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サスペンスミステリー

第一話、金もない、地位も無いの一匹の刑事崩れの男が、、社会の悪徳権力者と云われる大物政治家に挑むハードボイルド物語。警視庁刑事を辞めて私立探偵事務所を開設したが、仕事なく、、警視庁時代の事件を調べ直していた、そして、贈収賄事件の不正を納得いかなかったので、警視庁仲間の力を借りて、再調査した、その結果、悪徳権力者であり、、大物政治家を追い込んでいくサスペンス物語。

第二話ではやり警視庁刑事が狙撃されて、その後、復帰してその狙撃犯を追いかけるサスペンス、、本人は片目片腕になり、、妻と子供は射殺されての復讐であり、、犯人探しのサスペンス物語。



「サスペンス、ミステリー」原作者 献残屋藤吉郎


第一話「野良犬の遠吠え」


第二話「片目のジャガー」





第一話「野良犬の遠吠え」。。。。


1.ぼやき探偵登場


東京の下町,王子の駅前路地に事務所を構えている、探偵「大光寺大洋」は35歳で、警視庁捜査一課のエリート刑事だった。


しかし、ある大物政治家の贈収賄事件で誤認捜査の結果責任を取らされて、辞職した。


熱血刑事であったが、余りにも走りすぎて、大きなミスをしたのであった。


余りにも理不尽な警察の対応に呆れて、自分から警察を見限ったような。。。


そして、野に下り、探偵事務所を開いたのであった。


大光寺大洋は世の中の悪事を取り締まり、安心した国民生活を送るために、警察は必要だと信じていた。


しかし、京都大学を卒業してから警視庁に就職して、正義感に燃えていた、大げさに言えば、自分一人で世の中の不正に立ち向かっていたような気がした。


大学を卒業してから、警察官僚の道を歩んでいた。13年間、疑いもしないで不正に、悪時に立ち向かい、犯人検挙、事件解決に努力してきたのであった。


しかし、3年前に起きた贈収賄事件で、談合を見つけ、捜査をしているうちに不信に、不合理に気が付き追及していったら、捜査途中で警視庁上層部から突然「捜査打ち切り」の指示が出た。


大光寺大洋警部補は、捜査を担当していて、最終的責任者の逮捕までたどり着いていたのであった。


第一土木建設株式会社の不正入札を追い詰め、証拠固めをしている最中であった。


それを突然に、捜査中止の命令が出され、特捜班は解散させられた。


その捜査の中心的位置で、指揮を執っていたので、大光寺大洋警部補は上層部に食いついていった。


その結果、責任を押し付けられ、出世コースから遠く外されて、地方警察に転勤命令が出たのであった。しかし、大光寺大洋は意に従わず、退職したのであった。


そして、探偵事務所を開いた。当初は仕事もなかったので、自分が手掛けた談合、贈収賄事件を調べてみた。性格上、納得いくまでやり遂げることを旨としていたのであった。


そして、捜査中止が出た事件であったが、その後に面白い展開を見せた。



2.事件開帳


大光寺大洋は仕事がまだ依頼されていなかったので、自分が最後に担当した贈収賄事件を調べてみた。あと一歩で、大物政治家党幹事長の水野忠助の逮捕までこぎつけながら、捜査中止になった経緯を突き詰めてみた。


何処で、誰が、誰の命令で中止になったか、ひとつひとつ、当時の捜査資料を追ってみた。勿論、正式な捜査資料はなかったが、自分の捜査手帳と自分の知ってる限りの記憶を辿ってみた。


捜査は警視庁特別捜査班の責任者までは、資料がすべて上がつていた。そして、特別捜査班では担当刑事が、もう少しのところまで、証拠を揃えていた。


大光寺大洋、当時警部補たちが贈収賄側の第一土木建設株式会社の担当経理課長を追及して承認を得るまでに至ったが、警視庁特別班に向かう途中で事故に遭い、入院してしまった。

その後、経理担当係長の堤三郎は口を閉じてしまった。二度と証言は取れなかった。


その事件があってから、警視庁刑事部長の鈴木一郎から担当捜査班に捜査中止の命令が出されたのであった。


大光寺大洋は担当上司を通して、警視庁上層部に申し建てをしたが無駄だった。そして、退職したのであった。


退職した後も、大光寺大洋は執拗に、仲間や関係各所を調べて歩いた。そんなある日、彼は暴漢に襲われた。


自宅アパートでの睡眠中のことで、暴漢二人に殴る,蹴るを繰り返して襲われて、大怪我をしたのであった。


肋骨に罅が入り、片足を折られてたのであった。救急車で運ばれて、2か月入院した。


その後は方法手段を考えて行動しようと思った。


しかし、事件を経験してから彼は燃えた。必ず、彼らの悪事を暴いて、世の中に晒してやると。。。。。


半ば、社会悪に対して復讐をしてやると血が燃えたのであった。




3.燃える大光寺大洋


入院生活を終えた大光寺大洋は2か月振りに実家に戻った。


実家は京都府の丹波で、山々に囲まれ、丹波栗の産地で田舎風情の漂う村であった。


久しぶりに会う家族とともに、のんびりと体を癒した。一日中、田舎道を散歩したり、ゆっくりお風呂に入ったり、日当たりがいいので日光欲をしていた。


三度の食事付きで、たっぷり両親の愛情に触れて、このまま田舎暮らしをしようとか思ったが、、、、


身体の調子も良くなり、精神的にも元気を取り戻した大洋は


東京に戻って、やり残したことを仕上げようと考えだした。


大洋の性格では我慢が、辛抱が出来なかつたのであった。


自分なりの独自の捜査をしている途中で、暴漢に襲われ、捜査を諦めることは出来なかった。


復讐ではないが、やられぱっなしでは気が済まなかった上に、暴力で屈服させれば、身を引くと、黙ると思われることに我慢ができなかった。


そして、体調も良くなり、気分も良くなったので、東京へ戻った。


大洋は世の中の反勢力、社会悪を、悪行と思わずに活動している連中と戦うには、自分の住まいを砦化して、寝ていて襲われても助かる方法を考えた。今回の狙撃を考えてのことであった。


これからも、反勢力や権力者と戦っていくには防御態勢も作っておかないと、、、、


東京に戻った大洋は、まず、砦化するにふさわしい住まい探しをした。


そして、大洋の希望条件に合う古いビルを見つけた。以前は鉄工所の工場であったが、2階が事務所兼住まいだった


今は後継者がいなく閉鎖しており、その所有者と会うことができた。


出来れば買い取って欲しいということだったが、資金的に足りずに借りることにした。しかし、所有者の行為により分割で譲ってくれることになった。


そして、大洋は改造に取り掛かった。


初めから砦化するつもりで、堅固に作り、逃げ道も用意して、自分の思うような外見は工場、中身は戦闘可能な要塞に作り上げた。仕上がった自分の住まい、我城に満足した。




4.戦闘開始、、、、大光寺大洋


大光寺大洋は体も元に戻り、社会悪に挑戦するための砦、わが城も用意が出来たので、いよいよ行動開始をした。


手始めにすることは、

警視庁時代に手掛けていた談合贈収賄事件だった。警察時代は上層部から捜査中止が出たが、今度は何の規制ももなく、自分の思う通りの捜査が出来た。


大洋は覚悟していた、必ず、捜査妨害、邪魔が入ると、、、


其のためにも個人生活を知られない方がいいと思い、行動は出来るだけ秘密裏に捜査した。


それでも関係者の捜査になれば、自然に先方、敵方に伝わる筈だった。


今回の贈収賄事件の片割れ、増収側の第一建設土木の係長、堤三郎は自殺してしまったが、その係長周辺から執拗に調査を始めた。


談合贈収賄事件の中心人物であり、影の黒幕でもある、水野忠助を表舞台に引きずり出し、法的制裁をしなければ、大洋は納得しなかった。


世間一般のありきたりの法的判決で済まされては堪らない。会社を巻き込み、関係者を死に追いこみ、社会的な不正をしておきながら、平然と日常を生活していることに我慢が出来なかったのであった。


会社に損害を与え、人の命を奪ってもも、今もって社会的な権力を保ち、次の経済的悪商をやろうといている、悪ともいうべき人物を放置していては、法治国家の恥である。


だから、中途半端な悪行に対する裁きでは許されないのであった。


そのために、大物政治家で世の中の大悪でもある、水野忠助の不正、前からの不正を全て暴かなくてはならなかった。


そのための証拠固めには、大洋はあらゆるコネを使い、危険をともなつた調査もした。


そして、水野忠助のあらゆる人間関係を調べた、追跡をした。


大光寺大洋は警視庁時代の仲間で、今は警視庁資料室の室長大野雅代からも必要に応じて参考資料を入手していた。大野は警視庁時代から、大光寺大洋には行為を寄せていたので、仕事に真摯に当たっていた大洋を尊敬もしていた。


また、大東新聞の警視庁詰めの社会部記者、高田茂とも今だに交友があり、時には情報を得ていた。そして、高田茂に迷惑が掛からない程度の連絡をしていた。


そして、警視庁時代の街の情報ごろとも、付き合いを保ち、情報収集をしていた。


大光寺大洋なりに情報を集め、時には尾行、張り込み踏査もしていた。


いろいろな人々から、場所から情報を得ていたので、時には相手仲間に迷惑をかけていた。また、危険負担をしていたようだ。


しかし、何かあつても大洋に愚痴を零すような奴はいなかつた。逆に、社会悪に立ち向かっている大洋に協力をしていた。


表立っての力貸しは出来なかつたが、陰ひなたで応援してくれていた。


そんなこともあつて、徐々に水野忠助の行状が分かってきて、その中の情報行動には不審な点が多かった。


最近特に金の流れに不審な点が見つかり、その足跡を追跡した。




5.金の流れ、、、女道楽の道が。。。


大光寺大洋はいろいろ情報を集めて、水野忠助に迫っていった。なかでも女好きな水野忠助には隙があるように見えて、なかなかボロを出さなかった。誰が見ても、銀座にあるクラブ「赤いバラ」のオーナーは間違いなく水野忠助なのであるが


金の流れ、資金的な不正が見つからなかった。


巧妙に仕組まれているようだった。水野忠助の経理担当の大槻公認会計士が全てを動かしている。


そして、すべてが会社経営という名目で代表取締役が違い、それぞれに営業活動をしていた。その資金の流れに不正はなく、まったく隙が無かったのである。


しかし、間違いなく金は流れて、動いている。巧みな経理処理をしていた。


そして、その処理を担当しているものが、水野忠助に関わる金庫番が一人いた。他人との付き合いがない。


そのために水野忠助の金の流用の情報が得られなかった。


また、担当している外山計理士は独身で、仕事以外に、数字以外に興味がなく、数字のトリックに付かれていた。


大槻公認会計士も適任者を担当させていた。


そんな訳で経理の不正というか、遊び金の流れは掴めなかった。


調査によれば、その都度、現金祓いをしていたようだった。


従って、個人の財布の中身を調べていくより仕方がなかった。


始末の悪い、遊び上手な、賢い男だった。


水野忠助については別の金の流用を、金の集めかた、使い方を見つけなくてはならなかった。


大光寺大洋は必ず見つけてやる、水野忠助の泣き所をと、、、


あらゆる情報を集めた。仕事に絡んだ談合、贈収賄リベート。利権に絡んだあらゆる謝礼金、コンサルタント料金、パーティーに絡んだ上納金など、あらゆる政治家特典を調べ上げていった。


その調査過程で水野忠助サイドから横槍が入ったり、嫌がらせが横行した。しかし、目げなかった。


水野忠助を失脚させるにはよほどの失態を見つけ、証拠固めをしないと、、、、


そんななかで、大洋は古い事件だけど見つけた。


水野忠助の失態を、、、若い時のことなので、覆い隠せなかったのであった。


水野忠助の地元選挙区でのことであった。




6.地元選挙区での失態


水野忠助の選挙区は栃木県佐野市であった。その地元で選挙運動中に若かりし頃


間違いを起こした。


選挙民と酒宴の時に、地元と安心したのか、車の運転をしてしまったのであった。


自宅の近くの田舎道で、自転車に乗った女性と衝突をして、気が付いたら車の前で倒れていた。


水野忠助は慌てた。そしてしまった.。。とも、思った。


そこへ町内で親戚筋の酒井和男が通りかかり、兎に角、怪我をしているようだから、病院へ連れて行こうということで。。。


病院へ連れていき手当てをしてもらった。足の骨が折れたみたいなので、入院をさせた。


水野忠助は選挙中でもあり、本当に困ってしまった。


親戚筋の酒井和男に頼むことにした。頭を下げ、それ相応の謝礼金を渡すことで身代わりをして貰うことにした。


誰も見ている人は無く、本人も気を失っていたので。。。もみ消しを頼んだ。


若い時から人に責任を押し付け、自分は何でも金で後始末をしていたようだ。


その時の事故も全て金で処理し、自分は身を守っていたのであった。


その後、親戚筋の酒井和男は金に困って、何度か無心していた。


しかし、事故から20年が経ち、水野忠助も大物政治家と言われるようになったら、事故のことや世話になったことなどすっかり忘れてしまっていた。


そして、酒井和男がうるさくなり、煩わしくなってきた。そこで、裏世界の人間との関わりもあることから、その人間たちを使って処理をした。


処理というと、酒井和男もその後、事故を起こして経済的にも困り、さらには体にも支障をきたし、入院したままであった。口が聴けなくなってしまったのであった。


水野忠助の非情な仕打ちに誰も文句を言えなかったのであった。


水野忠助は自分が都合が悪くなると、冷徹にも抹殺してしまうのであった。


その事実を掴んだ大光寺大洋は証拠固めをした。それ以外にも日常茶飯事の出来事で


横暴な言動を集めた。




7.水野忠助の横暴、自分の都合で


大光寺大洋は水野忠助を刑事事件で告発するための事件資料をまとめた。


20年は経過したけど、地元での選挙期間中に交通事故を起こして、身代わり事故届けを出して処理したこと。この件では刑事事件を隠蔽して、虚偽の申告をしたこと。そして、さらにその隠蔽事故を隠すために、身代わりに立てた「地元選挙民の酒井和男」を襲い、不治の体にしてしまい、その事故を有耶無耶にした疑い。


この一連の隠蔽工作は法治国家の立法を冒涜したことに他ならない。


すなわち刑事事件の隠蔽という、法律を無視した行為は、日本の政治に携わるものとして、犯してはならない行為である。速やかに政治家を辞任すところであり、法律を守るべき者がとるべき行動ではない。


その点においても行政を司るものとしての資質を疑い、責任を取るべきである。


以上の点から、政治家として、国会議員として、査問会で尋問をするべきである。


其の他、国民に対しての暴言挙動、選挙民に対し当選してしまえば、お大臣という、国民に対する格差感覚が露骨であり、人間失格であると考えて、大光寺大洋は常識ある報道に訴えたのであった。


この大洋のデモンストレーション的な行動は、一般国民に支えられ、地元選挙民の間でも問題になつた。


そして、良識ある国民によって、水野忠助は失脚していった。


いつもの水野忠助の、大光寺大洋に対する特異な嫌がらせ、報復は無かった。


大衆、世の中の国民の声、民意は通つたのであった。




8.大光寺大洋の正義


大光寺大洋の今回の社会悪に対する戦いは、世の中の弱者に勇気づけたものがあった。


今の世の中、長いものには巻かれろの風習が多いような、、、自分に覆い被さるような災難でなければ、見て見ぬふりのような、、、、


しかし、大光寺大洋のように、何の力もないものが、一人で権力者、金権者に立ち向い「正義」を振りかざし、勝利したことが世間の弱気者に、芯の勇気を見せたようだ。


大光寺大洋の噂はひろまり、不平不安を持っている人々から、地域から相談が寄せられた。


しかし、水野忠助たち、他の権力者、金権者たちは面白くなかった。金を持ち、グループを組織を組んで、世の中を動かしていると思っている人間たち、世の中は自分たちのもののような顔をしている連中が動いた。


冗談言うなよ、、、今回のような事件はあっても、今までは潰してきたと豪語している連中が黙ってはいなかった。


この世は成功者たちが作った道を誰しもが歩き、一般人は力ある者の言いなりに、、、そう信じている連中が反旗を翻したのであった。


そんなことから、世間から英雄視された大光寺大洋に対しての風当たりは強くなった。


彼に味方してくれる人種は世の中の弱気者、、、力を持たない人間だ、、、大にして情報には限りがあり、今までのようには情報が入りづらくなった。


そして、時には邪魔が入り、嫌がらせも、、、また、大光寺大洋を罠に嵌めるような情報も入ってきた。


大洋は考えた、、、、もっともっと、世の中の汚れた渦の中にも入り込んでいかないと、上には上をいかないとと、、、、


人間、狡く、賢くなり、罠にも罹った振りをしていかないとダメなんだと思うようになった。

警視庁仲間の、現在資料室室長をしている、大野雅代と会った時に言われた。


「大洋、、、あなたは正直すぎるから、、、もっともっと、狡賢くなりなよ、、」と。。。


そして、


「人を信用することはいいことだけど、、、信用することもほどほどにと」


そうかも知れないと、反省する大洋だった。


また、大東新聞の大学同級生の高田茂からも、、、


「余計なことを話すな、、、情報を得るためだろうが、もう少し、用心しろ。。」


と注意された。


「お前の情報は洩れる、、、だから、注意しろよ、、敵方に逆手に取られ、利用されているからな。。。」


大洋はいつもながらに二人には感謝していた。


大洋は思った。自惚れるな、、、人は口じゃ上手いこと言って、その實は、腹を探られていると。。。


だから、もっともっと慎重にならないといけない。


まだまだ、世の中の社会悪と戦うには青二才だと思った。




9.道は遠い、、前途苦難、


大光寺大洋は今回の水野忠助との戦いで、考えさせられたことが多かった。人とは持って生まれた器量というものがり、その人の特技というか才能というか、生きてる人生で表現できる人間と出来ない人間がいること。


環境が揃っており、舞台も整ったに人間が必ず、人生と言いう荒波を神風漫歩に渡り切れることのないことを。。。。


今回の水野忠助のように、裸一貫で身を起こし、地域での土木事業で財を成して、徐々に権力を得た人間もいる。


だから一概に悪者扱いにすることとも出来ないような、、、


彼にもいい面があり、地域貢献をしているから、常に選挙でトップ当選もしている。


人とは見える部分と、見えない部分がある。その見える部分が人を威圧したり、権力を見せつけたりして、世の反感を買ってしまうのかもしれない。


だから、人とは見た目だけで「悪」そして「善」と決めつけることはいかがなものかと、思うようになった。


水野忠助が言ったことがある。。。


「大洋君、あなたは人を批判したり、批評したりしているが、、、自分で政治をしてみれば、携わってみれば、少しは政治が分かるものだよ」と。。。


それほど政治とは難しいもの、一筋縄ではいかないもの、、、やってみないと分からないことが多い。


そんなことを言っていた水野忠助を思い出した。


しかし、大光寺大洋は正すものは正す、、、という考えには変わりはなかった。


そんなこと心に刻みながら、人々の相談事を受けるようになった。


そして、大洋が正義に向かって走り出した時に、事件が起きた。


警視庁時代に扱った贈収賄事件が思いがけない方向に向かったのだった。その事実を警視庁仲間の大野雅代から連絡が入った。


「大洋、、、気をつけてよ、、、当時の捜査が強く、追い来みが酷かったので容疑者が自殺をしたという、、、、やりすぎの捜査を疑うものが出て来た、、、そして、内定が始まったから」


大野雅代が言うには、しばらく言動を慎み、目立たないようにと。。。


大洋は分かってはいたが、内定までになるとは思っても見なかかった。そして、本格的な捜査が始まった。


これも水野忠助たち、悪の裏返し制裁行動かも知れない、社会の悪の罠の始まりだった。




10.身に降りかかる火の粉は、、、大きい


大光寺大洋に対する恨み、憎しみを水野忠助は常に抱ていた。機会があれば、思い知らせてやりたいと、大人げなくも考えていた。


そんな折に、水野忠助絡みの贈収賄事件で、責任を追及され、第一土木建設においても、会社からも検察庁からも追い込まれた経理担当の堤三郎が生き詰まり、自殺してしまった事件。誰にも相談できずに,只、避難に晒され、責任だけを取らされてしまった堤三郎が、書き残したメモが後日出て来たのであった。


そして、堤三郎が取り調べが強く、連日に続いてたことへの愚痴が、そのメモには記されていたのであった。


当時の警視庁の担当刑事は大光寺大洋警部補であった。


その取り調べが強引だったと、、、半ば脅しかかった取り調べだと、、、そして、大光寺大洋も若かったこともあって、検挙して手柄を立てようと、、、取り調べ室の中で、堤三郎の頭をどついたりしてた、、、


同室だった刑事、深田光一の証言まで出て来たのだった。


これらの失態を見逃さずに、付いて来たのであった。


水野忠助は政治家では無くなったが、政界に経済界に大きな影響力を持った権力者だった。


そのことから、警察内部に黒い噂のある幹部官僚に圧力をかけて、大光寺大洋に魔の手を伸ばして来たのであった。言いがかり、因縁だった。


そして、その手先の警察官僚幹部からの指示を受けた特捜部が動いたのであった。


大光寺大洋の信頼できる警視庁資料室の大野雅代からも連絡があった。


「大洋、、、本腰を入れて、あなたの取り調べ過剰による、違反事項についての追及をしていく方針だよ、、、行動は慎重に、注意してな、、、なにか、捜査事項に進展があれば、連絡するから、、体には気をつけてよ、、」

、、と、心配の電話が入つた。


大洋も不味いな、、、と、思いながら覚悟を決めた。


警視庁在籍中に不当な取り調べはしてなかったことの証明をしなければと、、、、




11.しつこい、追従


大光寺大洋に対する捜査は執拗にしてきた。しかし、すべてが状況証拠であり、本人も死亡していたので、警察としても確証がなかったので身柄を拘束は出来なかった。


あくまでも水野忠助側としては、大洋の動きを止めるための工作として、苦しまぎれの捜査であっ

しかし、何が起きるか分からない、、、捜査過程で,瓢箪から駒ということもある。また、以前の捜査過程でのミスが有るかも知れない。


そして、贈収賄事件の時の第一土木建設の堤三郎の死にも不自然さが残っており、再度捜査の見直しが決められたのであった。


警察としても、第一土木建設の談合贈収賄事件も、鍵を握る堤三郎の死により、また、警察内部の権力の行使により、事実を捻じ曲げ、証拠不十分として処理されてしまったのであった。


当時の水野忠助の権力は凄かったのであった。政界での圧力、が。。。金権によるものだが。。。


時の権力者というものは、誰も逆らえなかったような、、、


逆らえば、官僚職務者は左遷という恐ろしい仕打ちが待っていたのであった。


日本の裁判では90%が有罪で、無罪はあり得ななかった。


民事裁判においては、無罪に近い「執行猶予」が付き、その身は、堂々、悠々と日常生活が出来るのであった。


裁判で「無罪」の判決を出した場合は、余程のことがない限り、担当裁判官は翌年に左遷が待っている。


日本という法治国家は恐ろしい国だ。。。。


だから、時の権力者になることがどれだけ必要なのか。。。政治家になれば、権力者となりたいのであった。


そんな日本で、大光寺大洋は権力者に逆らったのであった。


大洋も覚悟はしていたはずである。しかし、水野忠助はたかが一介の「野良犬如き」に、その政治家の地位を追い落とされるとは思ってもみなかった。


水野忠助にも甘い姿勢があった。自分は時の権力者、その上に大物政治家としての自負があり、自惚れてもいたような。。。その、甘さゆえに、自惚れが身を滅ぼしたというか、傷を負ってしまったのであった。


そのための悔しさ、怒りから、大光寺大洋を許せなかった。


そして、まだ、権力者の立場にいる限り、大洋を追い込んでいくと豪語していた。


お互いが「追う立場」で攻めあっているのであった。




12.大光寺大洋も贈収賄事件を振り返る、反撃。。


大光寺大洋も水野忠助たちの悪巧みとも云うべき、罠の殺気を感じながら対抗手段を考えた。


もともと、大洋たちが担当して起訴にまで持ち込んだ贈収賄事件であった、当事者の堤三郎について調べ直した。勝訴できる筈だつた事件を捻じ曲げ、不起訴になり、堤三郎までもが自殺に追い込れた。その捜査途中での大光寺大洋の執拗な尋問に屈辱に耐えられずにということだつた。


本人の大洋はそのような捜査も尋問もしていないという自負があったので、難癖にしか思えなかった。


何処が、どのように執拗だつたか、屈辱的な取り調べをしたのかをはっきりさせるためにも、事細かく、細心の注意を払って、自分の取り調べた調書を見直した。


勿論、警察内部の調書を見ることは、今は出来ない。疑いがかかっているので。。。。


大洋が最も信頼している、警視庁資料室の大野雅代に頼んで調べた。そして、自分が当時、記録していた捜査手帳を念入りに確認した。


また、気がおける友人でもある、大東新聞の高田茂の当時の新聞資料を見てもらった。


更に、第一土木建設株式会社の当時の人物たちにも当たった。時が経っているので、気軽に当時の堤三郎について語ってくれた社員も何人かいた。


そして、参考人、証人として当時の調書に記した人物にも会うことが出来た。


大洋が調べた結果では、どこをどう見ても、大洋の捜査や取り調べに違法性はなかった。


水野忠助の権力で捻じ曲げた、ごり押しであったと、大洋は確信をした。


水野忠助の金力で抑えられた官僚警察官たちの難癖捜査に他ならなかった。そう確信した大光寺大洋は進んだ。


まだまだ、攻めて来る水野忠助の強引な罠に立ち向かうことを。。。。


これからも、社会悪、そして、捻じ曲げられた権力者たちにめげることなく、臆することなく、大洋自身の正義を振るって。。。


この先にどんな道が、巨悪な罠が、世の中の権力者によって仕掛けられてくるかも知れない、闇の道に。。。




13.横暴な権力者に立ち向う。。。


大光寺大洋に対する権力側からの圧力は止まることは無く、


続けられた。しかし、権力側も知っていた。


あくまでも大洋を封じ込めるため、動きを止めるためのものであり、権力の嫌がらせであった。


水野忠助は言いたいのだ、、、、「いつまでも、権力者の自分にたてつくのだと、あんたを逮捕するまでに追い込み、刑務所まではいかなくても、拘置所で拘留し、裁判まで持ち込んで自由を束縛するぞと、、、」


水野忠助ぐらいの権力者になれば、最終的は不起訴になるかも知れないが、逮捕、拘留、裁判まで約7か月から1年間は日本の立法である法律を盾にして、警察庁管理のもとに身柄の自由を束縛できるのであった。


裁判までの保釈は認めない、、、証拠隠滅の疑いがあるとし


て、裁判終了まで拘留出来るのである。


日本という法治国家は恐ろしいところである。


警察庁とは怖い、、、力のある拘束力のある国家権力とは本当に怖い。


悪知恵のある権力者が警察、検察官僚と手を組んだ場合は本当に怖いところだ。


これらの権力官僚を管理し、公平な対応をするべき裁判官でさえも人間であり、世の中の巨悪な権力悪には捻じ伏せられている。


裁判でも恐ろしいことがある、法律の是非を判断する裁判所が、刑を求刑する検事側が、、情報手段として年に何回か裁判官と検事担当の交流会があるくらいなのだ。


裁きを求刑するものと、裁きを判断するものとの、交換会とは甚だ可笑しい。。。


日本の法律とは、すべてが被疑者以外のところで、うちうちに相談しているという珍事実を。。。


だから、悪いことはしてはいけないが、、、間違いで、誤認逮捕で捕まると留置所、拘置所と拘留されて、それなりの尋問を受ける。


大光寺大洋はとにかく、警察側の罠に嵌って、逮捕されと不利になることは知っていた。


たとえ、不起訴と分かっていても、拘留されることは避けなければならなかった。


従って、情報収集はしていなけばと、至るところに情報の網を張り巡らしていた。


この世の中は、その時の権力者は怖い。。。




14.時の権力者は怖い、、、


人の世界というか、浮世というか、この世の中、、、


法治国家という日本は恐ろしい世界だ。


国を治める政治というやつは得体の知れない魔物だ。


法律という道具で、規律を作り、人も、物事もすべてを抑え込んでいるような、、、、、


見た目には法律という鎧で身を固め、言葉という便利な道具で形作っているようだ。


そして、それらの道具を、言葉を上手く操って、この世という舞台を踊っている。一つの演劇を演じているような、、、この世という舞台で主役を演じ切る、数少ない人間が人生舞台で光を浴びるような。。。。


その人生の光を見ることができる人間が、政治で、仕事で、あらゆる世界の成功者なのだ。


しかし、成功者にもいろいろな模様を持った形がある。


そして、人から、世の中から「善人」と言われる景色を


広める人間もいる。


また、この世で社会で大物とかやり手とか、権力者と言われる風景を持った人間もいる。


それらの景色や風景を描きながら、「悪人」と言われる人間もいるような、、、、


人が生きる社会で、世の中で、「権力」を、、、、特に勘違いした己のための権力を得たものが「独裁者」と言われるようだ。


その類の人間が現れると悲劇だ、、悲劇が起きるような、、


大光寺大洋は自分に降りかかった人生の大海原で、揺れ動かされ、波に風にさらされた小舟だ。。。


大学を出て、法律を正す警察組織に正義を求めて従事したが、時の権力者に道を閉ざされてしまつた。


この世の中には人生の道半ばで、第三者の力によって捻じ曲げられる人間の多いこと。。。


人の世界ほど「矛盾」の多い、不公平なことの多いことのような。。。。


大光寺大洋は戦った、、、矛盾だらけの世の中に、人間社会に正義を盾に挑んでいった。


しかし、捻じ曲がつた権力者社会では最後まで、権力者には勝てなかった。


まるで、この世をふらつく、さ迷う「野良犬」のようだ。


そして、叫ぶ。。。野良犬の遠吠えみたいに。。。。




15)大光寺大洋は死なず、、、再び、、


大光寺大洋は今回の一連の権力者の圧力を嫌というほど知らされたのである。

しかし、へこたれるような大洋ではなかった、、、気持ちを整理して、再度出直そうと思い,故郷の京都丹波に帰った。

田舎の綺麗な空気に触れて、旨い田舎料理を食べて来ようと秋の夕暮れに戻ったのである。

久しぶりに母親の栗ご飯が食べたくなり、田舎の五右衛門風呂が懐かしくなった。

田舎の甘い空気は何よりも旨かったのである、、、汚れた都会の空気にはうんざりだった。

大洋は10日間ほど田舎道を散歩したり、ガキの頃に遊んだ悪ガキとも時間を過ごした。

丹波に残り「栗栽培」などの農業に従事していた悪ガキの「橋本兵吉」とも、しばらくぶりに酒を呑んだ。

楽しい心温まる日々を過ごせた、、「ありがとう、、兵吉、、また、来るよ」と言って別れた。

「大洋、、、いつでも戻って来いよ、、歓迎するから、、」と、、送られたのである。

東京に戻った大洋は忙しかった。

警視庁記者クラブの高田茂記者から連絡が入っていたので、連絡を取った。

「おう、、、大洋か、、お前が居ない時に、、逮捕状が出たぞ、、、お前の過剰取り調べによる暴行罪だ」

「逮捕状が出たのは昨日のことだよ、、覚悟して対応しないとな、、兎に角、お前を縛っておきたいんだよ、、」

「わかった、、ありがとう、、22日間は諦めるか、、結果は分かってるけどな、、、癪だな、、」

大洋は覚悟をしたのであった。

「茂、、、頼むな、、、不法逮捕のことを流してくれよ、、拘留期間が過ぎるか、面会禁止が取れたならな、、」

面会に来てくれと頼んだ。

大洋は二重にガードしていたので、家宅捜査の件も心配はしていなかった。

取り合えず逮捕されるまではアパート住まいで「隠し砦」には戻らないようにしたのである。


大光寺大洋は権力者「水野忠助」の恨みを買い、とことん追い詰めらたのであった。何とか、無力の一般国民の大洋に国会議員のバッチをもぎ取られたので、その仕返しを計ったのである、、、

そして、あらゆる権力を駆使して、過去の取り調べを強要したことの虚偽の事実を作り上げて警視庁特捜部に逮捕状を出させたのだった。

大洋は結果を分かっていた、、、どんなに過去の取り調べの時の暴行罪で逮捕しようが、起訴出来ないことを知っていたのである、、、、警察の中にも、、検事局の中にも権力者に対して無言の抵抗をする国家役人がいることを、、、

全てが権力者の言いなりになる者ばかりはないのであった。

権力者の言いなりになって、出世ばかりを狙ってる司法役人の方が少ないことを、、、


16)逮捕された大光寺大洋は。。。


逮捕状が出ていることを知った大洋は自分から出頭したのであった。

警視庁特捜部に丹波から帰ってすぐに顔を出した、、、

「なんか、、逮捕状が出ていると聞いたので、、来ました、、」と、昔の上司である黒川課長を訪ねた。

「おう、、大光寺か、、そうなんだよ、、お前に逮捕状が出てな、、悪いけど、今から自首扱いで逮捕するからな、、、担当は、坂口警部補、お前やれよ、、」

指示をしたのであった。

坂口警部補が、、「すいません、、大光寺さん、、仕事なので規定通りにやりますよ、、」と、、言って身柄を拘束したのである。

そう言って、警視庁留置所に拘留する手続きを始めた。

坂口警部補は規定通りに、大光寺大洋に手錠を付けた、、、そして、留置所に連れて行き、、規則通りに持ち物検査をして、留置所の入り口の所定の部屋で身体検査をおこなった。

身体検査は丸裸での検査である、、決まりなので仕方がなかった

そして、大洋が出頭したのが午後3時ごろだったので、、そのまま、留置所に拘留になった。

取り調べは翌日からになって、その日は夕食から始まった。

留置所に入ってから、担当看守が来てくれた。

「大光寺さん、、酷いことになりましたね、、関根です、、私が当番の時はなんか困ったことがあったら言ってくださいね、、」知っていた看守が声を掛けてくれた。

「ありがとう、、何も心配なことはないよ、、ここにいる間は宜しくな、、」と、、短い会話を交わしたのであった。

警視庁の留置所は雑居房であり、、一人の犯罪者が居たので挨拶をした。。

大洋は今日から「22日間」の法律に従っての拘留であった。



17)取り調べ


大洋は一晩、警視庁の留置所に留められて、、次の朝から留置所の規則で「起床6時」で起こされて「点呼」「洗面」が行われて。「7時から朝食が配られる」

留置所の全面の小さな出し入れ口から「お茶」「弁当」と、、まるで豚と一緒だ。

そして、、「9時ごろから取り調べの刑事が迎えに来て」それから取り調べ室に連れていかれて、取り調べが始まる。

取り調べはかっての同僚である、、坂口警部補であった。

「おはようございます、、、これから暴行事件の取り調べを始めます、、」と、、、

始めにお茶が出るのであった。

取調室の広さは畳で言うと2畳半ぐらいで、、取調官と記録係と二人で、一人の被疑者を取り調べる。

最初に名前、住所が確かめられて、事件内容の調書が取られる。

聞くことは分かっていたが、、大洋は全て「NOーやってません」と、認めなかった。

その日はお昼に取り調べは終わり、、留置所に戻り、昼食の弁当を食べる。

午後も取り調べが行われたが、、答えは全て「やっていません」と承認することはなかった。

担当警察官の坂口警部補もやりずらかったと思う、、、

大光寺大洋は「やっていないものはやっていない」と、答えるより仕方がなかった。

12日間の警察取り調べは全て、認めなかった。

その後の検事取り調べも認めなかったので「起訴」しても「状況証拠」だけでは目に見えていることを分かっているので「検察庁」では「不起訴処分」で大洋は釈放になった。

22日間の拘留が終わって「不起訴処分になった大光寺大洋は奮起した。

更に燃えて、、水野忠助を許さないと、、彼の悪行を探して、暴いてやろうと思った。悪事に対しての憤りを覚え、、権力者は何でも出来るという「極悪人」を永久に社会から遮断してやろうと、、動き出した。

極悪人がこの世を自由に歩けないように永久に「塀の中に」閉じ込めてやろうと考えだしたのである。

世の中の名もない一人の日本国民がどれほど怖いか思い知らせてやろうと決心をした日でもあった。


18)不起訴から燃えた大洋だ、、、、


自由の身になった大洋はやられたらやり返すの精神で、社会の巨大悪へ立ち向かったのである。

水野忠助の身上調査を始めた。大洋は切り詰めて質素に生活はすることにした。

興信所のアルバイトをしながらの調査であった。

車も節約のために軽自動車を使い、、水野忠助の過去を徹底的に調べたのである。

昔の交通事故に関しても、再度調べ直した、、、

警視庁記者クラブの高田茂にも警視庁資料室の大野雅代にも頼んだ、、、何でもいいから水野忠助に関する 資料を集めてもらうようにしたのであった。

それと、地元住民でも水野忠助を快く思わない奴がいるのだった、、、坂松十郎という地元の大地主で選挙の時にも反対に回る偏屈者がいた、、、どういう訳か、大洋は気にいられてたのだった、、、遊びに行くたびにご馳走になってくる、、、今回も釈放されてから挨拶に行った。

「おう、、大変だったな、、お疲れ様、、、今日は旨いものでも食べに行こうや、、、寿司がいいかな、、」

と、、言って連れて行ってくれた。

「頑張れよ、、何かあったら連絡するから、、、大洋、、無職じゃア大変だな、、ちょくちょく来いよ、、飯ぐらいご馳走するからな、、」と、、励ましてくれた。

「はい、、、ありがとうございます。わしの方も調べて連絡するよ、、、」と、、、

大洋は自分の足でも情報を集めた。

今は金に余裕がないので、、夜の世界の調査は出来ないでいたら、、、電話が入った。

銀座のクラブ「黒蜥蜴」のナンバーワンであった絵里からであった、、、

「大洋、、、しばらくだね、、、どうしてるの、、たまには顔を出しなよ、、」と、、誘われたが、、

「今はからっけつだよ、、行きたくてもいけない、、情けないけどな、、」

「私がご馳走するから、、おいでよ、、」と、、言われても行けなかった。

「兎に角、一度会おうか、、連絡するから、、いいね、、大洋会いたいの、、」と、、、

そんなことで昼間会うことにした、、、



19)水野忠助を追い込むための情報集め。。。


大洋は銀座クラブ「黒蜥蜴」の絵里に誘われるままに会うことにした。

帝国ホテルのレストラン「土門」へ行き,しばらく振りに絵里にあった、、、「やあ、、ご無沙汰したな、、」

と、言いながら、先に来ていた絵里の席に就いた。

「本当だね、、元気そうでよかった、、いろいろ話は聞いたよ、、大丈夫なの、、」と、、心配してくれた。

「大洋、、少し痩せたみたいね、、栄養をつけようか、、ステーキが美味しいから、、頼んでおいたよ」

「ありがとう、、、久しぶりだな、、肉は、嬉しいよ、、今日はご馳走になるな、、」

と、、大洋は絵里に甘えたのであった。そして、、本当にありがたいと思った。

大洋は久しぶりに食事らしい食事をした。

「良かった、、喜んでくれて、、それから大洋が知りたいと思う情報があるからね、、、」

と、、、水野忠助の近況を教えてくれたのである。

「最近ね、、あいつがご執心の女の子がいるんだよ、、私の妹分で、博美というんだけど、、その博美の話だと、、泡銭が入るみたいで、マンションを買ってくれる見たなの、、」

というか、、買え買えと口説かれているので少々困っているので。

そこで私は買ってもらいなと進めている、、、買って、嫌なら私に相談するように言ってあるから、、

大洋にいい知恵を借りたいと思っているのだった。

あの憎たらしい、傲慢な助平爺いを懲らしめる,いい方法を考えて欲しいと相談をされたのであった。。。

「そうか、、、それなら頼みがあるよ、、水野忠助が誰と呑みに来ているのか調べておいて欲しい、、そして、聞こえたらでいいから、、話の内容が知りたいので、、あくまでもそれとなくでいい、、聞こえる範囲の話を聞いておいて欲しいんだな、、、」

「うん、分かった、、、それ位なら出来るよ、、」と、、引き受けてくれた。

そして絵里に言ったのである、、、「水野忠助もバカじゃあないので、、、そんなには答えをを伸ばすわけにはいかないと思う、、、」ので、、

答えを1か月だけ、なんかの理由をつけて待って貰うことにして、最終的には絵里がマンションを確認して決めるということで話をしたらどうだろう。。。

「買って貰うマンションの住所を調べて、、、俺が安全かどうかを確認しておくから、、、」

そして、、、絵里と相談して、、そのマンションを奪ってやることにしたのである、、、

兎に角、今付き合っている人脈を知りたかった、大洋である。



20)宿敵水野忠助攻め。。。


大洋は水野忠助が政治家を辞めても尚、、陰の力となって、権力を保持していることが許せなかった。。。何かあると、談合とか、脱税とか、贈収賄などの黒幕の様な存在の影をちらつかせては、、甘い汁を吸い上げてる寄生虫の様な悪虫を世の中の正義は、許して、見て見ぬ振りをしているのかが分からなかった。

触らぬ神に祟りなしかの態度に腹がたった。

世の中の弱者にも腹がたったのである、、、世の中の悪に立ち向かえよと言いたい。陰でぶつぶつ文句を言わずに,思い切り本人にぶっけてみろと、、、

しかし、現実には言えないのも道理であった。

大洋は絵里から連絡をもらったので、会うことにした、、、

水野忠助の情報が入ってきた、、絵里の話だと、大手ゼネコンの大日本工業(株)の太田専務取締役と呑む回数が多いとのことであった、、、他に珍しいところでは、関東連合睦会の新三十郎若頭が時たま来るらしいというのである。

大洋には十分な情報であった。

早速調べた、、、

警視庁記者クラブの高田茂記者に調べてもらった、、最近の大日本土木工業(株)に絡んだ国営事業を、、、

あったのである、、大きな建設事業が、、開発事業で残っていたのであった。

北海道縦貫高速道路工事の計画が動き出したのである、、、

関係者なら鵜の目鷹の目で狙っている事業であった。

その利権に水野忠助が絡んでた、、そして、その根回しで手付金の様な形で、金が動くことになり、、水野忠助は甘い汁を吸うことになったのである。

大洋はその金の流れを捕まえてやろうと考えた、、

そして、、絵里に頼んだ、、、水野忠助が妹分に買ってくれるというマンションを見に行って欲しいと、、、場所が知りたかったのである。。

大洋は金の流れと、マンションを購入しようとする金の流れの証拠を見つけてやると動き出した。

断然、大洋は燃えたのである。

「水野の狸爺、、今に見てろよ、化かしてやるからな、、覚悟してまってろよ、、」と、、、大洋は絵里に感謝したのだった。



21)大洋、、証拠固めをする


大洋はゼネコン「大日本工業(株)」と水野忠助の癒着は間違いない、、その関係の金の流れを見つけることが難しいのだった。。探せばどこかに綻びは見つかる筈だった。

金だけは現金で渡さないと証拠が残るので、どこかで、誰かがやらないと現金は渡せないのであった。

それも小切手や証券では証拠が残るので、どんなことがあっても、現金を用意する筈だ。

その他には「覚せい剤」とか「不動産」を仲介しても、最後は「現金」の受け渡しがある、、

その方法を見つけ,その現場か確実な証拠を見つけ出すことであった。

それで、、大日本工業(株)の経理課長の大隅重雄に目を付けて、大洋はしばらく、その人間の動向を見張った、、勿論、経理担当が動くであろうと、その大隅課長の部下の坂本隆係長も見張ったのである。

見張って分かったことがあった、、

関東連合会睦会の新三十郎若頭が時たま、大日本工業(株)の関連会社の「大工興行(株)」を訪ね、大日本工業(株)の坂本隆係長と会っていたのであった。それも定期的であり、毎月第三月曜日であるから,可笑しいと思い調べてみたのである。

会う時には必ず、段ボールが運ばれた、、二箱だった。

大洋は確証した、、、「そうか、、現金はこうして運ばれたのか、、」と、、

大洋は何とか段ボールの中を見たかった。

大洋は刑事時代に扱った中に「反ぐれで集団強盗」をした奴を思い出した。

その男「大室正雄」を訪ねた、、、確か、今は隅田川の近くで、スクラップ屋をやっている筈と聞いたので、、、

「何でも屋」で、法律すれすれの商いをしていた。。

「しばらくだな、、大室、、元気にやっているみたいだな、、金儲けは上手くやっているのか、、ところで薬やチャカの密売もやっている、、」と、、

聞いたら、大室は手真似して「しー」と頷いた。

「そうか、、、頼みがあるんだが、、簡単なひったくりをやるやつはいないかな、、、金は大室、お前が分配していいから、、」

「口の堅い奴がいいな、、、二人で十分だけどな、、1億か2億円位にはなるよ、、、」

大室は話に乗って来た。

「俺が現場まで案内して指示するから、、車一台を襲って、段ボール2箱を奪うだけだよ、、、ひとには危害を与えないでな、、」

そして、やることに決まり、、、日時は指定するからと別れた。

大洋は大室たちに強盗をやらせることにした、、奪われた大日本工業(株)は警察に訴えることが出来ない金なので、、後のトラブルは関東連合睦会との戦いである、、その時はその時で、、大室たちと命がけの闘いをするだけだった。

彼らも命知らずの無法者だったので覚悟は出来ていた


22)強奪、、、、


大洋は大室と打ち合わせをして帰った。

強奪実行の前日に大洋は大室のスクラップ集積場を訪ねた、、、そして、確認をしたのだった。

今回の強奪実行犯はどこから集めたかを、、、、

「大洋さん、心配ないよ、、一人は青森から、、もう一人は熊本からで、、身寄り無しの無頼者だから。。」

と、、保証してくれた。

「そうか、、、分かった、、、くれぐれも慎重にな。。。」

「大丈夫だよ、、、念のためにあんたは会わないほうがいい、、いざという時の為に知らないほうがいいのでな、、」

「そうだな、、車は終わったらスクラップにするように、、頼んだよ、、、明日、錦糸町の会社駐車場でな、、」

打ち合わせを済ませた大洋は大室と別れた。

いよいよ実行である。「水野忠助」の一回目の証拠である「現金回収」を、、、

大洋は心臓の高鳴りを覚えた。


大日本工業(株)のある地下駐車場で大洋は一人車の中で待った。強奪の瞬間を見守るために、、、

大室たち別の車で待機していた。

段ボールを抱えて、車に乗り込んだ。次の瞬間に大室たち3人が催眠スプレーを持って、車のドアを閉める前に大日本工業(株)の大隅課長たちを襲った。

相手が右往左往している間に段ボールを奪い,大室たちは走り去っていった。

大洋も後に続いて駐車場を出たのである。。。大洋は駐車場を出てから、すぐに車のナンバープレートに別の物を付けた、、、用心のために。。。

大室たちも同じようにナンバープレートを別のプレート付けて走っていったのである。。

大洋の考えで、、監視カメラの追跡を避けるためであった。


大洋は自分の隠れ倉庫に戻って、、大室と連絡を取り、、無事にスクラップ集積場に着いたことを知った。

大室は打ち合わせ通りに車を処分して、、強奪犯人二人を逃がした。

二人への支払い配分は大室に任せて、、金の使い方には注意するように指示を出した。

大洋は大室に写真を撮っておくようにも指示を出したのである、、、

強奪された大日本工業(株)では慌てた、、、すぐに、関東連合会睦会にも連絡が行き、、新若頭と、、大隅課長たちは、会社に戻り説明をした。

いかに情報網を持っているといっても、今回の大洋の動きは掴めなかった。。

そして、、水野忠助の元にも連絡がされて、、これからの現金の受け渡しは考えないとならないということになった。

水野忠助のクラブ「黒蜥蜴」の女に買うマンションの下見することは中止にはならなかった。



23)強奪金は2億円あった、、、


大室から大洋に連絡が入った、、、「大光寺さん、、、段ボールを空けてびっくりしたよ、、現金で2億円入ってたよ、、多すぎるから、1億円は戻すから、、なるべく早く来て欲しいよ、、」

と、、大洋は、、いつもより多いのはマンション購入費が含まれていると思ったのであった。

大洋が入手した情報によれば、大日本工業(株)での騒ぎが大きい訳が分かった、奪われた金が2億円では大騒ぎする筈であると、、、

いくら裏金であっても警察へは届けられないだろう、秘密裏に動くだろうと大洋は思った、、、慎重に用心しないと不味いと、、言い聞かせたのである。

大洋は大室を訪ねて、、金の使い方は慎重にするように伝えた。

「大室、、逃がした二人の監視と使い方には用心してな、、、決して派手な、目立つような使い方はしないようにな、、」

と、、念を押して大洋は現金を受け取って、スクラップ集積場を出た。

そして、クラブ「黒蜥蜴」の絵里に連絡を取って会うことにしたのだった。

水野忠助と会って,マンションを下見して、その後の段取りを指示したのである、、、あくまでも、マンションの売買契約書を見せてもらうこと、、そして、契約書を見たらコピーをさせてもらう、、その辺のところは上手く言って、、、次に、

そのマンションの名義が代わったら、、「水野忠助」の女になるという返事をする、、、それが出来なければ女にはならないと、、強気で突っ張ることだ、、と、打ち合わせをした。

大洋は水野忠助への闘いの狼煙を挙げたのである。

その結果を待ってから、、次の行動に移ることにした。

大洋は東京連合会の新若頭の動きを監視していた、、、常に情報網を巡らして、注意深く様子を伺っていたのである。

今のところは目立った動きは無く、、困っているようであった。

それでもやくざ組織の情報網は広いので用心していた。


しばらくして、クラブ「黒蜥蜴」の絵里から連絡があった、、、明日、妹分の女を連れて、マンションの下見に行くとになったと、、、それで、いつでも連絡を取れるようにしておいて欲しい。という連絡であった。

大洋は連絡を待つことにした、、、その日の夜に電話が入った。

絵里の話だと、、マンションは見せてくれて、、売買契約書も見せてくれた、、、

その契約書の写しと言ったら、、、「なんだよ、、ここまでして、コピーだと、、お前ら何を考えてるんだ、、俺を信用しないのか、」と始まったので。

コピーは駄目かと思った、、水野忠助はごちゃごちゃ言ってたが、一緒に来た不動産屋にコピーを頼んで、渡してくれたという報告が来たのであった。

マンションの名義替えは、女になる、その日に同時にしようとなったなったのである。

そして、大洋は絵里とそのことに関しては相談することにした。

まずはマンションの契約書を見て,登記簿謄本を見てからということにして、電話を切った。



24)水野忠助の助兵衛爺を銭なし乞食に、、、


大洋は狙ったというか復習してやろうと日々考えていた、、、まずは権力者の座から引きずり落として、、裏金という入手道を断ち切ってやろうと計画を立てていた。上納金ともいうべき金を誰も納めないような無権力者にするためには、裏金の証拠を押さえて「脱税」を立証してやろうと考え、入手道を探していたのであった。

そして、入手先がわかったら「強奪」をして、、「脱税」で告発する、、その事実を世間に公表して誰も水野忠助を頼らなくなるという構図を仕組んでいたのである。

世の中への公表はマスコミを利用する、、、その手段としては警視庁記者クラブの高田茂記者が引き受けてくれた。

大洋は一回目の強奪は成功したので、、更に大きな収入元を狙ったのである。

その前に今回のクラブの絵里の妹分のマンション購入の件で、水野忠助を罠に嵌めてやろうと考えていた、、そして、購入予定のマンションの登記簿謄本を手に入れたのであった。

これだけで、マンションの購入資金の出処を調べれば、、何とか「脱税行為」を積み上げることが出来るが、、名義をクラブ「黒蜥蜴」の女に変えれば、「贈与」もしく「売買」をしていても「脱税行為」を立証できる。

そして、大洋が狙っている「三紀建設工業(株)」との癒着が噂されている事実を突き止めて、今回の談合贈収賄の証拠を掴めれば、告訴に踏み切ろうと考えたいた。

クラブ「黒蜥蜴」の女への名義を変える方法と時期を考えた大洋であった。

大洋はクラブ「黒蜥蜴」の絵里に連絡を取り、妹分の博美と一緒に会うことにした、、そして、昼飯を食いながら作戦を授けたのである。

それから、絵里と妹分の博美は水野忠助と赤坂にある大野法律事務所にいた。

そして、名義変更の手続きをしていたのである。

その名義変更の手続きが終了する頃に博美に電話が入った、、、「入院中の母親が危篤状態になったので、すぐに来るようにと、、」水野忠助に話して、いったん博美は病院に行くことにしたのであった。

そして、必ず約束の日を決めて、来ることを告げて帰ることにしたのである。

「出来れば、母親を安心させたいので、登記手続きの申請書の写しでも見せたいので、、コピーだけでももらえませんか、、」

と、、博美は涙顔で訴えた。

絵里も「いいじゃないの、、コピーぐらい渡しても、、ねえー、会長、、」と甘えた猫なで声でねだったのである。

「死ぬ前に、、親孝行の真似事をしたいんだから、、可愛もんじゃないの、、、、、」と言われて、、水野忠助もダメとは言えなかった。

それで、二人はマンションの名義変更の申請書の写しを持って、、大野法律事務所を急いで出たのである。。

その足で大洋と会って、不動産登記変更申請書の写しを渡した。

「お疲れ様、、、バレたら、、水野忠助の事だから、関東連合睦会のやくざ連中に連絡を取って、探すだろうから、、すぐに大阪経由で、いったん乗り換えて、福岡まで言ってくれ、、、必ず一人ずつな、、用心していけよ、、

いいな、、金は二人に約束通りに2000万円ずつ振り込んであるからな、、

行った先のことは全て段取りもしてるから心配すなよ。。」

と、、言って「不動産登記変更申請書」の写しを受けとったのである。

大洋は一人微笑んだ、、あと一息だ。

「見てろよ、、、水野忠助、、出られない塀の中に放り込んでやるから」

と、、、次の手段の準備をした。



25)追い詰める、、、大洋


大洋は水野忠助を追い込んだ、、、まずは裏金2億円の証拠品押収、、そして、クラブ「黒蜥蜴」の女へのマンション購入の名義変更申請書の写しの証拠品と揃えた。

そして、「三紀建設工業(株)」との癒着による、、裏金授受に関する情報提供だけで、水野忠助を「脱税容疑」で告訴することにしたのであった。

大洋は「三紀建設工業(株)」との癒着による、裏金献金に関する「脱税」も証拠を揃えてから告訴するつもりだったが、、関東連合睦会の新若頭の動きが怪しくなってきたので、、その前に警察や検察に動いて貰おうと考えたのであった。

警視庁記者クラブの高田茂記者からの情報で、睦会の新若頭が現金強奪の件で慌ただしく動いているようだと、、、、

そんな話を聞いた大洋は、まずいと思い、、関東連合会睦会の新若頭を警察力を利用して、封じ込めようとしたのであった。

大洋の流した情報を、警視庁記者クラブの高田茂記者が、警察と検察庁に流したのである、、、警視庁詰めの記者の情報から動き出した。

そして、関東連合会睦会本部の家宅捜査が実行されたのであった、事務所の「がさ入れ」も急遽だったので、事務所内で見つかったライフルと日本刀で「銃刀法違反」と、、債券取り立てに絡んだ「脅迫教唆の容疑」で新若頭を逮捕したのであった。

同時に検査庁で水野忠助を「脱税容疑」で逮捕した。更に大日本工業(株)にも「脱税容疑」で社長始め担当役員が逮捕された、、また、「三紀建設工業(株)」にも家宅捜査がはいったのである。

大洋の最初の目的は達成したのであった。

水野忠助が二度と浮世に戻れないように、、更に調査をしたのである、、数知れない悪行をしている水野忠助であるから、、大洋は更に悪行があると思っていた。





「新、片目のジャガー」献残屋藤吉郎


1)新「片目のジャガー」


銃声の音で家に飛び込んだ、流健次郎警部補だったが、、、遅かった、、犯人は拳銃で狙いを定めて待っていた。


そして、流健次郎は撃たれたのであった。


狙い撃ちだから堪らない、、、流健次郎警部補は撃たれてその場に倒れた。


気が付いた時には病院のベットだった。


そして、知らされた。。。残酷であったが妻の芽衣子と子供の正一も襲われていた。


流健次郎が気が付いたのは銃撃されてから、1か月が経っていたのであった。


妻の芽衣子と子供の正一は即死だったと。。。


流健次郎警部補は左目を撃ちぬかれ、頭部に弾痕が残ったのであった。


即死状態だったのが一命を取り留めたのが奇跡だった。


流健次郎は退院してから、まずは二人の墓前に花を添えた。


そして、、、一人で涙した。


見えぬ目にも涙が流れたような気がした。


流健次郎は誓った。


必ず、犯人は逮捕すると、、、二人の仇討ちはすると。。


墓参りを済ませた後、誰もいない我が家に戻り、一人酒を飲んだ。



2)酔いどれ、ジャガーの復讐心


病院から退院した、流健次郎警部補は警視庁の過去の事件記録を調べた。同僚の如月弥生巡査部長が記録室に勤務していたので、流健次郎警部補が過去5年間に関わった事件で、犯人を銃殺した記録を作ってもらった。


その記録資料を見て、びっくりした、、、5年間で120件もあり、その全ての事件を逮捕時に銃殺しているか、重軽症を負わせていた。


同僚の如月弥生巡査部長が、、、


「びっくりしたな、、、流、、、ほとんどを殺しているな、、でなければ片輪にしているよ、、」


「これでは本人か、、家族がいれば、恨まれても仕方がないな。。。復讐もあるよ、、、きっと」


と言われ、流健次郎警部補もびっくりした。


これらを全部、捜査するのは大変なので、、、本人で出所している者、、、遺族で生きている者をリストアップしてもらった。


「ありがとうな、、、如月。。。また、何かを頼むかも知れないからよろしくな。。。」


と言って、流健次郎警部補はリストアップした資料をひとつ一つ潰していった。


警視庁殺人課に所属していたので、、、本庁の事件も捜査しなくてはならなかった。


大和田捜査課長からも。。。「流、自分の捜査は休みにやれよ。。。勝手は駄目だからな。。」


と、念を押された。


流健次郎警部補は休みは、、、資料を潰していった。


そんな流健次郎を見ていた、、、如月弥生が捜査を手伝ってくれた。


休みの今日も疲れて、、、、いつもの居酒屋に来ていた。


居酒屋八千代は流警部が独り身であることを知っていたので、夕食を用意していてくれた。


流警部補にしてみれば、癒しの時間であり、いっぱいのビールが美味かった。

夏の暑い盛りだったので、、疲れた後の冷えたビールは格別だったのである。居酒屋八千代のママが気遣ってくれいた。


そんな蒸し暑い夏の夕暮れで、捜査は思うようにいかず、、捗らなかった。

居酒屋八千代の夕食の時間は心休まるひと時であった。


そして、流健次郎は諦めなかった。




3)今回の休みも情報を頼りに九州博多へ


流健次郎警部補は休みを利用して、流れてきた情報をもとに九州博多を訪ねた。自分が逮捕時に射殺した家族ががいるというので探し求めて、尋ねてみると、犯人の妻は再婚して幸せに暮らしていた。


もう一人の女は鹿児島にいた。子供と二人で水商売をしながら生きていたが、娘の近藤彩芽は18歳になって、行方不明だった。


娘、近藤彩芽は16歳の時に傷害事件を起こして、:少年院に服役していたが、出所していた。


流健次郎警部補は思った。。。この、近藤彩芽と言う少女を探さないと、、、、


最終の新幹線で東京へ戻り、同僚の如月弥生巡査部長に調査を頼んだ…少年院を出所してからの近藤彩芽の足取りを。。。


流健次郎警部補は翌日から合同捜査に戻りながら、考えていた。


そして、近藤彩芽の近況報告を待った。


その後、少年院の記録によると、東京へ出て、万引きで補導されたいた。その足取りも如月巡査部長に追ってもらった。


その間に流健次郎警部補が逮捕時に重傷を負わせて、現在は出所してい大木戸誠が千葉県松戸市に在住していることが分かって、尋ねることにした。


大木戸誠は松戸で施設に入っていた。逮捕時の銃弾がもとで、半身不随になっていた。とても、流健次郎警部補を襲えるようなことは不可能だった。しかし、流健次郎警部補はしみじみした、、、事件を起こした犯人を逮捕す時とは言えど、自分の行動で一人の人間を片輪にしてしまったことに、、、何か仏心が出た。


半身不随にして生かしているよりは、、いっそ、殺した方が良かったのではと、、、


そんな時に、如月巡査部長から連絡が入った。


調査を頼んでおいた、近藤彩芽の報告が入った。現在、住んでいるところが分かったので、今度の休みに行くことにした。、、、、




4)近藤彩芽を訪ねて、、、、、


流健次郎警部補は自分の休みを利用して、過去の自分の事件簿を追いかけたいた。資料は同僚の記録室に勤務する、如月巡査部長から情報を流してもらったいた。


過去の捜査記録を見ると、普段気に気にしていなかった資料から、自分がいかに犯人逮捕をしたか、、びっくりした。


そして、逮捕時に射殺したり、負傷させていたかが分かり、


少々、反省をした。


今回は殺人課で事件が起こり、その捜査をしながらだったので、流健次郎警部補も忙しかった。


上司の大和田課長から、、、「おい、、流、、殺人課の捜査にも力入れてな、、、、頼むぞ」


と念を押されていた。


しかし、流健次郎警部補は自分の捜査も手を抜かなかった、


今回の休みも如月巡査部長からの情報をもとに、千葉県千葉市に出かけた。


流健次郎警部捕は一番関係が有るような気がした、近藤彩芽と期待していたのであったが、千葉市の自宅マンションを訪ねてみたら、本人は交通事故で亡くなっていた。


千葉市の帰り、電車の中で考えていた。本当の下手人は何処にいるんだよ、、、、必ず、見つけてやるからな。。。


「待ってろよ。。。」と、、、更に探す意思を固めた。


流健次郎警部補は東京へ帰ってから、殺人課の捜査に戻った。


殺人課の相棒、轟肇と今回の殺人事件の捜査に当たった。


「流さん、、、休みなくて大丈夫ですか、、、心配ですよ。


自分が動く時には、少し、休んでください」


と、後輩の轟刑事部長は気を使ってくれた。


「ありがとう、、、心配するなよ」


と流健次郎警部補は感謝をしていた。


今回の事件は人質を取っての引き籠り事件で有った。


今までの流健次郎警部補なら乗り込んで、強引に犯人を射殺して済ませたいたような事件で有った。


なぜか、今回は慎重だった。


自分の過去の事件記録を見ているうちに、変わり始めたのであった。


余りにも犯人を射殺し過ぎている、、、そのために、復讐されたのではないかと思うようになって来たのであった。


出来れば、射殺無しで逮捕したかったのであった。


流健次郎警部補は相棒の轟巡査部長と引きこもりの現場に着いた。しかし、今回は突入をしなかったのであった。


引き籠りした新興銀行代々木支店の周囲には、警察官と報道関係でいっぱいだった。


警察の説得が思うようにいっていなかった。


その現場の状況を見ているうちに、流健次郎警部補は少し苛ついてきた。




5)流健次郎警部補は、事件記録を見て、少しは変わったような気がしたが、


そうではなかった


流健次郎は事件現場に戻ると捜査エンジンがかかってしまう様な。。。


「轟、、人質立てこもりで、何をやっているんだ、、、まだろっこしいいな。。。俺はいくぞ。。。」


「流警部捕。、まずいですよ、、、他の係の事件ですし、ちょいと控えましょうよ、、」


「馬鹿野郎、、、犯人は待ってくれないよ、、早く要求を呑まないと。。。人質事件の時は要求を断るか、飲むかだけだよ、、、」


と言いながら、人質を取っている犯人の前に立ち肌っていた。


流健次郎警部補は、、「あんたの要求は呑むから、、、人質を離せよ、、」と、近距離2mのところまで近づき、拳銃を素早く打ち込んだ。。


犯人はびっくりして、後ろに仰け反った。


流健次郎警部は人質を撃って、その撃った銃弾が近距離だったので、犯人まで貫通して倒れていた。


銀行強盗はもう一人いた、、人質の中にまぎれていたが、その犯人が拳銃を構えた瞬間に流健次郎に撃たれた。


その瞬間に周囲を取り囲んでいた警察が

犯人たちが取り押さえた、、、そして、救急車も来て、怪我した人質を運んでいった。


犯人逮捕もしたが、犯人にも、人質にも怪我人がでたので。。。


警視庁殺人課の藤田課長から苦言が出た。


「流、、、死人が出なかったら良かったけど、、、控えろよ」と、、、、


事件を解決しながら思った。


そうか、犯人ではないが、事件解決の時に巻き添えを食った人間からの恨みもあるな。。。。


警視庁に戻ってから、記録室の如月巡査部長に会いにいった。


そして、過去の犯罪記録の中で、巻き添えをした第三者がわかったら、調べて欲しいと。。。。


それから1週間たった日に、如月巡査部長から連絡が入り。。。


その晩に流健次郎警部補はいつものいつもの居酒屋八千代で如月巡査部長とあった。


流健次郎は疲れていたが、、如月巡査部長の話を聞いて、いくつか気になる事件があった。




6)流健次郎警部補が気になった事件を見つけた


流警部補は今回の銀行強盗で分かったことがあった。


どんな事件でも第三者を犠牲にしてはいけないと、、、、犯人が逮捕出来れば


多少の犠牲は仕方がないと思っていた自分が、恥ずかしくなった。


警視庁記録室に如月巡査長を訪ねて、、、、流警部補は聞いてみた。


「流警部補の逮捕には第三者の犠牲者が多すぎます。。。犯人逮捕はいいのだけれど、


その際のケガ人や、死人が多すぎる感じがする。。。。」


いわれて、、、流警部補はやっぱりと思った。


その関係の犠牲者の恨みを忘れてたような気がする。。。


「如月、、、巻き添えを食った、関係者を調べてくれないか。。。大変だと思うけどな、、」


「わかった、、、警部補、この調査は高くつくからね、、、」


流警部補は了解した。。。。





7)流警部補の事件簿控えの調査


流警部補に依頼された如月巡査長は、過去の事件記録の調査を始めた。


そして、1週間後に調査結果が出た。


如月巡査長もびっくりした。犯人逮捕は殺人課ナンバーワンであったが、その事件の被害者が多いことであった。事件の巻き添えを食って,怪我人の多いことで。


死人は出なかったが、第三者からの苦情が多かった。


その結果の後始末には時間を要していた。


そのことに気が付いた、流警部補はその第三者を調べることにしたのであった。


恨み、苦情を受けていたのだと。


自分のやってきたことが恐ろしくなってきた。


そのいくつかの恨みの中に、、、今回の妻と子供の復習があったのだと。。。。


すべてが、自分のなすが故の結果のような。


流警部補はその晩に如月巡査長といつもの居酒屋であった。


「如月。。。いろいろとありがとうな、、、本当にありがとう」


事件記録を調べてくれたお礼を告げた。


「如月、、、俺の捜査は間違っていたような、、、少々強引過ぎたかな。。。


あの記録簿を見ると、第三者の犠牲が多すぎる。。。」


「如月もそう思うだろう。。。少し、反省しないとな」


「警部補の捜査が間違ってるとは言えないと思いますが、、、」と言葉を濁した。


自分の復讐のことばかり考えていたような気がする







8)流健次郎は過去の事件簿を調べた




流健次郎は過去の事件簿を調べてみた。確かに逮捕数は多い、、、しかし、その逮捕に伴って犠牲が多いような、、、


その結果の恨みを買っているのではと思うようになって来た。


そして、如月に巡査部長に逮捕時の犠牲者を詳細に調べてもらった。


その結果を流健次郎警部補は追跡調査を追ったのである。


そして、いくつかの犠牲者が浮かんできた。


その射殺した犠牲者の中に、意外な人間がいた。殺人課の後輩の轟刑事部長の家族が含まれていた。


それも、轟刑事部長の妹さんが犠牲者の中にいたのであった。


流警部補が担当した通り魔連続殺人事件があった、、、その中の犠牲者の中に轟刑事部長の妹さんがいたのである。


妹さんが拉致されて、犯人が追い込まれ、妹さんを人質に取って立てこもった時である。


流警部補が強引に逮捕に踏み切り、犯人を撃ち殺したときに、妹さんも巻き添えを食ってしまっていた。。


轟刑事部長がまだ、警察官になる前のことだったので、、、流警部補も知らなったのであった。




9)過去の事件帳のなかに、轟警部補の妹がいた


以前に通り魔事件の犯人逮捕の時に、偶然であったが、被害者の中に轟警部補の妹が含まれていたのだ。

当時は犯人逮捕にだけ気を配り、周辺の人々への配慮がなかった。

ただ、がむしゃらに犯人逮捕にだけ集中して、検挙率ばかり考えいた。こうして過去の事件控え簿をみて、恥じるところ出てきた。

犯人逮捕だけが先ばしってしまい、よくよく考えてみれば、過ちであると、、、、

今になると反省だけである。

流警部補は自分勝手な捜査をして、第三者に迷惑をかけていたと。。。。

流警部補は過去の事件控えの資料をみて、、、、ただ、単に事件関係者というか、、、その家族だけを調べていたような気がした。

事件に関係のない第三者を巻き込んでいたことを見落としていた。

その中に後輩刑事の轟警部補の妹さんが、事件に関係のない第三者にいたのであった。

。。。。「きっと、、、轟警部補は恨んでいるだろうな、、、」と痛感した。

すぐにでも、話をして、謝ろうと思ったが、、、それが出来なかった。

いつかは事情を話して、心から謝ろうと思った。

しかし、なかなか出来なかった。

そして、他の事件控え簿を丹念に調べ直した。

しかし、他には見つからなかった。

それから、如月巡査部長と夕食をした時に、、、流警部補は思い切って、彼女に話をした。

「如月、、、過去の事件控えをみて、後悔していることがあるんだよ」

「それはな、、、俺の捜査はあらっぽいだろう、、、、だから、犯人逮捕の時にすぐに拳銃を使ってしまう。。

そんな逮捕時に、第三者に怪我をさせたりしている。。。」

「その第三者の被害者に。。。。轟警部補の妹さんがいたんだよ。。。そして、運悪く死亡していたんだ。。

俺、本当に後悔している。。。」

「如月、、、本当に今、参って要るんだよ。。」

流警部はことの次第を、、、悩みを話して、さらに悩みながら酒を飲んだ。

話を聞いた如月巡査部長も困っていた。

その夜、流警部補は深酒をしてしまった。

晩秋も終わりに近づき、街並みの木々の葉は落ち切っていた、、寂しい秋の夜の色模様であった。心も寒く、冷え冷えとして、人肌恋しくなった。



10)深酒で寝覚めが悪い流警部


前夜、飲み過ぎたのか頭が痛い。。。。

寝床から出るのが辛かったと同時に、、

正直悩んだいた、、、、同僚の轟警部補の妹の件では、、、

謝って済むものではないことも分かっていた。

しかし、話さなければならないと。。。

もし、轟警部補が妹の復讐のために、俺を撃ち、家族を殺していたらと

思うと、、、

正直言って、どうしていいかわからなかった。。。。

流警部はもう少し時間をおいて、、、様子を見て判断しようと思った。」


11)流警部の心揺らぐ


流警部はいくら考えても、正直言って考えがまとまらなかった。、、、

自分の過去の行動が、今回の引き金になっていたとは、、、、のである

若さにはやり、検挙率一番と逸っていた自分が蒔いた種とは思いもよらなかった。

自分の軽挙妄動が人を不幸に落とし入れ、取り返しの付かない過ちを起こしていたことの、、、

罪の重さを思い知ったのであった。

自分の軽挙妄動が恨めしかった。

しかし、反省しても遅かった、、、、どう、接していいか、分からなかったのである。

今頃になって、過去の過ちが、自分に覆いかぶさってくるとは、、、、

それでも何とかしなければならない。

部下でもあり、同僚の轟警部補にはどうすればいいのか、、、正直分からなかった。。。

今まで、轟警部補の心中を察したら、、、なんと,詫びればいいのか。。。

自分への最初の攻撃というか、、、仕打ちを見れば分かる。

彼は妹さんの恨みを自分に向けてきたのだ、、、、そして、片目を失い、、、今も銃弾の破片が

流警部補の頭の中には残っているのであった。

轟警部補にしてみれば、、、今すぐにでも、流警部補を撃ち殺したいのだと、思ってる筈だ。

それをじっと、、しているのだ、、、、仇が 目の前にいるのに,、、

そのことを思うと、流警部補は耐えられなかった。

流警部補としては、、、死んで詫びなければならないところだったが、自分の場合も妻と子供を殺されているので、、、

どうしても、割り切れなかった。

今の流警部補には、、、どうしていいのか、分からなく、、、、毎日、酒を飲んでいた。暮れも押し迫り、木枯らしが吹き始めた帰り道で独り、、酔っぱらいながら、何故か分からないが涙が出て来たのであった。





12)流警部の心を決めたものは、、、、


毎晩、居酒屋で酒を飲み、悩んでいた時に、、、警視庁殺人課から連絡が入った。

当時、汚職事件で担当刑事が行方不明になり、、、その担当刑事が殺されたことが分かり、

流警部にも召集が掛かった。

そして、その犯人が立て籠っていて、、、人質を取っていたのであった。

その人質は小学生3年生とのことであり、、、、警察としては、今、説得してる最中で

、その周囲を取り囲んでいるところであった。

流警部補も、轟警部補と合流して、逮捕のための準備をしていた。

以前の流警部補だったら、強硬突入していたところであったが、、、、出来なかった。

指示を待って、取り囲んだ中にいた。

そこへ、上司の殺人課長が来て、、、

「流、、、どうだ、、、強硬突入出来るか、、、」と聞かれたが

返事が出来なかった。

依然の流警部なら、やっていたかも知れない。

しかし、今は出来なかった。

そして、轟警部補を見た、、、、

その時、「流警部、、、あなたなら出来るよね、、、」

と言われたが、体が震えた。

そして、みんなが思っているのだ,、、

流健次郎警部補は思った、、、

今度こそ話そうと、、轟警部補に真実を話して、謝れるものなら心を尽くして謝ろうと。

それで、人質救出に立ち向かうことを決めたのであった。

「おい、、、今からそっちへ行くから、、撃つなよ、、、話があるから」

と、、、流警部は拳銃を犯人の見えるとこで地面に置いた。

「いいか、、、拳銃は持っていない、、丸腰だからな、、撃つなよ」

そうして、犯人の目のまえに歩いて近付いた。。

犯人が「止まれ、、、それ以上近付いたら子供撃つぞ、、」と、脅してきたのである。。

「わかった、、、あんた、子供を撃ったら罪が重くなるから、、どうだ、、俺と人質の交換をしないか、、、俺は丸腰だし、片目片手の片和だから何も出来ない。。」と、、言って更に近付いて行った。

そして、犯人も流警部の容姿を見て、安心したらしく、子供との人質交換を飲んでくれたのである。

無事、人質の子供を返してもらい、子供が轟警部補のもとに戻ったことを確認した流警部補は犯人を撃ったのであった。

失った片手から銃が撃たれて、犯人は崩れるように倒れた。

流警部の行動を見ていた周囲の警察官は流石にと思ったのである。

特に轟警部補は人質を庇いながらその逮捕劇を見ていたのであった。

轟警部補は思ったのである。。。流警部は警察には必要な警察官であり、

頼りがいのある刑事だと。

しかし、、流警部補は命を捨てて犯人逮捕に尽力をしていく姿を轟警部補にみせたかったのである。

そして、心の中では葛藤して、、迷いが生じていた。




13)流警部補を狙っている奴は別だった。


流警部補は轟警部補を誘って、居酒屋八千代に飲みに行ったのである。

どうしても、轟警部補とははっきりしておきたいと思った、、、それで、思い切り聞いてみたのである。

「轟よ、、、お前に聞いておきたいことがある、、もし、それが事実なら、お前はどうする気でいるのか、、本当のところを教えて欲しい、、正直に答えてくれ、、、」と、、、ずばり、聞いてみたのであった。

「もし、そのことで,拘っていたら、正面向かって言って欲しい」

轟警部補は逆に聞いてきた。

「なんですか、、、改まって、、僕は警部には何も言うことはありませんよ、、警部補は凄い人だと思っています、、

警察官として尊敬していますから、、、」

と、、答えが返ってきたのである。

「じゃあ、、、轟よ、お前の妹さんを俺が犯人逮捕の時に撃ってしまったことを恨んではいないのか、、、本当の気持ちを教えて欲しい、、、言って欲しい」

と、、、流警部補は短刀直入に云ったのだった。

「ああ、、、そのことですか、、、恨んでなんかいませんよ、あれは不可抗力ですから、、、仕方がないことですし、、妹も恨みになんか思っていませんから、、

安心してください、、」

と、、轟は遠い昔の思い出話をする様に答えてくれたのだった。

流警部補は信じがたかった、、、本当なのかと。。しかし、轟警部補が言うのだから信じないわけにはいかなかったのである。

一緒に仕事をしている仲間を信じないわけにはいかなかった、、、信じなけれなこれからの警察業務を、、時には命がけの警察業務を出来ないのである。

流警部補は轟警部補の言葉を信じた。




14)流警部補は初めから自分のやってきた警察業務を見直した。


流警部補は自分のやってきた捜査をもう一度、見直すことにしたのであった。自分の逮捕した犯人の再捜査を全て、人を頼らずに自分の手で、目で確認し始めたのである。今までは全ての資料を如月巡査部長に調べてもらっていたが、今回は見える片目で資料をみたのであった。如月巡査部長を信じないわけではないが、、、すべてを再確認したかったのである。

勿論、如月巡査部長には手伝ってもらってはいるが。。。

「如月、、、ごめんな、二重手間になってしまって、、どうしても、見落としが無いか、調べたいのでな、、、宜しく頼む」

と、、流警部補は誤った。

過去の記録も膨大なものであったが、、流警部は出来るだけ記憶を辿ったのである。。。

犯人逮捕の時に、犯人や関係者を射殺した事件や、誤認逮捕が無かったか、資料を見ながら過去の事件を追っていった。

流警部補も余りにも犯人逮捕が多く、強引な捜査が多かったので、思い当たる事件が浮かんで来なかったのである。

一緒に再資料の検査をしていた如月巡査部長が一つの奇妙な事件を見つけてくれた。

7年前になるのかな、、、立て籠り事件で、一緒に捜査していた先輩警部の館林総一郎という警察官が殉職したことがあったのである。

その時の事件は、まだ警部補時代であり、館林警部の指揮下にあって、流警部補は犯人逮捕時に発砲はしていなかったので、見落としていたが、、、犯人の撃った拳銃で館林警部が撃たれたのであった。

確かに、犯人逮捕時には現場にいたが、直接には銃撃戦には参加していなかったのである。

その殉職した際に、館林警部の援護射撃の中の一人ではあった。

しかし、まだ、警視庁捜査一課に配属になったばかりで経験も浅かったので、援護射撃が出来なかったのである。

流警部補は如月巡査部長から、その資料を見せられたので、、、そんなことは無いとは思うが、、、調べてみることにした。

そして、館林総一郎警部の住まいを訪ねることにしたのである。

埼玉県草加市の住居に家族は住んでいなかった。

館林警部の家族は妻の里美の実家に引っ越していたのである、、、茨城県つくば市に家族3人で済んでいたのであった。

息子の修一は現在23歳になり、陸上自衛隊特殊部隊勤務で、、娘の茜は22歳になり、警察学校を卒業して現在は警視庁生活安全課勤務であった。

実家を訪ねた流警部補は奥さんの里美さんから話を聞いてびっくりしたのである、、、

館林警部が殉職したのは、援護射撃を担当していた当時警部補だった「流健次郎」の射撃ミスであったと聞かされていたという話であった。

当時、館林警部と同僚の「大河内重一」から聞かされていたのである。現在は警視まで出世して管理官を務めている。

その話を聞かされて、奥さんの里美さんは流警部補を恨んだこともあったというのであった。。多分、二人の子供たちも恨んでいたと思います、、、聞かされて愕然とした。

「そうだったのか、、それでは人を恨むよな、、、」そう思った流警部補であった。



15)人に恨みを残すことは、、、


流警部補は警察間としての仕事に誇りを持って生きて来たのであった。世の中の悪に向かって、社会悪を、そして、悪事を働いた人間を罰することが正義と思い、悪人退治をしてきたつもりだった。

しかし、人の道にはやってはいけないことが、、、正しいと思っても、その悪への向き合いが間違うこともあるようだったのではないかと、、今となっては思うのである。

どんな悪にも、社会悪にも理由はあるのだと、、それらを正しての裁きが必要なのではないのか、、、

昔の歴史物語にもあるような「大岡裁き」が出来ればと、、最近の流警部補を思うこともある。

ただ、がむしゃらに「猪武者」のような突進は違うような気がして来たのであった。

流警部補は悪への怒りから、何が何でも目の前の敵を倒さなければ、、逮捕しなければと「しゃにむに」犯人へ向かっていったような気がするのである。

そのための犠牲は仕方がないと、、、今の流警部補に出来ることは反省と後悔だけだった。

しかし、何か出来る筈と日々、葛藤する流警部補である。

自分が撃たれた事や家族の命を奪った奴は、殺したいほど憎い、、、その原因を辿ればすべて自分の至らなさに返って来るのであった。しかし、、それでも犯人は憎い。

流警部補は事情を知った上でも、今回の犯人に復讐行為が出来るかと、、自問自答したのであるが、、、自分に自信が持てなかった。

流警部補は館林警部の事件を、当時の状況を調べた、、、入念に調べたのである。

自分に落ち度はなかったかと、、、あの時の自分の行動に迷いはなかったかと、、、何故、援護射撃が出来なかったか、、、もし、援護射撃が旨くいってたら、、自分が犯人を銃撃していたら、、館林警部は死ななかったかも知れない。確証はなかったのである。。。

自信を持って、あの時の行動は間違っていなかったと言えるのか、、、何度も思い返した。

しかし、はっきり、「間違っていなかった」と、、言えなかったのである。

迷ったそんな、ある晩に如月巡査部長を誘って居酒屋「八千代」で飲んだ。

今回の流警部補の計画を初めから知っていたのは、如月巡査部長だったので、、その晩は「愚痴」を零したのである。

その晩は酔ったせいもあるのか、、、流警部補も自分の心の迷いを覗かせたようだった。

「警部補、、、難しいですよ。人の気持ちを知るということは、、、」

と、、、如月巡査部長はぼそりと答えたのである。

そして、居酒屋八千代のママが。。。「

「ケンちゃん、、、人に答えを求めては駄目だ、、、私もうっすらと話は分かるけどね、、

如月ちゃんも困っているよ、、、大変だけど自分の人生だから、今夜はうーんと飲んで寝てしまえば、、明日は明日の風が吹くから、、、」

と、、慰めにはならない慰めを聞きながら夜は更けた。

真冬の夜風は冷たかった、、然し、二人の女性の真心風は暖かかった、、二人の優しい風に吹かれながら、足取りもふらつきながら家路に付いた。


16)流健次郎警部補は悩んだ。


今朝は目が覚めた時に、、、頭が少し痛かった。飲み過ぎたようだった。

今日は休日だったかと、目が覚めてから気が付き、もうすこし寝ることにして、ベット流健次郎は久しぶりに休みらしい休みを取ったのである。

仕事から離れてのんびりしようと、近くの公園に散歩しながら出かけた、、、本当に久しぶりだったので、素足で下駄を履いて歩いてみた。公園の木々が風に揺れ、気持ちがすがすがしかった。

公園を散歩する老夫婦や子供連れが眩しく、、世の中の自然に歩く人々を見ていたのである。

自分には忘れていた光景だった。

やさしかった妻と愛しい子供が浮かんできた、、、懐かしい、あの頃に戻りたい。

流健次郎の目の前には素晴らしかった過去がある、、、

失った妻と子供は戻らないのだ、、、何をどうしても戻らない。

本当に悔しかった、、、しかし、過去は戻らないのだった。

急に妻と子供に会いたくなって、、流健次郎は二人の墓参りに出かけたのであった。

二人の墓前に妻が好きだったバラと子供が好きだった、どら焼きを備えて一人、マンションに戻ったのである。

そして、部屋で考えた、、、犯人への恨みは恨みだった。

やはり、許せないのだ、、、自分よりも、やさしかった妻と、甘えん坊の息子を奪ったことを、、

これからあるだろう人生を消されたことへの憎悪の念が沸き上がってきた。

妻と子供を奪った犯人を許せなかったのである。


流健次郎警部(いつしか警部に昇給していた)は警視庁に出勤してから、もう一度、館林警部が担当した、あの人質事件を調べ直した。

そして、あの援護射撃が出来たのは自分だけでは無かったのである。あの周囲には犯人射撃が出来る警察官が3人もいたのであった。

その警察官は3人とも一人は定年退職、そして、大川警部は新宿警察署、生活安全課課長として転属になり、、一番、館林警部の近くで、すぐ後ろにいた太田警部は現在、警視となって大阪府警に転属になっていたのである。

若かった流警部は当時は警部補だったが、、警視庁殺人課に部署転属をしたのであった。

よくよく考えてみたら、、流警部を入れて4人の警察官に容疑を掛けることも出来るような気もしたが、、、

今となっては確かめることも出来なかった。

流健次郎は不思議に思ったのである、、、当時の状況からすると4人の容疑が浮かんでくるのであるのに、、、どうして、自分が狙撃出来たのかと。疑いを駆けられたのかと、、

それが謎であった。それを確かめるべき流警部は動いた。

そして、流健次郎警部はすでに退職している坂田三郎、元警部補の自宅を訪ねることにしたのであった。

現在は実家のある青森県弘前に住んでいいくので、休暇を取って行くことにしたのである。



17)3人の元警部補の誰かが嘘をついている、、、


流警部は青森県弘前市に住んでいる坂田三郎元警部補の自宅を訪ねた。弘前市に住んでいたのである。

「こんにちわ、、、坂田さんですか、、、先日連絡いたしました流健次郎です」と、、、挨拶した老夫婦はいかにも田舎のおじさん、おばさんといった優しそうな人たちだった。

とても元警察官には見えなかったのである。

「はい、、、坂田です、、ご苦労様です、、、こんなに遠い田舎まで疲れたでしょう」と、、出迎えてくれた。

坂田さんの奥さんが、、「田舎の家ですが、、、さアー、中に入ってお茶でも飲んでくださいな、、」と、、案内してくれた。

流警部にはこの坂田夫婦には出来ないな、、、まるっきり、善人だと見えたのである。

「坂田さんはおいくつになられました、、、」腰が少し曲がった坂田さんに尋ねた。

「あはっは、、、あはっはは、、もう、70を過ぎましたよ、」と、笑みを浮かべながら答えてくれたのである。

そして、家の中に入ってから坂田三郎さんは静かに話してくれた。

「覚えていますよ、、、私にとっては大きな事件だったので、、忘れることの出来ない不祥事でしたからね」

と、、その当時を振り返りながら、ぼそぼそと語り始めた。

「以前も私のところに、亡くなった館林警部の息子さんで、修一さんだっかな、、、あなたと同じことを聞きにこられましたよ、、、私は正直に答えました」

坂田三郎さんは、、、「あの時、私も援護射撃の指示を受けていましたけど、、私などは警察官になってから拳銃などは撃ったことが無かったので、撃てませんでした」と、、、教えてくれた。

「私は確かに聞きました、、、あの時に拳銃を撃った音が二発だったと、、、そのことを聴聞会でも言いましたが、、止められたのです、拳銃の発砲した音は一発と言えと、、、当時の監理官だった菅田浩一郎警視に指示をされたのでした」と、、聴聞会で嘘の供実を述べたことを反省したのである。

菅田監理官から半ば脅しのような態度で迫られたので、、、

「あれから、時間が経ち、、私も年を取ったので怖いものは無いので正直に話しますよ、、、それが事実です」

と、、、言ってくれたのである。

「館林警部の息子さんの時には嘘のままの供実で話でしています、、まだ、聞かれていないので訂正をしていません、、」と、、真実を話してくれたのである。

話を聞いた流警部は拳銃を一発なのか二発なのか、、その辺に謎があるような気がした。

その晩は遅くなったので、、図々しいとは思ったが、坂田さんに甘えて泊めて貰ったので、、さらに、詳しく話が聞けたのである。



18)館林警部の死には不可解な秘密があった。


流警部は青森の弘前市に坂田元警部補を訪ねて良かったと思いながら、東北新幹線で東京へもどった。

流警部は考えた、、、帰りの新幹線の中で、、、館林警部の殉職には何があったんだろうと。

あの時の援護射撃はなんのための発砲指示であったのだろうか、、、何か警視庁内部に何かの事情があったのか、、、

流警部はもう一度、大川警部の生活安全課と太田警視のいる大阪府警に行く前に調べる必要があると、思い警視庁に戻ってから事件の背後というか、当時の警視庁事情を調べてみることにしたのである。

警視庁監理官であった菅田浩一郎警視についても調べることにした。

流警部には今回の人質事件には、何か腐れた秘密というか、、謎がある様に思えたのである。


あの事件の時の犯人も射殺されたのであった。そのために、担当した警察官には詳細は知らされていなかった。

そして、警視庁内部の上層管理職だけで処理をれたのであった。

今になって考えてみれば不思議な事件であり、不透明な解決をしていたのである。

あの人質事件の犯人は柴田一臣で、人質になったのは、民友党の相田次郎政調会長の秘書である息子の相田安生であった。

あの事件は脱税疑惑の事件であり、、、犯人の柴田一臣がその事件の暴露記事で相田政調会長を脅していた人質事件であったのである。その辺りに秘密裏に解決しなければならない理由があったようだ。



19)館林警部の息子と会う。。。


真相を知り、確証を得た流警部は館林警部の息子、修一と連絡を取り会う約束をいたのであった。

修一が休みの日に東京駅内にある「東京駅ホテル」のロビーで待ちわせたのである、、

決められた時間に流警部が行くと、、連れが一人いた。

修一の妹で茜と言って、挨拶をしてくれたのである。。

彼女は警視庁生活安全課に勤務していた、、、流警部の近くで見られていたのであった、、、悪くいえば監視されていたようなものだった。

「初めまして、、、修一君、、、茜さん、、嫌だとは思いますけど、俺が調べたことを聞いてくれますか、、、それからでも敵討ちは遅くないよね、、、

いいかな、、、それから、妹さんの茜さんは何度か会っていますね、、事件の関係で、、、」

と、、説明してから、今回の事件の内容を詳しく話したのである。


流警部が事件の流れを説明して、、警視庁内部の上層部官僚が政治力で動された話や、、政治力の力で捻じ曲げられた事実を話したのである。

警視庁生活安全課に勤務する妹さんの茜さんは事情を呑み込み、、警察の都合も分かるような気がしたが、、、息子の修一は納得がいかなかった。

流警部は修一に対して。。。。

「俺の説明で納得がいかなかったら、、あなたの父親の仇を討てばいいよ、、、

しかし、、俺も事実を知ったからには黙ったは討たれないからな、、、」

そして、言った、、、

「それでも仇を取りたいなら、、やればいい、、、その前に、、あなたに討たれる前に、俺はやらなけらばならないことがある。。。」

「修一君、俺が済ませた後にしてくれないかな、、、」

と、、、流警部は頼んだ。

妹さんは理解してくれた、、、そして、、

「お兄ちゃん、、よく調べて、考えた方がいいよ、、」と、、助言をしてくれた。

そして、、館林修一は答えを出した。

「わかりました、、、考えてみます、、、結論が出たら連絡をしますので、、、

今日はありがとうございました。。」と、挨拶をして妹と二人で帰って行った。

流健次郎警部もやっと見つかったような気がした、、そして、覚悟が決まったのである。二人が帰った後は心が清々しかった。



20)真の仇が見つかった。。。


流警部は館林警部の子供たちと会い、、思いを告げたので、、今までの曇っていた心が晴れたのであった。

やっと自分の思いが遂げられると思い、、流警部は妻と子供の墓参に、、、

そして、、妻の芽衣子に長男の正一に言葉をかけたのである、,、今までに云えなかった言葉を。。。

「芽衣子、正一。。。待っててくれよ、、俺ももうすぐに,お前たち所に往くからな、、、」

と、別れを告げた、、二人の墓前に花を手向けて。

忠臣蔵の仇討と同じように、、やり直しが出来なかったのである。

流健次郎警部は調べた、、、相田政調会長の予定を、、、

そして、時を決めたのである、、

流健次郎警部が拳銃で撃たれたように、、拳銃を使って襲撃したのであった。

相田政調会長の自宅に乗り込み、、射殺したのである。。

覚悟の上の襲撃であるから、、堂々としていた。。

そして、流健次郎警部は死亡を確認してから、、警視庁特捜部に出頭したのである、、

翌朝のニュースで報じられた。

相田政調会長が暗殺されたことが、、、

民友党本部でも警視庁でも大騒ぎになったのであった。



21)相田政調会長暗殺の取り調べ。。。


流警部に轟警部補は取り調べをすることを述べて、、警視庁特捜部での現場検証や事情聴取が開始された。

「警部、、何んでもいいですから、、連絡するところがあったら言ってください。。」

と、、言ってから轟警部補は今回の事件を聞き始めた。

「轟警部補、、、一つだけ託をお願いします、、今回の事や今までのことで、如月巡査部長には世話に成ったので、、ありがとうと一言だけ伝えてください、、

そして、俺とは一切関係ないことを伝えてください、、迷惑をかけるかかも知れないが、、すまないとだけ、、」

と、、流警部は頼んで、取り調べに応じたのである。

そう、、話した流警部には清々しい潔さを覚えた轟警部補であった。

まるで仇討を済ませて引き上げる赤穂浪士の面々の雄姿の幻影を見たような気がした、、男を見たのであった。

命を捨てた覚悟が、やり遂げたことの日本古来の武士道を感じた。

その後の取り調べは順調であったが、、事件の流れの中で、、相田政調会長から指示命令が曖昧であった。

極悪人相田政調会長は憎いのであるが、、途中の指示関係を受けた警察官僚たちは政治力に脅かされて動いた、その人たちも弱者のひとりであり、、被害者でもあったような気もするのである。

流警部にしてみれば憎いことは憎いけれども殺すまでは無いとかんがていたのであった。

今回の取り調べでは名前を挙げることではないと思ったのであり、、、警察内部官僚の判断に委ねることにした流警部であった。



22)館林警部の子供二人が面会に。。。


流警部の取り調べは、警察拘留が2日間、検察拘留が10日間,裁判所拘留が10日間で合計で「22日間」が拘留期間である。

その期間に取り調べを行い、、起訴に持って行き、、、検察庁に起訴して、、被告人が罪状を認めた時に「保釈申請を行い、、裁判所が認めた時に保釈が認められる」のである。

「保釈金」が払えない被告人は裁判が終わるまで、「判決」が決まるまで「留置所」に拘留されるのであった。留置所の拘留期間は、日本の場合、、約6か月を要する。その間は特別のことが無ければ留置所での生活になる。

「朝は6時起床、それから雑居房の掃除、そして、朝食で、昼食は12時、夕食が4時であり、5時になったら雑居房にある布団を敷き、6時の就寝である、

9時の消灯、電気が消える」

それが毎日の日課である。。雑居房の中に布団は一番古参の囚人が一番上に積まれて、、新参者は一番下でぺちゃこであった。

昼間は雑居房の中での会話は自由であり、、囚人仲間が犯罪の自慢話をすることが多い。

留置所での注文は自由に頼める、、「お金」次第であり、、金が無いと惨めであった。

そんなシステムであり、、取り調べが終わると「面会」も出来るのであったが

「一日一組」だけである。。

誰でも規則は一緒で、破ることは出来なかった。

面会が出来るようになってから、、、館林警部の子供たち二人が面会に来たのである、、、

「流さん、、、ご無沙汰しました、、会いたかったのですが、こんなことになって、会うのが今日になってしまいました。。。でも、驚きました、、」

と、、息子の正一が挨拶をしたのでした。

「流さん、、父のことで真実を知って、、本当に良かったです、、それから、本当に心から謝ります、、早まったことをしてすいませんでした、、」

と、、深々と頭を下げて正一は謝ったのでした。

「この通りです、、ごめんなさい、、何といって詫びたらいいか分かりません」

と、、正一は面会室で土下座をしたのでした。

「正一さん、、、もういいですから、、手を挙げてください、、、それから、あなたたちのことは何も話していないから、、これからも黙っていて欲しい、、、どんなことがあっても、誰にも話さないでくださいよ、、私たちの秘密にしてくださいね、、」

流警部は固く念を押したのであった。





23)流警部は覚悟は決めていた、、


自分の復讐劇で館林警部の子。間違った復讐心を抱いていた心を吹き払ったので、、彼らに恨み事を残さずに罪に服することが出来るので憂いはなかった。

流警部には妻「芽衣子」長男「正一」の恨みも晴らしたので、、どんな罪に成ろうが後悔はしていなかった。

自分が襲われてから、、犯人探しに心を砕いていた流警部であった、、、自分のしてきたことに反省心を持ちながら、、事件にがむしゃらに立ちむかい、、犯人逮捕に専念したことを思い出しながら。自分の警察生活を懐かしく思ったのである。

取り調べが終わった夜、、留置所の中で静かなに考えた、、、考える時間を与えられたような気がしたのであった。。。

留置所の中も9時に消灯就寝なので、布団の中での時間が長かった。

警察署の留置所は朝は6時に起床で点呼が始まり、雑居房に敷いていた布団を片付けて、所定の戸棚に終う、、それから洗面を支持されて、朝食になる。

朝食はお金を持っている被告人は弁当を特別に好きなものをメニュー表に従って注文が出来るのだった。昼食も同じで、夕食も同じに注文できた。。。お金を持っていない被告人は決められて弁当を食べるのである。。

ここの世界でも「金次第」であった。

普通,留置所は2人から3人収監であり、、畳が3枚敷いてある。

今の時代は環境関係の団体が煩く、、冷暖房つきである。一昔前までは「毛布」だけ支給されて、枕も布団も無かったのであった。

今、留置所の中は布団、毛布、掛布団、枕付きであり、、悪事を働いた人間には極楽である。

警察の取り調べは朝は8時から始まり、、5時には終わる、、、余程の事がないと夜通しの取り調べは無い。

取り調べが期限内に終わる「22日間」と、、起訴されるまで暇になってしまうのである。

留置所の中でのお風呂は一週間に2回あり、、中で来ているズオンやシャツなどは、、留置所によって違うが「看守さん」が洗濯をしてくれるのであった。

今の留置所は居心地がいいので、、暮などには「コソ泥」をして、わざと掴まってくるやつがいるというのであった。始末の悪いことである。

そんな留置所で流警部は取り調べを受けて、、全て犯行を認めたので「22日間」で起訴された。、、彼は保釈申請をせずに、裁判まで留置所で過ごしたのであった。



24)流警部脱獄する。。。


流警部が留置所に移ってから4か月がたったある日に、同じ雑居房に入ってきた被告人がいた。。銃刀法違反で逮捕されて、起訴されたが保釈金が払えずに入ってきたのである。。

雑居房に入る時に挨拶があるので、、人通りに罪状を言って末席に付いた。

その被告人が最近の事件について話をした。。。その中に流警部が気になった事件があったのである。。

それで、その被告人に詳しく聞いたのであった。

話によると、、館林警部の子供たちが逆恨みで、警視庁の菅田浩一郎監理官を襲撃したとのことであった。

もう一人は大阪府警に転属になった太田警視が襲撃されて、、両方とも襲撃された警察官たちは無事であったが、襲った二人の犯人は射殺されたのことであった。

悲劇だとニュースで報道してたと、、、

その話を聞いた流健次郎警部は怒りを覚えたのである。。。

「ふざけてる、、、なんで、あの子供たちが殺されなきゃあならないんだ」と、、

無性に腹が立った。

「正一さん、、茜さん、、悔しかったろう、、無念だったろう、、」

と、、流警部は一人雑居房で涙したのであった。

そして、、数日たったある日に、流健次郎警部は腹痛を起こしてのた打ち回った。

留置所の担当看守が腹痛の薬を持って来てくれたけど、、収まらなかったので、、

看守が付き添いで病院に行くことになった。

病院に行くためには一人の病人に付き、5人の警察官が付いていくのであった。。

流警部は知っていたので、5人の警察官に付き添われて病院にいったのである。。

警察の決まりで病人一人に対して5人の警察官が付く理由は、逃走しようとした時の為に、、二人は両足をひとつづつ、両手を一人で方ほうづつ、そして、もう一人は頭を押さえるためだということだった。

それを知っている流健次郎警部は逃げるチャンスを伺っていたのである。

その時は手錠も外してあるので、逃げることは出来ると考えたのであった。

そして、武道に自信のある流健次郎警部は診察中の監視の3人を倒して、、外へ出て残りの二人を倒し、、運転手を襲って逃げたのである。。

逃走後の経路は分からずに、結果的には逃げられた。

流警部にはやることがあっての、、覚悟の脱走であった。



25)流警部は怒る。。


脱獄した流警部は盗んだ警察車両で、あるスクラップ置き場に走りこんだ。

昔、命を助けた秋葉組の元ヤクザの「秋葉浩一郎」がスクラップ屋をやっていたので、、とりあえず逃げ込んだのである。。

秋葉浩一郎は一人で住んでいたので、、流健次郎は事情を話して、中古の走るだけでいい、車を借りた。脱走の理由も言って、納得をして貰った。

「俺と秋葉、、:お前の関係は知られていないので、しばらく黙っていてくれ、、」

と言って、少々の金を借りた。

「流さん、、いいですよ、、、車はいらなくなったら捨ててください、、おなたには命を助けてもらったのですから、、少しとは言わずに、必要でしょうからここにあるだけ持って行って下さい。。」

秋葉は流健次郎に「20万円」を渡してくれたのである。

「ありがとう,、秋葉、、本当にありがとう、、、返せないぞ、、すまない、、」

と、、頭を下げて礼を言った。

「最後にすまないが、、、ドスかチャカは無いよな。。。」

すると、、秋葉は黙って出してくれたのである。銃弾つきでチャカを、、、

「ありがとう、、秋葉、、面倒懸けるな、、、時間がないので行くから、、

本当にありがとう、、、礼はあの世でな、、」

流健次郎は出て行った。


秋葉浩一郎にズボンや上着も借りての復讐仇討であった。

流健次郎の動きが早かったので、、目的地の目黒区碑文谷に住んでいる、警視庁監理官

菅田浩一郎宅へ直行したのである。。

まだ、流健次郎が脱走したことは伝わっていなかった。たとえ、知られていても流健次郎が脱獄して、復讐に来るとは思ってもいなかったのであった。

それが、突然に表れたのであるから、、菅田浩一郎は驚いたのである。。。

流健次郎は家族が居ようがいまいが関係なかった。偶然にも菅田浩一郎はひとりだった。

流健次郎は「問答無用」で、狙撃して暗殺したのである。

そして、その足で大阪に向かった。

警視庁特捜部では大騒ぎであったのである、、、脱獄と菅田監理官の暗殺事件で、、

警視庁内部で騒いでいる頃には流健次郎は大阪に向かっていた。

警察も馬鹿ではない、、、流健次郎が大阪に向かうことを察知して、、大阪府警の太田警視に連絡を取り、、身の安全を守る様に指示を出していた、、そして、大阪府警には緊急体制を取る様に手配もしたのである。

流健次郎はそれ位は予測していたので、、すぐには大阪府警には攻め入らなかった。

高速を使わずに日本海沿いに大坂に向かったのである。

途中、様子を見ながら、ゆっくりと、野宿生活をしながらの復讐旅であった。



26)大阪府警には手配がされていた。


流健次郎警部は脱獄してから、菅田浩一郎監理官を暗殺したので、大阪府警に着くまでには手配が回っているだろうと思い、時間を掛けて狙撃するつもりで計画を立てていた。

そのために、大阪入りは日本海方面に迂回してから、時間差で行く予定であった。

国道や県道を使わずに田舎道を遠回りして走ったのである。

そして、野宿やホームレステントを利用しながらの道中旅であった。

流健次郎は秋葉浩一郎から借りた金があるうちに、復讐相手が隙を見せるまでにやり遂げればいいと、思っていたので見つからないことが大事であったのである。

警察の手配も地方の田舎道までは監視するまでには至らなかった。

流健次郎は北陸まで突き抜けて、、福井県敦賀付近の田舎街を走り、、山間部の山村に入った。

山道を走って夜になった、そして、錆びれたお寺があったので山門で野宿をすることにしたのである。

夜中に雨が降ってきたが、その山門は雨避けにはなった。

流健次郎はいつしかうとうと寝てしまったいたのである。どのくらい寝たか、、人の声で起きた。

「旅の人、、風邪をひきますよ、、よかったら温かいお茶でもいかがですか、、」

そのお寺のお坊さんに起こされて、、その言葉に甘えて中に入り,温かいお茶をご馳走になった。

流健次郎は冷えた体が、、いっぱいのお茶で温まり、、救われた。

人の情けが心に沁みた。

「ありがとう、、ございました、、もう大丈夫です、、すいませんが明日の朝まで山門の隅で休ませて貰いますか、、」と、、流健次郎は丁寧に頭を下げた。

「よかったら、、古い壊れそうなお寺の庵ですが休んでください、、」と、布団と毛布まで用意してくれたのであった。

ありがたかった、、流健次郎はお坊さんに礼を言って休ませて貰ったのである。

今までの疲れが嘘のように無くなり、、いつしか寝てしまった。

流健次郎は次の朝、早く起きて、、自分が寝たお寺の床の掃除をしたのである、、、寺院の庭もさほどに広くはなかったがほうきで掃除をしたのであった。

今の彼にはそんなことしか出来なかったので、、、

夕べの僧が入ってきて、、、「おはようございます、、寝れましたか、、旅の人、掃除まで心使いしていただきありがとうございます、、、何にもございませんが朝飯を用意したのでよろしかったら、、ご一緒にどうでうか、、」

と、、案内してくれたのであった。

流健次郎はその言葉に甘えて朝飯をご馳走になった。「旨かった、、」と、思った。

「御馳走さまです、、、泊めて頂き、、食事までご馳走になって、、名前も告げられずに、本当にごめんなさい、、

許してください、、」と、、流健次郎は心から謝ったのである。

寺の僧、、住職だったのであるが、、「いえ、、気にしないでください、、旅の人でいいですよ、、」

と、、笑ってその後も話をしてくれた。



27)山寺「安寧寺」に流警部は世話に成る。、、


流警部は体調を崩していたのであった。山寺の住職はすぐに流警部が体に支障をきたしているとわかり、、、

「もし、旅の人、、、お加減が悪るそうですね、、急ぎの旅でなければ、少し、休まれてはいかがですか、、」と言われた後に、、流警部は倒れた。高熱を出していたのであった。

倒れてから二日後に目が覚めたのである。。。

山寺の住職に、、「よく寝てましたよ、、随分疲れていたみたいですね、、おかゆが出来ていますので食べてください。

元気になりますから、、」と、言われ、やさしくしてもらった流警部は深々と頭をさげた。

「大分、疲れが溜まっているようですね、、こんな山寺ですが、私一人ですので体調が戻るまで休んで行って下さい。。何も出来ませんが、、」、

と、、言われたので流警部は事情を話す気になったのである。

何か、山寺の僧にはすべてを話してもいいような心持になった、、、何故だかは分からないが、、仇討がここで終わってしまっても後悔しないような気がしたのであった。

何もない山の中での古びた寺での一人の僧の出会いが、流警部の心を癒してくれた。

自分が今、やっている復讐は何のためか、、どうして感情的になったのかを考える余裕が出てきたのであった。

しかし、後戻りは出来ない、、、やってしまったのであるから、、最後まで館林兄妹の悔しい思いは果たさないと、、再び言い聞かせたのである。。

そして、住職さんに話した、、、「本当にお世話に成りました、、ありがとうございます。。私は流健次郎と言います、、もとは警視庁の警察官ですが、今は脱獄犯で、ある目的のために逃亡中です、、、これ以上、住職さんにご迷惑はかけられませんので、今から逃げます、、、本当にすいませんでした。。」

と、、真実を告げたのであった。

山寺の住職は、、「そうですか、、何か深い事情はあるとは思いましたが、、しかし、あなたをみてると悪人には見えません、、人の世は全て「善悪」では判断はできません、しかし、「死」「生」は別です。死ぬ覚悟ですね、、

人は生まれて、やらなければならないこともあります、、それが「非情」でも、世の中の道理に「矛盾」していても、進まなけらばならない時もあります。」

その言葉を聞いた流警部は少しだけ救われた気がしたのである。

自分がしようとしていることは、人間の道に反しているかも知れない、、しかし、「矛盾」に刃向かっていくのであった。

山寺の住職は更に話してくれた。

「流さん、、それだけの覚悟があるのでしたら、、少しだけ考える時を作ってください、、そして、それでも、やらなければならない「非情」ならば、あなたが「死」を持って償えるならばその「矛盾道」を進んでください」

そして、、言ってくれた。

「こんな山寺でよかったら、少しだけ「座禅」でもして心を鎮てくだい、、もし、あなたに天運があれば、人生の寄り道をしても目的は叶うでしょう、、、」と、、、

流健次郎は体が復調するまで、山寺で世話に成ることにしたのである。



28)別れの日に、、、「最後の仇討」


流警部は山寺「安寧寺」で、体が復調するまでと、一か月近くも世話になった。

安寧寺の住職は「安念」といった。

滞在する間に流健次郎は健康も取り戻し、精神面の回復もしたのであった。しかし、、悩んだ。

自分が見逃した、許した人間たちが、流健次郎の居ないところで、館林警部の子供たちを殺したことに憤りを覚えたのである、、、そして、その行為が許せなかったのであった。

館林警部の子供たちは、一人の警察官同僚と上司の担当警視を許すことが出来ずに、行動に移ったのである。

その結果が失敗して、返り討ちにあってしまった。

そのことを考えると親を愛する子供たちが不憫でならなかったのである。

流健次郎は世の中の規則も何もなかったのであった。二人の無念を晴らしてやろうということで、、わが身の命を投げ打ったのである。

流健次郎はある晴れた朝、安寧寺の住職「安念」に礼を尽くして挨拶をして、旅だった。

「和尚、、お世話に成りました、、どうしても「非情」に生きるような運命ですので、、ありがとうございました、、」と、、、山門を出ていったのである。

その後の流健次郎の消息は無かったが、、風の便りで大阪での事件を「安念」は知った。


















































第一話では刑事時代に追い込んだ大物政治家の権力で、贈収賄事件を握りつばされて、その結果の辞任であったので、、恨みは残った、、警察はその人事権を行政内閣府が握っているので、警察としては政治的圧力に潰されてしまうのであった、、そんな警察に愛想を付かしての辞任であったが、悪徳政治化に対しての憤りは大いにあった。そして、復讐にも似た報復捜査が始まったのである、、そんなサスペンスドラマ。

第二話ではやり過ぎ警視庁刑事が、がむしゃらに検挙率を挙げるために逮捕時に命がけで突っ込んでいった、その結果、射殺も多く成り、人の恨みを多く買い、、狙撃された思い、犯人探しをするサスペンス物語。

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