3 夕麗 Lost In Logic (11)
「一週間ぐらい前、僕と亮月がこの辺まで調査に来たとき――」
長谷川はポツリポツリと話し始める。
「鳥居付近は暗くて、足元がやっと見えるぐらいだったんです」
有坂も亮月もその言葉に黙って頷く。
「だから、十メートルも離れると、鳥居のそばに立っている人の姿は、はっきりとは見えないんです。せいぜいボンヤリと人影らしき物が見える程度で――それもこの間確認したことです」
これにも亮月は大げさに頷く。少しでも話しやすい環境を作ろうとしてくれているのかもしれない。
「亮月も土師さんも、ボンヤリと見えていた人影がその場から忽然と消えてなくなってしまったから、『人が消えた。闇に飲まれた』そう言ってるんです」
それを聞いた有坂は少し表情を曇らせる。察しの良い彼女は、この後の話をすでに見通しているようだった。長谷川は気にせずに、そのまま話を続ける。どんなに怪しまれようが、今さら話を止めるわけには行かない。すでにルビコンの川は渡ってしまったのだ。
「つまり、人間が消えたのをちゃんと見たわけじゃない。だよね亮月」
「まあ私はそうだよ。土師さんは知らないけど。でも、確かにあの口ぶりだとそんなにしっかり見てる感じじゃなかったな」
思い出すようにしながら、亮月は答える。
有坂が口を開く。
「ええっと、長谷川君の言いたいのってさ。人影さえ急に消すことが出来れば、人自体が消えたように見えるんじゃないかってことだよね。例えば、鳥居の影とかに急に隠れたりとかして」
「大雑把に言えばそうですね」
アントワーヌ・ラヴォアジエの質量保存則を出すまでもなく、人は消えることはできない。だが、光による明暗でしかない人影なら容易に消すことができる。
――しかし、有坂は眉根を寄せて、その仮説を否定する。
「無理――じゃない? 気付くでしょ。いくらなんでも――ね」
亮月も小さな声でその言葉に賛同する。彼女はどちらに加勢すべきか態度を決めかねているようだった。そして長谷川は、
「もちろんです」
と同意する。話をするうちに、当初の緊張もほぐれ、だんだんと心地良さを感じるようになってきた。
「幾らなんでもそんな動きだけで、人が消えたように見せるのは無理でしょう。人間には想像力っていうのがありますからね。少しぐらい影が不規則な変化をしても、脳内で動きを補完して、合理的な理由を付けることができる。だから、人が鳥居の影に隠れただけで『神隠し』だなんて思い込むようなことは――通常ない。特に科学的な素養のある土師さんならそうでしょう」
――しかし、と長谷川は言葉を繋げる。有坂の真剣な視線が長谷川を刺してくる。
「全く予想外の動きをしたらどうでしょうか。亮月や土師さんが思いもつかないような不条理な行動」
「――不条理な行動」
有坂は復唱する。
「あの、フジョーリな行動ってどんなの」
訊きづらそうに亮月が尋ねる。
「常識的に考えてありえない行動とか、不自然な行動だとか、そういうこと」
それを聞いて亮月は、「スットンキョウってことか」などと言って納得する。理解出来てるかは怪しい。
――とにかく
「そんな行動をとられたら、脳が混乱を起こすことは想像に難くありません。しかも、この鳥居の周辺は真っ暗闇です。歩くのは尋常じゃないぐらい怖い。――それは有坂さんも認めるところです」
「不条理な行動による脳の混乱。それと暗闇による恐怖心。それが相互に作用した――と」
「それが――神隠しの正体だと思います」
有坂は上を向いて考え込む。表情を見る限り納得しているとは思えない。
「でもさ、それ――そのさ。不条理な行動ってなんだったの。それがわかんないと、なんというか、ダメじゃねえの。地面に潜ったとかさ、そんな証拠があるんならナットクできるけどさ。なかったじゃんこの前調べたら」
長谷川は亮月の発言に頷く。その言葉を待っていた。
「地面に潜った。そう、僕は隠れるなら地面の下しか無いと思ったんだ。何しろ、この辺りにはこの鳥居以外の遮蔽物が無いからね。」
そういって、長谷川は赤い鳥居に手をかける。推理ショーは遂に佳境に入った。
「でも、それが間違いだったんだ。神隠しにあった人は地面に潜ったわけじゃない。――逆だ」
「ぎゃ、逆?」
亮月は目をまん丸にして口を開ける。
「――空に――舞ったんだよ。その人は」
「ソラ? ソラってあの空? と、飛んだってこと? 羽とかつけて、鳥みたいに?」
彼女の驚く顔に、長谷川は会心の笑みを浮かべる。有坂の方にも目をやると、彼女もきょとんとした顔をしていた。半信半疑といったところかもしれない。それを確認した上で、長谷川は推理を続ける。答えはこの推理の先に有る。
「そのキーになるのが――」
「キー? これ――だけじゃないの。今回の手がかりになりそうなものって――」
有坂はカバンの中から、決定的なツールを取り出す。
「そう孫の手です」
「ま、孫の手でどうやって、空飛ぶんだよ。あ、これを両手にもってバタバタさせるのか。翼みたいだもんな、孫の手の先端って」
亮月は興奮しながら、「すげえ長谷川。よくわかったな」と長谷川を褒め称える。予想外の方向に話が動き始めて長谷川は少し慌てる。
「ちょっとまって。いくらなんでも飛べるわけないだろ。――そうじゃなくてさ」
そう言いながら、長谷川は鳥居を見上げる。つられて有坂、亮月の二人も顔をあげる。
「見た通り、この鳥居は複数の木材を重ね合わせて出来ているんだ。積み木みたいにね」
そう、この鳥居は普通の鳥居とは決定的に違っていた。
「だから、そこらじゅうにツナギ目がある」
長谷川は有坂から孫の手を受け取り、それを鳥居と平行に掲げる。
「この孫の手の先端をこうやって、鳥居の窪みに引っ掛けて――」
そう言いながら、孫の手を地上から三メートルぐらいのところの窪みに引っかける。
「登っていくんだよ」
そこまで言って孫の手に体重をかけてみせようとした途端、ガチリと何かを押したような変な感触を覚える。そして、その感触をトリガーにするように妙なモーター音が静かに響きはじめ、長谷川たちの目の前に暗闇が広がっていく。
暗闇が覆うのはこれまで存在していなかった空洞、新たな空間である。そして、そこはこれまで鳥居の柱が有ったはずの場所であった。
「――」
有坂はポカンと口を開ける。
「ど、どういうこと。なんで――なんで――」
右手に孫の手を掴んだまま、長谷川は狼狽する。
「すごいね。長谷川」
亮月は言う。
「事件、解いちゃった」
そして彼女は破顔した。