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ショートショート11月~

六億手先、六億手目

作者: たかさば

思えば、こいつと初めて会った時からおかしな感じはしてたんだ。


「あのう、割りばしあげます。」

「はあ。」


大学の教育学の講義の時だ。

一番前で講義を受けると決めている俺は、教授の目の前を陣取りテキストの準備をしていた。一番前の、しかも教授の目の前ってのはさ、あんまり人が座らない場所なんだな。俺は人見知りだし、大学ではつるむよりも学びたいと思っていたからさ。…もうじき冬になろうかという時期まで、いつも孤独に学んでいたんだ。


そこに、突如、変な女‥いや、女子が割り込んで?来た。


隣いいですかと聞かれて、いいですよと返した俺に、席のお礼と称して…コンビニの割りばしを差し出したのだ。


なんだこいつと思ったのだが。


その日の昼めしの時間、俺は弁当に箸が付いていないことに気が付いた。…絶妙のタイミングでだな、割りばしは役に立ったのさ。


それから、やけに女子は俺の周りに印象的に現れるようになった。


「隣いいですか、あの、このポケットティシュ、お礼です。」

「隣いいですか、あの、このばんそうこう、お礼です。」

「隣いいですか、あの、このレジ袋、お礼です。」

「隣いいですか、あの、この折り紙、お礼です。」

「隣いいですか、あの、このボールペン、お礼です。」


いつもいつも、俺が困るシチュエーションに遭遇するたび、女子のアイテムに助けられた。


いきなり鼻血が出た時も助かった。

いきなり靴擦れになった時も助かった。

いきなり目の前の子どもが吐きそうになった時も助かった。

いきなり徘徊老人に遭遇した時も助かった。

いきなりメモを取らないといけない時も助かった。


「あのさ!!いつもいつもお礼ありがたいけど!もらってばっかじゃ悪いから!!」


雪が初めて降った日、俺は女子を誘ってお茶に出かけた。…いつもいろいろともらってるんだ、助かってるんだ。たまにはこちらもお礼をしなければまずかろう。


「え、もう?イイんですか、ありがとう!」

「…?もう?」


にこにこした女子と、近場のコーヒーショップへ行く。


講義の間は黙って集中してるから、ほとんど話したことはない。いつも声をかわすのは、席に着く前と、講義後の席を立つ瞬間のみ。…話題あるかな、俺は口下手だし、話題豊富な方でもないし。


「ふふ!コーヒー初めて飲みますー!」

「え、ジュース頼めばよかったのに。」


「初めて飲むなら、こういうシチュエーションが良いと思っていたのですー!」

「はあ。」


なんというか。


女子はこう、俺の知らない人種であり、俺の体験したことのない感覚の持ち主であり、うーん、非常に、こう…空気がマッタリしたのを覚えている。


大学在学中、同じ講義の時はほぼほぼ隣の席に座る女子。


講義の後、ボチボチ話をするようになり、たまにお茶を楽しむようになり。

いつしか弁当を共に食うようになり。


「あのさ、なんでこう…いいタイミングで、いろいろと役立つものをくれるの?」

「ええとー!そのう、それはー!」


今日は、面接があったんだ、就職するためのさ。ばっちりスーツを着て、ばっちり受け答えをして。さて帰るぞというときに、会社入り口でおじさんが倒れてさ。机の角に額をぶつけて、派手に出血して。


「大丈夫ですか!!!」


俺は、女子がくれたガーゼのハンカチで傷口を押さえ、救急車を呼び。お礼を言われて帰ってきたところだったりする。


…さすがにさ、三年…いや、四年目か。毎日顔を合わせて、毎日いろいろ話をして、やけに助かる事例に遭遇してるとだな。さすがの俺も怪しいと思うようになるんだよ。


「私の中にこう、碁盤があるといいますか…。なんかね、道筋が見えるんですね、ええ。あなたはですね、私の道筋にこう…複雑に…ええと…。」


なんだ、それは。


「まあいいよ、長い付き合いになりそうだ。おいおい詳しく説明してくれよ?」

「はっ?!は、はははははいいいいー!!!」


俺は、女子と付き合うことになった。


大学を卒業し、俺は仕事に精を出している。勤務先はあのおじさんを助けた会社だ。おじさんはさ、専務だったんだ。厳しいながらも、どこか優しさのある専務は、俺を相当かわいがってくれる。酒の飲み方から、女の口説き方まで。…おかしいな、仕事の事についてあんまり教えてもらってないぞ。


女子はというと、大学卒業後、商社に勤めるようになった。勤務時間の終わりに待ち合わせて飲みに行ったり、休みの前には一緒に出掛けたり。付き合うようになっても、おかしな貢物はボチボチ続いていた。


「いわゆる、碁盤の中に宇宙が広がるって感じ?」

「そう、六億手先がぶわって広がるの。」


女子は、よくわからない能力の持ち主だった。


いわく、頭の中に、六億手先があり、そこを目指して一手目を振る、のだそうだ。目指したい六億手先が常に頭の中にあって、そこにたどり着くまでの一手目がふわりと浮かぶのだそう。


「ちょっと待て、常に一手目という事は、いつまでたっても六億手先に届かないってこと?」

「ううん、近づいていってる、でも、一手目は一手目なの。六億手先の場面が、ずいぶん近づいてるから…今は厳密にいえば、一手目ではなくて、四億手?いやもっと…五億手くらいまで、行ってるかも?」


なんかよくわからないな。…きっと女子は当事者として理解できてるんだろうけど、どこか他人事の俺に取っちゃ理解不明のおかしな事象でしかないな。


「六億手先は、ちょっとしたことで変わってしまうの。だから、都度修正をして、道筋を変えていくんだ。…うん、そういうところがね、囲碁ととっても似てる。将棋と、とっても似てる。」


俺は囲碁も将棋も打たないし指さないからなあ。


「で。六億手先には、何があるんだい。」

「それは、うーんと、ええーっと、内緒…。」


やけに赤い顔でこっちを上目遣いでのぞいているぞ。


「まあいいや、いつかは教えてもらえるよね…これから先、長いこと一緒にいるんだ。」

「へっ?!」


俺は、小さな箱を取り出して。


「一緒に、六億手先を見てもいい?」

「は、ははははははいぃいいいい!!!」


左手にきらりと輝く、小さな宝石。

嫁の目に光るのは、大粒の涙。


家庭を持ち、俺の仕事はますます充実した。やけに忙しい日々が続く。そんな中、嫁の顔色はどんどん悪くなっていくじゃないか、これはいったい。


「なに、六億手先はどうなってるんだ、正直に白状しなさい。」

「ええっと、そのう…間もなく、かなあ??」


腹の大きくなった嫁を問いただすと、何やら恐ろしいことを言い始めた。


「どれだけ努力しても、動かないの、六億手目が。六億手目は、もう間もなく。私が六億手目にたどりついたら、私はこの子に能力を継いで、この世界から、いなくなるの…。」


…なんだそれは。


「ごめんね、こうなること、言っておかないといけなかった。でも、どうしても、私は、かんちゃんと一緒にいたくて。…ありがとう、今まで。あと、少しだけど、私は。」


みるみるあふれる、大粒の涙。


嫁は、どれほど、恐怖を味わって今日まで過ごしてきたというのか。

俺は、どうして、嫁の恐怖を分かち合ってやれなかったのか。


「ユリの知る六億手目は、どんな場面なんだ。」


俺が重大な会議で白熱している最中に、嫁は事故に巻き込まれ。救急車の中で出産し。娘に対面することなく、俺の到着を待って、病室で、俺のキスを受けて、幸せな瞬間を感じて、天に、昇る。


「なるほど。」


俺は会社に長期休暇を申し入れた。…急な申請だったが、専務がやけに協力的でさ。散々連れまわされた飲み会で、俺はいつも嫁を話題にしていたからやけに信ぴょう性があったというかだな。しかも、専務は嫁の奇跡の恩恵に与った張本人だからな。


社内初の、育児休暇をもぎ取った。

収入は減るが、パソコンだってあるんだ、なんとでもなる。


「え、かんちゃん、仕事は!!!」


いきなり会社に行かなくなった俺を見て、嫁は目を見開いている。


「俺はだな、お前の六億手目を超える気満々なんだよ!!!」


俺は嫁の唇を奪った。


いきなりのキスに、嫁は真っ赤な顔をして目を見開いて…あれ、目がきょろきょろしてる。相変わらずかわいいところあるじゃないか。


「い、いきなり、どうしたの…?」

「今日から俺は、毎日お前にキスをする。隙あらば唇を奪ってやる。予測不能な行動をして、お前と一緒に六億手を超えてやるよ。」


愛は運命を変えるってね。


…キスを受けて幸せな瞬間を感じるだと?だったら毎日の習慣にして、当たり前にしてやるよ。またキスするんだから!!って呆れるぐらいのスキンシップにしてやるよ!


毎日手をつないで、嫁と一緒に買い物に行き。

毎日キスをして、嫁の赤い顔を見つめ。

毎日頭をポンポンやって、嫁の笑顔を引き出し。


出産にも立ち会ったさ。


泣いちまったさ。


あまりにも泣いて、周りがドン引きする中、嫁だけはにこにこ笑ってたのさ。


六億手目が消えたって、ニコニコ笑っていたんだ。


嫁はいつでも、にこにこ笑っていたんだ。


いい年して毎日キスとか、恥ずかしいよって、ニコニコしながら俺に怒りをぶつけてきて。


娘にからかわれながら、幸せな毎日を、長く長く、過ごしたんだ。

孫にからかわれながら、幸せな毎日を、長く、長く、過ごしたんだ。


すべてを忘れてしまっても、いつもいつも…にこにこと笑っていたんだ。


口元に微笑みを携えながら、冷たくなっていた嫁に、最後のキスをして…空に返した後。

俺は、長い人生の終わりを感じて、にこにこと笑った。


六億手目を超えてから、俺は何手、生きてきたのかな。

あと、何手、俺には、残っているのかな。



今日も、俺は。


仏壇の前で。


一人、碁盤を前にして。


覚えたての、碁を打ちながら。


盤面に広がる宇宙を感じつつ。



…愛する妻を、思い出して、いる。

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― 新着の感想 ―
[一言] この女はいったい何者? もしかして……。なんて思って読み進めました。 途中で不幸で悲しい結末を想像して……。 すっかり裏切られた結末が、とても素敵でした。
[良い点] ヒロインは一体何者なんだ…と思いながら読みました。 六億手先が見える感覚がどういうものなのか私には想像もつきませんが、 愛は六億手目を超えてくれましたね。 ラスト、一人で囲碁を打つ光景が目…
[一言] ワクワクしてほっこりして不思議に思って、幸せなはずなのに何故か最後はちょっとだけ悲しくなりました。でも、彼にとってはきっと幸福な人生なんだと思います。 素敵な作品をありがとうございました。
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