2 部室、去りし古を語り、釣れる禍神(5)
何やら話が大きくなってきたのに焦った長谷川は頭を整理する。
――そもそも、何の話だったか。
確か樫森の家が二千年前から有った、という事を有坂に話したところから、この話は始まっている。そうしたら、有坂が「ナビトじゃないか?」というようなことを言い出したのだ。
そのナビトという勢力はヤマト王権の前身となる勢力に滅ぼされたらしい。そして、そのヤマト王権の前身となるような勢力――例えば邪馬台国とか――が、三世紀から五世紀にかけて日本を統一していったと――少し話が見えてきた。
「つまり、その統一過程において、ナビトという勢力が滅ぼされたわけですね」
有坂は、ひとつ頷く。
「ナビトは、板東諸神謡っていう――まあ神話みたいなもんだね。それに出てくるの」
「神話なら嘘じゃないですか。日本書紀とかもかなりうさんくさい内容だって聞きましたけど」
そう聞いたことがある。有坂はその問いにも頷く。
「もちろん、嘘っぽい内容もあるよ。ウサギやカラスが口を聞いたり、人が何百歳も生きたり。ニニギノミコトが降臨した頃なんて、百八十万年前だよ。そんな昔、北京原人とかマンモスぐらいしかいないよ。――でも、神話というのは、何かのモチーフの上に成り立っていることが多いんだ」
――モチーフ。
「実際にあった出来事とかを元ネタにして、脚色を加えるんだね。例えば、神武天皇が三本足のカラスについていって東征したなんてのは、明らかにフィクションだよ。でも、ヤマト国を治めていた初代のリーダーが、東に向かって移動したってのは有り得る話なんだ。その頃の最新技術――農耕とか青銅器って、全部中国の方から来てるじゃない? となると、当時の列島では、九州とか西の地方に一番強力な勢力がいた可能性が高い。でも、初代のヤマト王権の首都は奈良でしょ? ということは何らかの形で九州の勢力が東に移動してきたって可能性はあるわけ。その移動ってのが軍事的なものだったかどうかはわからないけどね」
有坂はそう言って、長谷川の対面から椅子を持ち出し、長谷川の隣に座る。
「その勢力が東に向かったっていう話が神話に仮託されて、歴史に残っているわけですね」
「ん。だからナビトってのも、中央勢力に抵抗する一勢力を神話に仮託したんじゃないの」
実在した存在が、神話に仮託されて歴史に残る。
人間の姿として記録されたものだけが、人間の歴史ではないということか。
「ナビトっていうのは、神話上ではどんなふうに書かれているんですか?」
「結構ひどいよ。えーっと、検索しても出てこないのかな。確かね、ナビトを統率してた神様がいて、名前なんだったかな。――アマツミカタ? なんか違う気がするけど」
「『クビカリ様』じゃないんですか?」
「そんな名前じゃないよ。とにかく、それがひどい神様で、仲間を集めて周囲を荒らしまわってたんだってさ。人を次々に斬り殺したり、牛を甕の中に押し込めて殺しちゃったり。しかも、下手に体が大きかったから誰も止められない。
神話には山を覆うような巨体って有るよ。この辺のスケールはさすが神様といったところだね」
長谷川はふと窓の外を見る。微かに小さな山が見える。
なんという名前だったか――。標高は二百メートルもないだろう。
あの小さな山程度の体格だとしても、とてつもない大きさだ。
「そんな巨体を使って、牛を甕に閉じ込める? なんでそんな無駄なことを」
「ま、その辺は誇張表現だろうね。とにかくひどかったので、それに業を煮やしたタケミカヅチって神様が、征伐に向かったんだ。タケミカヅチってのは軍神だね。えーっと、鹿島神宮の御祭神だったかな。でも、さすがの軍神といえども、山に比肩するような巨体をおいそれとは相手にできない」
それはそうだろう。タケミカヅチという神様がどれくらいの体だったのかは知らないが、山を覆うような巨体を持った神様がそうそう居るとは思えない。
有坂は長谷川の顔を見ている。意図は――読めない。
そうして、何か一回頷いて話を続ける。
「どうしたかと言うと、アマツなんとかって神様を騙して、穴に閉じ込めたんだ。穴っていってもホラ穴じゃないよ。四方何キロとかっていう、大洞穴」
――大洞穴。山のような神様を収めるとしたら、それくらいのサイズは必要だろう。
「で、それでメデタシメデタシかと思ったら――昔の神様ってのは結構ひどいんだね。その穴の中を火攻めにしたらしい」
「火攻めって、穴の中に火のついた松明か何かを投げ込んだってことですか?」
「そうそう。それで結局アマツなんとかって神様は焼け死んで、わずかに生き残った仲間は降伏した。それで今後、一切ヤマトの神々に反抗しないことを誓ったんだって」
四方数キロの大洞穴を丸々火の海――壮絶な光景だ。
さすがに虚構だとは思う。ただ――
「もし、それが完全なフィクションじゃなくて、何かのモチーフだとしたら」
「樫森さん? っていう家が、そのナビト族の生き残りで、代々その焼死した神様を祀っているんじゃないかな」
――神様って焼死するのだろうか。と長谷川は一瞬思う。そういえば、火の神様を産んで焼死した神様の話を昔読んだ気がするが、はっきりとは思い出せない。
いずれにしても、有坂が言った「神様」というのは、元々人間だったものが、死後に神格化されたものなのだろうから、当然焼死もできるのだろう。
「でも、負けた方の神様を祀って大丈夫なんですかね。そのタケミカヅチとかいう神様に文句言われたりとか」
「ナビトの神様ってさ、相当ひどい神様だったって話だし、祀らないで祟りとかあったら嫌じゃない」
確かにそうかもしれない。生前に壮絶な生き方をした人間は、死んでからも何かと畏れられるのだ。時代は下るが、祟りを恐れて菅原道真だのや平将門だのを丁重に祀ったりしているというのを、日本史の授業で聞いたことがある。
ひょっとすると、樫森の家の神様も死後に祟りのようなものを為して、初めて祀られたのかもしれない。
それにしても、その歴史がひとつの家に連綿と受け継がれているというのは、歴史のロマンを感じさせるものが有る。
有坂にそう感想を伝えると、彼女もそれに同意する。
「でも、この話にはひとつ弱点が有る」
――弱点? どういうことだろうか。
「痕跡が無いんだよ。ナビト族が実在していたという」
「というと遺跡とかですか。なんか古墳とかはあるみたいですけど」
「古墳っていっても、ちょっと土盛ったぐらいの規模なんでしょ? それだったらいくらでも作れるしね」
そういって、有坂は席を立ち、部室の窓に向かう。
「人が集団生活していた痕跡なんかが無いと厳しいと思うな。ヤマト王権に抵抗したっていうなら、ある程度武器なんかが出土しててもおかしくないわけだし」
有坂は、遺跡など一切見当たらないであろう、外の景色を眺める。
長谷川は訊く。
「武器とか、でてないんですか、この辺」
有坂は――銅剣とか銅矛とかかな、と言う。
「私の知っている限りでは、出てないよ一切。弓ぐらいなら出てるみたいだけど、弓なんて狩りにだって使うしね」
――結局は神話だけの世界の話ということか。
長谷川はあからさまに落胆する。
いつの間にか、そのナビトとかいう民に入れ込んでしまっていたらしい。
「まあ出雲神話みたいに、神話の世界だけかと思われてたのが、ある時突然大量の銅剣が出土されて一気に信憑性が増した例もあるからね。まだわからないよ。さて――」
有坂はそう言って、机の上にあった本を持ち、脇に抱える。
「あれ? 帰るんですか?」
「本読み終わったから、図書室に返してくるよ。また戻ってくるけど、長谷川君はそろそろ帰る?」
そう言われて、改めて窓の外に視線を投じるが、まだ日は高かった。
長谷川は静かに首を横に振る。
「いや、僕はもうちょっと、無為の時間を楽しみますよ」
有坂はそれを聞くと、微かに笑って
「大魚が釣れるといいね」
と言葉を残して、部室の外へと歩み出していった。