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猫の王国  作者: 青柳蒼枝
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第5話「流れ者と黒い仔猫」

都会で1人暮らしをしている方で、なかなか猫が飼いたくても飼えないという話しをよく耳にします。

今回は、都会で働く、猫を一度も飼った事はないけど、飼った事がない。

そんな若い男性が1人、王国に転生してしまった物語です。

「あら?」

 何時ものように葵は自転車に乗り、配達を行っていた。

 役所前の商店街に入りお得意先のお店に品物を届けた時、ふと足下に小さな小さな黒の仔猫が居るのに気がついた。

「おちびちゃん、どうしたの?」

 膝を折って仔猫に語りかける。仔猫はまだ2本足で立つことが出来ず猫の姿のままだった。

 黒の仔猫は葵の姿を見ると、さっと店の影に隠れてしまう。

「まあ、今日も来たのね~」

 お店のおばちゃん猫さんが気がついて缶詰を持って姿を見せた。そっとお皿に盛った仔猫用の缶詰を下に置くと葵の手を引いて少し離れる。

 すると仔猫がおずおずと姿を見せ、警戒しながら缶詰をガツガツと食べていた。

「おばさん。あの子は?」

 必死に缶詰を食べる仔猫の姿を見ながら、葵は仔猫を怯えさせないよう小声で心配そうに尋ねた。

「あの子はね、この王国で猫として産まれて初めて地上に転生したのはいいんだけど、おそらくお母さんが野良ちゃんだったのかしら? 産まれてすぐ死んじゃったんだと思うの。だから、あの子にとって王国に来たのは初めてで、しかもお母さんから王国について何も教えてもらってなかったみたいね」

「じゃあ、孤児……、みたいな子なんですか?」

「そうよ。でも、王国じゃ珍しい事じゃないの。まあ今は産まれて直ぐの子が転生してくるのは少なくなったけど、昔は多かったのよ。そういう子が王国に戻ってくると、2本足で歩けるようになるまで、こうして皆で育てててるの」

 店のおばちゃん猫はそう言って黒の仔猫を愛おしそうに見つめる。

「野良ちゃんだったせいかしらね、なかなか同じ猫同士でも懐いてくれなくて。こうしてご飯だけは上げてるんだけど警戒心が強いし、この先、大丈夫か心配でね~」

 聞けば、この商店街にいる猫さん皆で、代わり番こに世話をしているらしい。

(地域で孤児を育ててるのか~。私のいた世界は随分色々と進んでたけど、こういう社会性っていうのは無かったな。孤児に対する社会の目も冷たかったし。猫の王国、やっぱり皆優しいんだね……)

 自転車にまたがりながら、葵は心がぽかぽかとするのを感じていた。




 田舎から出てきたオレは、都会に住みながらも猫と暮らすことを夢みていた。

 学生時代はそんなお金は無かったけど、社会人になったら絶対一緒に暮らすんだと心に決めて、敷金が少し高くなるのを覚悟して、わざわざペット可の賃貸物件に引っ越した。

 でも、里親会では一人暮らしは歓迎されないし、男なら門前払いの所もある。虐待の事件が起こると、大抵独身男性が犯人という事が多いから警戒されるのは仕方ないにしても、男ってだけで……、と悲しくなる事もあった。

 そんな事をしている間に仕事が忙しくなって、とても猫を飼って世話をするなんて余裕がなくなってしまった。

 今のオレには仕事の帰りに、たまに近くの猫カフェによって猫との優しい癒やしの時間を過ごすだけが楽しみだ。

 最初のうちは、月に2、3回は通えた猫カフェだったけど、部署を異動してからはもうブラックとしか言えない職場になってしまい、数ヶ月に1度通えれば良い状態だ。

 その回数も仕事に慣れるに連れてどんどん減って行き、半年も行かれない事などざらになってしまった。

 営業時間が過ぎ、閉じてしまった店の前を何度疲れた溜息をつきながらコンビニ弁当とビール片手に歩いたことだろう? もうオレは猫と一緒に暮らすという、そんなささやかな夢すらも叶えることが出来ないのか?

 転職……。そんな事すらも頭に浮かばないくらい、オレは社畜になっていた。


「疲れた……」

 何時のように終電で帰り、コンビニに寄ってビールと弁当を買った夜だった。その日は夕方にかけてゲリラ豪雨だったらしく、道ばたには幾つもの水たまりが出来ていた。だが、疲れきったオレにはそれすらも気づく事はない。

 疲れて足下がふらつき、水たまりの中に顔を沈めるようにオレは倒れこんでしまった。

(起きなきゃ……)

 そう思っても疲れきった体は言うことを聞かない。

(息が出来ない……。ああ、水たまりで溺死するって事、本当にあるんだ……)

 肺の中にどんどんと水が流れこみ、痛みを覚える。

 どこか遠くで誰かが叫んでいる。ああ、助けを呼んでくれているのか?

 それきり、オレの意識は途切れてしまった。




 鳥の声、それに人の声も聞こえる……。

 オレはゆっくりと目を覚ました。

(ここは、どこだ?) 

 最初に目に入って来たのは、抜けるような青い空、白い雲。暖かで清らかな空気だった。都心で味わった事が無い新鮮な視界と空気。

「おや、気がついたね!」

 穏やかな女性の声が聞こえたかと思ったら、オレの目の前にはクリーム色の少し毛の長い猫の顔があった。

「大丈夫? 痛い所とかはない?」

 驚いたことに、その猫は人間の言葉を話している。

「ここ……。ここは、どこだ? オレは死んだんじゃ無いのか?!」

 まらクラクラする頭を支えながらオレは体を起こし、周囲を見渡した。

「なんだ、ここは?」

 灰色の瓦屋根、白い漆喰の壁。何より驚くのは目の前にいる猫は勿論、周囲には洋服を着て2本足で歩く猫達だ。

「ここは猫の王国さ。あんたは転生して王国にやって来たんだよ」

「猫の王国?」

「お連れの猫さんはどこだい? 一緒じゃないとしたら、後から来るの?」

「連れの猫って……。オレは猫は飼ってないし、死んだ時はコンビニの前で足を滑らせて……」

「こりゃ珍しいね。1人で人間が転生して来たよ」

 クリーム色の猫は驚いたような顔を一瞬見せたが、直ぐニッコリと優しく笑いかける。

「ようこそ、猫の王国へ。先ずは案内するから一緒においで」

 そう言われ、綺麗なピンク色の肉球を差し出だされた。


「そうかい。あんたは猫飼ってなかったのかい」

 クリーム色の猫はピンクと白のストライプ柄の長いワンピースにエプロン姿。どうやら女性の猫じゃないかと思う。

「ここ猫の王国に転生してくる人間はね、殆どが生前自分が飼ってた猫と一緒か、そうでなきゃ、どっちかが先に転生してきて後から来るのを待ってるんだ。あんたみないに猫を飼ったことが無いって人は初めてだね~」

 隣を歩く猫の女性はオレより少し背が低いくらいで、人間の女性と殆ど変わらない。しかも器用に2本足で歩いてる。

「ここはね、猫と人間が一緒に暮らせる夢の国なんだよ」

 そう言ってクリーム色の猫が、またオレにニッコリと笑いかけた。

(猫と人間が一緒に暮らせる夢の国?)

 良く見ると、数は多くないけど、時折人間の姿を見かける。

「転生してきたら猫も人間もまず最初にお役所に行って登録をするんだ。詳しいことはお役所の人が全部教えてくれるから心配いらないよ」

 そしてオレが連れて来られたのは、まるでどこかの観光地で見かけたような、木造の小さな時計台がある建物だった。

「こんにちは~。転生者さんが来たから連れてきたよ~!」

 転生者に対して慣れているのか、本当にごく普通にオレを連れて来てくれた女性の猫は、役所の中に声を掛ける。

「は~い。じゃあ、そっちの机の前に座って待っててくれるかな? 今、担当者呼んで来るから」

 サバ柄ブチの猫がオレに向かって声を掛けた。

「じゃあね!」

 クリーム色の猫はオレを役所に送り届けると、そのまま手を振って帰ってしまった。お礼を言わなくて良かったのだろうか?

「初めまして。人間の転生者担当の神保と言います」

 オレの目の前に座ったのは、草木染めの着物を着た、どう見ても時代劇に出て来そうな大店の旦那か、大番頭と言った感じの穏やかな初老の男性だった。

「お連れの猫さんは後からいらっしゃるんですか?」

 神保という人は、穏やかにオレに尋ねてきた。

「いえ。オレ、猫は飼いたいとは思っていましたけど実際は飼ってなくて。だから1人で来たみたいなんです。それに猫の王国って初めて聞いたし……」

 おずおずと話すオレの言葉を、神保という人は穏やかな表情で聞いてくれる。

「お一人で転生ですか。向こうでは猫は飼っていらっしゃらなかったとおっしゃいましたが、でも王国に転生されたのですから、何かご縁があったのだと思いますけど、何か心辺りでもございますか? どんな事でもよろしいんです、お話いただけますでしょうか?」

 そう言われて、オレは目を閉じて少し考えた。

「縁って言っても、オレは仕事が忙しくて猫が飼えなくて、たまに近所の猫カフェに通ってたんです。無理して抱っこすると嫌がる子がいるって聞いたから、いつもオヤツを上げる時に触らせて貰う位で、普段はずっと仕事の資料とか本とか読んでて。うん、たまに膝に上って来て勝手に寝てる子が居るから、そうしたら撫でさせてもらってたかな?」 

 猫は気まぐれな動物だと聞いていたから、何をするにも向こうの気分次第。呼んでも必ず来る訳でもなし。

 猫吸いとかやってみたかったけど、それは何時か自分の猫を飼った時に思いっきりやらせてもらう事にして、猫カフェでは何時も、猫と一緒に居るという空間を味合わせてもらって、たまに撫でさせてもらう事で日頃のストレスを癒やしてもらってた。

「でも部署が変わってから仕事が忙しくなちゃって全然行かれなくて。だから当然、猫を飼う夢なんてもっと遠のいちゃって。そんで間抜けな事に最後は足滑らせて水たまりで溺死ですよ……」

 なんだか最後、オレは自嘲気味に言った。いや、言うしかない程、情けない最後だったと思う。

「ああ、そう言えば。絶対触らせてくれないボス猫が居たっけなあ。オレの所にも近寄ってもくれなかったけど、時々本から目を離すと、なんかそいつがオレの事見てるような気がしてた。オレを見守ってくれてるような気がして、あいつと目が合うと何だか嬉しかったな……」

 そいつは、一際でかいキジトラの猫で、元々は地域野良のボスだった。怪我をしてたのを保護されて、そこの猫カフェのボス猫的存在になったそうだ。

 ボスっていうのは、スタッフの人が付けた名前らしいけど、確かに何時も部屋の一番高い所に座って部屋全体を見下ろしてた。猫は大意場所に座っている猫ほど地位が高いって聞いたし。時折、降りてくる時もあったけど、そうすると何故か他の猫達が道を空けるように離れてったな……。

 絶対自分からは喧嘩はしないけど、売られた喧嘩は必ず買うし、一度も負けたことがない。しかも、他の猫が喧嘩してると、まるで仲裁に入るように寄って行く。ボス猫が行くと必ず喧嘩も止んだ。だから自然にボスって名前になったらしいけど。

 可愛い猫や、綺麗な猫は沢山いたけど、オレはそいつが一番好きだった。ボスと目が合った日は、なんかラッキーな事があるんじゃないか? なんて勝手に思ってたっけ。

「もしかしたら、そのボス猫さんかもしれませんね。いや、よくお店を訪れてた貴方を知ってる猫カフェの猫さん皆かもしれない」

「えっ? ボスが?」

「猫って意外に勘が鋭いんですよ。ですからきっと貴方が店に来てくれなくなったのを心配してたんでしょう。遅くに帰る貴方が店の前を通ったりするのも知っていたのかも?」

「まさか……」

「だから貴方の想いを知って、わざわざ王国に1人きりですが転生させてくれたんだと思いますよ。ここで、いい出会いがある事を祈って……」

 流石、大店の旦那って感じの人だけあって言うことがロマンチックだな。本当にこの神保さんって人が想像したように、あの猫カフェの猫達がオレを王国に転生させてくれたとしたら、随分と客想いな猫達だ。

「せっかく貴方はこちらに転生して来たんです。時間だってたっぷりありますし、急いで全てを決める必要もないでしょう。こちらの住民になるか、人としてもう一度輪廻をやり直すか、王国を観光しながらゆっくり考えれば良いと思いますよ」

 そう言って神保という人は、オレにゲスト証というのを作ってくれた。これを見せれば王国の店全てで買い物も食事もタダで出来る。宿は役所が用意してくれるからそこに泊まればいいらしい。

 はっきり言って、猫の王国というのがどんな所なのか解らないオレには助かった。このゲスト証を使って、暫く王国がどういう国なのか観光させてもらおう。そして、転生してるっていう人間や猫に色々話しを聞いてみたい。

 

 オレは次の日から、まず王国を歩き回って見ることにした。

 メインストリートに出て直ぐに気づいたのは、足下がアスファルトではなく硬く押し固めてあるが土であることだった。アスファルトは夏になると太陽で熱せられて熱い。デリケートな猫の肉球が火傷しないように配慮されているのだろう。

 瓦屋根に白い木造の壁は、どこか時代劇を思わせる風景だが振り返れると、王国という名のとおり遠くに洋風の城が建っている。不自然な光景ではあるが、だが計算しつくされたようにも思える。

 そして次に気づいたのは車が一台も走っていない事だ。住民はみんな徒歩で、時折走っているのは自転車だけ。

 乗っているのは人間が殆どで、尋ねてみると宅配便の自転車だそうだ。

「街灯はあるけど、電線はない。江戸時代っていう感じもするけど、明治とか大正って感じかなあ?」

 街を行き来する猫達は皆洋服か着物姿で、建物もよく見ると細かな部分に洋風の意匠が施されてあったり、屋根と壁以外の作りは完全に洋風な建物もある。

 オレは猫に洋服を着せるのはあまり好きではないが、こうして2本の足で歩いてる姿を見ると不自然さを感じない。

 夜になって呑み屋に入って色々と話しを聞いてみた。まあ、まず猫が酒を呑んでいる時点で驚いたのだけれども、ここでは人間と同じ食べ物を口にしても何ら害がないそうだ。

 猫の王国は人間と猫が一緒に暮らすために作られた国であること。そして怪我くらいはあるが、病気は絶対に掛からないし死ぬような事はない(まあ、厳密にはもう死んでるンだけど)

 転生して王国で一緒に暮らすことを決めた猫と人間は、年を取ることなく永遠にこの国で生きることが出来る。それが苦痛かどうかは、王国が出来てまだ数百年だからよく解らないらしい。でも、辛いと言っている人間も猫も聞いた事も見た事もない。皆幸せに生きているそうだ。

 それ以外の猫達は、ここで商売をしたり仕事についたりと、ごく普通に暮らしており、その中でまた人間界へ転生を繰り返す猫も居るそうだ。

 猫は所詮、好き勝手な生き物だから、王国に縛られることなく、例え商売をしていても転生をしたりする猫もいる。

 何よりオレは、こうして普通に猫達と酒を呑み会話が出来ることに驚き、それをまたどこか楽しんでいた。

 

 それからは、転生してきたという人間に会って色々と話しを聞いてみる事にした。

「私を助けようとしてくれた飼い猫と一緒に車に轢かれちゃって、それで王国に来たの。元々カレシみたいな気持ちで飼ってたから、今は会話も出来るし私と同じ生活が出来て凄く幸せよ」

 宅配便の女性はそう言って笑顔を浮かべていた。

「パティシエになりたくて修行してたんだけど、病気で死んじゃってね。でも今は街のケーキ屋さんで沢山の猫さんや人間さんに喜んでもらえて嬉しいな。この先はカフェも併設して、もっと沢山のお洒落なケーキを作るのが夢よ」

 ケーキ屋で妹だと紹介してくれた三毛猫と楽しそうに接客している。

「私は長い間病気でね、飼っていた娘とは直ぐに離ればなれになってしまったんだ。でも私が死んだ時、娘が私を探してくれてね、一緒に王国に来たんだ。病気じゃなかったんだけど、なかなか普通の生活に戻れなかったのを王国の皆が支えてくれて、今は転生した猫さんの本屋を継いでいるよ。元々本が好きだったし、好きな本を置いて好きなようにお店をやれるのがいい。なにより何時も娘と一緒でいられるのが何よりも幸せだ」

 英国から来たという中年の男性は、膝にサビ柄の仔猫を抱きながら、穏やかに微笑んでいた。店の前にある竹で出来た椅子には、店の絵本を読む仔猫達の姿があった。

「私は戦争に行く夫が贈ってくれた娘と一緒に先に転生して来たんです。後から来る夫をずっと待ちながら刺繍屋を営んでいたのですけど、夫もやっと転生して来てくれて。今は娘と2人で刺繍屋を、夫は職人として働いています。ずっと何時戦争が起きるか不安な国におりましたから、平和な王国に3人で住む事が出来て幸せです」

 異国の刺繍屋の美人女性は、そう言って上品に微笑んだ。

 

 オレは他にも何人もの人間と話しをしたけれども、皆一同に幸せそうだ。中には、人間なら治療法はあるけど、猫にはそれが無くて病気で先に死なれた時の悲しみを覚えているから、病気にならないで一緒に暮らせるのが一番の幸せだよ、と言っている人間もいた。

 そう。どうしても寿命から考えれば猫の方が先に逝く。事故や病気で一緒に転生出来ない事が普通なんだ。それなのに、ずっとその猫を思い、猫も転生しないでずっと飼い主を待っている。そんな見えない絆が王国に住む猫と人間の間にはあるのだ……。

 猫をまだ飼った事のないオレは、そんな悲しいお別れを経験した事がないから、その人達が抱いた辛さは理解出来ないけど、でも自分より先に逝ってしまったらと考えると、やっぱり悲しい。


 ゲスト証のおかげで、どこへ行ってもお金が掛からないから、オレはけっこう長い間王国を堪能させてもらった。

 最初は猫が2本足で歩き、同じ言葉を喋り、同じ物を食べる。自分が生きていた世界と全く同じ生活をしている猫達を見て戸惑うことばかりだったけど、暮らしているうちに、だんだんとそれが不自然に思えなくなってきた。

 暮らしている猫も人間も皆温かいし、人情もある。荒んだ都会暮らしに疲れ切っていたオレにとっては憩いとしか思えない世界だ。

 でも観光なら十分なのかもしれないけど、もしここに永遠に住むことになったら? と想像すると、やはり考える事もある。

 猫を一度も飼った事がないオレが、猫と一緒に住むことが出来るこの王国に転生して来た意味や、一緒に住む猫もおらず1人で暮らすその不自然さを考えると、住みたいという夢に対して踏ん切りが付かない。


 オレは役所の前にある噴水の前のベンチに腰掛けて、今後の事を考えていた。

 確かに猫を飼いたい。一緒に暮らしたいと思ったけど、こんなオレが王国に住み続けていいんだろうか? いや、オレ自身が住み続ける覚悟と意味を見いだせるか? だ。

 転生してきた人間は、皆、ここに来る前にしっかり絆を持った猫と一緒に来ている。でもオレは夢だけで生きてきた。絆もなく夢だけで暮らしていいものなのだろうか?

 思い悩んでいた時、ふと足下に黒い影が見えた。

「あれ?」

 下を見ると、小さな黒猫がオレの足にすり寄っている。

「お前、どうした? 母ちゃんは居ないのか?」

 そっと抱き上げると、黒猫はゴロゴロと喉を鳴らしてオレの腕の中で前足をフミフミし始めた。

「可愛いなあ……」

 その姿を見て、オレは思わずにやけてしまった。きっと猫を飼うっていうのは、こんな感じなんだろう。

 散々オレの腕の中でフミフミを繰り返した後、黒猫は丸くなってすっかり眠ってしまった。どうしよう? 母猫に返さなきゃダメだろう、これは。

 オレはそっと立ち上がると、まだ開いていた役所にとりあえず入る。ここならきっと、こいつの母猫を知っているだろう。

「すいません……」

 仔猫を抱きながら、オレはそっと役所に入った。

「おや、どうされました?」

 窓口に座っていた猫が直ぐオレに気づいて近づいて来た。

「あの、この子のお母さんって知りませんか? 足下に来たから抱き上げたらそのまま寝ちゃって……」

 そう言ってオレは、眠っている仔猫をそっと役所の猫に見せた。

「おや、この子は!」

 サバトラの猫が驚いたような顔をする。

「この子、親が居ないんですよ。産まれて直ぐ1人だけで転生してきた子で。しかも初めての転生だから王国のことも何も解らない子なんです」

「1人だけで転生? こんな小さい子が……」

 そうか。母親が頑張って産んでも死産って事もあるからな。この子はそんな子なんだ。

「しかも野良猫の子だったから、とにかく警戒心が強くて。近所の女将さん達が慣れさせようとしてるんですけど、絶対近づいて来なくて。時間が掛かりそうだって言ってたんです」

「せっかく転生出来たのに、猫に慣れないんですか?」

「ええ。王国で初めて産まれた命が地上の野良猫の子として生まれたんですけど、残念な事に産まれて直ぐ戻って来てしまったので、母親から王国がどんな所かも教えられてないんです。だから、王国の猫すらも怖い対象なんですよね」

「そうか、お前、何もかもが怖かったんだ」

 オレの腕の中で熟睡している黒い仔猫を見て、心が痛む。何も知らない都会に1人出て来た頃の不安だらけのオレとどこか重なる。都会は全て怖い所だと教えられて来たから、最初は大学のサークルさえも危機感を抱いていたっけ。

「でも凄いですね。あんなに懐かなかったこの子が、貴方の腕の中で眠ってるなんて……」

 サバトラの猫は関心したようにオレと腕の中で眠る仔猫の顔を見る。

 暫くは目を細め、うっとりしたように仔猫の寝顔を眺めていたようだが、はっと何かに気づきオレに話しかけてきた。

「あの提案なんですけど。ゲストのままで良いですから、この子を育ててくれませんか? この子はまだ2本足で歩く事も出来なければ、王国の事も転生のしくみも何も知りません。どれだけの猫や人間がこの子に手を伸ばそうと努力して来たんですけど、この子は誰の事も信用しなくて。それなのに貴方にだけは、こうして身も心も任せて眠ってます。もう少し王国で観光する時間が延びたと思って……」

 オレを見るサバトラの猫の表情が必死そうだ。どうやらそれだけ、この子は誰にも懐かなかったんだろう。

 オレの腕の中で眠る小さくて温かい命。それを見ているうちに、オレの中で何かがこみ上げてきた。

「オレ、この子と一緒に王国の住民になります。もしこの子が育って転生したいと思ったら、その時はきっと辛いかもしれないけど、幸せになれるよう願って転生させてやります。もしかしたらオレがここに来たのは、この子みたいな子を育てるためなのかもしれない」

 何かにオレは気づいた。そう。特定の猫と絆を結ぶ事ではなく、この先、オレが育てて転生を繰り返す猫が、特別な誰かと絆を作るために王国に居る。そんな生き方があっても良いんじゃないか?

「いえ、無理に住民になってくださらなくても良いんです。せめてこの子が大きくなるまでの間で良いので」

「ゲストなんて無理ですよ。育ててるうちに絶対情が湧いちゃうだろうし、ちゃんとした王国の住民じゃないオレが子育てなんていかにも半端者でなんか無責任って言う感じがするし。やっぱりオレ、この国の住人になって、この子を育てます!」

 オレはこの子を見て、何か運命を感じた。運命なんて軽く言うけど、何ていうのか、何で猫と殆ど関係の無かったオレが王国に来たのかを考えた時、もうこの子を育てる事以外に思えなかったからだ。そして、これからも現れるであろう、この子みないな不幸な仔猫たちを育てるために。

 直ぐにオレはその子を抱えたまま神保さんの所に行き王国の住民になる手続きをした。

 あの猫カフェにいたボスのような立派な猫に育ってほしいと願って、この黒い仔猫にボスと名前を付けて育てることにした。

 それからオレは、小さな仔猫ボスを抱っこしながら役所で働くことになった。保育課っていう課を新しく作ってもらい、これからボスのような子が転生してきたら、オレが一人前になるまで育てて面倒を見る。

 まあ結局、ボスはその後、転生しないでオレの息子になって王国の住人になったんだけどな。それで、一時保育の仔猫達のいいお兄ちゃんになってくれた。



 王国でそんな顛末になっている事をまるで知っているかのように、あの猫カフェのボスは耳をピクピクと動かしながら、今日もカフェの一番高い所で満足そうに客や他の猫達を見下ろしていた。

 もしかしたらボスが転生したら彼の所に行くかもしれない。だって彼を王国に導いたのは他ならぬボスの仕業なのだから。



      おわり

黒い仔猫は結局、王国に住むことにした男性の息子になってしまい、

人間世界の荒波? を知らずに王国の住人になりました。

まあ、この子が幸せならそれで良いのですし、男性もこの子と出会えたことで

王国での新たな生き方を見つける事が出来ました。

さて心配なのは、現世で彼を王国に送り出したキジトラの本家ボス。

本編でも書きましたが、きっと王国に転生したら、この男性のところに来て一緒に暮らす事になるでしょう。

そうなると、ボスという名前の猫が2匹? あれ?

そした区別はどうするんでしょうかね?

その時の男性の慌てた姿が見てみたいです。

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