第1話 籠の鳥
闇に覆われた空を明るく彩る月の下、かつて大いに繁栄を遂げた古の都がその景観を晒している。
静まり返る城下街に人の姿はなく、文明の跡は生い茂る草木に埋もれ自然の一部と化していた。
廃墟同然の建造物が立ち並ぶ中、一際目立つ王城だけは辛うじて威厳ある風格を保っている。
都を一望できるよう設計された皇帝の住居は、主に代わり都を見守るようひっそりと佇んでいた。
「ふふ~ん、ふ~ふ~♪」
城内に建てられた最も高い塔。
その最上階――祭壇の間から、静寂を破る場違いな音が聞こえている。
石柱のみで支えられた天井と外を隔てる壁のないこの場所で、青年は鼻歌を口ずさみながらリズムに乗っていた。
音の原因は彼である。
青年は手にしたチョーク似の道具を用いて、石畳に奇怪な図形を描いていた。
「るるる~るる~♪」
青年が楽し気に描いている石畳には、元々円形上の陣が直接刻まれている。
彼はその上からわざと重なるように、新たな別の陣を描き足していた。
「……よしできた」
軽快に動かしていた腕を止めると、青年は完成した魔方陣の全貌を少し遠目に見渡した。
(構築ミスはなさそうだな。始めてにしては上出来な方だろう)
設計通りの出来に満足した青年は、描く際に使用していた白い棒状の道具を床に置くと、手の平に付いた白い粉を払い落とした。
「さーて、始めますかねぇ」
凝り固まった肩を回し、気合を入れて立ち上がる。
青年は、魔法陣に向かって手を翳すと、魔法の言葉を口にした。
「起動せよ。サーチング・サークル!」
描いたばかりの陣が、その声に反応し青白く光り出す。
その光景を見て、青年はにやりと笑みを浮かべた。
(とりあえず起動は成功したな。後は図書館の方に描いた魔法陣とリンクさせれば準備完了だ)
青年はあらかじめ、塔に隣接するドーム状の建物の中心にも、チョーク似の道具で別の陣を描いていた。
図書館の魔法陣には、今描き終えた陣とは違い、一筋の長い線が伸びている。
その線は青年のいる塔の最上階である祭壇の間まで、壁や床に沿って描かれていた。
(ここまで描くのに石灰楼を何本無駄にした事か……失敗は許されないぜ)
青年は掌に滲む汗をズボンで適当に拭い、石灰楼と呼ばれる先程の棒状の道具を床から拾うと、描き終えたばかりの陣から新たに線を付け加え、図書館から伸びている導線の役割を果たす白線に繋げた。
青白い発光は、線を染めてもう一つの陣へと流れていく。
「ふぅ、これで良し」
魔方陣同士のつながりを直感的に知覚した青年は、すべての下準備が終了したことに安堵し地面に腰を降ろした。
――パチパチパチ。
青年が気を抜いた刹那、まるでタイミングを見計らったかのように、広間内に拍手が木霊した。
不意を突かれて青年は動揺し、身体を強張らせた。
「中々面白そうな事をしてるじゃないかシンク。吾輩も見物させてもらうぞ」
コツコツという、ヒールの音が青年の下へと近づいていく。
シンクと呼ばれた青年は、物憂いげな表情を浮かべ肩を竦めると、足音の方へ体勢を起こした。
「いきなり背後から現れるのはよせシャルロット。心臓に悪い」
「ふふっ、良かったではないか。こんな味気ない場所にいると刺激は貴重だぞ?」
赤と黒を基調としたドレスに身を包んだ女性――シャルロットは、不機嫌顔のシンクを面白がるように笑った。
シンクはシャルロットに対し、負けじと笑みを造った。
「確かに刺激は必要だ。だが、初対面の相手を丸焦げにするのはどうかと思うぜ」
「何年も前の話を掘り返すな。あの時は吾輩も動揺していたのだ。それにちゃんと治療はしてやったろう」
「治せばいいってもんじゃないだろ。それに謝罪もまだしてもらっていない」
「あれは突然現れたシンクに非がある」
「この問答……何回繰り返したっけ?」
「そうさな。分からんほどには」
「……そうか。やめだやめだ!」
己から振った話にも関わらず、シンクは幾度も平行線を辿った問答を打ち切った。
「こんなつまらない場所とも、今日限りでおさらばだぜ!」
「ついに結界を破る算段が付いた。という事か」
「その通りだ」
シャルロットの問いかけに、シンクは背後で光る魔方陣を指して口を歪めた。
「なずけて『サーチング、サーグル』。結界を制御している魔方陣を解読する為に創った俺の自信作だ」
「ほう。己でくみ上げた独自の魔法陣か。面倒が嫌いなお主にしては珍しく何やらしてると思っていたが、興味深いものを創ったな」
シャルロットは左右で色の違う珍しい瞳を輝かせ、シンクの話に対し知的好奇心を露わした。
――帳とは、古都アステパナに張られた正体不明の結界魔法の仮称だ。
誰が張ったかわからないこの結界の所為で、シンクは彼女と出会った日から今現在に至るまで、廃れた都から出ることができずに長い年月を共に過ごしていた。
「帝国図書館にも似たような陣が描かれていたが、この魔方陣の組み方から察するに……あそこの書物で総当たり攻撃でも仕掛けるつもり気か?」
「よくわかったな。さすがは元賢者だ」
シャルロットの鋭い洞察力に対し、シンクは素直に賛辞を送った。
総当たり攻撃とは暗号解読法の一つだ。
平たく言えば、考えうる可能性を片っ端から試行して答えを導き出すという強引な解読方法である。
「ここの図書館は、かつて魔法に関する知識が最も集約されていた場所だ。すべての書物を用いれば、帳を破る方法がみつかるはずだ」
シンクには、そう豪語するだけの自信があった。
――アステパナ帝国図書館。
それはシンクたちが居る塔に隣接したドーム状の建物の正式名称である。
かつて、アステパン帝国が繁栄の一途を辿っていた頃。
皇帝の指示により、世界中からありとあらゆる書物がこの図書館に集められた。
魔法のすべてが集められたこの場所ならば、必ずや帳を解く為の手段が記されているはずだと、シンクは確信していた。
「サーチング・サークルは、図書館の書物に記された内容をクドクのアレンジバージョンで読み取り、帳の陣を介して必要な情報だけを篩にかけ適した解読方法を見つけ出す。すべての工程を自動で行う優れものだぜ」
「クドク……物の記憶を探る魔法だな。書物に記された文字を直接読まないで情報を得る。その捻くれた発想は吾輩、嫌いではないぞ」
「褒め言葉として受け取っておくぜ」
シンクは振り返り様にそういい、片手を顔の高さまで上げた。
「さて、百聞は一見に如かずだ。そろそろ解読を始めるとしよう」
中指と親指を擦り合わせ、パチンという音が広間内に響き渡る。
その動作に応じるように、シンクの目の前に半透明のスクリーンが出現した。
「なんだそれは?」
文字の記された見たことのない宙に浮く板を見てシャルロットはすぐ興味を示した。
目新しいものにはトコトン興味を示す。
元賢者だと名乗るだけあって、探求意識が高いのだろう。
(賢者ってのが、いまいちピンと来ないんだが……今更説明を乞うのも恥ずかしいな)
魔法が存在するこちらの世界には、シンクが元居た世界になかったものが多く点在している。
こちらに来てそこそこの月日が経つシンクでさえ、未だに理解しがたいものばかりである。
「これはな、操作パネルだ」
「そうさぱねる? なんだそれは」
「そうさな……使い勝手の悪さを、俺なりに工夫したものさ」
説明が厄介なので適当に言葉を見繕う。
異世界の話をしても理解してもらえるかどうかは難しい。
依然シンクは、シャルロットに飛行機の話をした事がある。
その時は、『空を鉄の塊が魔法も使わずに鳥よりも早く飛べるわけがない』とシャルロットが言い出し口論になった程だ。
世界間の常識には齟齬が存在する。
余計に知識を持った相手だと、納得させるのは至難の業だ。
ましてや相手は元賢者。
魔法の存在するこちらの世界で知らぬことはなかったと自負する堅物だ。
彼女に納得してもらえるほど、シンクは元居た世界について博識ではない。
完璧を求める相手に対し、不完全にしか答えられないのなら説明しても時間の無駄であり、相手にとっても失礼だとシンクは考えている。
余談だが、彼女が賢者だったと語るに対し、シンクは別段それを疑っていない。
ここは結界の中といえど、魔法が存在する異世界なのだ。
どんな者がいたって不思議ではない。
そう思えるほどに、彼の思考は柔軟だった。
(まあ、勝手が違うならそれに適応していかないと何かと不便だしな。わからんものは深く追求せずに『そういうもの』だと納得するしかない)
そんな風に考えながら、シンクは操作パネルに目線を落とした。
画面上にはこちらの世界の言葉で『サーチング・サークルを発動させますか?』と表示されており、その下部には有無を確認するボタン画像が付いている。
(本当は日本語で表示させたかったんだが……世界観を崩しそうだったから結果的にはこっちの方がよかったな)
どうでもいいこだわりを捨てきれずにいたが、背後で「まだか?」というオーラを放つシャルロットに気圧され、シンクは渋々『イエス』と書かれたボタンをタップした。
「ん……何も起きないぞ? 早速不具合か?」
「少し時間が掛かるんだよ。急かさないでくれ」
操作パネルの画面は『しばらくお待ちください』という表示に切り替わっている。
発動時に時間が掛かるのは開発段階で周知済みだった為、シンクは焦らずに解読の開始を待った。
「お、ようやく動き出したようだぜ」
シンク言葉を皮切りに、図書館側の白線から変化が現れた。
青白い光の他に赤や緑、黄色や紫など多色の光源が混ざりあうことなく帳の陣へ流れ始めたのだ。
「ほう……まるで虹だな」
シャルロットの口から、感嘆の声が漏れる。
帳の魔方陣は、煌びやかに輝く色鮮やかな光たちが陣の図上を踊るように揺らめいでいる。
操作パネルには解析を始めた旨が記されていた。
「サーチング・サークルの起動は成功だ」
シンクは力強い口調でそう言い、シャルロットからは見えないように、小さなガッツポーズを作った。
「すべての書物を漁るのであれば時間が掛かるのは必須……丁度ここに年代物の葡萄酒がある。どうだ、祝杯といかないか?」
どこから取り出したのか。先ほどまで空だったシャルロットの左手には歪な陶器が、右手には二つのワイングラスが握られている。
彼女が陶器を左右に軽く振ると、中から液体の踊る音が聴こえてきた。
「まだ気が早いが……別にいいか。有り難くいただかせてもらうぜ」
シンクは躊躇した振りをすると、シャルロットの誘いを受け一献付き合う事にした。