです」
「ん?」
「僕の日常には有坂さんがいるんですよ! いつも他人事のようなフリをしながら――問題があれば思索を巡らせて――どんなに困難な状況であっても――必ず解決してくれる――有坂さんが」
長谷川は大きく息を吸い込む。
「僕の――僕の理想的な状態は、いつものように亮月が明るく笑いながら――
いつものようにバカな事件を巻き起こして――
いつものように横目で見ていた有坂さんが――
いつものように事件を解決していく――
そんな――いつものような日常が僕の理想なんです」
「長谷川君、でも私は――もう」
「そんな日常は二度と訪れないかもしれない。――でも、有坂さんさえ諦めなければ、僕はきっと最期の瞬間まで希望を抱くことができるんです」
有坂は力なく首を横に振る。
「――解けないよ、私にはきっと」
長谷川は受け容れる。それがどんな結末になろうとも、受け容れる覚悟は有った。
「構いません。有坂さんが――有坂さんでさえあれば」
それを聞いて、有坂はまた俯いて顔を隠す。
「私が――私でさえあれば……ね」
そして彼女は何かを決意するかのように、ゆっくりと顔を上げた。
「他人任せだね。あまり良くないよ――いつものことだけど」
そうして、彼女はローソクを手に持って、立ち上がった。
彼女はパタパタと裾を払って砂を落とす。
そうして――前を向いた。
亮月は大喜びして言う。
「よし、よくやった長谷川! これで長谷川探検隊再結成だな!」
「そんなもの作ってない」
控えめな抗議も空しく、亮月は
「こうなったら私もいつもどおりに行動するぜ」
と言って考える。とはいえ多分、大したことは考えてないと長谷川は思った。
少し悩んだ後、亮月は口を開いた。
「うん、まずあれだな。隠し通路を探すんだ。さっき有ったさ、あんなのを探せばいいんじゃないか。ほら、例えばここの壁みたいに色が変わってるとこがあるだろ? こういうのを押したりすると、通路が現れたり――あれ」
ガタガタと音を立てて、壁が奥へと動き始めた。亮月がなにか不可思議な顔をしながら、更にそれを押し込むと、壁は完全に開ききって――通路が現れた。
「おい――開いたぞ」
亮月が上げた驚きの声に、有坂は無表情で指摘する。
「なに驚いてるの」
そして、彼女は笑みを浮かべて、こう言った。
「いつもどおり――でしょ?」