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 僕はそれから毎日のように彼女の墓参りをにし行った。森を少し抜けて開けた場所に彼女の墓はある。陽が当たって、僕が蒔いた種が色とりどりの花を咲かせていた。もう彼女がどこにもいないことなんて分かっているのに、僕はここを心の拠り所にしていた。墓標を磨いたり、墓石にその日あったことを話しかけたりするだけでなんだか安堵することができた。


 彼女が亡くなってから、五年の月日が経ったある日の夕刻、いつものように僕は森を抜けて彼女の墓に向かった。

 墓へと辿り着いた僕は、自分の目を疑った。女性が一人、墓に寄りかかって座っていた。柔らかそうな金髪に、鮮やかなグリーンの瞳。乳白色の肌。小柄な体躯。座り込んで何かを考えていた。在りし日と寸分違わぬ姿で僕のすぐ目の前に僕の愛した人が――僕はしばらく瞬きを繰り返し、自分の頬を引っ叩いてみたけれど、目の前の光景は変わりなかった。

「生きていたのか⁉どうしてここに?」

 自分でそう口にしたけれど、彼女が生きて肉体を持ち、ここにいるなんてありえなかった。

 僕が最後に目にした彼女は肉体から魂が拭い去られ、身体中から血の気が失せて、生前赤みがかっていた頬も真っ白で、蝋人形のような姿で眠っていた。一目で彼女の生存を諦められるほど強く死を実感させた。現地の人の良い老婦人が死に化粧を施してくれて、幾分か顔色がよくなったけれど、それでも触れると冷たくて、いくら僕が呼びかけても応えてはくれなかった。彼女の肉体を火葬して、骨を拾い、ここへ埋葬したのだから彼女が生きているはずも、肉体が遺っているはずもなかった。

 僕の考えが頭の中の巡っている間に、先程の呼びかけで僕に気が付いた『彼女』は僕に視線を向けた。

「リシャール様ですね、お会いできて良かったです」

 話し方はたどたどしかったけれど、姿形だけではなく声色も彼女そのものだった。僕は彼女に敬語を使われたことも様付けされたこともなかったからくすぐったく感じたけれど。いろいろなことを考えながら、反芻しながら、何とか上澄みだけの自我を保って、とりあえず僕の上着を手渡した.。目の前の『彼女』はいかにも墓から這い出てきました――もしくは土から産まれてきましたと言わんばかりの姿をしていたから。

「ありがとうございます」

『彼女』は僕の上着を受け取った後、しげしげと上着を見つめながら何かを考え込んでから身に着けた。『彼女』が僕の服を羽織る様子を眺めながら、僕は目の前にいる人物について必死で考えを巡らせた。そういえば、昔、この森に立ち入ってはいけないと散々大人たちに言われていたことを思い出した。たくさんの悲しみの血を吸っていてなにをするのか分からない、と。それならばこの森で不思議な出来事が起こることもあり得るのだろうか。この森に実際に悪霊とか妖怪とかそんなものが実際に棲んでいるのかどうかは分からないけれど、そういったモノの類だろうか。僕を騙そうとして出てきたのだろうかと思って、僕は息を飲みながら一歩後ずさりをしました。

「信じていただけないかもしれませんが、私はリシャール様に危害を加える気はありません」

 僕が後ずさりする様子を見ていた、『彼女』は僕に手を挙げながら話しかけてきた。

「いろいろと期待させて申し訳ありませんが、私はアニエス・コルベル様ではございません。

 リシャール様の恋人だったアニエス様ではないのです」

「分かってるさ」

 とは言っても、目の前の『彼女』に言われてはっきり目が覚めた。目の前にいる僕の最愛の人の写し鏡がアニエスそのものではないことを理解していた。アニエスはもうとうにこの世になく、肉体は灰と骨になったのだから。ただ、目の前の『彼女』の正体が分からなかった。

「僕の名前も、僕の恋人の名前も、僕たちの関係も知っている。しかも、君の姿も、声も、アニエスにそっくりだ。君はいったい何者なんだ?」

 目の前の『彼女』は静かに言葉を発し始めた。

「リシャール様のお名前とアニエス様との関係はアニエス様に教えていただきました。と言っても、直接お会いしたことはありませんけれど」

 目の前の『彼女』は静かに言葉を発した。

「どういうこと?」

 僕は訳が分からなかった。『彼女』が話す言葉を聞きながら、頭の中の疑問符が消えず、むしろ増えていく。ただ、嬉しくもあった。正体は分からないけれどアニエス自身ではなくとも、アニエスの姿をもう一度見ることができたのだから。

「お願いがあります。私の正体は焦らずお話ししたいです。しかし、もうじき夜になります。その前にこの森を抜けませんか?夜という闇がこの森にどんな影響を与えるのか分かりません。アニエス様も夜の森は警戒されておられたようですし」

 まるでアニエスと話したことがあるかのような口ぶりだった。僕はその時、怪訝な顔を浮かべていたのであろう。

「別にリシャール様をこの森から連れ出して何かをするわけではありません。決してリシャール様を襲ったりはしません。まあ、信じてはいただけないでしょうけど。不安ならば、私から離れて森を抜けましょうか?」

 僕たちが問答している間に橙色をしていた空はいつの間にか紫色に変わりつつあった。この森が闇に飲まれつつあるのは事実だ。

「分かった。森を出よう」

「ありがとうございます。とりあえず、この森から出ましょう。出なくても実はどうともないのかもしれませんが、保証できかねますから。アニエス様の愛した方を危険にさらしたくはないのです」

『彼女』の言っていることは正論に思えた。確かにアニエスも僕も夜、あの森へ立ち入ったことは無かった。それに『彼女』が僕を襲うつもりならとっくに襲うことができただろう。もし、森から出る道やその周りに何らかの罠があったとしても、最愛の人とそっくりな見た目の『彼女』に襲われるのならそれはそれで構わないと思った。

 僕たちは木々の下をくぐって足早に森を抜けた。

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