其の二 富士山について考える
日本人なら「日本の象徴は?」と聞かれればほとんどの人は天皇陛下と答えるだろう、そしてその天皇の祖先はと言えば古事記や日本書紀によると天照大神に行き着く、要は太陽神だ。
話は変わるが、裏表という言葉がある、日本人的には裏と表には言葉以上の意味は無いのだが現代人の中には裏に対し否定的なイメージを持っている者がいる。
前にも書いた通り裏表は男女や上下、左右といった区分以上の意味はない、なのでこの裏という言葉にマイナスのイメージを持つ者はおそらく学校の不正入学の事を裏口入学と言ったり、非合法組織の事を裏組織と言ったりする事から連想しているのでは無いかと考えている。
しかしこれは近年になっての表現と言える、裏口とは表口に対応した言葉で、表口を玄関と表現するなら裏口ではなく勝手口言うべきだ。
さらに裏組織や裏社会も、元々の日本の文化では陰や闇と言う言葉の方を使っていたように思う。
確かに『裏金』などと言うとマイナスのイメージにはなるがそのような使い方の方が少ない。
ただ使い方によってはプラスにもマイナスにも取れる言葉もある、『裏道』若しくは『裏街道』や『裏通り』などがそれにあたる。
人生の『裏街道』と言うと真っ当では無い人生を歩いて来たように聞こえるが、普通の道路の『裏道』と言えば車の通りが少なく目的地に早く着く道というむしろプラスのイメージになる、車のドライバーなら『裏道』をよく使う者も多いだろう。
『裏通り』も人が少なく危険な通りと言うマイナスなイメージもあるが、料亭のような高級店舗の有る道のように静かで落ち着いた通りと言うイメージも有る。
他にも『裏工作』と言う言葉もある、小説やドラマでは悪事の事前工作として使われる事が多いので否定的な意味合いに取られがちだが、善悪関係なく仕事をスムーズに進めるため秘密裏に行われる工作の事だ。
さらに肯定的な意味の言葉もいくつかある。
例えば『裏技』という言葉がある、武芸で言うなら必殺技に使い意味合いがあるしライフハックでは便利な技という意味になる。
『裏方』と言う言葉もある、表に出ている人達を支える人達だが決して奴隷労働や差別労働を強制されているわけでは無い、むしろ映画や演劇の監督や脚本家などのように表に出ている者よりもよほど評価され尊敬されている者も少なく無い。
ここまで来るとタイトルと全然違うと思っていても何となく言いたい事が見えて来た人もいるのでは無いだろうか、そう今回筆者が考えている事は『裏富士』の問題だ。
元々富士山は静岡県側を表富士、山梨県側を裏富士と表現していた、しかしかなり前から山梨県の人達が『裏富士』はイメージが悪い、こちらこそが表富士だと騒いでいます、本当に裏富士はイメージが悪いのでしょうか?
そもそもなぜ表富士や裏富士と呼ぶようになったのでしょうか?実はそれこそが冒頭に書いた天照大神信仰です。
要するに表とは太陽に正対した方向、裏とは太陽を背にした方向と言う事です、なので同じ使い方として日本海側を裏日本と呼ぶ事があります。
日本の発展した都市は東京から東海地方を通り愛知までと太平洋側に集中しています、なので日本の文化をあまり理解していない人達は日本海側は太平洋側に比べて発展が遅れているから裏日本と呼ばれると勘違いしています。
日本の文化ではたとえ新潟県や富山県や石川県が発展しようと太陽が南側にある限り裏日本なのです。
つまり静岡県側の富士山は太陽に正対しているから表富士、山梨県側の富士山は太陽を背にしているから裏富士と呼ばれていたのです、ただ太陽によって区分していただけで決してそれ以上の意味合いはありません。
それなら他の表現方法は?となる人もいるかもしれませんが筆者としてはお勧めではありません。
同じ太陽を基準にした区分では中国地方が有ります、中国山地を境に南側を山陽、北側を山陰と呼びます、これを富士山に当てはめると山陽富士と山陰富士となります。
呼び方に違和感しかありませんし、山陰の陰がマイナスのイメージにとられてまた同じ問題が起きるでしょう。
太陽を無視して呼び方を考えるなら静岡富士や山梨富士は?と考えてみました、これは今度は他の都道府県民が「富士山は静岡と山梨だけのものじゃ無い日本の山だ」と騒ぎそうでもっと混乱しそうです。
要するに筆者は日本の文化的にも表富士、裏富士と呼び分けるのがいいと思います。
ただ、筆者は単にそう思っているだけではなく富士山に対するイメージとも合っているからそう呼びたいと言う思いがあります。
筆者のイメージでは静岡県側の富士山は太陽をいっぱいに浴び、綺麗な稜線の広がる優雅な佇まいで、一言で言うなら貴婦人のように感じています、だからこそ表富士と言う呼び方はしっくり来ます。
では山梨県側は言うと、太陽を背に少し陰のある佇まいが、スポットライトをあびてポーズを決めるダンディーなちょいワルオヤジと言ったイメージです、筆者の年代的に言うと矢沢永吉や岩城滉一のような感覚です、なのでこちらも裏富士という呼び方の方がしっくり来ます。
あえて誤解を恐れずに言い表すなら静岡県側の富士山は表富士と呼ぶに相応しく美しい、山梨県側の富士山は裏富士と呼ぶに相応しくカッコいいと言うところです。
筆者としては山梨県の人達にも裏富士という言葉に否定的な意味合いではなくカッコよさを求めて欲しいと思います、そしてその呼び方に誇りを持って欲しいとも思っています。
最後にこれを読んでくれた皆さんに質問します、『裏富士』とはそれほど忌避されるような酷い呼び方なのでしょうか?
結論:裏富士とは太陽の位置による単なる区分であり忌避されるようなものではない・・・・・・・かもしれない。