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5 (終)

夜風に当たりながら家の前をグルグルと何周も歩き周った。家の前の蛇口をひねって水を出し、頭からかぶって考えを冷やした。よし、これで大丈夫だろう。家の扉を開けて中に入ると

「おかえりなさい‼」

と人懐っこい笑顔で『花』は出迎えてくれた。どうやら、泣き止んだようだ。『花』は泣き顔よりも笑顔が映える。彼女は椅子に腰かけて本を読んでいた。姿形はそっくりだが、『花』は知識がアニエスの記憶から得たものだけだからかアニエス本人よりも邪念がなく、純粋に見えた。

「一緒に座らないか?」

そう言って、僕は『花』を呼び寄せ長椅子に一緒に座った。ふと、窓から外の景色を眺めると、空はまだ濃紺だった。ただ、あまり時間は残っていない。死と呼ぶのか分からないが、それが近づいているのに『花』は嘆く様子もなくにこにこしていた。僕はそっと『彼女』の肩に手をまわした。

「自分の終わりが近づいているのに、怖くないのかい?」

「怖くありません。私は悔いのないようにやるべきことはやったと思いますから。心配しないでください。私は平気です。リシャール様」

『花』も僕にそっともたれかかり、話を続けた。

「私は先ほどまで、アニエス様の記憶の中から、リシャール様を好いていました。でも、今は一輪の花としてもリシャール様を愛しています」

「ありがとう。それでも、君はいなくなってしまうんだね」

アニエスの身代わりとしてなのか、目の前の『花』そのものなのか、僕ははっきりしなかった。それでも、目の前の『彼女』はとても愛おしく感じていた。

「決められている寿命ですから。私にはどうしようもありません。他の花よりも幸せな生涯だったと私は断言できます」

『花』は僕をまっすぐに見つめた。

「私は私として、自我を持ったまま、アニエス様の記憶を頂きましたが、アニエス様がもう一度リシャール様に会いに来たのだと思います。私を使って。なので、これは私との別れではなくアニエス様との再会だっだと思ってください。私がいつまでもここにいたら、あなたはずっとここに留まってしまう。前に進んでほしいです。時間がかかっても、楽しい日々が過ごせるように。私はそう願っていますし。アニエス様もきっとそれを望んでいると思います」

夜はまだ更けているのに、『花』はだんだんと別れの言葉になり始めた。僕は『彼女』の頭をそっと撫でた。この愛おしくてたまらない存在がまたしても僕の前からいなくなろうとしている。

「抱きしめていいかい」

僕が尋ねると、『花』は静かに頷いた。『彼女』を思いっきり抱き寄せた。どうしようもないのが分かっていても、残り数時間しかない時間をつなぎとめたくて。

「私のこの肉体はなくなりますが、私はずっとリシャール様の幸せをお祈りしていますから」

そういって、『花』は腕に力を込め、僕を強く抱きしめた。

「大丈夫ですよ。きっと大丈夫」

『彼女』はずっと僕を励ましていた。

「なあ、『花』、口づけしてもいいか」

身勝手だとは思ったけれど、最後に僕の激情をぶつけることを許してほしかった。『花』は頬をやや赤らめながらも、静かに頷き、唇を差し出した。『花』とのキスはほんの少しだけ蜜の味がした。互いを抱きしめあって、夜は更けていった。僕が疲れでまどろみだした頃、『花』は静かに歌を歌い始めた。僕の知らない歌だ。僕はその歌を聴くうちに眠りへと誘われていった。

 その夜、僕は夢を見た気がする。夢の中でアニエスが子守唄を歌っていた。そうだ、この歌は『花』が歌っていた、眠る前に聞いた歌と同じメロディーだ。


 窓から差した光にハッとして目を覚ますと、隣にいたはずの『花』は姿を消していた。『花』が言った通り、儚い命だったようだ。部屋中を見渡しても、『花』の姿は見えなかった。しかし、机の上に昨日までなかった紙が二枚、丁寧に並んで置かれているのを見つけた。一枚目の紙には

“アニエス様は今際の際に、リシャール様にメッセージを残そうとペンに手を伸ばされました。残念ながら、間に合いませんでしたが、何を書こうとされていたのか記憶がありますので、書き記しておきます。”とあり、続けて

“リシャールへ

結局、あなたのところには帰ることができなくてごめんなさい。あの出て行き方は今頃になって私もどうかと思う。別の人と駆け落ちするようにもとれるわね。違うのよ。ただ、自分の家族について知りたかっただけ。結局、ほとんど成果を上げることが出来なかったけど、私の家族が住んでいた町を知ることが出来てよかったと思います。戻ったら全部、話そうと思っていたけれど、残念ながら叶いそうにありません。リシャール、今どうしていますが?私の訃報を聞いて優しいあなたはきっとしばらく落ち込むでしょう。けれど、ずっとその落ち込みを引きずる必要はありません。私は私の人生が素晴らしいものだったと断言できるので、私を想って泣かなくても大丈夫です。自分が寂しいと思った時だけ、ほどほどに涙をこぼしてください。私はリシャールが実は寂しがり屋なのを知っているから、あなたの涙を拭いてくれる、素晴らしいパートナーと出会って、幸せに、笑顔溢れる人生を送れることを祈っています。勝手なことをしてごめんなさい。私の身勝手を許してくれてありがとう。

アニエス・コルベルより(代筆:『花』)”

そして、二枚目の紙は『花』本人からの手紙だった。

“短い間でしたが、お世話になりました。アニエス様、リシャール様と出会うことが出来て、一緒に過ごせて楽しくて、幸せでした。今度はリシャール様が幸せになる番です。急がなくてもいいので、前に進んでください。  『花』より

P.S. アニエス様からの最期のメッセージはもう少し短かったのですけど、書いてるうちにたくさん言葉が溢れてきて、きっとアニエス様が一緒に書いてくださっているんだと思いました。ですので、溢れるままに、言葉を綴りました”

『花』からの手紙の右下には署名の様にしなびた白い小さな花が一輪落ちていた。僕はその小さな花をそっと取り上げてもう一度口づけをした。

「ありがとう」


それから、僕はしなびた花を水につけてみたけれど、なんの変化も現れず、花はしなびたままだった。。心が落ち着いてから、僕はアニエスの墓の隣に穴を掘り、『花』を埋葬し、、土を盛り上げて塚を作った。

 それから、毎年夏になると『花』の塚には蔦が張り、夕刻になると白い花をたくさん咲かせた。

 

『花』と過ごした、奇跡の一夜から数年が経った頃に、僕はとある人にだけにその奇跡の一部始終を話した。その人が『花』の塚を慈愛に満ちた目で見つめながら、撫でていたのが印象に残っている。その人は僕の話を静かに聞き、そして教えてくれた。あの森は、かつて、濡れ衣を着せられて処刑された人たちの墓場だったのだと。

「きっと、アニエスさんみたいに大事な人と離れ離れになって、二度と会うことが叶わなかった人たちもたくさんいたと思う。その人たちの無念さがアニエスさんの『会いたい』っていう気持ちに共鳴して、その人たちの力もあって、君が体験した奇跡だったんだと思います」と、語った。僕を前に進ませるために、たくさんの人たちが力を貸してくれたのだと思うと胸が暖かい気持ちになった。


 僕は彼女たちの願いのおかげで、今は、何とか幸せに過ごすことが出来ている。


お付き合いいただき、ありがとうございました。

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