3 夕麗 Lost In Logic (14)
「なに……これ」
有坂が呆然と立ち尽くす。
外に漏れたエレベータの明かりが、岩盤を照らす。
「洞窟――」
ポツリと長谷川は現状を言語化する。
かなり大きな洞窟だ。
天井は地面から二メートルぐらいのところにあり、大人でも余裕で歩いて通れるぐらいの高さが確保されている。
左右は五メートルはあるだろうか。三人で並んで歩いても窮屈さは感じないだろう。奥行きは――よくわからない。深く濃ゆい黒の色は、どこまでも遠く空間を覆っているようだ。少なくとも、明かりが届く範囲には行き止まりが存在していないことは確かだった。
「なんでこんなところに洞窟があるの」
あまりの出来事に思考が停止しているのか、有坂は思ったことを片っぱしから吐き出しているようだ。
「それは」
――わかりませんが、と長谷川は言おうとしたが、もう一人が発した調子外れの声にかき消される。
「洞窟!」
亮月は叫ぶ。そして、二人の反応がないと見るや、もう一度言う。
「おい、長谷川洞窟!」
「知ってる」
期待していた答えではなかったらしく、亮月はきょとんとする。
「なんでそんな冷静。洞窟、洞窟。町の下に洞窟」
「わかったから、縄文人は黙ってて」
その言葉はわかったらしく、亮月はぶすっと顔を膨らませる。
「なんだよ縄文人て。じゃあ、現代人ならどうするのが正しいんだよ」
「こう、目の前にある現状を分析して、考えるんだよ。この状況はいったいなんなんだって」
情報社会に生きる人間として、実に知的な回答をしたつもりだったが、「考えたってわかんないよ。こんなの」とあっさり一蹴される。
そうして他人の言葉を袖にしておいて、亮月は洞窟内に足を踏み入れる。そして、指で数を示しながら、
「神隠し、鳥居、エレベーター、洞窟」
と不可思議な今を構成している要素を一つ一つ羅列していく。最後に彼女は人差し指で壁を示し、
「緑の壁」
と言った。
「緑の壁――」
確かに洞窟の壁はなにやら場違いな緑に彩られている。
「なんでこの壁、光ってんの。緑だし。ちょっと気味悪ぃよ」
その言葉を聞いて、それまでエレベーターの中で立ち竦んでいた有坂が洞窟の方まで歩み寄る。顔色がやや青ざめているのは照明のせいではなさそうだ。神経質で繊細な彼女には、これまで起こってきた出来事が負担になりすぎているのかも知れない。
彼女は一人握っていた手をエレベータのドアに掛けて洞窟を覗き込む。
「ほんとだ――緑に光ってる」
長谷川はつかつかと壁に向かい、その緑の物体を観察する。
「あ、これヒカリゴケだよ。昔見たことある」
「ゴケ? へえクロゴケとかセアカゴケなら知ってたけど、ヒカリゴケってのもいるんだ。でもコイツら動かないぜ」
亮月はどうにも意味の通らないことを言いながら、薄気味悪そうに緑の物体を眺める。
「変なクモだな。死んでんのかな」
「クモ? 違うよ。コケっていってるじゃん。植物だよ――ああ、クロゴケグモとかセアカゴケグモと同じ種類かと思ったの」
「そうそう。ま、違うんだな。よかった、こいつらが襲ってきたらどうしようかと思った。虫は苦手なんだ」
「あれ、苦手なもんなんてあったんだ」
いつも傍若無人な彼女にしては、少し意外に感じる。殊更に虫が苦手なイメージなどは全く持てない。亮月が小学生の頃などは、夏休みになるとTシャツ半ズボン麦わら帽子の三点セットを身につけて、朝一番から森の中で虫取りをしていたのだろう、などと長谷川は想像していた。もちろん、虫取り網などは使わず、彼女は木にガシガシと登りながら手づかみでワシワシとセミを捕まえて籠に放り込んでいくのである。その勇壮な姿などは女子からはもちろん、男子からも憧れの的だったはずだ。そして常にリーダーシップを握りながら、ムードメーカーとして男子とも女子とも仲良くやっていたのだろう。
そう、小学校の時分はそれで良かったのだ。
しかし、中学にもなると、亮月の存在は異質に見られ始める。男子のような言動を繰り広げる亮月は、女子からは距離を取られるし、思春期真っ只中の男子にも心は開けない。
――じゃあどうすれば良いんだろう。
そんな苦悩の中、精一杯自己を確立しようとした結果、今のような彼女の突拍子もない言動に結びついたのだ。
――などと、長谷川は勝手に思い込んでいたのだが――。
「クモもゴキブリもコオロギも全部苦手」
――じゃあ、お前のその言動は一体なんなんだ、と長谷川は心のなかで思う。亮月はそんなことを知る由もなく、虫嫌いの理由を説明する。
「あいつら物陰に隠れんじゃん。あれが怖えんだよ。しかも集団で襲ってくるし。だから虫はダメ」
――好きな虫ったら手塚治虫ぐらいだな、などと亮月は続けたが、長谷川は聞こえないフリをして、コケを観察する。亮月は悪びれた様子もなく、長谷川の横につく。
「すごいなコイツら。自分で光を生み出すんだ。でもさ、ヒカリゴケって危なくないの」
今度は、真っ当な質問だった。
「毒性とかはなかったと思う。あと、自分で光るわけじゃないよ。洞窟内に降り込んでくる微量な光を反射してるんだ」
「光なんて――ああ、エレベータの。だから洞窟の奥の方は明るくないんだ」
そう言って、洞窟の奥に向かって視線を投じる。当然、奥は真っ暗で何も見えない。
「あのさ。帰った方がいいよね。これ」
今まで黙ってた有坂が、長谷川の後ろから声を投げかける。
彼女にしては珍しい、強い調子だった。