1 春、猫追い、訪ねる樫の森の家(4)
「ほう」
亮月が声を上げる。中年の男性のような感嘆詞だが、思わず声に出てしまったらしい。
そうして彼女は前に進み、道路から敷地へとつながる門扉――というよりも壁とは対照的な洋風の白いフェンスの前まで行って、長谷川と樫森のほうに向き直る。
「なんだこれ。樫森ん家ってフゴーだったのか!」
「あの、そんなんじゃないの……。ただ昔からあるってだけで……」
樫森が申し訳なさそうに縮こまる。
――彼女が恐縮しなきゃならない理由なんてひとつもないのに。とそれを見た長谷川は思う。亮月の興奮は止まない。
「樫森。お前、これ学校のみんなに見せたらいいんじゃないの? みんなビックリして腰抜かすぜ。――あ、抜かさないか、いまどき」
何が「いいんじゃないの」なのかは長谷川にはわからなかった。歩いていたとき、二人で学校のことを何か話していたのかもしれない。
「腰を抜かすとか、抜かさないとかに、時代は関係ないだろ」
「そうかな。でもさ、同い年のやつらが腰抜かしてるの見たことないぜ、私。あれ、きっとおっさんとかだけなんだよ。昔懐かしき昭和の香り――みたいな」
そんな無意味な会話をしているうちに、樫森はアルミ製の白いシンプルなフェンスを開く。
「――あの、入って大丈夫だよ。立ち話も、あの、なんだし」
敷地内に足を踏み入れる。
――広い。
これまで狭い住宅地を抜けてきたせいか、尚更そう感じた。
木々は思っていたより多くない。敷地の境には何本か高い木が生育していたが、それ以外はぽつりぽつりと点在しているに過ぎなかった。
全体的に敷地は、自然のままの姿を維持しているようだった。地面は芝が植えられることなく、土のままの色を保っていたし、起伏がそのまま残された土地は、奥に向かって勾配がついている。
奥の方には生垣が設けられているため、そこから先は把握できない。
そのためどこまでが樫森家の土地かはわからないが、奥行きは相当にありそうだった。
家自体は敷地の入口から、十メートルぐらい離れたところの左手に建てられている。木の香りを感じるような和風様式の建物だったが、年季自体はそれほど入ってなさそうだった。
また、建物自体も土地の広さに比べれば、それほど大きいものではなく、普通の家の二倍程度の面積だと思われた。
――まあ、十分大きいのだけれども。
共働きの家庭なのか、家は留守のようだった。樫森は自分の鍵で家のドアを開けて、長谷川たちを招き入れる。
入った途端、長谷川は下駄箱の上に置いてある奇妙な物を発見する。だいたい五十センチメートルぐらいの鉄製の円筒である。円筒の天辺付近からはレールのような物がなだらかに下の方へと下りてきている。
少しの間それを見ていると、急に円筒状の物体が開き、中から篭のような物が出てくる。篭はレールにぶら下がりながら、ゆっくりと下まで進み、やがて着地する。また少しすると、篭はゆっくりと上がっていき、再び円筒の中へと収納された。
――インテリアだろうか、それにしては不格好だが。と長谷川は思う。なおも興味深く見つめていると、
「それ、気になる……?」
と樫森に尋ねられた。
「これ何なの?」
長谷川は訊く。すると、樫森は、
「ごめんなさい、私もわからなくて……。祖父が作ったみたいなの」
と恐縮して答える。何でも、樫森の祖父は電気技師だったらしい。機械仕掛けの装置を作るのが趣味だったらしく、祖父が他界して十年以上経った今でも、家の物置には使い道のわからないカラクリが散乱しているのだそうだ。
このモノレールのような物もその一つで、何でも「デウス・エクス・マキナ」という名前なのだという。名前だけはやけに格好良い。
その機械に別れを告げ、長谷川たちは樫森邸の廊下を進む。そして、二人はいまどき珍しい、縁側のある畳の部屋に案内された。
樫森の部屋かと一瞬期待したが、生活臭を感じない綺麗に整理された部屋だったので、客間だとわかった。
亮月は樫森の敷地に入って以来、何を思っているのか黙ってキョロキョロとしていたが、縁側を見るなり目を輝かせて、
「縁側座ってもいい?」
と訊いて、樫森が頷くや否やガラス窓を開けて縁側に乗り出した。
長谷川はやれやれと思いながらも、亮月から少しはなれて同じように座る。マンガやドラマでしか見たことがない「縁側」への憧れは、長谷川にも少なからずあったのだ。
樫森はお茶を持ってくると言って部屋を出ていく。
「すげえな」
亮月は足を前に投げ出してそう言った。
――うん、と長谷川は小さく返事をする。
華美な装飾が施されたわけでもなく、最低限の整備しかされていないであろう樫森家の庭。
それでも春の日差しを受けたその場所は、自然のありのままの姿で輝いている。
そして庭から頬をなでる暖かい風は、ほのかに土のにおいを運んでいるようだった。
亮月は後ろ手をついて、明るい空を見上げる。
「樫森ん家って金持ちだったんだな」
「あの、それはだから昔から有るだけで――」
気がつくと、樫森が部屋の入口で御盆を持って立っていた。