3 夕麗 Lost In Logic (18)
地底の大地。そんな言葉が頭に浮かんだ。
高台から眺める景色も壮観であったが、今、下で見ている地底は違った感動を長谷川にもたらした。
大空洞に堂々と敷かれただだ広い大地は、暗さも手伝って果てが見えない。
その大地には家と思しき石製の建築物がところどころに点在している。
上を見ると、天井が遥か彼方の上空に存在している。
天井の隙間からは白い光の帯が空洞を貫くように差し込み、あたかもステンドグラスから光が差し込まれている大聖堂のような神聖さを感じる。
耳からは、水の流れる音が静かに聞こえてくる。
静かな空間の中にも継続的に聞こえてくる音色があるため、さっきの通路のような無音の空間に比べると安心感が有る。
地上から風が吹き込まれたときには、まるで空洞自体が生命を持っているかのように音を響かせる。
――目をつぶってしまえば、全て夢の中の出来事のように感じるんじゃないか。
夢幻のような現実のような、そんなふわふわとした感覚に襲われながら長谷川は立ち尽くす。
そうしていたら急に痛み出した胸を両手で押さえる。
心の奥から絞り出されるように涙がこみ上げてくる。
この原因がなんなのかはわからないが、長谷川の中にある何かが、この空間と反応して生み出されてきた感情であることは間違いなかった。
ザッと誰かが足を踏み出す音が聞こえた。
それを契機にして、三人はふらふらと歩き始める。
誰かが言ったわけでも無かったが、目的地は一致していた。
この地底の中央に有る建物。――光が一番差し込む場所へ。
――外周壁も何もない、ただ箱だけの建築物。
石を積み上げて構築された建物は、外壁がボロボロになっていて崩れかけている。
補修のつもりなのかところどころ木材で支えられていて、建っているのが不思議なほどだ。
このリアリティの無い空間の中で、建物だけが妙な現実感を醸し出している。
「家……だよな」
壁に手をつけながら、亮月が確認するように言う。
「さっき見た鈴みたいのがたくさん落ちてるな。紐が切れちゃったのかな」
たしかに足元には、くすんだ色の丸い物体が転がっている。そこから視線を上げると、建物の壁が途切れている部分が見えた。
「ここが入り口ですかね」
長谷川はそう言って中に入る。屈まなければ入ることができないぐらいの高さだった。
潜るようにして建物の中に入ると、廊下も何もないただの部屋だった。こぢんまりとした内部は、歴史の教科書などで見た、昔の竪穴式住居を彷彿とさせる。
内壁には何やら絵が彫り込まれている。
「うわあ、これ壁画ってのじゃねえの」
亮月はそう言いながら、内壁に近寄って見つめる。
「これは――ドクロかな。これは人の首、血が垂れてる刃物――」
声はどんどんと小さくなっていき、遂に彼女は辟易としたような表情を見せる。
「……なんかグロイのばっかだな」
「なんかの戦いの様子を描いたものみたいだね」
逆に有坂は平然として、興味深げに壁画を眺めている。
「なんだろね、これ」
そう言われてもわからない。
経年劣化による壁のひびと重なって、壁画はかなりわかりにくくなっているが、亮月が言うように幾つかの絵は判別することはできる。他にも何個か絵らしい物が認められるが、何が描かれているのかはわからない。
気のせいかもしれないが、絵から不気味な怨念めいたものがにじみ出てきているように思う。
ふと気づくと、服の袖に妙な力がかかっているのを感じて、そちらを向く。見ると、亮月が袖を引っ張っていて、「おい、出ようぜ」などという。
特に異存も無かったので、なおも絵を見続けている有坂を促して外に出るが、どこか怯えたような顔をしている彼女の姿はやはりどこかがおかしい。
亮月は外に出るなり、
「もう帰るか」
と言い出す。
「ほら、携帯もヤバイし」
彼女は携帯電話のスクリーンを示す。確かにバッテリーの容量を示すゲージが残り僅かになっていた。
「携帯なら、私のもあるよ。長谷川君のも」
有坂はそう反論する。どういうつもりで言っているのか、表情が読めないのが逆に怖い。亮月は「でも――」と言って、珍しく口ごもる。
「なんか、嫌な予感するし――。さっきの絵とか見て何か感じなかった?」
と亮月は二人に問うが、長谷川は首を横に振る。多少、気になったとはいえ、あれはただの不気味な絵だ。
亮月は「まあ、お前はそうだろうな」とでも言いたいような顔をして、もう一人の方に目をやるが、有坂も「別に何も」とそっけなく答える。
「変な感触なんて無かったけどな、不気味なものはあったけど」
長谷川がこう答えると、亮月は
「二人が鈍いんだよぉ」
などと言いながら口を尖らせる。
「ほら、少しでも危なさそうだったら、すぐに逃げるって言ってたじゃん」
確かに洞窟に入るとき、そんなことを言っていたが、それは前へ前へと猪突していく亮月の行動を制御するためである。その当の亮月がその言葉を利用するというのは、ある種の開き直りや身勝手さを感じさせる。――よく言えば柔軟性があるといえるだろうか。
亮月の言葉を聞くと、有坂は優しく意地悪な笑みを浮かべ、
「まだ危なくないよ」
と言う。――怒っていたわけではないのか、と長谷川はその様子を見て安心する。有坂は恐らく、亮月が何故これだけ帰りたがる様子を見せているのか、理由を知っているのだろう。それを敢えてわからないフリをして、亮月に言わせるように仕向ける。言ってみれば、これまで人の心を顧みずに好き勝手に行動してきた亮月への意趣返しだ。
……と、いうことはやはり少し怒ってはいるのか。
そこまでを理解した長谷川は邪魔をしないように推移を見守ることにする。
亮月は「でも――」などと口ごもり、なおもあれこれ思案しているような姿を見せるが、やがて観念したらしく、うな垂れる。
「――怖い――から」
――怖い? 長谷川は思わず耳を疑う。
「怖い」と言うのは「恐怖」という意味の「怖い」だろうか。見れば、確かに亮月の顔は少し青ざめているように見える。考えれば――いや考えなくても、これまで亮月の行動がどことなくおかしかったのは、恐怖という感情が原因であったのは明らかだった。しかし、どうしても亮月と恐怖という感情が結びつかなかったため、長谷川の頭の中でその可能性は全て排除されていたのだった。長谷川は最終的に、結局亮月も一人の人間なのだ、という当たり前のことを再確認する。
亮月の言葉を確認した有坂は全てを了解したように「うん」と頷いた。
「じゃあ、帰ろっか」
そして、彼女は今度こそ本当に優しく微笑んだ。