2 部室、去りし古を語り、釣れる禍神(9)
「霧が出たのって、音がしてからなの?」
それまで本を読んでいた有坂が、こちらを向いていた。
「どういうこと?」
土師が訝しげに聞く。
「その日は霧が出そうな天候だったかってこと。元々、霧がちだったのが濃くなったのか、いきなり霧が出始めたのか」
有坂の問いに、土師は記憶を手繰るような顔をして、
「そういえば、元々霧がちだったかも」
と答えた。
「それって、たまたま霧が濃くなって人が見えなくなっただけって話はないの、かな」
「それはないわ。――確かに霧が出たのは科学的に説明できるかもしれんがな。でも、いくら霧が濃くなったとはいえ、人影って結構ハッキリわかったんだわ。それがなんの前触れも無く、一瞬でなくなったんだ。いや――」
――前触れはあったのかな。
最後はかなり小さい声だったが、有坂にも聞こえたらしい。
「前触れ?」
「なんか一瞬、闇が」
土師の声が更に小さくなる。
――闇。
長谷川は何故かその語感に恐怖を覚える。日ごろ決して口に上らない単語だからかもしれない。日常から隔離された言葉。そんな気がする。
「土師さん。闇って――」
亮月が不安そうに土師の顔を見つめる。――亮月も初耳なのか。
「いや、こんなこと言ったら変に思われるかもしれないけど」
土師はためらう。
「土師君」
有坂にも困惑の表情が浮かんでいる。
長谷川は額をぬぐった。なぜか汗がにじんでいた。
いつのまにか太陽は沈み、部室は夕闇に満たされつつある。
土師がゆっくりと口を開き、長谷川は焦る。
ここから先を聞くと、二度と日常の世界に戻ってこられないような
――そんな気がした。
暗闇は速度を増して室内を覆いはじめる。
止めるべきなのではないのか、土師が次の句を告げる前に。
長谷川はもう一度、窓際の席を見る。
有坂も亮月も、すでに影に取り込まれていた。
――闇が、土師はもう一度繰り返した。
「闇が――人を襲ってきたんだ」