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猫の王国  作者: 青柳蒼枝
6/6

第6話 森に住む人と猫

一月は更新出来なくてごめんなさい。

令嬢モノの番外編を月頭に、通常連載を月末に更新してたら余裕が無くて……。

さて、今回のお話は、王国の街中に住んでいる猫さん達だけでなく、

そこ以外の森に住んでいる猫さんにスポットを当ててみました。

そして、久々に葵ちゃん目線のストーリーです。

「おはようございます!」

 何時もの朝のように、私は元気よくハチワレ宅配便の支店に顔を出した。

「おはよう、葵君」

 ここの店の店長のハチワレ猫さんが、大きな体でノソノソと奥の事務所から出て来た。こんな大きなお腹の我が儘ボディだけど、けっこうな力持ちさんなのよね。

 このハチワレ宅配便って、どの支店の支店長さんも全員ハチワレさんなの。採用基準っていうのでもあるのかしら?

「葵君。今日は2カ所配達に行って欲しいんだけど、今まで行った事のない場所なんだけど、大丈夫?」

 私が猫の王国に転生してもう一年。この支店で働くようになっても、もう一年。

 その間、あちこち配達に行ったけど、まだまだ王国全部に行った訳じゃないのよね。

「はい、大丈夫です!」

「まあ、君ならもう慣れたから大丈夫だと思うけど、今回は街中じゃなくて、外れた森に行ってもらいたいんだ」

「森ですか? 王国の外に森があるんですね」

 森があるなんて初めて聞いたわ! 考えてみれば、あっても当然なんだろうけど、今までずっと街中で過ごしてたから、考えたことなかった。

「ああ。街中より少し不便なくらいで、そんなに困るわけでもないからね。そんなに多くはないけど、住んでる人達はいるよ。今日はそこに配達に行ってもらいたいんだ」

 ハチワレの店長さんが心配そうに言う。私ってまだまだ新人さんレベル?

「解りました! 森なんて初めてだからワクワクします!」

 そう言ったら、店長さんがちょっとビックリした顔してる。

 麦にも言われたのよね。私って自信家なのか、無謀なのかよく解らないって。酷い……。

「自転車じゃないと行かれない所だから、人間じゃないと距離的に辛いからね~」

 ああ、そういう事ね。自転車での配達は、人間が一番早いから。

「さて、場所なんだけど……」

 店長がテーブルの上に地図を広げた。うちの支店の管轄って、案外広いのよね~。

「配達先はここと、ここの2カ所。どちらの個人のお家だよ」

 地図を見るとどちらの家も確かに街から離れているし、互いの距離も近くはない。配達が大変そうね。

「それと、面倒なんだけど、1つの家の配達が終わったらこの場所に戻ってきて、連配達終了の連絡くれるかな? それから次の家に向かってくれる?」

 私は電話をすること自体は面倒じゃないの。生前、会社で働いてた時は、何かあったら必ず連絡を入れろって言われてたし、実際にマメに上司や同僚に連絡入れてたものね。

 王国の宅配便のお仕事でも今回みたいに少し場所が遠かったり、数カ所の配達をいっぺんに行う時は一件終わる度に近くの公衆電話から店に連絡を入れることになっているの。

 私がまだ新人だったから店長さん心配だったのよね。迷子になってないかって、何時も聞かれたたわ。

 大丈夫です。ちゃんと地図持ってたし、例え迷子になっても近くの猫さんに道を訊いてたもの。

 王国のみんなは凄く親切なの。私が人間だから転生者だって解るから、丁寧に教えてくれるのよ。ま、たまにお喋りなんかしちゃって、配達が遅くなりそうになったりもしたけどね。

 地図を確認すると、電話を入れる場所はちょうど街外れの小さな広場。あら、こんな所に広場があるなんて素敵ね。

「配達の家同士を繋ぐ道が無くてね、どうしても一度はこの広場に戻ってこないといけないんだ。だから電話をお願いね」

 ハチワレの店長はちょっとすまなそうな表情をする。

 猫さん達の表情は人間や犬に比べるとはっきり解りにくいんだけど、その微妙さが魅力なのと、解った時がまた嬉しいのよね。

「解りました! じゃあ、行ってきます!」

 私は荷物を受け取り確認すると、地図を持って自転車に乗った。

 私の自転車は同じ配達員用でも仕様が違って、前と後ろに籠が付いてるの。だから猫さんの配達員に比べると沢山荷物が乗せられるのよ!

 王国の住人が猫さんが殆ど。転生して来た人間はまだ少ないの。だから、私の配達エリアに居る人間とは全員顔見知りよ。

 こうして自転車で街を配達してると、人間だけじゃなくて猫さん達も声を掛けてくれる常連さんや顔見知りがいるの。 猫さん達独特の空気って言うのかしら? 付かず離れず、でも人情もある。そんな所が凄く素敵。転生して良かったって思うわ。

 自転車を進めていると、賑やかだった町並みが段々と寂しくなってくる。

 そして、店長から指示された広場に着いた。

 街外れで寂れてるって感じが無いのが意外でびっくり。背の高い時計塔があったり、よくお手入れされた花壇やベンチがあったり、雰囲気がいい。

「あそこが公衆電話ね」

 まずは公衆電話を確認して、次は地図を広げる。

「う~ん、確かに2件を繋ぐ道が無いのね。どうしても広場に一度戻ってこないといけないんだ~」

 どちらの家も、それ程森の奥深くにある訳じゃないわ。よく見ると、案外森に住んでる住人は多いみたいで、お家のマークが幾つも付いてる。

「森に住んでる人は、色々な理由で街に住まない人や猫さんが多いんだ」

 出がけに店長さんが私に言った言葉を思い出してみたけど。そうよね、前世の人間社会でだって、あんまり他人と関わりたくないって言う人達もいたもの。猫さんだって当然よね。元々、猫って1人でも平気って所があるもの。


「わあっ! 森の中って初めて来たけど、綺麗~!」

 木漏れ日が差す明るい森の中は、姿は見えないが鳥の声が聞こえてくる。街で聞こえる鳥の声とは全く違うわ。住んでる鳥が違うのね。

 沢山の木に囲まれてるせいかヒンヤリしてて、肺に入ってくる空気が冷たくて澄んでて気持ちいい。

 周囲を見渡しながら自転車を走らせていると、時折、細い小道の奥に小さな家が見えるのが分かる。きっと、そこに人間や猫さん達が住んでいるのね。

 私は何度も途中で自転車を止めて、地図と道路脇に立ててある番地を確認する。行き過ぎちゃったりしてたら大変だもの。

「ここかな?」

 配達先のお家は、まるで童話の中から出てきたみたいに可愛らしい。

 少し古くなってしまってるけど、木製の壁にベージュのペンキが塗ってあって、玄関のドアと窓から外が見られなくならない程度だけど、沢山の低木やお花が植わってる。

 よく見たら、屋根は煉瓦色みたいな渋い赤い色をしてる。

 表札で名前を確認すると、ドアの前に付いている可愛らしい小さなベルをチリンチリンと鳴らした。

 家の中で何やらゴトゴトと音がすると、ぎいと少し重い音を立て木製の黒いドアが開いた。

「こんにちわ。ハチワレ宅配便です。お荷物をお届けにまいりました!」

 私は、いつものように笑顔で挨拶する。

「やあ、見苦しい姿で申し訳ないね……」

 あら、ビックリ!中から出て来たのは、中年の男性だったの。寝間着のまま出て来たのかしら? ジャージにTシャツ姿。

「こちらがお届けの荷物になります。ハンコをお願いしたいんですが、中味をご確認なさいますか?」

 現世の宅配便とちがって、王国の荷物の梱包は案外適当なの。中味が丸見えの買い物籠に入れられた状態で運ぶ事もある。自転車で運ぶものは、一応段ボールに入れてもらってるけど、殆どガムテープとかで止めたりしてない。

「そうだね、一応確認しておくね。買い忘れがあったら戻りがてらに配達を頼みたいから」

 そう言うと男性は、その場にしゃがみ込むと段ボールを開け、中味を確認し始めた。

 その時だった、ガサガサっという音がすると、何か小さな影が森の中へ走って行くのが見えたわ。

「あっ、森に逃げたか。心配ないって言ったのに……」

「あの、どうしましたか?」

 逃げたって何が逃げたの?

「うちの猫だよ。一緒に王国に転生してきたんだけど、ビビりなのは変わらなくてね、未だに人も他の猫も嫌いなんだ」

 男性が箱の中味を確認し始めると、人間の食べる食料や生活用品だけでなく、猫用のカリカリや缶詰も入っているのが見える。

 基本、私達はお客様の荷物の中味を確認することはない。まず配達のお願いを受ける時、お客さんに中に忘れ物がないか確かめてもらってる。はっきり中味が見えるような場合はそのままお渡しになるけど、箱に入ってたりする時は、受け取りのお客様にも中味を確認してもらってるの。

 お互いに忘れ物や、注文間違いが無いかどうかの確認ね!

「あの……、もしかして転生してきた猫さんって、人型にはならないんですか?」

 麦を初めとして、王国に転生して来た猫の殆どは人型というか、二足歩行になって人間と全く同じ生活をしてる。でも、ここの猫さんは猫の姿のままのみたいね。

「あの子は特別でね。転生してくる前は野良猫だったんだ……」

 

 男性が語るには。

 その猫は怪我をしてボロボロの姿で男性の家の庭に姿を現した。助けてやろうと思ったのだが、警戒して絶対に近づけさせない。

 動物病院にも連れていけないため、仕方ないので抗生物質だけを病院から処方してもらい、缶詰に混ぜて外に置いてやった。

 すると、それが解ったのだろうか、夜中にそっと来て薬入りの缶詰を食べている。

 病院から処方された薬を全部食べ終わった頃やっと怪我も治ったようで、ベランダの隅、雨の当たらない場所に置いた段ボールハウスの中で寝泊まりするようになる。

 食事は朝晩、そっと出してやるといつの間にか食べている。だが、手を伸ばそうとするとやはり警戒して寄って来ないし威嚇すらしてくるのだ。

 それでも、天気のよい昼間などは、ベランダや庭でひなたぼっこをして寝ている姿を見かけた。

 赤虎のその猫は男の子だという事は分かっていたが、どこから流れて来たのかはさっぱり解らない。だが、男性の家の庭が気に入ったことだけは確かなようで、テニトリーとした庭を守るために随分と喧嘩もしていたようだ。

 野良猫の寿命は短い。

 「トラ」と名付けたその猫は、ある日、住処にしていた段ボールハウスの中で眠りように息を引き取っていた。


「その時、になって初めてトラを撫でてやれたよ」

 男性はそう言って、寂しそうな、それでいて優しそうな表情をしたの。きっと、最後の場所を自分が造った段ボールハウスの中と決めてくれた事がうれしかったのかもしれないわ。

「冷たいようでいて、実は恩を感じてたんですね。だって、そうでなきゃ、一緒に王国に転生出来ませんでしたよ」

 私は姿は見えなかったが、そのトラという猫がどれだけこの男性を信頼していたかが良く解った。

「それはどうなんだろう? ボクは生前から作家をしていてね、年を取って、もう書きたいものは書き尽くしたような気になってたんだ。年をとってベッドから起き上がれなくなった頃、もっと書きたい、もっと色々なジャンルに挑戦したい! って欲が出てしまってね。でももうペンを握ることもパソコンを打つことも出来なかったから、後悔と悔しさだけが残ったんだ。そのまま天国に逝くと思ってたらトラが来てね、ボクを王国に連れて来てくれた。ここなら書きたい物を好きなだけ書けるよ、って」

「それで一緒に転生を?」

「まあね。お陰で年齢も若返って気力もパワーも漲ってる。だけど、肝心のトラが転生前の性格のままでね。今はボクと2人だけなら猫のままで机の横の椅子でボクの仕事を見ていたり、たまに膝で眠ってくれたりするけど、人間や他の猫は大の苦手。今日も配達の人が来るけど、怖がらなくていいよ、って言ったんだけどあの調子さ」

「私にビックリして隠れちゃったんだ……」

 トラさん、私が怖くてて森に逃げちゃったんだ……。

「普段はボク自身で買い物に行くんだけど、今は原稿の締め切りで出られなくてね。それで配達を頼んだんだ」

「締め切りって事は、どこかで連載か何かされてるんですか? 私、転生してまだ一年くらいで、王国の事まだ良く解ってないので。出来たらお名前か、作品名を教えて頂けますか?」

「橘家虎五郎、って言うダッサい名前だよ。転生前は偉そうな名前だったけど、ここはそんな堅苦しいのが嫌になってね」

 そう言って作家先生が悪戯っぽく笑った顔は、まるで子供みたい。

「あ! もしかして、新聞に連載してる『猫の徒然記』の作者さんですか?!」

「そう。読んでくれてるの?」

「はい! 毎週楽しみにして読んでます!」

「ボクが転生した時は、まだ新聞なんてのも無くてね。役所で作家をやってたって話してたら、暫くして、あの黒猫の口入れ屋の猫の京さん。彼がボクの所に来てね、せっかく作家さんが転生して来たんだから、本を書いて見ないか? って言って来て。何と彼が、ボク1人のために出版社を造って、しかも新聞社も造ったんだよ。会った事はないけど、絵本作家さんも転生してきてるらしい」

「京さん、凄い……」

 私が読んでいる王国の新聞は、週に一度配達されるもので、お世辞にも新聞とは言いがたい。

 『猫の徒然記』と有線の番組表、人間が転生してくると一面で書かれるし、猫が転生して王国に戻って来ると名前が載ったり、逆に地上に転生していく猫の名前も載ったりしてる。新聞に載ることで、お迎えに行ったり、お見送りに行ったりが出来るようにって配慮らしい。お店のクーポンが付いている時もあるの。ページ数も決まってなくて新聞っていうよりチラシに近いかもしれない。

 それでも、『猫の徒然記』は王国では大人気作!

「他にも本を書いてるから、図書館か本屋さんで探してみてくれるかな?」

「はい、探してみます!」

「じゃあ、中味も確認したし、ハンコ押したよ。暫くは締め切りに追われて色々また配達頼むかもしれないけど、その時はよろしくね」

 虎五郎先生は素敵な笑顔で私を見送って下さった。ふふっ、これから先生がうちの支店の常連さんになってくれないかしら?

「はい、勿論です! でも次からは、もう少しトラちゃんを驚かせないように気をつけます」

 私も先生に向かって笑顔を返すと、自転車に乗った。そう、まだまだ配達は残ってるのよね!



(それにしても驚いちゃったな。まさか橘家虎五郎先生にお会い出来るなんて! 現世だったら、作家先生のお宅に伺えるなんて、まず無理だったもんね)

 私はつい鼻歌を歌いながら自転車を漕いだ。

 橘家虎五郎なんて厳つい名前だけど、猫との何気ない日常を書いたエッセイ風の小説が暖かくて、私は凄く好きだ。麦も気に入っていて、新聞が届くと2人して読んでいる。

 行きに比べると帰りは早く感じるっていうけど本当ね。先生とお喋りしたあの楽しい時間を反芻しているだけで、あっという間に広場に戻って来てしまった。

 私は店長に言われた通り連絡をするため電話ボックスに向かった。

「あった!」

 黒い木造の枠とガラスで造られたボックスの上に、赤く「電話」と書かれた看板。あれが電話ボックス。

 王国の街中に建っている電話ボックスはみんな同じ形をしてるの。現世の電話ボックスに似ているのが何とも言えない。

 中へ入るとまずは社員証を電話の下にあるスロットに差し込む。そうすると3分間10ニャンで電話が掛けられて請求は会社に行くシステム。

 世界観は何となく日本の江戸時代か、明治大正時代っぽいけど、それにそぐわない便利なシステムがあるのには驚き。

 本当、猫の王国って不思議な国よね。

 そして私は黒いダイヤル式の電話に手を伸ばした。

 このダイヤル式ってのにも最初は驚いたけど、理由を聞いたら猫さんが電話を掛けるのに、ダイヤル式なら爪を引っかけて回せるからだって聞いた時には思わず納得しちゃったわ。

「あ、店長、葵です。虎五郎先生への配達終わりました。はい。お昼休みを取ってから、次の配達に向かいます」

 まずは本日の一件目の配達終了!

 自転車での遠距離配達は他の支店でも殆ど人間が専任でやってるっていうけど、これは確かに解るわ~。だって、一件終わるだけで半日潰れちゃうんだもの。これ、猫さんが徒歩で行ったら一日掛かりよ!

 私は広場のベンチに腰を下ろして、持って来たお握り弁当を広げた。このお弁当、麦も仕事で持って行ってるのよね!

 植木屋の師匠さんも毎回愛妻弁当だって聞いたし、きっと今頃2人して、お客さんのお家の縁側で出されたお茶飲みながらお弁当食べてるわね。想像しただけで、ほっこりしちゃう!

 お昼を食べ終わったら、ちょっとだけ休息して、私は次の配達先の森に向かうべく地図で確認する。

 うんうん。作家先生の住んでる所より道は少し広そうね。先生のお家への道路、一応踏み固めてある程度で、けっこう揺れたもの。

 しっかり地図を確認すると、私は自転車にまたがった。

 今度の道は街中ほどまではいかないけど、かなり広いし、森というより林っていう感じ。お日様の光も明るいし、作家先生のお家が隠れ家なら、今度のお家は別荘って感じね。

 道路から直ぐ見える場所に今度の配達先のお家があった。

 別荘って言ったけど、本当にその通り。まるで軽井沢の避暑地にあるみたいな広くて大きなお家が建ってる。

 自転車を降りて玄関の前に立つと、扉にノック式の馬蹄形の叩き具がある。これで中まで聞こえるのかしら?

 私がそう思った時、ふと耳に綺麗な音楽が聴こえてきた。

(音楽家さんが住んでるんだ!)

 確かに楽器の練習をするなら街に住むより、少し離れた、こういう場所の方がいいわね。ご近所さんへの騒音を気にしないでいいもの。

 玄関の扉が開くと、雉トラブチの猫さんが姿を現した。

「ハチワレ宅配便です。お荷物を届けにあがりました」

 私は何となく声を抑えて挨拶をした。だって、練習の邪魔しちゃいけないような気がしたんですもの。

「ああ、君がご主人様が注文していた物を配達してくれたのか」

(ご主人様? 一緒に転生してきてご主人様呼びするなんて珍しい猫さんだわ)

 そう。殆ど一緒に転生してきた猫さんは、飼い主さんの事を、お母さんとかお父さんとか、私のように名前で呼ぶ。ご主人様なんて殆ど聞かない。

「ラフマニノフのチェロ協奏曲ですね。まるでキラキラ輝く雪が見えるみたいな綺麗な音色」

「へえ、マニアックな曲を知ってるね。それに、お洒落な表現だ」

 そう。家の奥からずっと聞こえてきたのは、チェロの音。

「ラフマニノフは私の一番好きな作曲家なの。交響的舞曲を聴いて、一発でファンになったわ。ピアノソナタのCDも全部持ってたの」

「そりゃ随分なファンだね」

 雉トラブチの猫さんは、こうして喋っているだけでも随分とクールな感じがする。

「こんな素敵な所にチェリストさんが転生して住んでるなんて、初めて知ったわ」

 人間で転生して来た人って、殆どがごく普通の職業に就いてた人が多い中で、今日は作家先生とチェリストさんに会えたなんて、凄い運が良かったのかも?

「オレのご主人様はさ、ソロのチェリストで世界的に有名だったんだ。でもオレが居たせいで中々海外での公演をやりたがらなくてさ。オレは何時も悪いと思ってたんだが、ご主人様はオレと離ればなれになる位なら国内の演奏だけで十分だって言って、欲を出さなかったんだ。でもオレはご主人様の腕を信じてたから、もっと色々な所で沢山の人に聴いて欲しかった。だからオレが先に逝って、漸くご主人様は世界のあちこちで演奏するようになったんだが、なんだか急に音色が変わっちまってな。悲しい音色になったって、みんなから言われるようになっちまったんだ」

「チェロの悲しい音色なんて、聴いてる方も悲しくなるわ」

「そうだよな。原因は分かってたんだ。オレのせいだって。だって、ご主人様は毎日オレの写真の前で泣いてるんだ。オレの名前呼んで泣きながら練習してる時もあった程だ」

 私は思わずそれを聞いて胸が痛くなった。だって、私だってきっと麦が先に逝ってしまったら、泣いて暮らしたと思う。

「ご主人様は、新しい猫をお迎えしたりはしなかったの?」

「周りからは随分勧められた。オレだって王国からご主人様に向かって、オレの事はいいから新しい子を迎えろって何度も叫んでたさ」

 ペットロス。人によっては、本当に心に深い傷を残す事があり、何年にも渡って癒えない場合があるって聞く。

 この猫さんのご主人様は、きっとペットロスで深く悲しんでたんだと思う。音楽家は繊細だって言うもの……。

「それでも、やっと新しい猫を飼い始めたんだぜ。でも見てると解るんだ。新しい猫を可愛がってはいるけど、心の中にはずっとオレの影があって消えないって」

「それで王国に?」

「ああ。ご主人様が天寿を全うして天国に逝く時、オレはご主人様に声を掛けたんだ。オレと一緒に猫の王国で住みませんか? って」

「優しいのね、貴方」

「そんなんじゃないよ。ただ、オレが見てられなかっただけだ。そりゃ、オレの事を思ってくれるのは嬉しかったけど、それが音楽にまで影響されるようになっちゃダメだ。あんなに力強くて繊細な音を奏でてたご主人様が悲しい音しか演奏出来なくなったのはオレのせいだ。そう思って、オレは自分の都合でご主人様を王国に誘ったんだ」

 猫さんは、ご主人様が弾くドボルザークの雄々しいチェロ協奏曲が好きだったそうだ。それが自分が死んでから全く弾かなくなってしまったって。

「でも、来てくれたんでしょ?」

「ああ、声をかけたら泣きながら喜んで転生してくれたよ」

「良かったんじゃない?」

「そうかな……」

 そう言って雉トラブチの猫さんは、ご主人様が演奏する音の方を振り返った。

「そりゃあ確かに、オレと一緒に王国に暮らすようになってからのご主人様は明るくなったよ。まるでオレが居た頃と同じ、いや、それ以上に明るくなった気がする。でもな、オレは最初から解ってたんだ。王国にご主人様を連れて来ても演奏する機会が少ないって」

「そう言えば……」

 私も思い出した。音楽の演奏会の広告を新聞でも殆ど見た事がない。

「王国で演奏家を増やせば良いんだろうけど、ほら、王国の住人の殆どは猫だろ?弦楽器なんて、こんな爪持ってたら弾けないよ」

 そう言って、ブチの猫さんは悲しそうに自分の手を見つめる。そうよね、そんな立派な爪じゃ、弦は押さえられないもの。

「でも、木管や金管、打楽器だったら大丈夫じゃないかしら? そりゃ、すぐにオーケストラが作れるとは限らないけど、王国に居れば時間は無限だもの。可能性はあるでしょう?」

「ご主人様も、そう言ってくれるんだけど……」

「演奏会はしてないの?」

「いや。たまに無伴奏のやつを公民館で演奏してるし、学校でも音楽教えてる。時々だけど、お酒呑みながら演奏する、トークショーみたいなのもやってるぜ」

「それ、楽しそう!」

「ああ。トークショーなんてオレは最初止めろって言ったんだけど、今まで音楽に触れて来なかった猫さん達との会話は楽しいって。想像もしなかった質問とかされたり、音楽とは全く関係無い会話もまた楽しいんだって言ってる」

「もしかして……、自分のこと、凄く罪人みたいに思ってたりする?」

 私は思わず雉トラの猫さんの顔を覗き込んでしまった。表情は解らないけど、ヒゲの感じから落ち込んでるように見える。

「……」

 私の言葉に、雉トラの猫さんは黙ってしまった。図星だったのかもしれない。

「転生してきた人間から言わせてもらうと、自分の大好きな猫と王国に来られて幸せよ。お喋りも出来て、食事も同じ物が食べられて、今まで出来なかった事が沢山出来るようになったし。だから、そんなに自分を責めないで。もしご主人様の事を考えているなら、現世に転生する猫さん達に伝言をすればいいのよ」

「伝言?」

「そう。もし新しい飼い主さんが音楽家だったら、何が何でも王国に転生させなさいって。そうね、一番早く転生して来そうなのはピアニストかもしれないわ」

「そうだな。ピアニストなら、直ぐに一緒に演奏会が開ける」

 私の言葉に、少し元気が出たのか、猫さんは笑ってくれた。

「じゃ、荷物の確認をしてハンコを貰えるかしら?」

 その笑顔を確認して、私はお仕事モードに切り替えた。

「あ、ああ、そうだな。つい無駄にお喋りしちまったよ」

 猫さんからハンコを貰っていた時だった。奥からずっと聞こえていたチェロの音が止み、足音が近づいて来る。

「やあ、荷物を届けてくれたんだね? ありがとう」

 そう言って家の奥から姿を現したのは、さっきまで演奏していたチェリストさんだ!

 少し薄い金色の髪に綺麗なグリーンの瞳。王子様みたいに素敵な人だ。

「初めまして、お嬢さん。キリル・カラーゾフです」

 そう言って握手してくれた手は、指が長く、とても大きな手だった。

「うちの猫が珍しくお喋りしてるからどうしたのかと思ったら、こんな可愛いお嬢さんを口説いてたのか」

「ち、違うぜ、ご主人様!」

 雉トラの猫さんが慌てて両前足を振る。

「世間話ですよ、キリル先生。先生の弾いてらっしゃったラフマニノフがとても素敵だったので、そこからちょっと。それに私には麦って言う彼氏が居ますから」

「おやおや、振られちゃったようだね」

 そう言ってチェリストさんは猫さんの頭をグリグリと撫でる。その時の笑顔が何とも幸せそうで、猫さんが心配することなんて何一つないと思う。

「そうだ。そしたら、今度街のバーでチェロを弾きながらのトークショーをやるんだ。是非彼氏さんと聴きに来てくれるかな?」

 そう言ってチェリストさんは私にチケットを2枚渡してくれた。

「はい! 絶対聴きに行きます!」

 私は思わず頂いたチケットを胸に抱きしめてしまった。

「さ、ハンコを押したなら荷物を受け取って家に入ろう。お嬢さんもまだまだお仕事が忙しいからね」

 そう言ってチェリストさんが荷物を持とうとしたら、慌てて猫さんが荷物を持った。

「ご主人様はこんな物持たなくていい。オレが持つから」

 ふふっ。言い方は悪いけど、ご主人様が指を怪我しないよう気を使ってるのね。

「じゃあ、ありがとうございました。ハチワレ宅配便を、またご用命ください!」

 私はそう言うと、受け取りのハンコを貰った用紙を持って自転車の方へ向かった。

 ふふっ。家の方からは何やら賑やかな声が聞こえてくるわ。あんな事言ってるけど、やっぱりチェリストさんは転生して幸せなのよ、雉トラの猫さん。



 私は夕方近くになって支店に戻って来た。もう足が疲れてパンパン。

 さすがに街中と違って一日中、森の中を自転車で走るのは疲れちゃう。

「店長、これハンコを押してもらった受領書です」

 ヨレヨレになりながら、私はハチワレの店長に書類を渡したけど、ごめんなさい、もう動けない~。

「お疲れさん、葵君。森での配達はどうだった?」

 今日は沢山の配達があったのか、他の猫さんも疲れた顔してるけど、店長もちょっと疲れた顔してる。

「疲れました~。でも驚きましたよ。あの橘家虎五郎先生にお会い出来るなんて思わなかったし、もう一人の方はチェリストさんだったし。どちらも感じの良い先生でした」

「それは良かった。森への配達は距離もあるし、足下も悪いから大変でね。今までは徒歩で配達してたんだけど、葵君が入ってくれたから自転車で配達が出来て助かるよ。それに君も、ここで働いてもう一年にもなるからね、大分慣れたと思って森まで頼んだんだ。この調子で森への配達を頼むね」

「解りました~!」

 実の所、ここの支店で人間の配達員は私だけ。自転車で配達する猫さんも居るけれど、やっぱり街中が主流。

 そこで足腰が猫さんより丈夫な人間の私が期待されてた訳で。うん、期待されちゃってるんなら、頑張りましょう!

 


 その日は流石に疲れちゃったから、帰りに途中で美味しいお弁当とお酒を買った。

 宅配便なんてお仕事をしてると、色々なお店の情報が入ってくるのよね。どこどこのお店のスイーツが美味しいとか、新しいメニューが出たとか。

 仕事を終えて帰って来た麦と一緒にご飯を食べて、今朝届いた新聞を広げる。

「あ、見て見て麦! この『猫の徒然日記』書いてる橘家虎五郎先生に今日、配達で会ったの!」

「え? 本当!」

 ソファの隣で座っていた麦がビックリして私を見る。

「うん。先生は森の方に住んでらっしゃって普段はご自分で買い物なさるみたいだけど、今は締め切り前で忙しいから配達を頼んだんですって」

「へえ……。やっぱり作家の先生って大変なんだな~」

「この新聞の連載以外にも、先生は本を出してらっしゃるのよ。ねえ、今度図書館行って探さない?」

「本を出してるって、出版社があるんだ」

 どうやら麦が猫として私の所で暮らしている間に出来たらしく、麦も初めて知って驚いてる。

「そうなの。先生が転生された時、元作家だって知った京さんが、先生のためだけに出版社を造ったそうよ! 今は他に絵本作家の先生もいらっしゃるようだけど、ビックリよね!」

「ボクも京さんの事は、そこそこ知ってると思ってたけど、謎な猫さんだよな~」

 ふと、私と麦の脳裏に、あの渋い黒猫の京さんが浮かんだ。

「絶対、ただの口入れ屋さんじゃないわよね!」

 と、つい話しが脱線してしまったけど、チェリストさんにもお会いした事と、トークショーのチケットを頂いた事を話すと麦は驚いてた。

 そりゃ、そうよね。いきなり初対面の人間にチケットあげるなんて。

 それは偶然、チェリストさんが弾いてらしたのが、私の好きな作曲家の曲だったから、ってのがあるんだけど……。

 その後、麦に、うちの支店から森への配達は私が専任になる、って話したら凄く心配してたわ。

「そりゃ、王国には大型の猫型猛獣は住んでないし、森にオオカミとかも居ないけど、整備された道じゃないし、崖だってあるから危険があるんだよ」

「大丈夫よ。ちゃんと地図も貰ってるし、だって配達に行く所って必ず人間や猫さんが住んでるお家なんだから」

「まあ、そうだけどさ……」

 心配性だけど優しい麦。そんな所も大好きよ。

「今日配達に行って解ったけど、転生してきた人間と猫さん全員が街に住んでる訳じゃないのと、森に住むのは、それなりのちゃんとした理由があるのよね~」

 私はそう言って体を伸ばしながら、今日出会った人間も猫も怖がる猫さんと、音楽の練習のために森に住んでいる人間と猫さんの、全く理由の違う二組を思い出していた。


   おわり

本来は渋い小説家の橘家虎五郎先生。そのダッサい名前、私も気に入っています。

転生前はどんな小説を書かれて胆でしょうね? 今後、明らかになるかもしれません。

チェリストの先生のトークショー。

王子様みたいな容姿ですから、きっと女性猫さんのファンも多いでしょうね。

それと、相変わらず京さんは何者なのでしょう? 謎多き猫さんです……。

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