旅路
「この何も目印がない場所からどうやって国境まで行くの?」
歩き始めてすぐに、とは言っても、私とスイレンは荷車に載せられ歩かせてもらえない。その荷車の荷台から、横を歩くヒイラギに問いかけた。
「あの北に見える山脈まで歩き、あとはそのまま山沿いを歩けば良いんですよ」
ヒイラギがにこやかに指をさす。その方角には、山脈が横にどこまでも連なっている。
ヒイラギによると、この世界の国は山脈ごとに仕切られていて、ぐるりと山脈に囲まれた土地が一つの国と認識されているらしい。
シャイアーク国とコウセーン国の国境は、その山脈が他よりも低くどこよりも容易に行き来が出来、さらに血の気の多い人たちだったからこそ土地の奪い合いになったと言う。
「じゃあここも山脈で囲まれてるってこと?」
そう聞くと、次にじいやが答えてくれる。
「おそらく……としか言えませんな。ある時、大雨が降った後に山が崩れ、そこがシャイアーク国との国境になったと聞いております。
シャイアーク国は調査に乗り出しましたが、草木の生えていないこの大地と砂しかないこの土地を、国境付近から少しばかり調査をして人が住める環境にないと判断したのだそうです。
そこに私たちが追いやられたと、リトールの町の町人に教えられました」
悲しそうな表情のじいやにさらに質問をする。
「ホントに誰も住んでなかったの?」
「はい。人が作ったと思われる物も、ここに至るまでどこにもありませんでしたし、私たちが住み始めてからも人など見たこともございません」
砂だけって、砂漠のことなのかな? 元々この土地に人が定住しなかったか、いても滅亡したか……。考えても分からないことは、一先ず横に置いておこう。
私とじいやが質疑応答を繰り返しているうちに、いつしか山脈の麓に到着していた。
その山を下から見上げてみると、かなり高さのある柱状の岩が無数に乱立していてまるで水墨画のような景観だった。ただ水墨画と違うのは草木の類が一切見えない。その山を見て右手に、東へと進路を変える。
「ベンジャミン様」
旅立ってからタデが初めて口を開き、一瞬誰のことかと思ったけどじいやが反応し、じいやに呼びかけているんだと分かった。
「じ……じいやってベンジャミンって名前だったの!? 初めて知ったわ!」
「僕も!」
じいやの見た目からは想像もつかない、予想外のカッコイイ名前に私は笑いが止まらなくなった。私につられてスイレンも笑い出す。
「人の名前を笑うとは何事だ!」
荷車を引いていたタデが立ち止まり、振り返って私たちを見て怒鳴った。その形相に私もスイレンもビクッと硬直する。
「モクレンの子どもだと思って黙っていれば! 人の名前は笑うし、緊張感のかけらもない! 本当にお前は救世主なのか!? モクレンは私たちに『前世はこことは違う場所にいたようだ。その知識を活かすと言っている』と説明をしていたが、子どもだからと絵空事を……嘘を言っているのではないか!?」
今まで黙っていたタデの怒りは治まる気配がない。
「今ヒーズル王国の人々は生きるか死ぬかの境にあるのだぞ! 別の場所から来たなど嘘なのだろう!? 証拠を見せてみろ! こんな嘘に振り回されて……私の子どもは死ななければならなかったのか……!?」
叫んでいたタデは、ついに手で目頭を押さえた。
「……やっぱり私たちを生かす為に食糧をくれたのね……ありがとう、そしてごめんなさい。……多分、私がいた場所の話をしたとしても信じてもらえないと思う。文化の水準が違いすぎるの。
ただ私がいた世界で私はかなり高水準の国に住んでいたのに……とてつもなく貧乏だったせいでいろんなことを自分でしなくてはならなくて、その知識が役に立つと思う」
静かにそう言っても、タデからは反応がない。
「森に住んでいた貴方たちが、森のないこの場所で生活するのは大変だと思う。だけど思い切って生活の仕方を変えることも考えているわ。だから今日はそれを解決するための一歩なの。私は天才ではないし、全てを叶えられる訳じゃない。けれどみんなの為に頑張るわ」
「姫様……」
「カレン……」
私の話を聞いたじいやとヒイラギも目頭を押さえ、背中に張り付いて怯えていたスイレンは、そっと私の頭を撫でてくれる。そして「僕も一緒に頑張るからね」と、小さく声をかけてくれた。
今までほとんど怒られたこともなく、それなのに知らない人に怒鳴られて怖いはずなのに、スイレンは私を励まそうと必死だ。それを見たタデは無言で前を向き荷車を引き始めた。
そこからは全員がほとんど無言でただ歩くことに専念し、夜営の時に見張りの交代をするくらいしか会話はなかった。
夜が明けると水だけを口にしてすぐに出発し、途中で何回かの小規模な砂嵐に遭遇しながら、私たちはなんとか無事に国境へと着いた。