猫の王国に転生しました!
ボクの名前は麦。トンキニーズの男の子、5才。
プラチナミンクが人気の今、ボクの毛色がチョコレート色で、ちょっと育っちゃってたからかペットショップで絶賛赤札10万円で売られていた所を、目が合ったからっていうだけの単純な理由で今の飼い主、葵に引き取られた。
命ある生き物を簡単に飼ってはいけませんって習わなかったのかな? と思ったけど、葵はボクを凄く大切にしてくれている。
嫌だけど年に一回は予防注射のために病院に連れて行ってくれるし、ちょっとでも具合が悪ければ直ぐに病院で診てもらう。
それにボクが居るからって呑み会にも行かない、旅行にも行かない。お買い物に出かけてもボクの夕飯には間に合うように帰って来てくれる。
寂しくなくてボクは嬉しいけど、その代わり葵をボッチにさせちゃったんじゃないかって、ちょっと不安。
でも一緒のお布団で寝たり、膝でゴロゴロ甘えたりする二人だけの至福の時間になると、葵はボクの事を「ダ~リン」って呼んでくれるんだ。色々心配する所はあるけれど、ボクにとっては幸せな時間だから気にしない。葵の幸せがボクの幸せでもあるんだから。
今朝も会社に行く葵を玄関でお見送りした後、駅に向かう姿を見守るためにボクは窓に走った。
道路の反対側を歩く幼稚園に向かう子供達に手を振って、振り返って窓に座るボクにも行って来ますの手を振るのが葵の毎朝の習慣。のはずだった。
葵を見守るボクの目の前に、幼稚園の子供達に向かって突っ込もうとするトラックが見えた。避けようとしてハンドルを切ったトラックが、今度は葵に向かって直進してくる。
「ニャーッ‼ (葵‼‼)」
ボクは叫んだ。
今日ばかりは葵が閉め忘れた窓からボクは葵を助けようと飛び出した。振り返る葵の腕の中にボクの体が……。
そこで、全てが真っ暗になった……。
「葵……! 葵……!」
誰か呼んでる? 知らない声……。
可笑しいなあ? 私、あの時死んじゃったよね? トラックが急に目の前に来て……。
あれ? あの時、麦が私の腕の中に飛び込んで来なかっけ?
もしかして麦も死んじゃったの? そんな、麦まで⁉
「葵、大丈夫? 葵!」
もう一度呼ばれる声に驚いて、目を覚ますと目の前に猫の顔があった。凄く見慣れた、焦げ茶色の顔にアクアの瞳。
「えっ、麦⁈」
「葵! 目が覚めたんだね! 良かった~!」
麦そっくりの猫が私に抱きついてきた。
「麦? 麦なの?」
「そうだよ、葵。ボクだよ。覚えてる?」
忘れない。仕事から帰ると必ず玄関に座って待っていてくれた大好きな猫の麦。
でも今の麦は随分と違う。
2本足で立ってはいるけど、身長は人間と同じ位の大きさで姿形は猫のまま。しかも言葉も喋って、私、麦と会話が出来てるような?
どうなってるの、これ??
「あら、ご主人様が目を覚ましたのね。良かったわ~」
声のする方を見ると、エプロンを掛け、頭に帽子をちょこんと乗せた看護婦姿の白猫が立っている。え? これセット? それとも私、何か夢でも見てるの?
「何で麦が喋れるの? それにここ、どこ? 私、トラックに跳ねられて死んじゃったんじゃなかった?」
無理矢理ベッドから起き上がろうとすると、体が軋むように痛い。夢ではなさそうだ。
自分の体を見ると、病院用のパジャマを着ているくらいで人間の姿のまま。掌を見つめグーパーすれば、ちゃんと普通に動く。
「葵、落ち着いて聞いてね。葵はあの時、トラックに轢かれて死んじゃったんだ。助けようとして飛び出したボクも一緒にさ……」
そう言って麦は横に座ると、肉球のある猫のままの両手で私の両手をそっと握った。
「ここは猫の王国と言ってね、死んだ猫が必ず来る国。猫だけじゃなくて、時々、仲の凄く良かった飼い主も一緒に転生して来る事もあるの。ボクはあのまま葵を死なせたくなくて無理矢理、猫の王国に連れて来ちゃったんだ」
「猫の王国?」
「うん。猫の王様が治める猫の国。それが猫の王国なんだよ」
どうやら私は、飼い猫と一緒に猫の王国とやらに転生して来たようです……。
「それで麦、ここは猫の世界だって事は分かったけど、人間の私はどうやって暮らしたらいいの? そもそも人間が猫の王国に住んでもいいものなの?」
あれから数日後、私は無事病院を退院し、今から役所に行く所です。
病院の中でも気づいたけど、周りにいる猫は皆は2本足で歩いてる。それを見ると本当にここは猫の王国なんだと確信。
外に出ても、歩いているのは猫さん達は、みんな洋服とか着物とか何かしら着ている。麦も白いシャツにベージュのチノパン姿で、チョコレート色の毛皮によく似合っている。私の麦は猫の時も素敵だったけど、2本足で歩いて洋服を着てもやっぱりイケニャンだ。
手を繋いで役所の近くにある噴水のある公園、そこのベンチに腰掛けた。
「ボクはもう役所で王国の住人になる手続きはしてきた。でもね、人間と猫とでは王国の住人になる意味が違ってくるんだ」
麦はそっと肉球の上に王国の住民票を乗せ、それを私に見せてくれる。
『トンキニーズ、麦。出身、日本。年齢5才』
単純な表示と、何やら数字が書かれている。
「この番号はね、猫として生を受けて初めてこの王国に来た時に与える番号で、毛皮を着替えて生まれ変わって、また王国に戻ってきても同じ番号が引き継がれる。つまり、このカードにはボクの猫としての今までの生が刻まれてるんだ」
「へえ……。じゃあ麦は私の所に来る以外に、何度も転生を繰り返してるんだ」
生まれ変わると全てを忘れてしまったら飼い主としては凄く寂しい。でも、こうしてデータとしてだけでも一緒に生きた繋がりは残ってくれる。
「でもね、人間がこの猫の王国で住民票を取るのと、猫が住民票を取るのとは全然違うんだ。猫は望めば何度でも生まれ変わることは出来るけど、人間は一度猫の王国の住民になったら、もう二度と生まれ変わることは出来ない。ずっと、永遠にこの猫の王国で、転生してきた人間のままで生きなきゃならない」
「ずっとって事は、歳も取らないの?」
「そうだね。転生してくる時に望めば、若返ることだって出来るけど」
「永遠の命と若さか~。ファンタジーな世界だね」
私はどうして麦が暗い表情で説明するのか、イマイチ理解出来ていないみたいだ。
「ねえ葵、解ってる? 葵がもしここで猫の王国の住民になったら、二度と生まれ変わることは出来ないし、永遠の時をこの王国で過ごす事になるんだよ?」
麦が私の手をぎゅっと握った。肉球が少し湿っていて、緊張しているのが解る。
「じゃあ聞いていい? ここで暮らしてる人間は皆辛い顔してる?」
「えっ、それは……」
麦が心配してくれるのは凄く解る。私は日本人だから輪廻転生という生死観念がある。何度も転生を繰り返して最後は極楽に行くのだ。
でも、この猫の王国で住むことを決めたら、もう輪廻転生は出来ないし、当然極楽には行けない。
「あのね、麦。私には極楽って世界は解らなし、まだ数人しか見かけてないけど、ここに暮らしてる人間は皆幸せそうな顔してるよ? その人達にとってはこの猫の王国が天国であり、極楽なんじゃないかな?」
「葵……」
「麦は私と一緒に居たくて猫の王国に連れて来てくれたんだよね?」
「うん……」
もしあの時、あのまま私と麦が永遠に離ればなれになってしまったら、なんて考えたくない。
「だからね、私も大好きな麦や猫達と同じ世界に暮らせるのは同じなんだよ。だから私、ずっとこのまま猫の王国で暮らしたい。便利なようで少し不便。それでいて、のんびり、ゆっくりとした時間と空気が流れる、この猫の王国が好き」
私は綺麗な青空を見上げながら言った。そして麦の手をしっかりと握り返す。
「私こそ聞きたいよ。麦は私がここの住人になったら、毛皮を着替えて生まれ変わったりしないよね? 私を置いて行ったりしないよね?」
麦は私の顔を見返した。南国の海の色に似たアクアの瞳がじっと私を見つめる。
「そんな事しない! ボクは葵と離れたくないから、だから無理矢理だけど猫の王国に連れて来たんだ。絶対、葵を一人にしない。ずっと一緒だよ!」
なんだかまるで、プロポーズの言葉を聞いているようだけど、でも生前の私には彼氏も居なかったし、親友と呼べる相手も居なかった。そりゃ会社ではおしゃべりしたりする友達はいたけど、麦と一緒に居る時間を割いてまで付き合おうっていう気持ちは無かったし、何よりも少しでも早く家に帰って麦の顔を見たかったから後悔なんてない。
現世できっと悲しんでるお父さんやお母さんには悪いけど、でも私は麦と一緒にこの猫の王国で幸せに暮らすから安心して。
「じゃあ決まり! さっそく住民票を作りに行こう!」
私は麦の手を取るとベンチから立ち上がって、役所に向かって指を示した。
麦も私の気持ちを理解してくれたのか、ぎゅっと手を握り返してくれた。
「失礼しま~す」
猫の王国にある役所は、真っ白い木造の建物で時計台が付いている、そう北海道にあるあの時計台によく似た建物だった。
中もやはり木造で机や椅子、カウンターも随分と使い込まれていてオーク色に近い。でもそんな古くさい雰囲気が何故か心地良さを感じる。
『住民登録』の看板が下がった窓口に私は麦と一緒に向かった。私には日本語に見えてるけど、本当は猫語なんだろうな。どうしてそれが読めるのかとかは深く考えず、チートを授かったと思う事にする。
「あの~、住民登録お願いしたいんですけど」
奥に座っている猫さん達に向かって私は声を掛けた。人間と同じように生活してるとは言っても、やはり猫の耳はよく聞こえるだろうから、あまり大きな声を出さないように気をつける。
「おや久しぶりだ。人間さんの登録かい?」
中から赤虎ブチの猫さんが姿を見せた。首から黒い足跡柄のネクタイと、腕には黒の腕カバーをしているお役所コスプレ姿がたまらなく可愛い。
「ちょっと待ってな。専門を呼ぶからね。お~い! 神保さ~ん。人間のお客様だよ!」
すると奥の方から白髪交じりの人間の初老の男性が姿を現した。渋い! 藍染めの着物姿だ!
「おやおや。女性のお客様ですね。さ、どうぞお座りください」
丁寧な物腰で神保と呼ばれた人が私に椅子を勧めてくれた。ちょっとこの方、転生前はどこかの大店の旦那か大番頭さんだったんでは?
「猫の王国へようこそ。さて、どの猫さんとご一緒にいらっしゃいましたか?」
「えっと、麦と一緒に転生してきました」
そう言って私は、隣に立っている麦を見上げた。
「ああ、貴方は数日前に住民届けを出された猫さんですね。確かその時、飼い主さんも一緒に転生してきたっておっしゃってましたけど、この方だったんですね~」
ホントまあ、物腰の柔らかいこと。笑顔も優しそうだし、転生して幸せなんだね。
「では、住民登録をいたしましょう。こちらの猫さんはもう何度も転生してらっしゃるみたいですから、書類だけで済みましたけど、人間さんと、初めて転生してきた猫さんは登録の仕方がちょっと違うんですよ」
そう言って神保さんは私に住民登録のための用紙を出してくれた。
書く所は、生年月日と性別、名前、年齢、国籍、一緒に転生してきた猫の名前。案外簡単だ。
「あれ? 名前はどうすればいいんですか?」
「氏名両方書かれても良いですし、下のお名前だけでも十分です。外国の方ですと、洗礼名まで書かれる方もおりますねえ」
え、洗礼名ってちょっと。あっち系って転生って観念が無かったよね? いいのかな?
まあ本人が望んで転生して、それが幸せなら神様も許してくれるでしょう。
「じゃあ、私は葵って下の名前だけで。麦も葵って呼んでくれるから」
氏に未練が無いとは言わないけど、両親が頭を捻って考えてくれたのは葵って名前だから、そっちを大事にすれば十分だと思う。
「はい。書類のほうはこれで大丈夫です。あと最後にこれが一番重要な儀式です」
「儀式?」
神保さんは書類を受け取ると、今度は金色のカードみたいな物と、三角錐の水晶の台に少し太めな針が刺さった物を出してきた。
「貴女の血を少し頂きたいんです。その血をこのカードの上に垂らす事で、貴女の情報が全てこれに登録されます」
おおお! 転生モノの鉄板ですね! まるでギルドカードみたいですが。
「ちょっと痛いですけど、我慢してくださいね」
そう言うと神保さんは、私の左手を取って薬指に針を立てると、そこから血が溢れた。
私は注射とか平気なタイプだから思わずじっくり見ちゃったけど、カードの上にちょっぴりだけど血が落ちると、ぱあっと光って私がさっき住民票に書いた事と同じ内容が文字になって浮かび上がる。どういうシステムかは解らないけど、凄いなあ!
「はい。これで住民登録は完了しました。役所のデータベースにも登録されますので問題ありませんよ。それを使う頻度もあまり無いと思いますが、大事にしていてくださいね」
「あの、使う所っていうと?」
「そうですね。お部屋を借りたりする時と、お仕事を探す時ですね。お仕事が決まってしまえば、身分証を貰えますから殆どそれで事が足ります」
「あの、保険証とかはどうなんですか? 病気になった時とか」
「王国の住人は病気になりません。病院に掛かるのは、せいぜい怪我した時くらいですけど絶対死にませんよ。ほら、もう死んでますから」
そう言って神保さんは穏やかに笑ってくれる。
「ああ、でも怪我が治るまでは痛いですよ~。そこはほら、生前と同じです」
「うわ~、大怪我だけはしたくないですね~」
子供の頃は田舎に住んでたし、お転婆で怪我も沢山したから病院も行き慣れてるけど、やっぱり背中がゾクゾクするな。
「では、これからどうなさいますか? お部屋が決まるまででしたら宿はこちらから紹介した所で無料で宿泊が出来ますし、お食事や、これからの生活用品をお買いになる場合は先ほどのカードをお店に提示していただければお代は要りません。全て王国がお出しいたします」
「えっ?! 全部払ってくれるんですか? 王国、太っ腹ですね……」
「だって、これからずっとこちらに住まれるのですから、初期費用は王国が持ちますよ」
いやいや、普通に引っ越すだけだって、かなり費用は掛かるし、それまでの食費や宿泊代も全部だなんて。王国の懐の大きさ、ハンパないですよ。
実は凄くびっくりしてるんだけど、何だか、この元大店の旦那さんだか、大番頭さんだったみたいな神保さんに言われると、はあ、そうですか~、ってすんなり納得しちゃうんですけど? これって人徳?
「でも、流石にあんまり王国に頼るのも気がひけるんで、なるべく早く住む所と仕事見つけますよ」
「おやおや、葵さんは頼もしい」
それは単に生前は会社務めをしていましたから、働かざる者食うべからず、の精神が身についてるだけです。
「そうしましたら、人間さんと猫さんが一緒に住めるお部屋を扱ってる不動産屋さんをご紹介いたしますね」
神保さんは一端席を立つと奥の方に歩いて行った。
その間、私は麦と一緒に新しくできた自分の住民カードを改めて見つめている。可愛い。カードの真ん中に猫の顔のシルエットが大きく描かれてる。
金色に光る猫の王国の住民票。これで私も猫の王国の一員になれたんだな~。
「いい不動産屋さん紹介してもらえて良かったね。宿も手配してもらえたし。これからどうする、葵?」
役所を出て大きく伸びをする私に、麦が話しかけてきた。
「う~ん、お腹空いちゃったね。どっかでお昼にしない?」
実の所、この猫の国に転生してからまともな食事をしていない。今朝までは病院食だったし、いい加減にこの世界のご飯を食べてみたい。それに、この世界なら麦も私と同じ物が食べられるそうだ。
「そうだね。近くに美味しいコーヒーを出してくれるお店があるから、そこに行こうか?」
コーヒーは生前の私の好きな物の一つだ。流石に豆を挽いてまでは出来なかったけど、お店で色々なブレンドや種類を買って飲むのは楽しかった。
私が買ってきたケーキと一緒にコーヒーを味わう中、麦は横で水と○ゅ~るだ。
それが今や、コーヒーもお酒も、ネギもチョコレートも、塩っぱい物、甘い物、何でも一緒に食べて味わう事が出来る。何て言う幸せだろう!
マヨネーズたっぷりの卵サンド、辛子の利いたハムサンドに香りのいいコーヒー。麦と二人でこうして同じ物が食べられる。夢みたいだ!
目の前で初めて自分と同じ物を食べてる麦を見ると不思議な感じがする。猫の顔で、猫の手で上手にサンドイッチを食べ、器用にカップを持ってコーヒーを飲む。よく口の脇から溢れないな~、なんてくだらないことに関心したり。
そんな事すらも嬉しくて楽しくて仕方ない。
「ねえ麦。このままさっき紹介してもらった不動産屋さんに行こうか?」
「えっ?」
そう言うと、麦はびっくりした顔で私を見た。
「来たばっかりでもう住む所探すの? せっかくだから観光とかすればいいのに……。ボク案内するよ?」
「いいのよ。だってこれからずっと住むんだから、観光なら何時だって出来るでしょ? それより早く一緒に住む所決めたいな。住む所決めたって、家具やら何やらしっかり選んでたら、住めるようになるまで結構掛かると思うの。仕事だって探したいし」
せっかく転生したんだ。ゆっくりするより早くこの世界に馴染みたい。私の心が急いでいる。
「いいよ……。葵がそう言うなら部屋を探しに行こう。ボクとしてはもうちょっとノンビリしたかったんだけど」
麦が少しがっかりしたようにヒゲを垂らした。それに耳が少し後ろに寝ていたり、尻尾が力なさそうにゆらゆらと揺れている。自分と同じ大きさになっても、そういう所は可愛いくて仕方ない。
「ごめんね。でも、部屋が決まったら二人でゆっくり家具とか探しながら観光しよう? ずっと暮らすんだから妥協しないでいい物にしよう! ね?」
両手を合わせて拝むようにすると、麦も仕方ないなあ、という顔で私を見た。
やっぱり麦は優しい。優しいというより、私に甘いのかもしれない。
「わあっ! キレイ!」
不動産屋さんが案内してくれたのは、木造で白い壁、瓦屋根だけれど異人館のように柱や垂木に細かな意匠を凝らしたお洒落なアパートだった。
「人間と一緒に住むのは猫だけが住む物件とは違って、ちゃんとした家になってくるんですよ。それに若いお嬢さんだからね、お洒落な感じがいいと思って」
そう言ってサバ柄猫の不動産屋さんが選んでくれた。ちなみにお店の名前はサバトラ不動産屋さんです!
「大家のミケさんです。お客さんを案内しに来ました」
「よろしくお願いします!」
紹介された大家のミケさん。その名の通りキレイな三毛柄のまん丸な体型で、エプロンが良く似合う。いかにも肝っ玉母さんって感じ。
「おや、若いお嬢さんと猫さんのカップルかい! これは嬉しいねえ。うちの自慢の部屋を是非見てっておくれ」
カップルだって~! 麦とカップルって言われちゃった! そうよね。いくら猫の王国でも麦は男の子だし、私は女だから、他所から見たらカップルよね~。うん! 悪くないわ!
案内された部屋は二階。木造の階段が歩く度にギシギシ鳴る。木造で築年数が古いせいかな? これも風情があるように感じる。
「はい、お部屋はここになります」
そう言って、不動産屋さんは一番奥にある部屋のドアを開けてくれた。
「うわっ、明るい! それに窓が大きくて部屋も広い! これで1DKですか?」
玄関は一枚石を敷いたガッチリした感じ。横には作り付けの靴箱。部屋の中も全部フローリング。和風と洋風が上手く溶け合った感じのいい部屋だ。
「前世の建物みたいに隙間ない板張りじゃないけど、それも味があっていいわね。本物の木材を使ってるから気持ちいい」
やっぱり床はちょっと音がするけど、それはあんまり気にならない。すぐに普通の生活音として慣れるだろう。
「玄関入って直ぐ横にトイレ、洗面所、それとお風呂が奥に向かって並んでます。人間が住むお部屋にはシャワーかお風呂が必須ですね」
「流石、解って下さってる! 麦、お風呂一緒に入ろうね!」
ついはしゃいで言ってしまったが、麦は思い切り嫌そうな顔をした。あら、やっぱり猫だからお風呂は嫌い?
「こちらが台所になります。自炊をされるとおっしゃってたので、カウンターキッチンですが、ちゃんとした物を」
「自炊しない人も居るんですか?」
「ええ。最低限の料理が出来る程度のバーキッチンだけで、メインは外食をなさる人もいます」
それはそれで何かお洒落な生活だけど、私はやっぱり自分で作った料理を麦と一緒に食べたいから、台所は必要!
台所を見て驚いたのは、何とここは冷蔵庫にオーブンが付いている。しかもガスコンロではなくIHだ!
「IHだなんて近代的ですね。建物とイメージが合わないって言うか?」
「昔は普通にガスを使ってましたが、建物は木造が多いですし火は怖いですからね。王国は全て電化製品になります」
え? オール電気? 何それ?
「季節として梅雨はありますけど、ここは地震も台風も猛暑も無いので心配ありません」
え? 地震も台風も無いの? 天国? やっぱりここは天国なんですね‼
「雪が降っても大雪にもなりません。雪は猫の天敵ですからね~」
そう言って不動産屋さんは自慢そうにニコニコ笑う。
「洗濯機は意外と場所を取りますからね。このアパートでは地下に共同の洗濯機と乾燥機があります。共同はお嫌ですか?」
そうか~。日本人は洗濯機を共同で使うって言うと、コインランドリーくらいしか思いつかないけど、海外のアパートだと大きいのを共同で使うって聞いたことがあるな。最初は抵抗あるみたいだけど、使ってるうちに便利だって聞いた。
「建物内の階段で行かれますから外に出る必要はありませんし、天気や周りのお部屋の住人の方を気にせず、好きな時間に使えますから便利ですよ」
そうよね。毎週、決まった日を洗濯の日にしてしまえばスケジュールが組めるし、便利かも? それに洗濯機や乾燥機、洗濯物干したりする場所が無くなるから、その分部屋が広く使えるもの。
「こちらがダイニングで、向こうが寝室になります。引き戸で繋がってますから、開けておけば部屋を広く使えますよ」
引き戸と言っても、襖や障子ではなく、木製で縦に柵を作っただけの作り。ベッドルームがほぼ丸見えになるけど、逆に圧迫感が無くなるし風通しも良くなるからいいな。しかも良くみたら、自然に生えた木をそのまま使ってるのか、柵の1本1本が自由に曲がってる。これ、かなりいいデザインかも?
寝室には物置が作り付けであった。扉を閉めてしまえば目立たないし、家具は好きな物を選べる。
「ねえ麦。キャットタワーって要る?」
置くならあれは大きい物だし、外が見える場所がいいだろう。私はつい無意識に訊いてしまった。
「タワーなんて要らないよ。でも、爪とぎは欲しいな……」
タワーに関してはむっつりしたように要らないと言われたが、爪とぎは恥ずかしそうに要ると言われた。爪研ぎで爪を整えるのは、猫として必要なマナーなのだろう。
うん、背の高い立派なのを買おう!
「外が良く見える~!」
寝室にある窓を開けると木製のベランダがある。天気のいい日は、二人でベランダランチもいいな~!
「お気に召しましたか?」
不動産屋さんの言葉に、私は麦の顔を見た。私は凄い気に入った。
っていうか、この不動産屋さん凄ご過ぎ! 窓口対応の時に、ざっくりとイメージと条件を言っただけなのに、一発でいい物件を見つけてくれるなんて! 普通は図面見て、それから数件内見して検討するよね? 猫? 猫の勘なの?
「あの、ここは夜はどうなんですか? 治安に関しては問題ないと思いますが、騒音とか?」
麦がちょっと不安そうに尋ねた。そうだよね~、前の部屋は目の前が大きな道路だったから、夜中とかトラックが走ったり、改造バイクが走ったりしてたもんね~。
「ここは商店街から一区画入った所ですから、夜は静かですよ。だから安心してお休みになれます」
「葵、気に入った?」
麦が私の顔を覗き込むようにして訊いてきた。
「うん! 凄い気に入った! 大家さんも優しそうだし、家も部屋の中もお洒落!」
「じゃあ、ここに決めます」
麦が即決で返事をしてくれた。私より猫の麦が暮らすのに一番快適なのが重要なんだけど。私の条件を気にしてくれたの?
「いいの、麦?」
「だって、これからずっと葵と一緒に住むんだよ? それにどうしても気に入らなかったら引っ越せばいいだけだから」
気を使ってくれているのが良く解るけど、その長い焦げ茶色の尻尾がピンと立ってゆらゆらしてるから気に入ってくれてるのがよく分かる。
「ありがとう、麦! 大好き!」
私は思わず麦に抱きついた。
「じゃあ、直ぐにでも契約しましょう。明日また、事務所にいらしてくださいね! あ、住民票をお忘れなきよう」
「はい!」
これで私と麦の王国での部屋は決まった! 暫くはお役所が用意してくれた部屋に泊まりながら、じっくり家具や生活用品を揃えよう。それから、私の仕事先も考えないとね!
不動産屋さんとアパートを出ると、ミケの大家さんがニコニコして立っている。
「ここ、凄く気に入りました! 引っ越しまで少し時間掛かるかもしれませんが、よろしくお願いします!」
思わず私は大家さんに頭を下げた。
「あらあら、気に入ってくれてありがとう! 大家といえば親と同じ。何かあったら遠慮なく相談してね。貴女は王国に来たばかりで、解らないことが沢山あるでしょう? 何でも教えてあげるからね!」
猫の王国に転生して、直ぐにいい部屋が見つかった! これからはあの役所が手配してくれた宿を中心にして、ゆっくり観光かねがね部屋の家具やら生活用品を揃えよう。それと、私の仕事も見つけないと!
やることが沢山あって、これから大変だ! でも麦が一緒に居てくれるし、お役所の人も色々アドバイスしてくれるから凄く助かる。私、猫の王国に転生して良かったかもしれない!
その日の夜、役所が手配してくれた宿のベットに潜りこんだ。マットレスはしかりしているし、掛け布団はふかふかで気持ちいい。
「ねえ麦」
パジャマに着替えようとしていた麦に、声をかけた。
「猫の姿に戻ることって出来る?」
「出来ない事はないけど、どうして?」
「今夜だけ、猫の姿で一緒に寝てくれない?」
「ええ~」
麦がちょっと嫌そうな顔をする。せっかく私と同じ背丈になったのに、やっぱり猫の姿に戻るのは嫌なのかしら?
「嫌じゃないけど、猫の姿に戻ると言葉が喋れないんだよね~」
ああ、そういう事……。
「今夜だけでいいの。こっちに来てから私、今の姿の麦しか見てないから、ホントに昔の麦と一緒に居るっていう、何となく確認が欲しいんだよね……」
というか、私の腕を枕にして一緒に寝る麦の姿が懐かしい。
「しょうがないなあ~」
そういうと麦は、一瞬で元の猫の姿に戻ってくれた。
ぽんぽん、と脇を叩くとベットに飛び乗り、ゴロゴロと喉を鳴らしながら布団に入って来てくれる。
丸くなって眠る麦の頭を撫でると、キュルキュルと一段と甘えた時の喉を鳴らす。
う~ん、可愛い! 懐かしい!
鼻を寄せると懐かしい少し獣臭いような麦の香りがする。
その匂いとゴロゴロと喉を鳴らす音を聞きながら、私は幸せに包まれながらぐっすりと眠りに落ちた。
次の日は朝少しお寝坊して、麦とちょっとレトロなカフェのベランダでブランチ。ホットケーキに目玉焼き、かりかりベーコンにコーヒー。
お腹がいっぱいになった所で洋服を買いに古着屋さんへ。着の身着のまま転生してきちゃったから、実は着るものが無い!
古着屋さんといっても、ここの古着を舐めてはいけない。何しろ歴史ある国だから、色々な時代、国の洋服が沢山売ってる。
元々流行なんて、どこかのお偉い一部の方々によって決められて強制的に作られた物だから興味なんてなかったし、第一、流行の服で自分に似合ったものが殆どといって無かった私には逆にここの古着屋さんでは選びたい放題だ!
昔のヨーロッパの、ちょっとお洒落なワンピース。イギリスのメンズ服。日本には入って来なかった海外の流行服。しかも質も状態も凄く良い! 猫さんのお針子さんが、丁寧にお直ししたりお手入れしてくれてるのがよく分かる。
今はまだクロゼットを買ってないし、王国の気候がよく解らないから、気に入ったのだけ数枚買う。
麦も手足は長いし尻尾も細くて長くてスタイルがいいから、ついつい色々な服を着せてしまい、最後はまるでコスプレみたいになってしまって、ちょっと嫌がられた。
でも結局は私の選んだ服を着てくれる辺りがやっぱり私に甘いんだと思う。
先ずは最低限の身の回りの物を買ってから、王国の中を観光することにした。
でも、本当にどこのお見せに言っても住民票を見せるだけでお金を払わなくていいのには驚きだ。しかも、最近転生して来た事を知ると、「よく来たね~!」って皆から歓迎される。
こんな暖かい世界があるんだろうか?
でもやっぱり早く仕事は見つけよう。幸い社畜ではなかったけど、働かざる者食うべからず、を我が家の家訓として育って来た私にとっては、お尻が落ち着かないようでムズムズする。
街を歩いていてふと気がついた事がある。
「ねえ、麦。猫の王国に車とか電車とか無いの?」
「無いよ」
そう、直ぐに気がついたのは、王国の人達はみんな徒歩なのだ。たまに自転車は見かけるが配達業者らしい。
「何で?」
「危ないから」
ああ、そうだよね。私と麦の死因はトラックによる轢死だもんね。人間だけでなくても猫にとって普通に車は危ないし、エンジンの中に入ってしまう子だっているもんね。
「じゃあ、物を運ぶのってどうするの? 移動とか」
「ん? 移動はみんな徒歩だよ?」
ちょい、ちょい! 何気なく言ってるけど、この国はどのくらいの広さがあるかまだ知らないけど、国の中全部徒歩なの? ああ、そうね。野良猫さんって自分のテニトリーを回るのに、あの体で一日数キロは歩くっていうもんね。昔の日本人も健脚だったって言うし……。
「自転車はあるけど、宅配便が殆どで、それに乗る程度の荷物しか乗せないから」
「じゃあさ、もっと大量で重い荷物とかどうするの?」
「人力車や荷車を皆で押す」
江戸時代かっ‼
思わず私は心の中で突っ込んだ。いや、エコ。そう、排ガスの出ないエコだよね。
「後ね、王国は独特の決まりが他にもあるんだ。例えば、ほら周りを見て?」
麦に言われて周囲を見渡す。あれ? 電柱も無ければ建物も二階建てまでで高い建物がない!
「建物は木造で、二階建てまでって決まりがあるんだ。これは猫の性っていうのかな、つい高い所に上ったりするから、落ちたら危ないでしょ?」
確かに。病院の先生は死なないけど怪我はするって言ってたもんね。まあ、もう最初から死んでるし……。
建物が木造なのも、猫さんが屋根に上りやすいようにだって。うん、ある意味優しい。
「下水道も完備してるし、オール電化……」
王国のインフラってどうなってるんだろう? いや、こういう世界では、あえて突っ込んじゃいけない。王国の素晴らしいギフトだと幸せに受けよう。
建物が二階までっていうのは、空が凄く広く身近に感じて実に気持ちいい。都会で働いていた時は殆ど空が見えなくて、しかも見えてもほんの少しで狭かった。田舎に居た時の広さと高さが恋しくなる程だった。
王国の建物の高さと空の広さは、本当に丁度いい。
「でもね、百貨店とか、映画館、公民館みたいな公共の建物はレンガ作りで、もっと大きいんだ」
へえ……。王国って個人商店しかないのかと思ったけど、一応百貨店があるんだ。今度行ってみよう!
「それで、仕事ってどこで探すの? ハローワークなんてあったかしら?」
「はろーわーく、って何? 仕事は街の口入れ屋さんで探すんだよ」
口入れ屋……。やっぱ江戸時代じゃん‼
「街に口入れ屋さんがあるから、そこに行って、自分が働ける仕事の相談をするんだ。住んでる街の口入れ屋さんが一番だよ。歩いて仕事に行ける距離や業種なんか考えてくれるからね」
ああ、そうか。ここはみんな徒歩だもんね。ということは、あの満員電車に長時間揺られることなく、キレイな空気を吸いながら歩いて仕事に行けるって事ね! 幸せ~!
そうやって麦と二人、契約した部屋と宿を行ったり来たりしながら、部屋のサイズに合って妥協しないデザインで、とじっくり家具を選び、生活用品も揃え、引っ越しが終わったのは住民になってから一ヶ月と少し経ってしまった。
大家のミケさんの好物というエビのお煎餅を持って初日に挨拶。
「今日から正式にここのお部屋にご厄介になります、麦と葵です。よろしくお願いします!」
麦と私で揃って頭を下げた。
「あらあら、お土産まで頂いてご丁寧に挨拶まで。こちらこそよろしくね!」
大家のミケさんは、今日も元気で明るい猫さんだ。私と麦にとって、第二のお母さんになった。
「私、お仕事決めたんです!」
そう、私は引っ越しをしながら何と仕事も決めてしまったのだ!
街を歩いていると、色々な仕事が目に入ってくる。現世のような商社みたいな大きな会社がある訳じゃなく、個人のお店が殆どで公共関係のお仕事も少々。お店も公共のお仕事をしている所も、必ず看板を出しているから凄く判りやすい。
「ハチワレ宅配便っていう、配達のお仕事です!」
「ああ、ハチワレさんね~!」
ハチワレ宅配便は、ミケさんも良くしっている配達会社だった。
配達業者。これなら、王国の色々な所に行かれるし、色々な猫さんや人間と知り合うことが出来る。絶対に楽しいはずだ!
「私も時々頼んでるから、きっと葵ちゃんにお願いする時があるわね!」
ミケさんがこれほど嬉しそうな表情をしてくれるのだから、きっといい仕事場なんだろう。
麦は何やら思う所があるらしくて、決まるまで内緒! と言って口入れ屋さんに通うことになった。
さあ! 私と麦の、猫の王国での新しい生活が始まった!
おわり