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崩壊のディーア  作者: 朔望
零刻 -地球と理想郷-
8/90

Release0008.零の起源(06)




 その後、俺達は非道を積み重ねた。

 幸か不幸か、言い方は悪いが、当面その実験材料に困ることはなかった。ディーアに悪意を抱く人は多く、ただ声を発するだけで我先にと立候補してくる者が多かったのだ。流石に全員を対象とするはずもなかったが。

 しかしながら、身体に超越異体(ヘテロブレイン)を投与するということは《人間であることをやめる》――それと同義であることと同時に、未知の領域に足を踏み入れるということ。つまり、この行いに確実性は一切ない。

 事前にそう言い含めた後であっても、被験者の数は百八十名にものぼった(途中で打ち切った)。内、成功したのはたったの三十五名。

 失敗者は例外なく、投与時に自身が発する狂気の声で喉を裂き――

 そのまま異形の化け物になったり、

 身体と仕組みの超進化に絶えられず廃人になったり、

 自身を構成する組織が超越異体の細胞を拒絶、果てに肉体の崩壊を起こしたり……と、大きく三パターンの終末によってその命に幕を下ろした。

 この結果の責任の是非など、誰が責めても誰が悔いても無意味でしかなかったため、元は身を捧げることを反対していたらしい被験者らの遺族も、その咎と断罪の口を劈いてくることは滅多になかった。悲しきかな、手法は違えど、同じ結末を歩む者が多かったからだ。


 一方で、細胞の同調に成功した三十五名は、しかし対DA策として推し進めた実験に於いてはどれも成功とは言い(がた)い結果だった。

 その中には俺こと凛界修と、研究班の中からもう一人がいるのだが――

 研究員の方は、苦手だった運動が得意になっただけの程度だった。はっきり言って肩透かしである。

 俺の身体に起きたことは、あと数年もしたら四十になるおっさんにしては多少元気があるのと(相変わらず血の気は低いが)、なんと! と言っていいのか【特異能力】の発現。残念ながらそれも期待出来るものではなく、手の五指の先から小火(ボヤ)ほどの火が起こせるようになっただけだ。こんなので化け物達と戦おうものなら一瞬にしてこちらが喰い千切られてしまうだろう。

 全員に共通するのは、人の身であることをやめた証が身体のどこかに刻まれているということだ。ちなみに俺の身体にある投与痕は右腕である。


 結局、絶望的な状況がその後も続いた。

 そこまでで分かったのは、特異能力は被験体の記憶などと無意識的に結び付き易いらしいということ。統計データを見れば、それら癖や普段の行い、そして嗜好にフィードバックした能力が発現し易いと思われる傾向にあったからなのだが、まあこれもあくまで可能性のものでしかない。特にモルモットの結果なんて、彼らの本当の考えなど人間に分かるはずもないのだし。

 俺の場合は煙草だと言えた。発現した力のお陰でライターなど無くても手で着火出来るようになってしまったことに奇妙な感覚を覚えつつ、しかし楽だけどそれを喜んで良いのかはまったく分からないなどと考えていた。人の力に含まれてはいけないものじゃないかとは薄々にも感じ続けていたが、ただそれだけである。

 でも、特異能力が発現した十二名の内、俺を含めた九名が普段生活していた中で多く行っていた動作、あるいは願望に近いものだったのは確かである。

 とまあ正直余談の域を脱しない結果の中で、肝心な話、それでも一番戦場に赴くことが出来そうだったのは右腕を自由に硬質化させ、金属よりも硬くなった拳で壁を大きく凹ませたり破壊したり……その程度だった。

 当然これもチーム総勢が一致の思いで研究を成功だとは認めなかった。それは兵器とは程遠い、準備さえすればその辺のさしたる道具でも出来ることでしかなかったからだ。

 ――そしてまた時が経ち、一年以上ものあいだ労力を積み重ねてきたこのプロジェクトは、百四十五の犠牲者を出しておきながら闇に葬られようとしていた。

 人間はきっと、全てを死に行く時間とディーアに委ねようとしていたのだ。




 まるで世界が変わった瞬間というのは、俺はその時になって初めて体験した出来事だったかもしれない。

 焦りと苦渋に苛まされ続けていた俺に、ある時レイが提案をしてきた。

 『その実験、私が試すのはダメかな?』……と。

 柄にもなく反対を唾吐いていたような記憶がある。停滞して行き詰っていたことも理由の一つにイライラしていたのかもしれない。

 だが、レイが怯むことはなかった。それどころか天空海闊(てんくうかいかつ)とした振る舞いで執着さえしてくるほどだった。超越異体を投与して、まずそれが失敗するかもしれないというリスクだってあったのに、彼女はそれを根拠のない理由で気にもしていない様子だった。

 『まだ、私からはなにもしてあげられてない』――そんな純粋な一心であったようだ。レイはレイなりに、この状況下とまだ幼い子どもである立場の中で、一つでもいいから何か恩返しをしたいと考えていた。

 別に養子として迎え入れることに見返りなど求めていなかった俺としては、当然義理といえど娘を危険に晒すことなど断じて許されないことだと拒否を繰り返した。だが本人のその揺ぎない勇往邁進とした姿に、最終的には負かされることになってしまう。良い意味でも悪い意味でも、人生子どもを持つのは大変なんだなと実感させられたものだ。

 そして二○七九年、一月三日。雪の降る空が遥か昔に感じられるような薄闇の下。

 俺はその日、大事な一人娘の人生を、正しき道から取り外してしまう。




 午後六時三十分。研究室のガラス越しに、俺はレイのことを見ていた。

 彼女の周囲は仰々しい機材が囲っており、一つの大きな機械が、その身に合わないほど縮小していく先端部の先に太めのシリンダーを備えている。

 俺は呻くようにその言葉を言い放った。


「……始めてくれ」


「了解」


 聞き届けた若本が端末の操作をする。

 この場には、俺とこの男、そしてただただやばいことをしているとしか思えない、暗く仄かに緑色に照らされた一室の中の台座に寝かされているレイのみ。ボタン一つ押せば施設全体にアラートを伝えることが出来るので、他の者には別の主導者の下で行動して貰っている。

 本音はあまり人に見せたくなかったという、どうやら俺はもう相当に彼女を家族として見ているらしい親心のようなものであった。

 シリンダーには、どこか艶があるように見える青い液体が入っている。ここまでくれば誰しも想像がつくだろう。一定量集積すれば《脳》を携える【超越異体(ヘテロブレイン)】そのものだ。

 今回の容量は、およそ二リットル。点滴等、肌の上から直に体内へ注入するモノと置き換えても比較的多めだ。

 だが、これはそれらと違ってゆっくり入れるのではない。もうこのタイミングで全てを流し込んでしまう。人体への負担は壊れてしまうのではないかというほど大きいが、しかしそうしなければ細胞の侵食が中途半端に行われてしまい、ほぼ確実にディーア化してしまうのだ。飲んで済むならそれが一番だが、ここまでの研究から、それも酵素やら胃液やらが侵食を少しばかり阻害しかねないので、失敗のリスクが高くなってしまう。

 まあともかく、真の意味で身体が崩壊する……それだけは絶対に避けねばならない。総体的にこのやり方が現状で一番リスクが低いのだ。

 様々な種類の緊張と不安だけが俺の全身を駆け巡る中で、その針はレイの左腕を突き刺した。その瞬間でもっとも考えたくないのは、投与に影響が出る可能性があるため、麻酔も一切していないということだ。針は普通の注射器の二倍は太い。俺もあのあいだは至極苦痛だった(ゆえ)、もし同調が失敗してディーア化が始まった時のために、と備え付けてある拘束具がなければ寝台から転げ落ちていたことだろう。


『……ッ! ぁぁ……ああああああ!!』


 室内音声からの声は、もはや、悲鳴にしか聞こえなかった。いや実際そうなのだろう。今この瞬間、超越異体はレイという存在を喰らっているのだ。痛みに耐えられずガタガタと暴れるその姿は、思考もない衝動的なものにしか見えない。

 この先、もう引き返すことも叶わない。シリンダーの中身は既に四分の一が消えている。これは十分の一の量を投与されたあたりで、全身を異の(ことわり)へと順応させるために細胞が体内を蠢いている。もう突き進むしか道はない。

 その猛烈な速さに臓器や血管が蠕動を繰り返し、また損傷することもあり、最悪の場合はそのまま死に至ると推測されるようなケースもあるが、一応それは前例がないので大丈夫なはず……だ。


『ああッ! うが……あぁあアアア!?』


 皮肉な話、俺は自分の娘が表に出す感情の中で、それが今までで一番心を浮き彫りにした叫びだと感じていた。普段は大人しく、我侭もあまり言わず、それでいて所作までおっとりと感じてしまう様は、最初に思ったとおりまるで人形のようなものだった。その希薄な意思は、時として俺を少女の思考について同僚に相談させることもあった。

 そうして淑やかであった少女の灰の目は悲鳴に見開かれ、事このような状況でふざけたことを言えば、なんだかある種の性思考も分からなくもないと感じ始めていた八重歯が猛獣の牙のようにも見えた。その肢体は色白の少女のものであったはずなのに、表面肌そのものが別生物であるかのように青い筋が浮き出ている。

 俺はその間、祈ることしか出来なかった。後は細胞同士の話し合いだ。そこに他の者が介入する余地などない。

 ――数十秒が何日に変換されて、体内時計を刺激してくる。

 やがてその時が訪れ、悲鳴の声は静まり返った。短時間で劇薬を投与され続けた小さな身体は、焼け野原に呑み込まれて息を絶ったかのように沈黙する。

 この時点で、とりあえず最悪なケースは免れている。繰り返すが、細胞の順応化や破壊力は速いもので、仮にその身をディーアへと変異させてしまう場合は、先のボーダーラインの一つであるシリンダー十分の一の時点で黒死病のように全身を青黒い肌へと染めていく。レイの身体にそれが見られない以上、ディーア化は回避されたと思っていいはずなのだ。

 とはいえ油断はならない。その超変異に耐え切れず廃人となるか、そのまま一生意識が戻ってこないかは、少女が直後に自我のある反応を示さない以上は誰の緊張も解かれることはない。

 成功なら、投与部分の表面から傷痕とも紋様とも見取れる碧色が広がり、血管の如く複数の筋を延ばしていくだろう。その結果が求めているものだが……ちなみにこの傷と筋の規模は、身体の侵食度や生成された《脳》との適合性の目安に比例している。

 少女の道を塗り替えるために刺された針が抜かれ、ディーア化する心配もないので若本が端末で拘束具も解く。レイは一旦の峠を越え、自由の身となる。

 後の全ては、少女に委ねられた。

 そうしてまた数秒が経つと、ようやくとその手が動き……

 少女は闇に染まる天井に向け右手を掲げ、ゆっくりとグーとパーを二、三度繰り返した。元の色白で佳麗な肌に落ち着いたそれがする動きが、俺と若本はどういう反応なのか分からず、ただ見守ることしか出来ない。

 その上体が、ついに起こされる。その顔が右を向き、視線が交差すると、


『…………あれ、もう終わった?』


 なんて首を傾げた。


「はぁ!?」「えぇ!?」


 寸前まで何事もなかったようにすんなりとする少女に、俺と若本は狼狽しか返すことが出来なかった。それは、今までの被験者は、たとえ成功であっても投与から一週間前後は目を覚まさない記録が残されているからだ。当然俺もそれの例外ではなく、確か百五十三時間ほど病床の上だったと聞かされている。

 それだけじゃなく、本当はあのシリンダーを当てられた痛みだけでも相当に気が朦朧とするはず。気絶もあり得る。なのに、強化ガラスの向こう側の少女は少し眉を下げるだけに留めて呼吸を安定させているし、その流血する腕を素振りもしない。


「お、おいレイ! なんともないのか!?」「レイちゃん気分は!?」


 そんなわけで、このように二人同時に問うてしまうのは仕方がないアクションというものであろう。レイは、その無駄にある気迫に少し戸惑った様子を見せてから言う。


『う、うーん……別に、いつもどおり……?』


「んな馬鹿な!!」「そんなまさか!?」


 これは本当に奇跡か、それともまさかまた別のケースが浮上したのか――

 と、俺と若本は同じ考えをしていたに違いあるまい。しかしその直後の出来事で、それらはまた同時にフッと消滅した。


『ふ、二人……とも、息……ぴった、り――』


 やはりそんな甘いものではなかったか、レイは言葉を切れ切れにしながら、寝台に倒れ込むように力なく横たわった。

 俺は娘の名前を叫びながら、一室の電子ロックを解除した。




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