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崩壊のディーア  作者: 朔望
一章 -閉ざされた道-
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File0018.幻影に映す(18)




 その瞬間が訪れたのは赤髪の女性、アッシュが駆け寄ってからおよそ二十分後のことだった。


『衝撃と爆風に備えておけ!!』


 C回線――〈叫び(シャウト)〉。分別無しに使うことを嫌われる声の轟きは、周辺数キロにも及ぶ無差別の脳内交信だ。

 現時刻、近場のサンクチュアリに滞在している高順応兵器に緊急招集を掛けたと言っても、サンクチュアリだってそんな数多く点在しているわけじゃない。今から失われるかもしれない俺達の居た場所から一番近い位置でも北東に約百数十キロ。カタ・ジュタより濠太剌利(オーストラリア)中心地側にある旧ウォーターカ国立公園ほどからでは、流石の非人間(コラプサー)でも増援を間に合わせられなかった。

 同刻、両地点のあいだまたはその周囲で移動中、あるいは役目を重ねていた隊列も何部隊か居たようだが、濠太剌利(オーストラリア)は比較的行動し易いところまで敵勢力を押し出し済みの地帯。高順応体者がこの土地で活動することは他国、他大陸の情勢を見ても優先されず、結局のところノイドさん以外に今回の対処に当たれる高位階者は数十分後に到着予定の一人だけということになっている。状況は非常に苦しいだろう。

 これは行動を制限されている重傷者を送るために利用された、転移系の能力(アーツ)を用いても覆すことは難しい話だった。というのも、そもそも能力の行使というのは、どんな意味で取っても基本際限無しに現象を引き起こせるようなものではない。制限、というか代償が発生している。

 代償は能力(アーツ)であれば例外なく存在する【異体拒絶(リジェクション)】なんて呼ばれている心身反動である。通常、転移系能力の場合、十キロを越える移動をすれば行使者の脳が消し炭になると言われている。

 五キロでせいぜい立ち眩み、三キロでちょっとした頭痛程度。そして使用後しばらくはそういった不調だけでなく感覚狂いも起こし、その最中でもう一度使おうとすれば距離も向かい先もコントロール出来ない。つまり、症状が落ち着く前の二度目の結果がどうなるかは一か八か。連続使用が禁じられた奥の手のようなものと言える。

 不便な話、有用な能力ほど、それだけ(みだ)りに行使することは出来ないものになる。だからこそ転移系能力を以てしても重症人を地下都市へ直接送るということも叶わなければ、同能力者数人による橋渡しというのも、不可能ではないが、前もって決めておかねば条件は整えられない。不運なことに、可及的速やかに来てくれるという人と現在地のあいだに、転移能力の保有者は確認されなかった。


「――きた」


 鼓舞を兼ねた女傑らしい〈叫び(シャウト)〉から間もなく。伊織が呟いた直後、空が突然と色を変え始めた。

 その左眼に宿る【異体透視(ヘテロサイト)】の見る先、それはもう天罰とでも言うべき光景か。まるで埋まっているだけだったはずの大地の血液が、地盤か鋼を突き破らんとする奇妙な膨張を暗雲に再現する。

 緋色の雷を引き裂き、空気を揺るがしながら落ち行く堕ち星。周囲はその自然力に風を呼び、雹を落とし、災禍の姿を顕現させていく。赤茶けた大地はこの間、更なる紅蓮の光と破滅の予感に包み込まれていた。


「あれが壱番星……だってのか?」


「そうだ」


 圧巻されたような真輝の声に、ノイドさんが毅然と答える。両者の表情の差は残酷な現実を扱うようであり――


「伊織、と言ったな? 【異体透視(ヘテロサイト)】を使える君に聞くが、この時点でアレの中のモノは見えるのか?」


 【異体透視(ヘテロサイト)】自体は、発現者が非常に少ないらしい。関知された性能を基準に格付けされる能力階級はCランクと高い位置にあるわけじゃないが、その問い方からしてノイドさんも【異体透視】の保有者は初めてなのかもしれない。


「……いるよ。少なくとも私は生じゃ初めて目にするような、とてつもなくデカいのが。――しかも一体だけじゃない」


「……そうか」


 最後の付け加えに、彼女もまた重々しく目を伏せる。

 この場に集うは百数十名の非人間達。大地の上に雑に置かれたような岩々の上、これでも着弾地点よりかなり離れているはずが、彼の隕石の大きさは目の前の手の上に置いても収まりきらないほどの規模を抱えていた。

 こんな遠くからでも分かる重圧感。何か巨大な生き物か、大地そのものが唸るような空気を揺るがす音。世界を俯瞰するでしかなかった緋き雷の空に穴をこじ開け、その通り道に光の膜を下ろしている。大気の層など物ともしない劫火の凱旋だ。

 雲間に確認出来た太陽の健在に関して、感慨はあまり湧いてこない……というより、それを湧かせる余裕がないと言った方が正しいか。俺の目は緋を味方にさえする青き巨岩だけが映り込み、また囚われている。それはこの場にいる誰もが抱えた思いと同じだろうことも、言葉を経ずして分かることだった。

 数秒後には途轍もない衝撃、災い、そして恐怖を拡散するディーアが出現する。こちらのまともと言える戦力はたった一人のみ。

 俺が『狂人(ベルセルク)』モードを使えば、あるいはそうじゃなくなるかもしれないが……。

 だがそれを行うということはすなわち、俺とリンク付けしている三人を、もしかしたら殺すことにもなるかもしれない。そのリスクを考えれば――

 自分の中か、それとも誰かの心の声が無意識に漏れてしまっているのか、頭の中でカウントダウンが始まった。

 地への衝突まで、八、七――

 だが、そんな時に。




 パリィン――




「…………あ?」


 状況的に鳴るものでもないその音を認識して、俺はやっとその場の違和感に気付いた。

 景色に歪んだ赤と青の色が混ざり込み、壊れたテレビのような残像が走る。今まで捉えることも出来なかった塵のようなものが浮いていた。


「なんだ、これ……」


 角度を変える度に光の強さを変える粒子。流入する電気に反応して極まったような状態は、まるでC因子の汚染度が濃い場所に浮遊する青い光に見える。壱番星の影響で生じたのだろうか。

 変化はそれだけじゃない。

 ――音がない。移ろいがない。情報が消える。あらゆるものが凍結したように。

 そう。目に映るモノの何もかもが動きを止めていた。それこそ自分以外。すぐそばにいる伊織と悠とエル、そしてノイドさんや真輝、俺にやっかんできたあの少年風の男、その他大勢までもが。

 いや、それでも言葉足らずか。この場に待機するため、寸前まで周囲のディーアの掃除をしていた。その残党がまだあちこちにいるのだが、そいつらまでもが動かなくなっている。普段は殺してからでしか細部まで見られない毛並みや羽、種によっては無い眼球までもが、生きたままそこに在る。

 気味が悪い夢のようだった。それ以上の言語化は難しい。今この瞬間をどう説明すればいいのか、俺は正しく言えたと思える表現を持ち合わせていない。言葉を上手く組み合わせられない。


「……?」


 少し遅れて気付くが、塵だと思っていたのはガラスの破片のようなものだった。先ほど聞こえたような気がする異音の正体はこれが割れた音……と考えればいいのか。

 だとしたらこのガラスは一体なんだ? 何が何処で割れた? 首を回し探すも、俺の目にそれらしきものは映らない。

 ただ不思議なことに、散ったガラスは何処を見ても俺の視界の中心から外へ広がっていくように置かれている。それはサンクチュアリの中で真輝と出会った時、逃げようとして振り返っても器用に視界に入り続けた奴の動きと少し似ている。

 つまり、俺以外で唯一緩やかに動いて見せる破片の広がった世界が、まるで俺の目そのものであるかのような。膜自体に異常を起こしたような感じで――


「なっ――!?」


 直後、ピシッ――と。

 亀裂は全てを覆い、世界がひっくり返った。




(なんだってんだ……一体……)


 頭を打った衝撃か眩暈が酷い。状況が分からない。意識の中も外も滅茶苦茶にされていた。

 何に触れているかも理解しないまま手を付き立ち上がる。感覚的には師匠に徒手術を学ぶ中で、相対するその動きを目視すら出来ず投げられたかのようだった。必死こいて一本取ろうとしても、次の瞬間には俺の背か腹が地面にご挨拶している。一瞬の重力との離反。この調子じゃ俺はまだあの人に対して非人間(コラプサー)の力無しに手で触れることも出来ないだろうな、なんて自嘲気味に思いながら首を振る。


(……どこだ……ここ)


 次に光景というものを認識した時、俺は真っ暗な場所にいた。

 振り返る。けれどもそこにあるのは黒。見渡す限りの黒。

 否、俺がソレやコレを本当に見ているのかすら疑わしい。目を瞑ってまぶたの血管を見ている方がよっぽど現実的な気分になれる。

 とはいえ、ここはそういう類ではない気がしていた。となるとこの状況にしっくりくる一番の言葉は――


(俺、死んだか? いや……)


 経験したこともない状況。聞いたこともない現象。見えるものは何もなく、音も全て遮断されている。先ほどから声を出しているつもりがその音も無い。

 そんな中で自分の意識がはっきりしているというのは奇妙極まる思いだが、俺の持つ知識の中に一つ、コレに対して真っ先に思い当たるものがある。

 ――臨死体験。

 有名どころではエリザベス・キューブラー=ロス、立花隆、アンジー・フェニモア、エベン・アレグザンダー等。

 年月のお陰かどれも風化してから回収された著書物だが、その分析的なデータ群はいずれも現実と虚構の区別が難しい。そのうえでそれに纏わることを書いていたと俺は記憶しているが、確か後になって心理分野を専攻する若手の者が世界中の類似情報を抽出し、その傾向や解析、考察を述べていたはず。そんな記録もネットの海を漂っていたら何処かで見たな、と不意に思い出す。

 そういったものは題目のとおり『死』について触れていくわけなのだが、決まって現れるのは今あるこの状況と似たようなものだった。

 例えば寸前まで無かった、もしくは有ったはず、という卒然とした変化に意識が脅かされ、そこから人によって様々な体験を味わう。その大体が他人(ひと)にはにわかに信じられない談だ。

 死んだはずの家族や友人が目の前に現れる。

 現実にあるはずのない物の姿が自身の記憶と結びつき、また別の近しい何かとも融合して感情やおかしな落書きとなる。

 見ること、思うこと、それすらも意識の混濁に埋もれ、永遠を彷徨(うろつ)くような体験を得る。

 途端に人生観の誤ちに気付かされ、その相違により過去の自分と決別する機会に置き換わる。

 ……なんていうのは、あくまで一例だ。これ以上詰めるとキリがないのでこの場では思考しないようにするが、ともあれ俺がこれを臨死体験なのではないか、と判断するのもそういった現象や体験談で言われる内の一つ。

 ――声だ。何の音も出せない、聞こえないと思っていたはずが、それが急に耳に届いたのだ。


【――この出来■■いが。お前はいつも■■を必要以上に■■■捉える。そのせいで■■■■■■■■■■■、■■■■だ。……いや、■■■■■■■■、そうなるように■■■しまったのは■■■■■■? ならばこうして■■■■私達を■■■■■■■■は僥倖と考えるべきか】


(………)


 といってもその声は遠く、くぐもっていて、はっきりと聞こえるわけじゃない。ところどころそれらしく聞こえてはいるが、それだけじゃこの声が何を言おうとしているのか分かったもんじゃなかった。


【沈ん■■■■■■身を■■■。――それでいい、今から行うのは■■■■■■■■■が……】


(誰だ……お前は)


 けれど、この声の標的が俺に定まっていることはなんとなく感じていた。そしてその声の主は何かしようとしているらしい。俺にとって良い事なら別に何も言わないが、もしそうでなければ――


【案ずるな。私達は運命共同体だ。これからも、これまでも】


「何……? ――っ」


 突然はっきりした声と共に、視界が眩しくなる。

 その光は黒だけだったこの世界を拡げていくかのように照らし、温度と色、そして景色と音を紐づけていく。まるで電力が戻った夜間の都市部のように、あるいは機能を失い続けていたコンピュータ群が次々と再起動していくかのように。

 ――サー……っと。


「これ……は?」


 網膜に感じる強い刺激に慣れてから、ゆっくり目を向けた。

 その足元に映るのは、花。白い花弁に包まれる黄色の窪み。


「―――」


 実物は初めて目にした。俺の髪留めのモチーフにもなっている百合の花だ。その花畑。見渡す限り一面に広がり、突如現れた青い空に一つ一つが誇らしげに咲いている。風に揺れる。

 それがあまりに今の現実とかけ離れた光景過ぎて、俺は思わず辺りを見回すように回転していく。いや、ここを現実と言ってしまうことは間違いであったか。何が正解なのかなんて誰にも決められないかもしれないが。

 訳が分からない。意味が分からない。さっきまで俺がいたのはどんよりとした緋色の雷雲の下、今にも絶大な爆砕が起ころうとする赤い荒野ではなかったか。俺の隣には伊織がいて、悠がいて、エルがいて。なのにこの場には誰もいない。俺だけがいるし、俺だけしかいない。

 俺だけしかいない、という変な考えをしたのと同時、背後に気配を感じた。


【こちらに来るといい――】


 果たしてその先に俺以外の誰かが立っているというわけでもない。

 しかし、一回転している内には見えなかったはずの巨木があった。少し離れた丘の上にいつの間にか鎮座している。見れば気付かない方が難しい大きさだ。幹の太さは何十メートルとあるのではないだろうか。

 そこに至るまでの道を視線で辿る。百合の花が綺麗に道を開けていた。友好の(しるべ)か、それとも罠か。ともかく俺を導くように示している。

 この感覚――昔の、あの村にあった四阿(あずまや)に向かう時の坂道に似ている。景色は全然違うというのに。どういう理屈だろう。

 けれど常識が通用するような場所でもなさそうだから、分からないことは分からないと切り捨てるしかない。そう諦めて俺は歩みを進めた。ド田舎を連想させる一本道に砂利の音を鳴らしていく。


【しかしお前は実に未熟な信条を基盤にしている。分かり易く言うなら生き方が下手くそだ】


「あ?」


 道半ば、ふと姿の見えない相手が急にそんなことを言い出した。

 いや本当に唐突過ぎて間抜けなんだか苛立ったのか分からない声が出た。なんだこいつ。


【なんだ、意味が伝わらなかったか?】


「……いや。見ず知らず、姿すら現さない奴にいきなりそんなこと言われれば、そいつがどんな気持ちになるかなんて簡単な話だよなって思っただけだ」


【なに、それもまたお前が未熟というだけの話だ。相手の正体も見抜けない阿保めが】


「………」


 状況が分からないだけに理不尽さを感じる。何も手がかりが無いから仕方なく木の根元に向かっているが、もしかしたらこれはめんどくさい奴に絡まれただけなのだろうか。確かディーア襲来以降、環境破壊とは別に異空間的な何かが地球に現れるようになったとかなんとか聞いたが……。

 根本的な問題で俺と反りが合わないのか、それとも単に話が通じない奴なのか、はてさて。

 これ以上曲がらないぐらいに首を上げてようやくと緑の消失点を迎え見る大樹の先、懐かしくも感じる日の光は春と夏のあいだぐらいの陽気を放っており、快晴と言っていいほど雲の面積が少ない。まさかこんな場所が今の世界の何処に残されているのかと厭味なく考えながら、俺は日陰で足を止めた。

 ――なるほど、こうして間近で眺めれば樹齢千年以上はあるのではないか。これだけ綺麗且つ立派に育った木は故郷の山の中にも無かった。圧倒的な年輪と図太さを誇る茶色の色彩。

 長閑で静観な木陰を生んでいて、肌と空気でその偉大さを噛み締める。心地良い。だがその気分は目の前にあるもので掻き消える。

 俺は慎ましやかな草の上で本に読み耽っているそいつに目を向けた。クロワを持っていないのかそういう嗜好なのか、どちらにせよわざわざ紙媒体の冊子なのが少なからず好印象で、それだけが唯一気が合いそうなところだな、なんて思いながら。


【お前の考えは随分と極端なようだ。この状況を、今の自分が生きているか死んでいるかでしか考えていない】


 顔は見えない。というか影のような存在だった。

 形だけで判断すれば男。体格という概念を正しく収めているのか分からないところだが、色々と近しいような気もする。声にしたってそこそこ若い。髪のシルエットは長いが、俺と違って結ってはいないようだった。

 胡乱な生き物らしいが、そいつの視線が本に向け続けられているのだけは分かる。紙の擦れる音、ページが捲られる。


【寸前まで見ていた景色、浮き従えていた思考、大いなる力を前にして自分が取るべきだった行動……それが如何にしてここまでの経緯を生んだのか】


 読書の邪魔は俺も嫌う側なのでするべくもないが、向こうが話しかけてくるのだからこの場はいいだろう、と少し考えて。


「……何が言いたい?」


【可能性は無限であり、否定するべきではないということだ。そういう意味では先のお前は惜しいものだな。臨死体験……正否はともかく面白い考えだ】


「そいつは……どうも?」


 褒められれば嬉しくはなるが、警戒は解かない。何分こいつは得体が知れないし、俺の頭の中が全て筒抜けらしいから。

 影は間を置き、またページを捲って話し出す。


【だがしかし、そこから何を生み出すでもない。許容量という枷を憂慮し、可能性の抽出を中断。残念なことに結果も閃きもなく、既に私という他の力に頼ろうしている。そうせざるを得ないと判断している】


「おい、何をして――……っ!?」


 ふと影の男は本を読むのをやめた。思いのほか分厚かったその冊子はタイトルもなにも書かれていない不思議な物だが、手を上げ宙へ放る動作を見せる。

 本は人類の貴重な遺産だ。それを無碍にするようなところを見れば身体が咄嗟に動いてしまうぐらいに本に敏感な俺は思わず声を荒げるが、無名の本は宙に放物線を描いて転がるでもなく、淡い青色の光を放ち空に溶けるように消えてしまった。

 驚愕の中、一体どういう代物か、それを問う前に向こうが先に口を開く。


【――ふむ、やはり奴の言葉は今のところ正を貫き通しているようだ。これは早々に対処しなければならぬ】


 また訳の分からないことを言い出す。さっきからこっちが理解出来ることが何一つない。


「対処とやらが何のことが全然分からんが、その前に色々教えて欲しいんだが?」


 すると男は小馬鹿にするように笑って。


【その時間は必要ない。否、残されていない。――――ほう? 実に愚かな、と言いたいところだが興味がある。お前の口から(じか)にその意を聞いておこう。……何の真似だ?】


 草の上に座ったままだが、そいつの纏う空気が一変する。


「分かることは何もないが、こうするのが手っ取り早いと思ってな」


 教える気がないと分かった刹那の後。他者に見えぬよう()()()()()で『戦術戒(コラプスウェポン)』を顕現させた俺は大剣の切っ先をそいつの喉元に置いていた。この謎の空間にやってきてからどういうわけか、俺の中の制約が無くなっていることには頭の何処かで気付いていた。

 風と空、そして木に日の光。そんな穏やかな世界に鮮やかな赤色が染まる。他者から見れば、俺の眼は普段の灰色と違って深紅の色を帯びているだろう。平たく言えば今の俺は、二位階でありながら少なくとも五位階と並ぶ力を発揮しているはずだ。


()()()()()()()()()()()()()()気分はどうだ?】


「悪くない。だが踊らされているようで面白くないな。お互い、時間はあまりないんだろ? 俺の疑問まで洗いざらい話せ」


 そう簡潔に脅し掛ける。思考が筒抜けならばこの不愉快な気持ちも、俺が聞きたいことも分かっているはずだ。

 しかし男の方は無情だった。手を上げ降参するでも、強がりの余裕を見せるでもない。一つ妙な動きをすれば斬り伏せられるという状況でも、その危機的意識を俺に向けてすらいない。

 いや……むしろ逆か。


【愚か故に迷いがないな。その状態のお前は私としても心地が良い。愚かさは賢人の技量だ。それが分からぬ者が大半だがな。――それを()()()()()()()()()()()()()()


「俺だってそうしたい。わざわざ血なんて見たくはない」


 その意思を聞くのが目的だったのか、影の男は輪郭だけで笑って見せたような気がした。物体を必要としない、物体そのもののような影の髪が風に靡き、


【いいだろう。だが言葉は不要だ。言った通り、お前と私は共同体なのだからな】


「だったら俺がお前の考えが分からないのは何でなんだよ!」


 そいつが立ち上がり凶器をぶつけようとする前に、問答無用で大剣を捩じ込み横へ薙ぐ。幻覚の類だと確信していたからこそ迷い無く出来た行動だ。あの本はタイトルだけじゃなく、中身も真っ白だったのだ。

 影は霧のように消えてしまい、俺の一閃で線がズレた大木は倒れるよりも早く全ての景色ごと闇に還った。ここには最初から何もない。そもそも俺が独りで『狂人(ベルセルク)』モードを使える時点で腑に落ちないことが多すぎた。穏やかな景色も、羨むような環境も、心地良いと感じる肌の感触も全部嘘。

 しかし、あいつの姿が闇に溶けたように見えなくなっただけで、声は響くように語り掛けてくる。


【これは下準備だ。お前にはあのうつけ者の指導だけでは足りぬようでな。私が直々に手本を見せてやることにした】


「最初から最後までべらべらと偉そうに……師匠(せんせい)を馬鹿にされて黙ってられるほど利口じゃないぞ、俺も」


 俺を指導した人物と言えば亡き父と少佐ぐらい――されたという括りだけで言えば他にもいるが――だが、父の指導は人間社会から外れたサバイバルと野山の狩りぐらいのものだったし、時代も古い。それと比較して少佐の方は最近で技術も知識も段違いに質が高い。親父の方は馬鹿にされてもどうでもいい、というわけではないが、この上から目線な奴が傲慢と嘲りを言うならそっちだろうと直感して奮い立つ。

 とは思うものの、真っ暗に戻ったことで完全に標的を見失ってしまっている。かなりムカつく相手だが、少なくとも相手にこれ以上の敵意は感じられないので、この場はどうすることも出来ないししないのが賢明か。舌打ちしながらやるせない素振りで『戦術戒』を放り霧散させると、期待外れに思うかのような言葉が続いた。


【だから未熟だと言うのだ。それでは困る。お前には成してもらわなければならぬことがある。それがお前に割り当てられた役目であり、意味にもなる】


「役目だと……?」


 その俺より俺のことを知っているかのような口ぶりに顔を顰める。こいつが何なのか余計に分からなくなった。


【必要になれば識る機会はあろう。そうでなければ何もない。――フン、母上もどうして私ではなくこいつを選んだのか……】


「は、母上……? それはどういう意味だ!? ……っ――! またか……」


 まさかこれほど一方的な立場だとは想像もしていなくて、掌の上で弄ばれているだけの自分と場を弁えない頭痛の膨張に腹が煮えくり返る。

 自己主張が激しくてTPOのなっていない頭の痛み、どれだけ俺を苦しませれば気が済むんだ。


【まあ心配はするな。私はお前と共同体だが、まったくと同じ存在というわけではない。能力、組織、言わずとも性格にも差はある】


「言われなくても分かるようなことは聞いていないッ! っうあ……くっそ……」


 分の悪さはどんどん拡大していき、まるで神の啓示かの如く話す相手とは真逆に、俺はかつて味わったことのないような頭痛の激化に為す術なく膝を付く。これまでは立ち眩みや制止せざるを得ない酔いがせいぜいだったが、ここまで症状が酷いのは初めてだった。

 痛み、苦悩、吐き気――その中に何かを見る。慢性を越えてしまったような症状の奥であの灰色の砂嵐が意識を飲み込もうと襲ってきて、その向こうに記憶という光を高速に入れ替える。

 その一瞬に、家族の――姉と弟の姿を見たような気がした。


「……ぁ……あああぁぁ……これ、は――コレハ、ナんダ? あマ、ね……と……ナズ……な……」


【――それで■■。まったく■■■■■■■■だ】


 その時にはもうあいつが何を言っているか分からなくなっていた。




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