3 夕麗 Lost In Logic (5)
なるほど、と長谷川は思う。
確かに亮月が土師や他の人から、神隠しの話を聞いたとは考えにくい。そうなると、彼女自身が神隠しを目撃して――長谷川がそう考えていたとき、
「ちょっと待った」
と声が上がる。亮月の声だ。
長谷川は対面の席に座る彼女の顔を見る。彼女はさっきまでべたりと机の上に寝そべっていたのとは打って変わって、今は机から身を乗り出すように異議を唱えていた。
「なに。もしかして、亮月の周囲の人は変わった人だらけだ、って仮定を復活させるつもり?」
そうであれば、いかにも往生際が悪い。しかし、亮月は首を横に振り、
「違うよ」
と言う。そして、
「他の可能性もあるんじゃないの。例えば――私が情報を隠しているとか」
とゆっくりとした調子で可能性を提示した。
――情報を隠しているというのはどういうことだろう、と長谷川は思う。
よくわからないが、それでこの情勢が変わるとは思いにくかった。長谷川は訊く。
「それってどういう意味があるの」
「どういう意味って――そうだな。私が話を聞いた人は、神隠しの情報をすげえ持ってたんだよ。証拠もあったし、誰が神隠しにあったかも知ってたしな。でも私は、その具体的な情報は何も言わないで隠してるんだ。――何で隠してるのかはわかんないけどさ」
彼女の話は案外劣勢を挽回するのに効果的だと思った。何故なら――
「これなら、私が誰かに話を聞いた可能性って否定できないんじゃないの」
――ということだからだ。
確かに、情報ソースが幾ら具体的な話をしたとしても、亮月がその話の一切を隠していたとすれば、長谷川たちにその情報の本来の姿を知ることは不可能だった。さすがにこれは否定しきれないのではないかと、窓際に座る有坂の顔を覗ったが、彼女は静かな顔立ちを崩していなかった。そして、少しだけその顔に笑みを浮かべ、
「それも――あり得ないよ」
とあっさりと言う。そうして、彼女はまた亮月の方に顔を向けた。さっきのように、罠に絡め取られてはたまらないと思ったのか、亮月は身構える。
「一つだけ訊きたいんだけど」
その言葉を聞いたとたん、亮月は「うう」と呻くような声を上げて、
「なんでしょう」
と細い声で応じた。
有坂は笑う。
「そんなに身構えなくて良いよ。簡単なことだから」
そう前置きしながら、彼女は座っていた椅子の位置を改めて、座り直す。
「亮月はこの事件に私たちを巻き込みたがってる?」
訊くと言いながら「はい」としか答えられないような質問だった。もし、「いいえ」であれば、有坂はこの言質を利用して、今後この話には一切関わり合いになろうとしないだろう。とにかく神隠し事件の調査をして解明したい亮月にとって、有坂の離脱は大きな後退になりかねない。
亮月は案の定、
「巻き込むってのはちょっと違うけど、それはそうかな。巻き込むってのは違うけど」
と一部分だけを強く否定して、大筋は認めてしまった。
有坂はそれを聞いて小さく「ん」と言い、「そうだよね」と亮月の言葉を肯定する。
そうして有坂は、用は済んだとばかりに、視線を亮月から長谷川へと移す。材料はそろったらしい。
「これで可能性の三つ目は否定された」
――やはりそうだった。と長谷川は思う。
「なんで?」
さすがにたまりかねたらしい亮月は疑問の声を上げる。有坂はゆっくりとした口調でそれに答える。
「だって――事件に巻き込みたがってるのに、なんで亮月は自分の持っている情報を隠そうとするの?」
「え?」
亮月は一瞬目を丸くしていたが、やがて腕を組んで考え始める。
長谷川はそういうことか、と思う。確かに亮月が神隠しについての情報を知っていたのであれば、惜しみなく披露していたに違いない。それこそ昨日のように、神隠しにあった本人を連れてくるぐらいのことはするかもしれない。
何故なら長谷川たちをこの事件の調査解明に駆り出したいからである。それはさっき本人も渋々ながら認めていた。
それなのに――その亮月が殊更に情報を隠そうとするのは道理が通らなかった。
その亮月はようやく考えがまとまったのか反論する。
「なんかあったんだ、隠さなきゃいけない理由が。言わないけど。それはそっちで考えて――」
「駄目」
せっかくの屁理屈攻撃も、有坂によって即座にいなされる。
「例えば、聞いた情報が明らかに怪しすぎる場合なんかは、相手に隠そうとするかもしれない。信憑性に疑問が出てきちゃったら、相手を巻き込むのも大変だしね。でも、さっきも言ったように目撃者も被害者も出てこないのはおかしい。この二つは疑わしい情報になりようもない」
そう有坂は言うが、長谷川は少し考える。例えば――被害者が有坂だったとか――そういう場合は疑わしい情報になり得るのではないだろうか。或いは、目撃者が犬だとか幽霊だとか――。
そこまで連想して、長谷川は自分で自分の考えを否定する。さすがにこんな与太話は亮月といえども持ってこないだろう。
有坂は話を続ける。
「それに――多少怪しい情報だったとしても、躊躇無く公開するでしょ――亮月なら」
長谷川とは逆の見解だったが、それはそれで有りそうだった。そもそも、『神隠し』などという時代錯誤な代物を実際持ち込んできているわけだから。
――ともあれ、
「じゃあ、亮月が情報を隠し持っているって可能性はないんですね」
ということだった。
話もついに幕が下りそうだ。有坂は言う。
「一個だけ隠してるけどね。目撃者が自分だって」
そういえばそういう話だった。よく考えると、亮月が目撃者の事件なんて相当に怪しい。極端に言ってしまえば、信頼度はほとんどゼロといって良いかもしれない。ひょっとすると、彼女もそれをわかっていたからこそ、その話を秘匿しようとしていたのかもしれない。
そう、やはり亮月は自分で事件を目撃したのだ。そして、信憑性に疑問が出るから目撃者の情報を隠した。何故なら亮月は事件に信憑性を持たせて、長谷川たちを巻き込むつもりだったからだ。
そうでなくては、自分の知っている情報を隠す理由など一切無く――
「ちょっと待ってください」
長谷川は異議を唱える。
「なんで、亮月は自分が目撃した事件の内容を隠しているんですか」
そうだった。亮月は自分で事件を目撃しているのだ。それならば、その事件についての情報などは誰よりも持っているに違いない。それなのに、その話を一切しようとしないのは妙だった。例え目撃者が誰であるかということを隠したとしても、それ以外の情報については漏らしてしまってもいいはずだ。それこそ「誰かに聞いた話」として。
自分のロジックが否定された有坂は、すんなりと、
「そこだよね。この話の矛盾は」
と認める。
――認めてしまっても良いのだろうか。
長谷川は問おうとしたが、有坂の方が先に話し始めた。
「ただ、一つだけこの矛盾を解消できる可能性がある」
それは――
「自分で見た昨日の事件について話せるような情報を、亮月は持っていない」
そんなことが――有り得るのだろうか。
自分で見たのに、何も知らないなんて。
「その場にいたのに、情報を持ってないってどういうことですか?」
長谷川が当然の疑問を口にする。
「うーん、そこまではわからないんだけど――例えば、ふと目を逸らした瞬間にさっきまでいた人が消えていたとか、そんなレベルの話なんじゃないの」
そこまで言うと、有坂はふと亮月のほうを見る。
亮月は何も知らないかのように目をつぶるが、口元が笑っている。