第5話 魔法の対価
「シャルロット」
「うん? なんだ」
「侵入者も気になるけどさ、俺たちもこのままだとやばくないか?」
「案ずるな。泥船に乗ったつもりでついて来い」
「……ちゃんと意味分かってて使ってるのかよ。それ」
フライトと言う飛行魔法を用いて上空にいるシンクとシャルロットは、風を切る勢いで降下していた。
通常であれば会話などできぬ風圧だが、シャルロットが風圧を軽減する魔法を行使しているおかげで話声は鮮明に聞こえる。
二人が目指すは無数の弦が織り成す大海。その一部に存在する不自然に蠢いている渦の中心だ。
シャルロット曰く、渦の中に人の気配を感じるらしい。
ただそれは、とても弱々しい気配であり今にも消えそうだという。
帳内にいるのはシャルロットとシンク。この二人だけだ。
他に人間がいるという事実は二人にとって明らかな異常であり、現状では貴重なヒントを宿している人物でもある。
なんとしても、この貴重な情報源を失う訳にはいかない。
結界内に現れた、仮名称『侵入者』をイトギスの弦から救出するべく、二人は行動を開始していた。
「今のスピードで突っ込んだら、確実に弦の表面に当たって死ぬぞ」
「その点も抜かりない。シンクはちゃんと地面の位置を想定して速度を落としてくれればいい」
シャルロットはシンクに告げると眼前に向かって小さな手を伸ばした。
「穿て、ナーティル!」
シャルロットの掌が弦に触れる刹那、彼女を中心に直径5メートル程の空洞が弦の表面から反対側に駆けてぽっかりと空いた。
(すごいな今の魔法、かなり応用が効いて便利そうだ)
「入るぞ。速度は落とさずについてこい」
シンクは驚嘆を露わにし、シャルロットは短い指示を下した。
二人はイトギスの弦に空いた穴の中へと吸い込まるように入っていった。
「ライル」
手を伸ばしたまま、シャルロットは続けざまに魔法名称のみの略式した零文を唱えた。
発動させたのは明るい発光球を出現させる魔法だ。
暗闇に包まれていた空洞が眩い光に照らされて視野が広まっていく。
空洞を降下してまもなく、うっすらと地面も見えてきた。
「あそこだ。あそこに誰か倒れている!」
目を凝らし空洞の最下部を見ると、元は帝都の大通りだった石造の道上に蹲る人影を発見した。
「よし、今すぐアイツを連れてきてここから離れよう!」
シンクの提案を、シャルロットは「ダメだ」と強い口調で破棄した。
「いいかシンク、よく聞いてくれ。吾輩は地面に着地したらすぐに物理障壁の魔法を張らなくてはいけない。だからシンクには今のうちに侵入者を連れてきてほしい」
「連れてくるのは構わないが障壁ってなんだよ? そんなもん張る必要ないだろ。今通ってる穴ですぐに引き返せば万事解決だぜ?」
シンクの疑問に、シャルロットは無言で背後を見るよう促した。
振り向くと、そこには今通ってきたはずの穴が失くなっていた。
いや……正確に言えばシャルロットが魔法で空けた通り道は、表面から順に塞がり始めていた。
「はあっ!? 今空けたばっかなのに、どうなってんだよ一体!?」
「イトギスの再生能力は尋常じゃないと言っただろう。少しでも速度を落としたら弦に飲まれて圧死だから気を付けろ」
「そんな死に方は絶対に嫌だ!」
シンクは叫びながらシャルロットの前に進み、照らされた地面に横たわる侵入者の下へと急いだ。
(あれは……女の子か?)
近づくにつれ、侵入者の風貌がはっきりと分かる様になった。
暗闇から姿を露わしたのは紺色の三角帽子に少し長めのローブを羽織った、少女が仰向けに倒れている。
意識は無いようでピクリとも動かない。
(無事を確認している余裕はないか)
少女を抱え、シャルロットの方へ体制を変える、すでにシャルロットは地面に着地し魔法障壁の展開を開始しいる。
その頭上には原形に戻ろうとする弦が押し寄せてきていた。
「シンク! 急げ‼」
「わかってるって!」
持てる力を振り絞り、全速力でシャルロットの下へと急ぐ。
地面に張り付くよう半球状に形成された障壁が展開し終える瞬間を縫い、シンクは障壁内に滑り込んだ。
イトギスの弦は障壁にぶつかると強い振動を一度引き起こし、そこから動きを止めた。
「ふぅ……アブねー。間一髪だった」
息を荒げながら言葉を吐き、シンクは少女を地面に寝かせ自身も崩れ落ちる様に地面に足を着いた。
「うぐっ‼」
飛行魔法フライトを解くと、重力が体に戻る。
足に体重が圧し掛かると、イトギスの弦に掴まれた片足に激痛が走り、シンクは地面に倒れこんだ。
「いてー……足を痛めてるのを忘れてたー……っ!?」
騒いでいると、今度は突然、喉に違和感を感じた。
足の痛みより喉の違和感の方が気になりだし、咳き込んでみる。
すると、少なくない量の赤い液体が口元を抑えていた手にこびり付いた。
「これは……血か?」
驚きを禁じ得ず、痛みよりも恐怖が勝る。
(なんだよこれ……まさか、こんなところで俺は死んじまうのか?)
鼓動が早まるのを感じ、全身から脂汗があふれ出す。
血の気が引いていくのが全身の震えからわかった。
「うっ……悪いなシャルロット。いままでがんばってきたつもりだが、ここまでのようだ……ぜ」
「馬鹿な事をいうな。意識をしっかり保て」
か細い声で別れを惜しむように告げたシンクは、シャルロットに「そんなに大したことじゃない」と一蹴された。
「血を吐くなんて普通じゃないぞ……もうすぐ死ぬ兆候に決まっている!」
「その割によく声が張るな。……その血反吐は、マナ切れによる症状だな」
湿っぽい雰囲気にうんざりしたシャルロットは、勿体ぶらず早々に答えた。
「マナ切れ……だって?」
「魔法にはマナを消費する。それくらいは知っているだろう?」
「……確か……大自然から授かる恩恵……神秘なる力であり魔法の源だったか」
「そうだ。体内に保有していたマナが枯渇すると、無理に魔法を維持しようとする力が働き自身を削ってまでマナを補おうとしてしまう。血を吐くのはマナ切れの典型的な症状だ」
「……知識としては知っていたが……マナ切れがここまで苦しいものだとは思わなかったぜ」
マナ切れとは、文字通りマナと呼ばれる魔法の源が急激に減少した際に起こる、こちらの世界特有の症状だ。
症状は貧血に似ているが、併発して動悸や呼吸困難。手足の痺れまで引き起こすとは。
初めて発症したシンクにとって想定外であった。
「燃費の悪い独自の魔法に不得手な飛行魔法。短時間にこれらの魔法を使用すれば、マナ切れは簡単に引き起こせるな」
「柄にもなく張り切り過ぎたのがいけなかったか。……いや、いつもの堕落した生活が祟ったのか」
「両方だな。よし、己の愚かさをその身で思い知ったのなら、これでも飲んでおけ」
シャルロットはシンクに叱責を浴びせ終えると、酒の入った歪な形をした陶器を差し出した。
「血ぃ吐いてんのに、ワインなんて飲んで大丈夫なのかよ」
「この葡萄酒は吾輩手製の特別品なんだぞ。飲めば楽になる」
「……そうかい。じゃあいただこう」
シャルロットとは長い付き合いだ。つまらない悪ふざけをする奴ではないことをシンクはよく知っていた。
だからこそ躊躇することなく、シンクはその中身を口にした。
中の液体は血と混じりあい、宴の時に飲んだ葡萄酒とはまったく別の鉄の味がする。
しかし不思議と嫌悪感はなく、陶器を傾けている腕は液体を欲するように上へ上へと力が入る。
「これはすごいな……飲み過ぎて、また酔っ払っちまいそうだ」
「安心しろ。傷を負っているうちは、いくら飲んでも酔いはせん」
シャルロットの声も届かない程に身体が欲するがままに酒をあおる。
飲めば飲むほど痛みが引いていく。
シンクにとってこんな感覚は初めてだった。
「……不思議なワインだな。傷まで癒してくれるとは」
「その葡萄酒の効能は、痛覚を麻痺させるだけで傷は癒しくれん。残念だったな」
「それでもすごいって、このまま良い気分で寝ちまいたいくらいだ」
「くだらん戯言はよせ。ある程度ラクになったらその小娘を起こしてやれ。吾輩は障壁の強度を強めておく」
「ああ、わかったよ」
時間もあまり残されていないのは理解しているので、すぐに意識を切り替える。
身体を動かすと痛みは生じるが、それでも大分緩和されている。
これならまだ、いくらか役に立てそうだ。
「……それにしても万力みたいな圧力なのに、こいつはよく耐えられていたもんだな」
侵入者と対面してシンクが最初に述べたのはそんな感想だった。
少女はシンクの横で寝息を立て、気持ちよさそうに熟睡している。
外傷は見受けられず無事のようだが、イトギスの弦につぶされていたこの状況でよく寝ていられるものだと感心してしまう。
「気配が微弱だったのは寝ていたからのようだな。何故潰されていないのか謎だが」
シャルロットも驚いているようだったが、このまま少女をゆっくりと寝かしてあげられる余裕はない。
彼女がイトギスを出現させた首謀者……ではないと思いたいが、そうであったにしろ、どこから帳内に入ってきたのかを訊きださなくてはならない。
シンクはさっそく、少女を起こしにかかった。
「おーい、起きてくれい」
「うーん……うぅ」
「起きてくれなきゃ大変なんだよ!」
「うるさーい‼」
「「イタぁっ!?」」
シンクの呼びかけでいきなり起き上がった少女の額が、不意を突かれたシンクの額と衝突し互いに目の前が真っ白になった。
「いててて……せっかく気持ちよく寝ていたのに、ボクの安眠を妨害するのは誰ですか?」
少女は額を抑えながら不機嫌な表情でこちらを睨んでいる。
その目尻には雫を溜めていた。
ファーストコンタクトとしては最悪だ。
(この娘から現状を変えられるだけの良い情報を引き出せればいいが……)
シンクは少女に対し、一抹の不安を抱えながら対話を開始した。