第2話 月下の祝宴
シンクは元々、普通の高校生活を送っていた。
変哲のない日常ではあったが、それなりに学生ライフを謳歌していたと思う。
そんなある日、シンクが目を覚ますと見知らぬ土地に居た。
そこは魔法の存在する異世界であったが、外界を隔てた結界の中でもあった。
「まだ、準備できないのか?」
「文句があるなら少しは手伝ってくれても、いいのではないか?」
「いやだよ。っていうか。シャルロットみたいな高度な魔法は俺には使えない」
「嘘をいうな。面倒だからやりたくないだけだろう」
二人は今、サーチング・サークルの解析終了を待つため祭壇の間の端で宴を開く準備をしていた。
シャルロットが氷の生成魔法を駆使して創っているテーブルの完成を待ちながら、シンクは特にすることもなく、先にできていた同じく氷の椅子に腰をかけ、退屈を露わにしていた。
氷と言っても魔法で創っているおかげかあまり冷さを感じず、ひんやりしていて心地よい程である。
これも魔法だからなせる業だな。と、シンクは感心した。
「しかし、魔法なんてのは俺の世界じゃ御伽話の中だけのものだったが、まさか賢者と呼ばれた相手に教わる羽目になるとは……思いもしなかったぜ」
「吾輩はシンクの言う通り訊かれた事に答えていただけだ。それに吾輩からしてみれば異世界があるという事実の方が眉唾物だよ」
「お互いさまってやつか。俺の場合は、強烈な炎熱魔法を初対面で喰らったおかげで嫌でも魔法を信じたがな。……さてと、そろそろ飲み始めるか」
「そうだな」
テーブルが完成すると、シャルロットはシンクの対面に腰を掛けた。
シンクは二人分のワイングラスに黄金色の液体を注ぎ、片方をシャルロットの方へ流した。
「それでは……乾杯」
静かに音頭をとるシャルロットに、グラス同士を合わせることで応じる。
お酒の飲み方など知らないシンクは、中身の液体を一気に煽った。
「中々の飲みっぷりだな。豪快なのは嫌いではない」
「ふぅ……一仕事終えた後の酒は格別だな!」
よく冷えた液体が喉を潤し、次第に全身に染み渡る感覚が脳に伝う。
酸味の効いた爽やかな味わいは非常に飲みやすく、何杯でもいけてしまいそうな気分になる。
シンクは、ほうっと息を吐き全身の疲れが引いていくのを感じるとグラスをテーブルの上に置いた。
「なあシンク」
「ん? 急に改まってどうした」
シャルロットはテーブルにあった、異界の動物らしき干し肉を一口齧ると、退屈しのぎにほろ酔い気分のシンクに話し持ちかけてきた。
「シンクはどうしてここから出たいのだ? お主はかなりの面倒くさがり屋だろう。ここならば何もせずに過ごしていける。基本寝てばかりのお主ならここに居る方が良いのではないか?」
「なんだ、そんな事か」
シャルロットの疑問を鼻で笑い、シンクは即答した。
「確かに俺は面倒事は嫌いだ。けど、退屈なのはもっと嫌なんだよ」
ここへ始めてきた時、シャルロットからここが異世界なのだと訊かされて、シンクは遂に理想郷を手に入れたのだと歓喜した。
学生ライフも悪くはなかったが、元居た世界では決まり事や規則に制限が掛かり、どうしても周りの環境に縛られてしまう。
けれども、ここならば何をしても自由だ。誰からも文句を言われることはない。
面倒ではあったが、魔法を覚えれば元居た世界より別段快適に過ごすことができた。
極めつけに、美女と二人きり。これならばずっとこのままでもいい。と心に決めていた。
――……だが、その考えも数年は続かなかった。
とても静かな結界の檻の中は、シンクにとって、あまりにも退屈過ぎたのだ、
このまま一生、飽き飽きとした退屈な日々を送るのは面倒事よりも苦である。
それが、結界を解読しここから出る方法を模索し始めたシンクの、最大の原動力だった。
「お主が結界から出ても、元の世界には戻れないだろう。それでもよいのか」
「最初から元の世界へ戻れるとは思っていないさ。結界の外も魔法が使えるなら、ここで学んだ知識が活かせるだろう。異世界ライフを存分に謳歌してやるぜ」
どういった意味があってこの世界に自分が居るのか。
シンク自身は、そんな事どうでもいいと割り切っている。
ただ、楽に過ごせればいいだけだと。
外界へ出ても、この考えは変わらないだろう。
元の世界へ戻るのを、シンクは殆ど諦めていた。
「まあ、せっかく異世界に来るんだったら、前の世界でもっと美味いもんを堪能しておくんだったぜ」
「お気楽な奴だな。今更なのだが、おぬしの世界には未成年は飲酒ができない法律があるからお酒は飲めない……とかなんとか前に言っていなかったか?」
シャルロットは首を傾げながらシンクに素朴な疑問を投げかけた。
シンクはテーブルの上にあった瑠璃色の果実をつまみあげると、うまそうに食べながら答えた。
「もうそれはいいんだよ。こっちへ来た時は確かに未成年だったし、なんとなく飲む気にならなかったが……どうせこっちにゃガキが酒飲んじゃいけないって法律はないんだろ?」
「確かにそういった記述はなかったと記憶しているが、しかし……」
「なら気にするなよ。今日は共に飲み明かそうぜ」
そう言いながらシンクは夜空に浮かぶ月を眺めた。
「忘れてたぜ。ここって月が沈まないんだったな。これじゃあ飲み明かせられないな! はっはっは!」
箍が外れたかのように笑いあげるシンクを横目に、シャルロットは「やれやれ、シンクには酒を与えるべきではなかった」と言い残し、そこから静かに酒を嗜み始めた。
――結界魔法【帳】は、広範囲に結界を張る以外の効果がある。
それは、領域内に居る者の歳が変わらないというものだ。
シンクの見た目はここへ来た当時、つまり高校生だった頃から変わっていない。
シャルロットが未成年だと言ったのはその所為だ。
他にも何故か月が沈まなかったり、何も食べなくても生きていけるなど変わった効力があるのだが、全容は明らかになっていない。
正直の処、結界が目的の魔法なのかすら不明だ。
(解析さえ終われば、どういった魔法なのかがわかるだろうか?)
「いやー、本当に待ち遠しいなぁ……はっはっは!」
シンクはワイングラスに葡萄酒を注ぎ、再び模造の月を眺め中身を煽った。
◇
――シャルロット、チロルは、シンクの唯一の話し相手である。
彼女はありとあらゆる分野に対し豊富な知識を有しており、かつては賢者と呼ばれアステパン帝国の相談役として皇帝に数々の助言を与えていた。
帝国が著しい領土拡大と繁栄を築き上げたられたのも、偏に彼女の功績あっての事。帝国図書館所存の書物にはそう記されている。
「あー、気持ちわるー……酒に飲まれるタイプだったの完全に忘れてたぜ」
シンクは心地よい気分から一転。酔いによる頭痛に悩まされていた。
最終的に葡萄酒は二杯が限界で、あれから気分は悪くなる一方だ。
つまみを口にする気も起きず視線を彷徨わせていると、ふと対面する女性が目に留まった。
艶やかな白銀の髪を耳にかけながら、グラスに口を付ける仕草は、整った顔立ちと相まり、とても絵になっている。
目を留めていたのはほんの数秒のはずだったが、もの静かに飲んでいた女性はその視線に気づいていたようだ。
「どうした。魔性な吾輩に見惚れてしまったか」
アメジストとエメラルド、二色の宝石を連想させる瞳がじっとこちらを見詰めてくる。
その光景に息を呑んだシンクは、隠すことなく素直な感想を述べた。
「まあな。だが残念な事に俺のタイプは年上過ぎずかといって年下過ぎない同年代が好みなんでね。シャルロットが何歳かは知らないが、色仕掛けで俺を落とすには少々無理がある年齢とみる」
気分が優れない割には雄弁にそう語り、シンクは魔法でグラスに水を注いだ。
シャルロットの見た目は20代後半の女性といった感じである。
しかし、その実年齢は不詳だ。聞いてもなぜか教えてくれない。
シンクがここへ来る以前から彼女はいるようで、年齢は見た目よりずっと上のはずだ。
「そうか……見た目が問題か」
シャルロットは唇に手を当て何事か思案したのちに妖艶な笑みを浮かべて魅せた。
「……それでは、吾輩が面白いものを見せてやろう」
「おっと、賢者秘伝のかくし芸でも見せてくれるのか。見ものだな」
シンクが盛り上げるように手を叩く。
シャルロットはシンクの期待する返答を行動で示した。
「んんっ!?」
目の前の驚愕な光景に、シンクは口に含んでいた水を噴き出しそうになった。
対面して座る女性が、いきなり縮み出したのだ。
「どうだ。似合っておろう」
口調は変わらない。
だが、声のトーンはやや高い。
出るとこは出て、締まるところは締まっていた魅力的な体型は見る影もない。
幼さを取り戻した容貌には似合わない、不敵な笑みがそこにはあった。
「お、おいシャルロット……さん? その姿は一体……」
「どうした。何かおかしいのか? もう少し若い方がいいというから、望みどおりに姿を変えてやったのではないか」
訝し気な表情を浮かべた十代前後程の少女は、何もないところから鏡を取り出し、己の姿を映した。
すると、より訝しい表情を浮かべて鏡を放り投げた。
鏡は割れるどころか、地面に落ちる音もない。
空中で煙のように霧散した。
「むむ……おかしいな。どうやら酒気を帯びた所為か調整を誤って幼くなりすぎてしまったようだ。……シンクはロリコンもいける口か?」
(何を言ってるんだこいつは)
そう突っ込みたかったシンクだが、呆れて言う気が失せた。
「どうしたんだ。もしかして二杯足らずでもう酔ってしまったのか? おーい、大丈夫かーい」
「……やっぱ、魔法って何でもありだな」
しばらくしてようやく発せたのは、そんな感想だ。
シャルロットの年齢は結局不詳のまま、この話題は打ち切りとなった。