賢者の母と呼ばれた魔導師、うっかり若返る
フレール・プレメリアは《賢者の母》と呼ばれた魔導師だった。
《六賢者》と呼ばれる者達の師匠であり、世界最強の魔導師としても名高い。
推定年齢は百歳前後の老婆であり、普通の人間でもあった。
だからそこ、寿命というものは存在する。
魔導師の中には魔法を駆使する事で命を繋ぐ者もいたが、フレールはそうしなかった。
「後はあんた達に任せたよ」
そう言い残して、フレールは弟子達の前から姿を消す。
それがおよそ百年前の話だ。
そして現在、フレールよりも弟子が有名になった時代の事。
「……人間意外と死なないもんだねぇ」
辺境の地にて、二○○歳を越えても未だに生きているフレールの姿があった。
***
フレールの朝は早い。
寝るのも早いが起きるのも早いのだ。
早朝庭先に出て、軽く深呼吸をする。
ローブに身を包んでいるが、腰の曲がった姿から老婆という事はよく分かる。
すっかり白くなった髪もそうだ。
元々は黒く艶やかな髪色だったが、今は反対の色になっている。
フレールは気に入っているが。
トントンッと地面を軽く叩いて、周囲を確認する。
フレールの住む家の周りは、木々で覆われていた。
雑草というより、雑木とも言えるものが異常な早さで伸びているのだ。
「一先ず草むしりかね……」
フレールが両手を上げ、
「かああああっ!」
そう力むと、ドォォォンという大きな音と共に、周辺の木々が吹き飛んでいく。
それを、別の場所へと植え替えるのだ。
「さて、草むしりは終わりだね」
ものの数十秒で作業を終えてしまったフレール。
次は何をしようか、と考える。
「そうさね、少し遠出して買い物でもしようか」
近くの町では、早朝に出掛けてもまだ早朝だ。
開いていない店の方が多い。
待つのでも構わなかったが、たまには遠出をしてもいいだろう、とフレールは思った。
「よい、しょっとっ!」
ドンッ、大きな音が周辺に響く。
地面が割れ、周囲の木々が突風で揺れた。
フレールが跳躍したからだ。
魔力の塊のようなフレールは、そのまま大きく弧を描くように空を駆ける。
馬車など比較にならない速度だ。
ゴオオオッと風を切る音がフレールの耳に届く。
「グゥルオオオオッ!」
「ん?」
風の音かと思ったが、よく見れば違った。
大きな身体に、鱗の姿。
羽を持ち、太い手足に大きな牙と角。
空の支配者、《ドラゴン》がそこにはいた。
「おや、ここはあんたの縄張りだったのかい?」
「グルァアアアアッ!」
「怒るんじゃないよ、通るだけさ」
「ゴアアァ!」
「うるさいね!」
フレールが両手を胸の前にかざす。
ポウッと小さな光が出てきたかと思えば、それは光弾となって、フレールから放たれた。
ドラゴンはそれを避けれずに直撃する。
大きな爆発によって、大気が揺れた。
フレールはそのまま、高速で空中を移動し続ける。
散歩がてらにドラゴンを討伐するような、そんな老婆がフレールだった。
「話の通じないドラゴンは魔物と変わらないね」
そう呟きながら、フレールは町の方を目指す。
一方、地上では、
「い、今の爆発は……?」
王国軍が部隊を編成し、ドラゴンの討伐にやってきていた。
国境付近の砦にドラゴンが住み着き、防衛の観点から早急に対処が必要だとされた。
数千人からなる大隊、それがドラゴンを討伐する基準だった。
上空から、ドラゴンが地上へと落下していくのが見える。
騎士団にも動揺が走った。
「ド、ドラゴンが落ちていくぞ!」
「い、一体何が……」
「魔導師殿! なにか見えたか?」
同じく王国軍に所属する《宮廷魔導師》に騎士が状況を確認する。
魔導師は信じられないものを見た、というような表情で告げた。
「空飛ぶババアが、ドラゴンを一撃で倒してた……」
「空飛ぶ、ババア……?」
《ドラゴン殺しの空飛ぶババア》の伝説が、本人の知らないところで誕生した。
そして、当の本人はというと、
町の前に着地していた。
「わぁ!?」
急に空から降ってきた老婆に、町の子が驚きの声をあげる。
「おや、驚かせてしまったみたいだね」
「お、おばあちゃん今どこから……?」
「うふふ、さぁて。どこからだろうねぇ」
トントンッと杖をつきながら、フレールは町中へと入っていく。
そこで、一つの失敗に気づいた。
「しまったねぇ……早く着きすぎた」
遠くを選んでも、フレールの移動速度が変わるわけではない。
結局数分以内には、遠く離れた町についてしまうのだから。
「あ、あの……?」
先ほどの子供、少女が声を掛けてくる。
振り返ると、小さな小瓶をいくつか抱えていた。
「おや、それは薬かい?」
「は、はい。わたし、薬師をしていまして……」
「子供だというのにすごいねぇ。それは売り物なのかい?」
「これからお店に届けるとこらなんです。おばあちゃんはここには何を……?」
「あたしゃあ朝飯を買いにきたのさ。せっかくだからパンにでもしようかと思ってね」
「それなら、少し時間がありますね……あの、よければ少しお話をしても?」
「おや、こんな老婆の話し相手になってくれるのかい?」
「は、はいっ! あ、いえ、そういう意味でのはいではなくて……」
「うふふ、分かっているさね」
少女がフレールの事を見る目は輝いて見えた。
「おばあちゃんは、その、魔導師様なんですよね?」
「分かるのかい」
「そ、それは空から降ってくれば……」
「あれは大砲に入って飛んできただけさ」
「た、大砲!?」
「冗談だよ。面白い反応する子だねぇ」
「うっ、ひどいです……」
うふふ、と笑うフレール。
少女は少し顔を赤くしながら、魔法について聞いてきた。
「わたし、魔法についてはまだまだ未熟なんですが……どうしたら上達するでしょうか?」
「あんたは強くなりたいのかい?」
「いえ、わたしは薬で人を助けたいと思っているので……」
「そうかい。なら、その思いを持ち続ける事だね」
「思い、ですか?」
「そうさ。あたしゃ無責任な事を平気でいうけど、そもそもやりたい事への思いがなきゃ続かない。なら、それだけはなくさないようにする事さ」
「っ! わ、わかりました! ありがとうございます!」
少女はそう言ってぺこりと礼をした。
フレールはひらひらと手を振り、
「礼を言われるような事じゃないさ。あたしゃ無責任だからね」
そうして、しばらく少女と話した後に、フレールはパン屋で買い物を済ませた。
別れ際、少女にはこれからの事を願って《秘薬》を渡した。
「ここで会ったのも何かの縁さ。もし、あんたが助けたい人がいるなら使っておやり」
「あ、ありがとうございますっ」
少女がきっと薬師になったのは、助けたい人がいるからだろう。
それでも間に合わない事や救えない事もある。
そんな時に、助けになるものをフレールは渡した。
それは、この世界では数本しかないとされる伝説の秘薬だったが、年老いたフレールにはあまり興味のないものだった。
店の前から出ると、町中は賑わいを店始めている。
「さて、そろそろ帰るかね!」
トンッとフレールが飛んだ。
今度は町中であるためか、勢いはつけずにふわりと飛翔した。
「すげえ、ババアが飛んでる!」
「誰がババアだい! あたしだね!」
大きめの建物に住む子供の声に反応して、フレールは子供の額に向かって飴玉を投げる。
「今度からはおねえさんて呼びな」
そうして、フレールは家路につく。
ふと、最近の事を思う。
「ババアババアとよく呼ばれるようになったねえ。やっぱり皺が増えたからかね」
鏡の前に立つが、百年前からしわしわの顔ではよく違いは分からない。
けれど、フレールも女性だ。
たまには美容に気を使ってみようと思い立った。
「そうだ。皺取りの霊薬でも作ってみるかね」
フレールはそう思い、自身の工房へとこもる。
およそ一週間程度の行程で、フレールは霊薬作りに励んだ。
「ドラゴンの角も……まあせっかくだし入れてみるかい」
効果があるとされるものから、効果があるか分からないものまでフレールは色々と混ぜる。
物は試しとフレールは半ば実験のように繰り返した。
そして、完成したのは翡翠色に輝く怪しい液体だった。
「サキュバスのやら吸血鬼の体液も混ぜてみたけど、さぁてどうなるのかねぇ」
フレールは歳を取っても、単休心に変わりはない。
基本効能は皺取りのはずだった。
だが、この薬の効果でどれだけ皺取りができるのかを期待した。
フレールは液体に口をつける。
「んっ……!?」
(う、美味い!)
薬の効果にはまるで関係なかったが、予想外にいい味をしていた。
のど越しなめらかで控えめな甘味。
何がその味を出しているのか分からないが、フレールはそれを一気に飲み干す。
「ふぃー、さぁて……これで明日には効果が出てるかね。ふわぁ……」
薬作りのためにここ一週間はあまり寝れていなかった。
フレールはそのままベッドの方へよろよろと向かうと、ぱたりと倒れ込む。
そして、深い眠りについた。
***
「ん……」
朝方、フレールは鳥達のさえずりで目を覚ました。
とても身体が軽く、爽やかな朝だった。
「んー! 何だろうね……身体が軽い――は?」
フレールが立ち上がった時、正面にあった鏡を見て動きが止まった。
そこにいたのは、一人の少女だった。
白い髪はフレールと同じだが、艶やかで若々しい。
肌も白いが一切の皺はなく、瑞々しい十代のものだった。
それどころか――完全に十歳程度の少女がそこにいたのだ。
けれど、フレールの意思にそってその少女は動く。
「まさか……そういう事なのかい!?」
さすがのフレールも驚いた。
皺取りの薬を作ったつもりが――完全に若返りの薬だったのだから。
身体も軽く、見た目が若いだけではなく本当に年齢まで戻っているようだった。
髪色はそのままだが、少女の姿で白髪は逆に美しく見える。
「……こうやって見ると、やっぱり若い頃は可愛いねぇ」
自画自賛である。
フレールは満足げにそう呟いたが、一つの問題はあった。
「もう先も長くないと思っていたのに……百年追加で生きたばかりか若返るだなんて……」
弟子達が知ったら何と思うだろう――フレールはそう考えて、一つの結論に達した。
「ま、今の姿ならばれやしないしいいか! 第二の人生でも楽しんでやろうかね!」
フレールはそういうところで前向きな性格をしていた。
こうして、《賢者の母》と呼ばれた魔導師は少女の姿となって第二の人生を歩む事になったのだ。
***
ドラゴン――それは地上最強の生物だった。
そんなドラゴンが国にやってくるとなれば、その国の大勢の者達に動揺が走り、また戦力を集結させて対応しようとする。
そんなドラゴンが、たった一人の魔導師によって倒された。
ズゥン、と落下するドラゴンの上には、人陰が見えた。
「あれが噂の《ドラゴン殺しの空飛ぶババア》か……!?」
「誰がババアだい!」
そんな一人の騎士の声に反応したのは、若々しい少女の声。
けれど、話し方はどこか古めかしい――そんな異様な人物だった。
トンッとドラゴンの前に着地すると、ばさりとローブを脱ぎ捨てて少女は宣言する。
「あたしはプレメリア! 《賢者の母》と呼ばれたフレール・プレメリアの孫娘さ!」
――こうして、《賢者の母》の孫娘を名乗る事にした本人は、今日も元気にその力を振るっていた。
強いババアのままでいこうかと思ったのもありましたが、ロリババアはいいですよね。